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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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に関連してセクシュアリティネタ。
宗教とかI Sの思想バラマキとか移民の疎外感とか色々理由はあったのだと思うけれど、個人的にはマイノリティを「私って人権意識高いんですぅー☆」アピールに使う連中が増え過ぎ&一部声でか過ぎ欲張り過ぎな当事者と彼らのコンボによる振る舞いや、それらを認めるというか受け入れなければ現代人として失格、みたいな社会的圧力が一気に強まり過ぎて爆発してしまったのが今回の不幸な事件なのでは?と思う。もちろん喪われた命に罪はなく、犯人が残虐で卑劣極まりないことは確か。けれど○千年単位で同性愛禁止してきた一神教を熱心に信仰する人々が、世界の急激な変化にすぐ適応できるかというとそれは不可能だろう。カ○リックじゃないけどクリスチャンに片足突っ込んで育ったAセクの私が言うとなんですが、まぁ実感として理解できなくはないんだよ。人間だって生物だもん、子孫残して種として存続するために生きてんだもん。それができないL G B Tは間違いなく淘汰されるべきバグなんだよ、生物の原理としては。ところが知能が発達し、寿命もそれなりに長い人間様はそういうバグでも役立たせる手段を思い付いて下さったから、最近になってようやくだけど彼らは表に出てきて権利を認められ始めてる。ゆっくり、ゆっくりで良いんです。騒ぎ立てて反感買ったり、社会の中で浮き上がるよりは黙っていたい、それが多くのL G B Tの本音だろう。
私は、初めはAセクというものも私がそうだということもイマイチ理解できない、という反応だった幼なじみがそれでも「子供が欲しかったけどどうしても無理みたい」という言葉を受け止めてくれて、お子さんに「ケイトは二人目のママみたいなもんだからね」と言ってくれた瞬間、とても救われた気がした。友達母子+私の組み合わせで出かける時、例えばカメラ係だとか、屋台に買い出し行ったり「お父さん」的なポジションを任されることが正直嬉しくてしょうがない。みんな私のセクシュアリティだとかトラウマを知った上で、そんな風に普通に付き合ってくれたりお子さんと触れ合わせてもらえるのが本当にありがたいんです。だってさ、よく考えたら意味不明で良い歳こいて自意識過剰というか気持ち悪いし、自分の子持てないからおたくのお子さん可愛がらせて下さい、なんて身勝手にもほどがあるじゃん。それを拒まずに、否定せずに受け入れてくれてる、ってそれだけで本当に涙が出そう(;_;)ありがとうみんな!
認めるのもカミングアウトも、当事者自身だって怖いですよ。怖くて仕方なかったです。得体の知れない、存在すべきじゃない、と長年信じてきたものがいつの間にか社会の中で市民権を得つつある、と感じた時の「ノーマル(あるいは敬虔な一神教信者)」の人の気持ちはいかばかりだろうか。身近に心底わかりあえるほど親しいマイノリティがいないなら、支持も不支持も公の場で騒がないでほしい。何も望んでない。ただ静かに、大切な人たちに自分にこういう面がある、ってことを知ってほしいだけ。その先を求めるなら、それは当事者たちが考えるべきで、本当に信頼できる相手と手段だけを使って成し遂げるべきだと思う。だから、必要以上に過激な祭やってる連中は無視というか一緒にしないでほしいし、本当にマイノリティ全般の印象を歪めてしまうだけなのでやめてほしいというか、なるべく関わりたくないし、一般の方はうかつに虹色なんかに踊らされずほっといてほしい。心からそのことに苦しみぬいているカップルもいれば、子供できないのを良いことにただの無節操・無責任な目立ちたがりやもいますから。私はAセクなので、特にソッチ系のゲ.イ(差別に当たったらスミマセンm(__)m)には共感や同情どころか嫌悪しか覚えない。養子もらって育てるとか絶対止めてやれよ?
何かすごく哀しくて虚しい気分になって、運動の行き過ぎた盛り上がりに八つ当たってしまっている自覚はあります。どこにも混じれないマイノリティだから嫉妬してる部分があるのかもね(笑)彼らは少なくとも誰かを愛してパートナーを持つことは可能なわけだし。

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宗教とかI Sの思想バラマキとか移民の疎外感とか色々理由はあったのだと思うけれど、個人的にはマイノリティを「私って人権意識高いんですぅー☆」アピールに使う連中が増え過ぎ&一部声でか過ぎ欲張り過ぎな当事者と彼らのコンボによる振る舞いや、それらを認めるというか受け入れなければ現代人として失格、みたいな社会的圧力が一気に強まり過ぎて爆発してしまったのが今回の不幸な事件なのでは?と思う。もちろん喪われた命に罪はなく、犯人が残虐で卑劣極まりないことは確か。けれど○千年単位で同性愛禁止してきた一神教を熱心に信仰する人々が、世界の急激な変化にすぐ適応できるかというとそれは不可能だろう。カ○リックじゃないけどクリスチャンに片足突っ込んで育ったAセクの私が言うとなんですが、まぁ実感として理解できなくはないんだよ。人間だって生物だもん、子孫残して種として存続するために生きてんだもん。それができないL G B Tは間違いなく淘汰されるべきバグなんだよ、生物の原理としては。ところが知能が発達し、寿命もそれなりに長い人間様はそういうバグでも役立たせる手段を思い付いて下さったから、最近になってようやくだけど彼らは表に出てきて権利を認められ始めてる。ゆっくり、ゆっくりで良いんです。騒ぎ立てて反感買ったり、社会の中で浮き上がるよりは黙っていたい、それが多くのL G B Tの本音だろう。
私は、初めはAセクというものも私がそうだということもイマイチ理解できない、という反応だった幼なじみがそれでも「子供が欲しかったけどどうしても無理みたい」という言葉を受け止めてくれて、お子さんに「ケイトは二人目のママみたいなもんだからね」と言ってくれた瞬間、とても救われた気がした。友達母子+私の組み合わせで出かける時、例えばカメラ係だとか、屋台に買い出し行ったり「お父さん」的なポジションを任されることが正直嬉しくてしょうがない。みんな私のセクシュアリティだとかトラウマを知った上で、そんな風に普通に付き合ってくれたりお子さんと触れ合わせてもらえるのが本当にありがたいんです。だってさ、よく考えたら意味不明で良い歳こいて自意識過剰というか気持ち悪いし、自分の子持てないからおたくのお子さん可愛がらせて下さい、なんて身勝手にもほどがあるじゃん。それを拒まずに、否定せずに受け入れてくれてる、ってそれだけで本当に涙が出そう(;_;)ありがとうみんな!
認めるのもカミングアウトも、当事者自身だって怖いですよ。怖くて仕方なかったです。得体の知れない、存在すべきじゃない、と長年信じてきたものがいつの間にか社会の中で市民権を得つつある、と感じた時の「ノーマル(あるいは敬虔な一神教信者)」の人の気持ちはいかばかりだろうか。身近に心底わかりあえるほど親しいマイノリティがいないなら、支持も不支持も公の場で騒がないでほしい。何も望んでない。ただ静かに、大切な人たちに自分にこういう面がある、ってことを知ってほしいだけ。その先を求めるなら、それは当事者たちが考えるべきで、本当に信頼できる相手と手段だけを使って成し遂げるべきだと思う。だから、必要以上に過激な祭やってる連中は無視というか一緒にしないでほしいし、本当にマイノリティ全般の印象を歪めてしまうだけなのでやめてほしいというか、なるべく関わりたくないし、一般の方はうかつに虹色なんかに踊らされずほっといてほしい。心からそのことに苦しみぬいているカップルもいれば、子供できないのを良いことにただの無節操・無責任な目立ちたがりやもいますから。私はAセクなので、特にソッチ系のゲ.イ(差別に当たったらスミマセンm(__)m)には共感や同情どころか嫌悪しか覚えない。養子もらって育てるとか絶対止めてやれよ?
何かすごく哀しくて虚しい気分になって、運動の行き過ぎた盛り上がりに八つ当たってしまっている自覚はあります。どこにも混じれないマイノリティだから嫉妬してる部分があるのかもね(笑)彼らは少なくとも誰かを愛してパートナーを持つことは可能なわけだし。

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