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祖母が召されました。恐らく讃美歌を歌うのは最後になる。奇しくも祖父の命日。本当に一対のような夫婦でした。神様の絆って強いのかな。彼女が信じていた天の国で、夫と息子と猫と幸せに過ごしてくれることを祈ります。息子はいないかもしれないけど。320番はタイタニックの楽団が最後までやってたやつ、というとその頃物心ついてた人には何となく伝わるかな。葬式というとそれ。お経や説教ほど眠くならないので割と好きな曲です。信じてた天の国に行けるのに何で悲しむ必要があるの?と死をポジティブに捉えているところも含め。そうだよな、信者本人にしてみたら死んでこそ本領発揮なんですよね大多数の宗教って。生きている間は戦前戦後のモノ不足に身体の不自由、住み慣れた土地を離れて伴侶を亡くし、息子が金を食い潰して更に流転、末は最大級に罪深い親不孝をされた挙げ句、孫は引きこもるは手紙の返事寄越さないはで悲劇のヒロインぶってもある程度は仕方ない人生だったのかな、と思います。(彼女みたいな境遇の人は山ほどいるだろうし、最期は娘の家で迎えられて曾孫にも恵まれていたのだから必ずしも不幸とは言えない、と私は感じるけど) いまいち理解の及ばないところがあった身内ではあるけれど、私にもその血は流れていて空気読もうとして失敗するコミュ障とんちんかんぶりとか、妙な頑固さワガママさとか、反面教師・・・には今さらできないか(^_^;) 祖父母が1人もいなくなる、というのはいよいよ親の番(片方もう逝ってるけど)と突きつけられますし若干寂しくなりますね。何より大往生良かったね、としか反応できない自分に。一々悲しんでられないじゃない。実際問題介護や世話から解放されるおじおば良かったね、だし、この歳で祖父母亡くすとか当たり前すぎて。普通にそうだね、休み調整して色々しなきゃね、という事務的な回答しかできない。思い出は数えきれないほどあるのに、日々の仕事は詰まっていてコロナで余裕はないし。ミスって凹んで忙殺されて気持ちが荒れるの悪循環です。こっちもそれどころじゃないけど頑張って明るい声作ってるんですよお客さん( ^ω^ ) それでお金もらってるんだから割りきらなきゃとはいえ、ホント最近萎える・・・何のために頑張ってんだろ、と。自分の伸び代に限界を感じているのに、上げたところで何も変わらないのにドンドン数字を求められる(でも要望反映されない)状況がストレス。贅沢になったもんだな。
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