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あの震災の時、最初にやりとりできたのは関西や九州の友人たちだったんです。
東日本は震災直後ダメだった。だから、向こうの友人たちの情報、気にかけてくれていること、それから関西には日常があること。戻った時、満開の桜の下で泣いた。物が詰まっているスーパーの棚を見て泣いた。当たり前に洗濯物が干してあって、自転車が行き交って。身内が死んだ時も、公の場で歳いってから泣いたのはあれっきりだと思う。だから、胸が潰れそうになる。私の第2の故郷だし、終わりの場所にしたいと最近は考えてるし、皆が無事でいてくれますように。宮城育ちのせいか、防災意識の低さメッチャ心配になるんですよ。人口密度的にしょうがないのかもしれないけど、阪神も今回もウチくらい対策してたらそこまで被害広がらなかった。熊本もそう。何で小さいうちから地震の時に塀は近づくな言うとかんの? てか3mで補強なしってありえんやろ。前から思ってたけど歩道と瓦近すぎ。タイルの接着脆すぎ。オサレだからって何でもガラスばりにするな。するならスペース広く取れって! 何とかなるやろ、うちは大丈夫精神で備蓄や避難所確認なんかもしとらんやろうし、あぁもう心配・・・なぜ小さい子どもいるうちで食器棚扉止めつけとかんのや?(段々具体的になってきた。笑) 西日本の梅雨はこちらよりずっと湿気が多く、地質は脆い。山肌を背負った家も多い。二次災害、余震、本当に本当に気をつけて欲しいです。最後は自分で自分を守るしかないからね。
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