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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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死んだ父に向かって真面目にのたまったことがあった。私が京都にいた頃、ハルヒにらきすた、けいおんと全盛期だった京アニ。オタの多い学部だったのでみんな見てたし、カラオケでは主題歌歌えて(一部踊れて)当然だった。弟もけいおんのCDは買ってた。バスには当たり前のようにコラボ広告。宇治に行く時、六地蔵基点駅で乗り降りする人がいっぱいいて、イオン見ながら「ここらへんが聖地・・・」と思いながら通りすぎて。私は余り作品自体に感じ入ることはなかったけど、可愛らしい女の子の日常がまさにファンタジーで、キャラクター造形といい、誰もが夢見る架空の青春が描かれているからこそ人を惹き付けるんだな、と癒されながら見てた。実際の高校生はもっと色々やることや考えること多くてあんなフワフワしてられないですよね。だから、本当はこんな風に10代を過ごしたかった、という理想を追い求めるんだろうな、って。クラナドや聲の形では逆に痛いほど現実のシビアさを見せつけられて。本当に制作者もファンも様々な層を真っ当な手段で惹き付ける稀有なスタジオだと思います。他はターゲット絞ってたり、主義主張に偏りがあるもんね。亡くなった人が出がけたものは、もう2度と同じものが見られないなら私はお蔵入りの方が良いと思う。風共やいたキスと同じ。ただ、あのスタジオの可能性だけは信じたいし残したい。寄付をするなら、すぐに生きるべき命にかけたいけれど。そんなに余裕があるわけではないので、パンに困っていない芸術分野に関しては、いくら好きでも余力がある人に委せたい。私は毎月、子供たちとお母さんに寄付したいし増やすならそちらに、という気持ちは変わらないので。
人はいつか死ぬ。突然死ぬ。いなくなる。私の中ではそれが当たり前だったから、死ぬ前から心配する人の気持ちや闘病中の本人や家族の気持ちは100%わからないかもしれない。ただ、ずっと死ぬタイミングを見計らってたり、何度もやらかしては死にはぐり続けるのもそれはそれで辛かっただろうし、自分自身も病気で苦しんできた経験はある。人の数だけ人生があるから、全く同じ思いを共有することはできないけれど。病気でも災害や事故・自殺の突然死でも喪失感は変わらない。ただ、いなくなってしまったものへの捉え方や覚悟が違うだけ。例えるなら「この世のどこにも存在しない」と自分に言い聞かせる準備期間がないので、どっかに長期出張に行ってるんじゃないか、ってそんな受け止め方。検案書案件なんて大体そうでしょう。震災の時はしばらく火葬もできなかったので。前日まで元気だった人が、というのは「あ、そうですか・・・そうなんですか(他人事感丸出し)」ですよ。そう言うしかない。正しく受け止めないといけなかったら壊れるもん。

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