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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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授業で「ミッション」を観ました。
むかし「沈黙」を読んだ時に
「ああ、この人はどうやってもこれ(信仰)が自分から切り離せないんだなぁ、
この人の芯そのものだもんなぁ」
とグッときたことを覚えています。可哀想とも、羨ましいとも、愛しいとも感じました。
純粋に神を信じているわけでも救われたいと願っているわけでもなく。
ただそれがないと自分という存在そのものが瓦解する。
そんなものに縛られるのは馬鹿馬鹿しいと分かっていても手放せない。
宇宙の成り立ちも人類の進化も解明されたというのに、
聖書という物語の上に成り立つ教義が信仰され続けているのはこういう理由なのかな、と。
宗教を持たない私は漠然と信仰が「綺麗なもの」のような気がしていたから
自分には理解できないと思っていたけど、
ライナスの毛布なら何となく理解できるような気がする。


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