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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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ある程度の年齢になってから亡くなった人には、思い出がいっぱい残ります
家族、友人、同僚・・・その人のことを思い出してくれる人も沢山いるでしょう。
けれど、「子ども」のまま死んでしまったら。
その子のことをいつまでも思い出してくれるのは、両親だけなのではないでしょうか。
「子ども」の友達は成長し、「大人」になります。
「大人」と「子ども」が友情を結ぶのは難しい。
体の大きさ、重ねた経験、見える景色も、考え方も、どんどんどんどん広がっていく。
亡くなった「彼」と同じ気持ちで世界を見ることは、
「彼」を見ることはできなくなってしまう。
もし仮に「あの世」という世界があったとして、80歳で死んだ自分が
7歳で死んだ友人と再会しても、また「友達」と言えるのでしょうか。
私の世界はあの頃よりずっと大きくて、「彼」の占める割合はどんどん
小さいものになっていく。対等だったはずの関係が、今は対等ではない。
多分それは私だけじゃなくて、他の友達にとっても同じこと。
「彼」の友達は私たちしかいなかったのに。
子どものまま死んだ子はどこまでも孤独な存在になってしまうのかな、
と考えたら少し切なくなりました。
子どもが死ぬことの無い社会になればいいなと思います。

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