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初めて「お悔やみ申し上げます」に「いいえ、おめでとうなんです」と返された。大往生だから幸せに逝けたんだと。私は震災からも父の死からも諸々追われている体で逃げ続けていて、闘病とか老いていく様とかその辺と向き合えていないので、そういう人の死もあるのか、と衝撃を受けて泣きそうになった。70代で死んだ祖母の死すら「何て穏やかで静かな葬儀なんだろう」とビックリしたくらいなので。子供や学生や喪服持ってない世代が大挙する葬儀は本当に大がかりで哀しく、その空間にいるだけで喉が締め付けられ胸が張り裂けそうになります。その原因や過程も含め。そういう葬式しか知らなかったし父もあんな終わり方をしたし、自分も息をして存在すること自体が苦しくもがいている人間なので、亡くなった方と、見送った家族の過ごした時の長さ、哀しみと愛情の混じりあった表現が凄いなぁ、と。父の日が近く、口実に取り寄せたお酒が「あんたパパがこのお酒好きだったの知ってたの?」と言われたこともあり(単に好みが同じ)、私もおばあちゃんの声になってから、こんな風に穏やかに亡くなった報告をできるような生き方ができる人間だったら彼や母や家族はもっと普通に幸せに生きられたのだろうか、と考えてしまった。それ以後の死亡案件ではずっとウッと若干言葉を詰まらせかけました(^_^;) まさに両親くらいの歳の人もいたし。・・・連絡寄越してるのも同世代かな。もうしばらく経つから、彼らの方が歳取って逝けたんだけど。「自分の親でもないのに」と言われたけど、自分の親や自身の経験があるから、嫌だったことや心に沁みたことを思い出せる。1番共感できたのは誰のどんな声、言葉だったかはお見舞いとお悔やみを散々聞いた人間だけが分かることだと思います。ちなみにワースト対応は公的機関な(笑) 市役所・税務署・年金事務所の最低さは一生忘れない。国民の税金で給料もらっといてよくやるわ(#・∀・)
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