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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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作品を仕上げた画家たちの一筆一筆に、彼への憧憬と共感と愛情を感じて感銘を受けた。
ゴッホ展(東京で見た後京都でもやってた。笑)行った後だから余計に、「あーこの絵の人が喋ってる!(なぜか英語だけど)」と何か感動するやら楽しいやら( ´∀`) ボートマンや川辺の風景画好きです。河川敷の哀愁は万国共通なのかね。ゴッホ展で、ガシェのとこに何人もの日本人画家の卵たちが押し掛けてたくだり見ただけに、彼が一時ドはまりしていた東洋の何も知らない若者たちを受け入れたガシェ一家の思いはどんなものだったのか…って考えちゃった(;_;) あとちょっと生きてれば! でも、あんな己のままにしか生きられない人が大人として人様の社会の中で生きていくのは大変で。苦しくて苦しくて仕方ないけど、どこかで自分を歪めて取り繕わないと存在することすらできない。そんな世界だから、ゴッホみたいな人はそりゃ病むよな。むしろストレートに病めて羨ましい!
年取って死んだら星になる、たぶん彼はそれを望んでなかったと思う。ありのままの命を、自分を愛するか、あるいは最終的に殺したいほど憎むか故に死んだんだろな、と。だから、彼は絵で燃え尽きて幸せ。星になるより絵の中に自分の全てを残したかった。素晴らしい自己顕示欲、人間らしさ。ちょっと違うか、呼吸と同じだったんだと思う。やっとそのままで生きる方法を見つけた。兄に尽くし続けたテオも幸せ。お墓並んでるもんね(*^o^)/\(^-^*) でもテオには家族いたのに。クレーにもダリにも、最愛の人がいた。でもゴッホにはテオだけだった。その代わり、愛をくれないどんなものにも愛情と命を注いだ。ちょっとそこは被る。私にとっては幼なじみはじめ友人たちがそれで、だから最終的には人間様尊い信者になって、世界スゲェすてき大好き→自分という汚物・異物が混じらなければ・・・の排除願望に発展するんだけどね\(^o^)/
何かを成し遂げようとして、夢破れて惨めに死んでいったウチの父の人生は絶対に映画化されない。何も残らない。そんな人が大半だから、例え生前の彼が苦しくて傍から見て不幸でも、結局人として生きて人として評価され、彼なりに懸命に「生きた」幸せな生涯だったと思う。世間一般の人は、みんな妥協して何とか食い扶持と家族作り上げて必死に生きてる。息してるだけの脱け殻もいる。死なない理由を探してるだけの人もどきもいる。私は人の死に対して、人生に対して人間様と同じ目線にはもう立てない。ポジティブな死なんてファンタジーの中にしか存在しないっつの。後付けの自己満足、イイハナシダッタナー(  ;∀;)でまとめようとするのは誰にとっても(以下略)

あ、「今日帰り映画行くんです」からの「彼氏?彼氏?」圧力ハンパなかったわ。「一生ないので( ´∀`)ニコニコ」でいい加減察してほしい。私カムアウト姿勢でいるつもりなんだけど、まだまだ「???」な反応されるのでめんどい。私という存在が、消えられない理由探しが早く終わっちゃえば良いのに。いくつ好きなものを見つけて何冊本読めば自分の中身埋められるのかわからん。飛んでいきそう。精神的な意味で(笑) 虚ろすぎてヤバいな、と昔から思ってる。歴史とかスケートとか宝塚とか相撲に映画に本、沢山ハマってみたけど、もう頑張って次のチケット取ったからこの日までは、ってそれだけしかない。そのために、一個その日が近づいてきたら次のチケット取るようにして、旅行入れたり必死。今すぐ同じように終わりたい。もう嫌。堪えられない。生きていたくない。消えたい。消えたい。

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ゴッホ展(東京で見た後京都でもやってた。笑)行った後だから余計に、「あーこの絵の人が喋ってる!(なぜか英語だけど)」と何か感動するやら楽しいやら( ´∀`) ボートマンや川辺の風景画好きです。河川敷の哀愁は万国共通なのかね。ゴッホ展で、ガシェのとこに何人もの日本人画家の卵たちが押し掛けてたくだり見ただけに、彼が一時ドはまりしていた東洋の何も知らない若者たちを受け入れたガシェ一家の思いはどんなものだったのか…って考えちゃった(;_;) あとちょっと生きてれば! でも、あんな己のままにしか生きられない人が大人として人様の社会の中で生きていくのは大変で。苦しくて苦しくて仕方ないけど、どこかで自分を歪めて取り繕わないと存在することすらできない。そんな世界だから、ゴッホみたいな人はそりゃ病むよな。むしろストレートに病めて羨ましい!
年取って死んだら星になる、たぶん彼はそれを望んでなかったと思う。ありのままの命を、自分を愛するか、あるいは最終的に殺したいほど憎むか故に死んだんだろな、と。だから、彼は絵で燃え尽きて幸せ。星になるより絵の中に自分の全てを残したかった。素晴らしい自己顕示欲、人間らしさ。ちょっと違うか、呼吸と同じだったんだと思う。やっとそのままで生きる方法を見つけた。兄に尽くし続けたテオも幸せ。お墓並んでるもんね(*^o^)/\(^-^*) でもテオには家族いたのに。クレーにもダリにも、最愛の人がいた。でもゴッホにはテオだけだった。その代わり、愛をくれないどんなものにも愛情と命を注いだ。ちょっとそこは被る。私にとっては幼なじみはじめ友人たちがそれで、だから最終的には人間様尊い信者になって、世界スゲェすてき大好き→自分という汚物・異物が混じらなければ・・・の排除願望に発展するんだけどね\(^o^)/
何かを成し遂げようとして、夢破れて惨めに死んでいったウチの父の人生は絶対に映画化されない。何も残らない。そんな人が大半だから、例え生前の彼が苦しくて傍から見て不幸でも、結局人として生きて人として評価され、彼なりに懸命に「生きた」幸せな生涯だったと思う。世間一般の人は、みんな妥協して何とか食い扶持と家族作り上げて必死に生きてる。息してるだけの脱け殻もいる。死なない理由を探してるだけの人もどきもいる。私は人の死に対して、人生に対して人間様と同じ目線にはもう立てない。ポジティブな死なんてファンタジーの中にしか存在しないっつの。後付けの自己満足、イイハナシダッタナー(  ;∀;)でまとめようとするのは誰にとっても(以下略)

あ、「今日帰り映画行くんです」からの「彼氏?彼氏?」圧力ハンパなかったわ。「一生ないので( ´∀`)ニコニコ」でいい加減察してほしい。私カムアウト姿勢でいるつもりなんだけど、まだまだ「???」な反応されるのでめんどい。私という存在が、消えられない理由探しが早く終わっちゃえば良いのに。いくつ好きなものを見つけて何冊本読めば自分の中身埋められるのかわからん。飛んでいきそう。精神的な意味で(笑) 虚ろすぎてヤバいな、と昔から思ってる。歴史とかスケートとか宝塚とか相撲に映画に本、沢山ハマってみたけど、もう頑張って次のチケット取ったからこの日までは、ってそれだけしかない。そのために、一個その日が近づいてきたら次のチケット取るようにして、旅行入れたり必死。今すぐ同じように終わりたい。もう嫌。堪えられない。生きていたくない。消えたい。消えたい。

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