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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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人生で1番悲しいこと・苦しいことと嬉しいことが同時に起こった。
最後の昭和生まれにとってはそんな時代。Tennoは「戦争がなくて良かった」って言った。彼の歳を考えるとそうなんだろう。歴史を学んだ身としては彼らはまさにこの国にとっての人身御供だと思うし、でも彼らがいないとこの国は国としての形や歴史が迷子になるんだな、って不安と悲哀も感じる。でも私たちは、バブル崩壊後の不景気のニュースしか知らない。新卒時はリーマンショック、私は変な病気で休学。無理して行って、親は大学に戻れると信じたかったのかアパートの解約すらせず家賃を払い続け。毛なくなって知り合いいないのに戻ってもどうしようもなくて引きこもったし、その間に借金増していって父はあんな死に方するし。母はガンになるし。震災だって、いつまで言ってるんだ言ってる人いますけど現地来てみろよ。何もないわ。失われたものは返ってこないんだよ。どうやって克服しろ言うねん。小学校入学前のお子さんの同級生が中学生とか、時止まってる人間はどうしたら良いの。就職して結婚して子供生んでた、考えずにいられる? 無理だよ。私の人生は何も世の中に影響及ぼしてなくても、本当に生きるべき人が生きてたらそれだけの変化があった、そんな妄想すんのは不毛なのか? 私だけじゃない、未だにみんな引きずってるから未だに次々死んでくんでしょ。仙台の街中が復興してるように見えるからって軽く考えないでほしい。関わりがあった人たちは、普段みんな一所懸命考えないようにしてて話題にも出さなくて、でもふとした瞬間に思い出してガラガラ崩れちゃうんですよ。ほっといて。刺激しないで。バカにしないで。あれだけの規模で大きなものを、沢山の人生をなくして、そう簡単に復活できるわけねぇだろ。1度「1人で生き残るより全員で死んだ方が良い」ってやりとりしてみろ。パーソンファインダー絶望的な気持ちで毎日検索する日々送ってみろ。30を超えた、1人1人と歳が遠ざかっていく後ろめたさ、戦時中かよ、って物のなさ、風呂やトイレや電気を毎日使えるありがたさ。一生忘れない。その後に死んだ父の身勝手さ含め。私は社会復帰するまでの自分のクソさも、それまであの震災で失われたものを見てなお死にたいと思ってた気持ちも含めて絶対忘れない。てか今も死にたい。変わりたい。だから海沿い行く時は塩持ってく。こんなんに憑いても可哀想だから。地獄のような時代でした。でも両親や周りの人たちからもらったプレゼントや愛情、思い出も1番詰まってて、物心ついて色々経験して考えて、苦しんだ時代でもある。私は最後の昭和生まれ、物心ついた時から平成という時代を全て覚えている世代であることを誇りに感じると思います。歴オタとして。次の時代は自分を把握して諦めて終わりを待つだけの私にはインパクトのない元号がくると思う。恐らく3WWが来るかもしれない。私にはもう、そこで生きるかもしれない大切な人たちの無事を祈るしかないけど。あの繊細な、役目から逃れることができなかったご家族が潰されることなく、と言ってこの特殊なガラパゴス文化列島国が滅びないように願います。私、自国がここで良かったと思ってるんですよ。家族がクリスチャンだったから余計に。右翼と罵られるけど、他国への悪口でもないんだけど。「聖☆お兄さん」が存在しうる国で良かった。古事記が聖書だけど大半が読んだことないのに初詣と七五三と厄祓いする国で良かった。無信心でも感じたり憑かれたり見えるのを、否定されない国で良かった。否定されたらどうしたら良いのかわからなかったし、対処のしようがなかったと思う。受け入れることも対処法考えることもできなかった。私は日本史オタだけどTenno教の信者にはなれない。でもShintoの有益性は学んで、そのやり方に乗っかったりしてる。仏教もキリスト教もしかり。ついでに親族の信仰してるT理教も・・・。有用性は把握してる。そしてあの一族は、恐らくこの国自体と乖離できないんだ、って尊敬はしてる。彼らは生け贄だと言ったら国税注ぎ込んでるんだから、って意見もあるだろうけど。あるいは信者には怒られるんだろうけど。ある意味欧米や中東より、存続は必要なんだと思う。たからこそ、「平◯最後の〜」というキャッチフレーズが活きるんだろう。私は彼らに感謝しています。お疲れ様でした。来年以降はどうぞ穏やかに、普通の夫婦として晩年を過ごしてほしい。

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最後の昭和生まれにとってはそんな時代。Tennoは「戦争がなくて良かった」って言った。彼の歳を考えるとそうなんだろう。歴史を学んだ身としては彼らはまさにこの国にとっての人身御供だと思うし、でも彼らがいないとこの国は国としての形や歴史が迷子になるんだな、って不安と悲哀も感じる。でも私たちは、バブル崩壊後の不景気のニュースしか知らない。新卒時はリーマンショック、私は変な病気で休学。無理して行って、親は大学に戻れると信じたかったのかアパートの解約すらせず家賃を払い続け。毛なくなって知り合いいないのに戻ってもどうしようもなくて引きこもったし、その間に借金増していって父はあんな死に方するし。母はガンになるし。震災だって、いつまで言ってるんだ言ってる人いますけど現地来てみろよ。何もないわ。失われたものは返ってこないんだよ。どうやって克服しろ言うねん。小学校入学前のお子さんの同級生が中学生とか、時止まってる人間はどうしたら良いの。就職して結婚して子供生んでた、考えずにいられる? 無理だよ。私の人生は何も世の中に影響及ぼしてなくても、本当に生きるべき人が生きてたらそれだけの変化があった、そんな妄想すんのは不毛なのか? 私だけじゃない、未だにみんな引きずってるから未だに次々死んでくんでしょ。仙台の街中が復興してるように見えるからって軽く考えないでほしい。関わりがあった人たちは、普段みんな一所懸命考えないようにしてて話題にも出さなくて、でもふとした瞬間に思い出してガラガラ崩れちゃうんですよ。ほっといて。刺激しないで。バカにしないで。あれだけの規模で大きなものを、沢山の人生をなくして、そう簡単に復活できるわけねぇだろ。1度「1人で生き残るより全員で死んだ方が良い」ってやりとりしてみろ。パーソンファインダー絶望的な気持ちで毎日検索する日々送ってみろ。30を超えた、1人1人と歳が遠ざかっていく後ろめたさ、戦時中かよ、って物のなさ、風呂やトイレや電気を毎日使えるありがたさ。一生忘れない。その後に死んだ父の身勝手さ含め。私は社会復帰するまでの自分のクソさも、それまであの震災で失われたものを見てなお死にたいと思ってた気持ちも含めて絶対忘れない。てか今も死にたい。変わりたい。だから海沿い行く時は塩持ってく。こんなんに憑いても可哀想だから。地獄のような時代でした。でも両親や周りの人たちからもらったプレゼントや愛情、思い出も1番詰まってて、物心ついて色々経験して考えて、苦しんだ時代でもある。私は最後の昭和生まれ、物心ついた時から平成という時代を全て覚えている世代であることを誇りに感じると思います。歴オタとして。次の時代は自分を把握して諦めて終わりを待つだけの私にはインパクトのない元号がくると思う。恐らく3WWが来るかもしれない。私にはもう、そこで生きるかもしれない大切な人たちの無事を祈るしかないけど。あの繊細な、役目から逃れることができなかったご家族が潰されることなく、と言ってこの特殊なガラパゴス文化列島国が滅びないように願います。私、自国がここで良かったと思ってるんですよ。家族がクリスチャンだったから余計に。右翼と罵られるけど、他国への悪口でもないんだけど。「聖☆お兄さん」が存在しうる国で良かった。古事記が聖書だけど大半が読んだことないのに初詣と七五三と厄祓いする国で良かった。無信心でも感じたり憑かれたり見えるのを、否定されない国で良かった。否定されたらどうしたら良いのかわからなかったし、対処のしようがなかったと思う。受け入れることも対処法考えることもできなかった。私は日本史オタだけどTenno教の信者にはなれない。でもShintoの有益性は学んで、そのやり方に乗っかったりしてる。仏教もキリスト教もしかり。ついでに親族の信仰してるT理教も・・・。有用性は把握してる。そしてあの一族は、恐らくこの国自体と乖離できないんだ、って尊敬はしてる。彼らは生け贄だと言ったら国税注ぎ込んでるんだから、って意見もあるだろうけど。あるいは信者には怒られるんだろうけど。ある意味欧米や中東より、存続は必要なんだと思う。たからこそ、「平◯最後の〜」というキャッチフレーズが活きるんだろう。私は彼らに感謝しています。お疲れ様でした。来年以降はどうぞ穏やかに、普通の夫婦として晩年を過ごしてほしい。

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