忍者ブログ
ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


日の国シリーズ第四弾。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 
東の果て、日の国。
統べるは帝、祈るは神官、守るは衛士(えじ)。
帝に仕える三貴族。
大臣(おとど)を出すのは無(なし)の家。
神通優れる然(ねん)の家。
歌い踊るは色(しき)の家。
国の主が変わりし時、神殿もまた長を改む。
墨の衣を脱ぎ捨てて、装い新たに星輝けり。
 
 
~~~
 
 
「ええっと……あれがひしゃく星で、ええと……子の星はどこだったかしら?」
 
「あそこだよ、朱香(しゅか)」
 
背後から響いた通りの良い声に、朱香はびくりと身体を震わせて振り向いた。
 
「透季(とうき)様……すみません、もう星占(ほしうら)の式まで日が無いと言うのに」
 
どこか中性的な、整った容姿を持つ大神官の姿に、朱香はうなだれた。
新帝即位に伴って行われる星占の式は、朔の夜に皇族が大神殿に集い、その御前で大神官と大巫女が星を読み来る御代の行く末を占うという催しで、新しい大神官と大巫女の披露目の意味も含む大切な儀式だ。これを終えて初めて大神官は新帝に号を授け、皇太子は正式に新たな帝として認められるのである。
 
「大丈夫だよ、私もいる。少しくらいはこちらに頼ってくれないと、立つ瀬が無いというものさ」
 
透季は苦笑しながら朱香の頭を撫でるが、朱香はうつむいたまま首を横に振った。
 
「透季様のお優しさには感謝しております。けれど、わたくしは新参者ですから……推挙して下さった雪音様のためにも、甘えるわけにはまいりません」
 
朱香は元々、各地の神殿の中でも最下層に位置する果ての神殿に仕える一巫女に過ぎなかった。とても次代の大巫女に取り沙汰されるはずも無かった彼女の立場が急激な変化を遂げたのは、巫女となる前の修行時代、淡い友情を育んだ先の大巫女・雪音が強く彼女を推したことが理由だった。雪音と、次期大神官となることが既に決まっていた透季が彼女を高く評価し、周囲に働きかけてくれたがために朱香はこの任に就けたのだ。
眩しいほどの光に満ちた大神殿の中を歩く度、己よりずっと美しく神々しい巫女たちを見る度、朱香は今、己がいるのは夢の中なのではないか、と考えてしまうことがある。
 
「自分に厳しいのは君の良いところだと思うけれど、そう気を張ることも無い。大丈夫、君は才も努力も人より勝っているのだから」
 
「透季様、そんな言い方……」
 
「重圧かい?」
 
朱香が呆れたように溜息を吐くと、透季は悪戯めいた表情で朱香の顔を覗き込んだ。
 
「私は本当のことしか言わないよ。私だって努力しているし、君もそうだ。天賦の才とたゆまぬ努力を合わせて“実力”と言う。それがあるから、私たちはこの地位にある。そうだろう?」
 
仮にも神に仕える職を、一種の権威のように扱う透季の不遜な物言いに、朱香は眉を顰めた。彼の言動には、初めて会った時から戸惑わされることが多い。朱香のいた果ての地では到底目にすることのできない洗練された物腰の透季は、神職を奉じながら俗世の価値観を未だ手放してはいないらしい。新たな大巫女として大神殿に入った時から、幾度このような場面が繰り返されてきただろう。近ごろでは、彼はそんな朱香を面白がっている節さえあるのだ。
 
「透季様には確かに力も実績もございますわ。けれど私は違います」
 
長い年月、後継候補として先の大神官・光の補佐を務めてきた彼は、果ての地でくすぶっていた朱香にとってはるかに遠い存在だった。
 
「そういう捉え方が、良くないと思うんだけどねぇ……」
 
かたくなに背を向ける朱香に向かい、透季はボソリと呟いた。見上げた先には満点の星空。眩しい星々を見つめ続ける朱香の姿に、透季は胸の奥にしまわれた一つの記憶を思い出していた。
 
 
~~~
 
 
「ご覧下さいお二方、あれが噂の然の姫君・雪音様ですよ」
 
正式な巫女となる前の初々しい少女たちの群れの中から一人を指し示し、密やかに囁いたのは、今は俗世に帰った白真――懐かしい友だった。
 
「……美しいな。触れれば溶ける六花のようだ」
 
彼に答えたのは、珍しくどこか浮ついた光――敬うべき先達の声。
 
「詩人ですね、光殿。……私は、あの隣の娘が少し気になるが」
 
笑いながら己が視線を向けた先には、件の姫君と微笑み合う一人のあどけない少女がいた。
 
「あれは……ああ、朱香と申しましたか。どうやら果ての地に赴くことが決まっているようですよ」
 
耳の早い白真の答(いら)えに、透季はぼんやりと、けれど確かにその名を噛みしめた。
 
「しゅか……朱(あけ)の、香り」
 
美しさから言えば雪音に劣り、おろおろと周囲を見渡す様はいささか挙動不審のきらいがあるものの、強いて目立つところもない彼女を気にかけたのは何故だったのか。己と対となる大巫女候補として雪音の口からその名を聞いた時、その存在を一瞬にして思い起こすことができたのはどうしてなのか、透季自身にも分からない。仮にも神に仕える身ゆえ、気づきたくないこと、知らない方が良いことを山ほど抱えてきた彼だった。
 
「秘密は多い方が楽しいものだ。朱香、おまえもそう考えることができれば……」
 
いっそ怖いほど真剣に儀式の稽古に励む朱香を見つめ、透季はひっそりと溜息を吐いた。
 
 
~~~
 
 
「大変です大神官様! 大巫女様が……朱香様がどこにもいらっしゃいません!」
 
朱香の世話役を務める巫女がそう叫びながら透季の元に飛び込んできたのは、まさに星読みの儀式を迎える日の朝、彼が白銀の衣に袖を通している最中のことだった。
 
「何? 昨日は夜遅くまで稽古をしていたようだが……」
 
普段は穏やかな透季の険を帯びた声音に巫女は一瞬ひるみ、おずおずと折りたたまれた文を取り出した。
 
『今更ではございますが、私にはとてもこの大任を果たす自信がございません。貴き方々に鄙つ女の姿をお目にかけて不快な思いをさせるわけにもまいりませんので、在るべき場所に帰ろうと考えました次第です。大変、申し訳ございませんでした。
朱香』
 
「あの……馬鹿やろうっ!」
 
一読した途端、透季は文をぐしゃりと握り、思わず怒鳴っていた。目の前の巫女がいよいよ怯えたように後ずさる。大神官のこのような姿を目にするのは、彼女にとって初めてのことだった。
 
「大巫女は私が探す。儀式までには間に合わせたいが……少しくらいは待たせておけ。いざとなったら日を改める」
 
「しかし透季様! 相手は皇族の方々です、そのようなこと、不敬に……」
 
今にも駆けだしそうな透季の不遜な物言いを巫女は慌てて咎めたが、帰って来たのは鋭い一瞥。
 
「儀式を行うのは我らだ。我らの託宣無しに帝は即位できぬ。違うか?」
 
それだけを告げて、大神官は立ち去った。残された巫女は蒼白な面持ちで後を追おうとし、やがてへなへなと座り込んだ。他にどうすることもできぬ彼女だった。
 
 
~~~
 
 
神殿の外れ、殯(もがり)の宮の地下へと続く階段を、透季はたいまつを片手に進んでいた。先帝の喪が明け、役目を終えたばかりのこの薄暗い黄泉と現世を繋ぐ場所に、彼女は逃げ込むと信じていた。黄泉にも現世にも属さない、“存在しない娘”であるはずの彼女は――
 
「朱香」
 
透季の呼びかけに、うずくまっていた影がビクリと揺れる。
 
「何故こんなことをした。儀式は今日だ。今更、いなくなられては困る」
 
振り向いた朱香の顔は涙に濡れていた。
 
「私……私は、皇族の方々の前に姿を見せてはいけないんです。
いくら修行を積んでも、力だって全然足りないし……こんな姿」
 
「一品宮(いっぽんのみや)様に見られたくない、というわけか?」
 
溜息と共に吐き出された透季の言葉に、朱香は目を見開いた。
 
「どうして……? どうして、それを」
 
「一品の位を得た唯一人の君、今上の姉宮、誰よりも高貴なる麗しき皇女(ひめみこ)……彼女はかつてこの神殿で、殯の宮で一人の赤子を生み落とした――未婚の姫宮が、決して身籠るはずのない娘を」
 
淡々と紡がれる過去に、朱香は震え出す。
 
「あ……あ、やめて、やめて!」
 
「彼女は赤子を自らの子どもだと認めなかった。存在しないもの、死者に等しきものとしてこの地下に打ち捨て――そして娘は、神殿に拾われて巫女となった」
 
「そこまで知っていて、どうして私を追ってきたのです!? 放っておいて……お願い、だから」
 
透季に掴みかかり、朱香はくず折れた。その身体を支えながら、透季は優しく背を撫でる。
 
「朱香、私は……私はね、とにかく成り上がりたかった。身分を問わぬことが建前とされている神殿に入り、地位を得るために使えるものは何でも使った。媚びも、世辞も、後ろ暗い手で得た“情報”もね。力では光殿に、人望では白真に到底敵わなかったから……」
 
透季の囁きに、朱香は顔を上げた。
 
「だから、私のことも?」
 
ハッとして口を押さえた彼女の問いに答えぬまま、透季は彼女に問いを返した。
 
「朱香、君は何故ここに来た? 望まれぬ子だと分かっていて、それ故に果ての地へ送られたことを知っていて、何故雪音の招きに応じたんだ? 必ずこの日を迎えること、知らぬわけではなかったろうに」
 
真っ直ぐに己を見つめる強い眼差しと、余りにも率直に紡がれた言葉に朱香は唇を噛んだ。
 
「……分かっていました、受けるべきではないと。いいえ、本当はもっと早くに、皇家に連なる神殿という場所を辞すべきでした。それでも……それでも、私は、お会いしたかった。例え母と呼ぶことが叶わずとも、子と名乗ることが許されずとも、あの方がどんな顔をなさっておいでなのか……一目、だけでも」
 
こぼれ落ちた本音に、朱香は放心したようにくず折れた。
 
「ならば、朱香……もう、逃げるのは寄せ」
 
朱香はゆっくりとした動作で己を支える彼の顔を見上げる。深い眼差しに強い決意を見出し、彼女は一つ確かに頷いた。柔らかなその頬には未だ雫が伝っていたが、透季の手がそこに伸ばされることは無い。それで良かった。静かに身を離すと、透季の目が宮の入り口から洩れる光へと動いた。その眼差しを追って、朱香も歩き出す。一歩、一歩、胸を張って、懸命に背筋を伸ばしながら。
 
 
~~~
 
 
「皇太子(ひつぎのみこ)知瀬宮の即位を神の名の元に認め、“暁”の号を授ける」
 
大神官が高らかにその託宣を発した瞬間、その眼前に立った帝は戸惑うような表情を浮かべた。
 
「いつか光殿が言っていた、あなたは眩く輝きだす前の光だと。
日継ぎの御子よ、今こそ高く昇る時だ」
 
若き頃より見知った彼に透季が苦笑混じりに囁くと、帝は一瞬目を見開き、そして力強く首肯した。大神官の傍らには大巫女が皇冠を捧げ持つ。向けられる数多の視線の中に酷く暖かな――柔らかな光を宿すものがあることに、彼女は気づいていただろうか。帝の後方に座す気高き女人と朱香の姿を交互に見やり、透季は小さく笑みをこぼした。四つの瞳は確かに繋がり、口元には緩やかな綻びが見えたから――
広い空の下、交わることは叶わずとも、光は遠く果てまで届き、一筋の線を紡ぐのだ。
星は今、地の果てより昇る。






 

拍手[0回]

PR


追記を閉じる▲

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 
東の果て、日の国。
統べるは帝、祈るは神官、守るは衛士(えじ)。
帝に仕える三貴族。
大臣(おとど)を出すのは無(なし)の家。
神通優れる然(ねん)の家。
歌い踊るは色(しき)の家。
国の主が変わりし時、神殿もまた長を改む。
墨の衣を脱ぎ捨てて、装い新たに星輝けり。
 
 
~~~
 
 
「ええっと……あれがひしゃく星で、ええと……子の星はどこだったかしら?」
 
「あそこだよ、朱香(しゅか)」
 
背後から響いた通りの良い声に、朱香はびくりと身体を震わせて振り向いた。
 
「透季(とうき)様……すみません、もう星占(ほしうら)の式まで日が無いと言うのに」
 
どこか中性的な、整った容姿を持つ大神官の姿に、朱香はうなだれた。
新帝即位に伴って行われる星占の式は、朔の夜に皇族が大神殿に集い、その御前で大神官と大巫女が星を読み来る御代の行く末を占うという催しで、新しい大神官と大巫女の披露目の意味も含む大切な儀式だ。これを終えて初めて大神官は新帝に号を授け、皇太子は正式に新たな帝として認められるのである。
 
「大丈夫だよ、私もいる。少しくらいはこちらに頼ってくれないと、立つ瀬が無いというものさ」
 
透季は苦笑しながら朱香の頭を撫でるが、朱香はうつむいたまま首を横に振った。
 
「透季様のお優しさには感謝しております。けれど、わたくしは新参者ですから……推挙して下さった雪音様のためにも、甘えるわけにはまいりません」
 
朱香は元々、各地の神殿の中でも最下層に位置する果ての神殿に仕える一巫女に過ぎなかった。とても次代の大巫女に取り沙汰されるはずも無かった彼女の立場が急激な変化を遂げたのは、巫女となる前の修行時代、淡い友情を育んだ先の大巫女・雪音が強く彼女を推したことが理由だった。雪音と、次期大神官となることが既に決まっていた透季が彼女を高く評価し、周囲に働きかけてくれたがために朱香はこの任に就けたのだ。
眩しいほどの光に満ちた大神殿の中を歩く度、己よりずっと美しく神々しい巫女たちを見る度、朱香は今、己がいるのは夢の中なのではないか、と考えてしまうことがある。
 
「自分に厳しいのは君の良いところだと思うけれど、そう気を張ることも無い。大丈夫、君は才も努力も人より勝っているのだから」
 
「透季様、そんな言い方……」
 
「重圧かい?」
 
朱香が呆れたように溜息を吐くと、透季は悪戯めいた表情で朱香の顔を覗き込んだ。
 
「私は本当のことしか言わないよ。私だって努力しているし、君もそうだ。天賦の才とたゆまぬ努力を合わせて“実力”と言う。それがあるから、私たちはこの地位にある。そうだろう?」
 
仮にも神に仕える職を、一種の権威のように扱う透季の不遜な物言いに、朱香は眉を顰めた。彼の言動には、初めて会った時から戸惑わされることが多い。朱香のいた果ての地では到底目にすることのできない洗練された物腰の透季は、神職を奉じながら俗世の価値観を未だ手放してはいないらしい。新たな大巫女として大神殿に入った時から、幾度このような場面が繰り返されてきただろう。近ごろでは、彼はそんな朱香を面白がっている節さえあるのだ。
 
「透季様には確かに力も実績もございますわ。けれど私は違います」
 
長い年月、後継候補として先の大神官・光の補佐を務めてきた彼は、果ての地でくすぶっていた朱香にとってはるかに遠い存在だった。
 
「そういう捉え方が、良くないと思うんだけどねぇ……」
 
かたくなに背を向ける朱香に向かい、透季はボソリと呟いた。見上げた先には満点の星空。眩しい星々を見つめ続ける朱香の姿に、透季は胸の奥にしまわれた一つの記憶を思い出していた。
 
 
~~~
 
 
「ご覧下さいお二方、あれが噂の然の姫君・雪音様ですよ」
 
正式な巫女となる前の初々しい少女たちの群れの中から一人を指し示し、密やかに囁いたのは、今は俗世に帰った白真――懐かしい友だった。
 
「……美しいな。触れれば溶ける六花のようだ」
 
彼に答えたのは、珍しくどこか浮ついた光――敬うべき先達の声。
 
「詩人ですね、光殿。……私は、あの隣の娘が少し気になるが」
 
笑いながら己が視線を向けた先には、件の姫君と微笑み合う一人のあどけない少女がいた。
 
「あれは……ああ、朱香と申しましたか。どうやら果ての地に赴くことが決まっているようですよ」
 
耳の早い白真の答(いら)えに、透季はぼんやりと、けれど確かにその名を噛みしめた。
 
「しゅか……朱(あけ)の、香り」
 
美しさから言えば雪音に劣り、おろおろと周囲を見渡す様はいささか挙動不審のきらいがあるものの、強いて目立つところもない彼女を気にかけたのは何故だったのか。己と対となる大巫女候補として雪音の口からその名を聞いた時、その存在を一瞬にして思い起こすことができたのはどうしてなのか、透季自身にも分からない。仮にも神に仕える身ゆえ、気づきたくないこと、知らない方が良いことを山ほど抱えてきた彼だった。
 
「秘密は多い方が楽しいものだ。朱香、おまえもそう考えることができれば……」
 
いっそ怖いほど真剣に儀式の稽古に励む朱香を見つめ、透季はひっそりと溜息を吐いた。
 
 
~~~
 
 
「大変です大神官様! 大巫女様が……朱香様がどこにもいらっしゃいません!」
 
朱香の世話役を務める巫女がそう叫びながら透季の元に飛び込んできたのは、まさに星読みの儀式を迎える日の朝、彼が白銀の衣に袖を通している最中のことだった。
 
「何? 昨日は夜遅くまで稽古をしていたようだが……」
 
普段は穏やかな透季の険を帯びた声音に巫女は一瞬ひるみ、おずおずと折りたたまれた文を取り出した。
 
『今更ではございますが、私にはとてもこの大任を果たす自信がございません。貴き方々に鄙つ女の姿をお目にかけて不快な思いをさせるわけにもまいりませんので、在るべき場所に帰ろうと考えました次第です。大変、申し訳ございませんでした。
朱香』
 
「あの……馬鹿やろうっ!」
 
一読した途端、透季は文をぐしゃりと握り、思わず怒鳴っていた。目の前の巫女がいよいよ怯えたように後ずさる。大神官のこのような姿を目にするのは、彼女にとって初めてのことだった。
 
「大巫女は私が探す。儀式までには間に合わせたいが……少しくらいは待たせておけ。いざとなったら日を改める」
 
「しかし透季様! 相手は皇族の方々です、そのようなこと、不敬に……」
 
今にも駆けだしそうな透季の不遜な物言いを巫女は慌てて咎めたが、帰って来たのは鋭い一瞥。
 
「儀式を行うのは我らだ。我らの託宣無しに帝は即位できぬ。違うか?」
 
それだけを告げて、大神官は立ち去った。残された巫女は蒼白な面持ちで後を追おうとし、やがてへなへなと座り込んだ。他にどうすることもできぬ彼女だった。
 
 
~~~
 
 
神殿の外れ、殯(もがり)の宮の地下へと続く階段を、透季はたいまつを片手に進んでいた。先帝の喪が明け、役目を終えたばかりのこの薄暗い黄泉と現世を繋ぐ場所に、彼女は逃げ込むと信じていた。黄泉にも現世にも属さない、“存在しない娘”であるはずの彼女は――
 
「朱香」
 
透季の呼びかけに、うずくまっていた影がビクリと揺れる。
 
「何故こんなことをした。儀式は今日だ。今更、いなくなられては困る」
 
振り向いた朱香の顔は涙に濡れていた。
 
「私……私は、皇族の方々の前に姿を見せてはいけないんです。
いくら修行を積んでも、力だって全然足りないし……こんな姿」
 
「一品宮(いっぽんのみや)様に見られたくない、というわけか?」
 
溜息と共に吐き出された透季の言葉に、朱香は目を見開いた。
 
「どうして……? どうして、それを」
 
「一品の位を得た唯一人の君、今上の姉宮、誰よりも高貴なる麗しき皇女(ひめみこ)……彼女はかつてこの神殿で、殯の宮で一人の赤子を生み落とした――未婚の姫宮が、決して身籠るはずのない娘を」
 
淡々と紡がれる過去に、朱香は震え出す。
 
「あ……あ、やめて、やめて!」
 
「彼女は赤子を自らの子どもだと認めなかった。存在しないもの、死者に等しきものとしてこの地下に打ち捨て――そして娘は、神殿に拾われて巫女となった」
 
「そこまで知っていて、どうして私を追ってきたのです!? 放っておいて……お願い、だから」
 
透季に掴みかかり、朱香はくず折れた。その身体を支えながら、透季は優しく背を撫でる。
 
「朱香、私は……私はね、とにかく成り上がりたかった。身分を問わぬことが建前とされている神殿に入り、地位を得るために使えるものは何でも使った。媚びも、世辞も、後ろ暗い手で得た“情報”もね。力では光殿に、人望では白真に到底敵わなかったから……」
 
透季の囁きに、朱香は顔を上げた。
 
「だから、私のことも?」
 
ハッとして口を押さえた彼女の問いに答えぬまま、透季は彼女に問いを返した。
 
「朱香、君は何故ここに来た? 望まれぬ子だと分かっていて、それ故に果ての地へ送られたことを知っていて、何故雪音の招きに応じたんだ? 必ずこの日を迎えること、知らぬわけではなかったろうに」
 
真っ直ぐに己を見つめる強い眼差しと、余りにも率直に紡がれた言葉に朱香は唇を噛んだ。
 
「……分かっていました、受けるべきではないと。いいえ、本当はもっと早くに、皇家に連なる神殿という場所を辞すべきでした。それでも……それでも、私は、お会いしたかった。例え母と呼ぶことが叶わずとも、子と名乗ることが許されずとも、あの方がどんな顔をなさっておいでなのか……一目、だけでも」
 
こぼれ落ちた本音に、朱香は放心したようにくず折れた。
 
「ならば、朱香……もう、逃げるのは寄せ」
 
朱香はゆっくりとした動作で己を支える彼の顔を見上げる。深い眼差しに強い決意を見出し、彼女は一つ確かに頷いた。柔らかなその頬には未だ雫が伝っていたが、透季の手がそこに伸ばされることは無い。それで良かった。静かに身を離すと、透季の目が宮の入り口から洩れる光へと動いた。その眼差しを追って、朱香も歩き出す。一歩、一歩、胸を張って、懸命に背筋を伸ばしながら。
 
 
~~~
 
 
「皇太子(ひつぎのみこ)知瀬宮の即位を神の名の元に認め、“暁”の号を授ける」
 
大神官が高らかにその託宣を発した瞬間、その眼前に立った帝は戸惑うような表情を浮かべた。
 
「いつか光殿が言っていた、あなたは眩く輝きだす前の光だと。
日継ぎの御子よ、今こそ高く昇る時だ」
 
若き頃より見知った彼に透季が苦笑混じりに囁くと、帝は一瞬目を見開き、そして力強く首肯した。大神官の傍らには大巫女が皇冠を捧げ持つ。向けられる数多の視線の中に酷く暖かな――柔らかな光を宿すものがあることに、彼女は気づいていただろうか。帝の後方に座す気高き女人と朱香の姿を交互に見やり、透季は小さく笑みをこぼした。四つの瞳は確かに繋がり、口元には緩やかな綻びが見えたから――
広い空の下、交わることは叶わずとも、光は遠く果てまで届き、一筋の線を紡ぐのだ。
星は今、地の果てより昇る。






 

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック