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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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死刑には反対です。
犯罪を犯すほど切羽詰まっている人は、その時点で狂気に囚われていると思うから。
「これをしたら死刑だな」とか、「死にたくないからやめておこう」とか考えるほど
理性は既に残されていないところで起きるのが犯罪だと思うんです。
だから、いくら刑を重くしたところで意味が無い。
むしろ、狂気に囚われたまま「死」を迎えさせる方が
犯罪者にとって「幸せ」を与えることになるんじゃないでしょうか。
生きるより死ぬ方が楽だし。
生きている限りは、「狂気」を脱して正気を取り戻す可能性がある。
その時に犯罪者が背負う苦しみは、十分に死よりも重い罰になると思うんです。
何十年も、塀の中で、苦しみながら生きるって、絶対死ぬよりキツイと思う。
死は一瞬だけど、生は継続するものですから。
犯罪者が若ければ若いほど、生かしておかなければいけないと思う。
何か説教くさくなってごめんなさいm(__)m

あの弁護団の懲戒処分請求をした人たちは何を思ってそんなことをしたんだろう、
と思ってしまって。悪を鉄槌する正義の味方気取りだったのかなー、とか。
確かに酷い事件だったとは思うし、遺族の怒りや悲しみも当然だと感じるけれど、
第三者が客観的視点を失ってしまったらいけないと思う。
裁判は法律という基準に基づいて行われるもので、個人的な感情によって
その結果が左右されるものであってはいけないと思うんです。
その「法律」をどういう風に解釈するかは人によって異なるものだし、
法律に携わる者が裁判を通して「私はこう考える」という主張をすることが
悪いことだとは思わない。事件を死刑の是非に関する問題の象徴として
扱わないでほしいという遺族の気持ちは分かるが、逆に遺族が死刑判決に
こだわってしまったために事件が象徴化されてしまった、という問題があると思う。
と、いうことを含めて色んなことをもっと多角的に
見れるようになったらいいな、と考えました。
不愉快な気分になられた方がいましたらすみません(-_-;)
とりあえずハシモッチばかだなー・・・

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