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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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月一歌舞伎のお値段安くなってたー(*´∇`*)

直前にBr exitやダッカの件話してたこともあり、まさにそういうテーマに近いネタが盛り込まれた話で号泣してしまった。明らかに縄文・蝦夷系の顔の自分が京都で感じた「あれ、もしかして明らかに民族っつーか人種違う・・・?」って気持ちとか、清水寺で東北の地図に刻まれた阿弖流為の碑を眺める度に込み上げてきたもの、同じ両親から生まれてきたのに全く似ていない妹と自分の見た目や体質の違い。「色々あった」んだ、その上で今のこの国が、人が成り立っている。歌舞伎の世界一つ見たってそう。高麗屋と名乗る一門があれば、明らかに縄文的特色であるギョロ目家系の成田屋があり、大陸の切れ長顔と間取ったのが混ざったような中村屋がある。日.本は単一民族国家ではない。それは歴史が証明してる。ヤマトは完全には消さなかったんですよ、「まつろわぬ民」の存在も、文化も。戦って朝敵・蛮族として記されてはいるけれど、根絶やしにはしなかった。だから、九州や東北にはちゃんと近畿とは異なる文化、祭や囃子の音や信仰が何だかんだと息づいている。田村麻呂も阿弖流為も、どっちも私たちにとって英雄です。蝦夷もアイヌも部族制を取っていて指導者や国家としての体を成さず、積極的にヤマト側と通じるものがいた事実もある。うちの県なんか多賀城と北限の熊野三山コピー、前方後円墳に塩釜がありつつ土偶や貝塚等の縄文遺跡もバンバンあるというカオスっぷりですからね(´―`) ここが境界線で、向こうから来た人々と現地の蝦夷が混ざり合う最初の土地だったんだろうな、って地元の方の顔立ち見てると分かります。非常に興味深い出発点に住んでるんだな、と思いますよ。
でも私、どちらかというと蝦夷・阿弖流為に肩入れして見てしまいますが(カラコン染五郎さんのヴィジュアルがまた格好良いの何のって!)、ヤマトを恨む気にもなれないんです。青森行って、北海道行ってちゃんと父や母のルーツを見て、残ってるのが分かってるから。これがイング○ンドや大陸だったら? 負け組は容赦なく奴隷として売りさばかれる。飢え死にさせられる。易姓革命で前王朝の全ては根絶やし、血も字も文化も。「あった/いた」という事実さえ消されてしまう。私たちは縄文文化の存在を知ることができなかったかもしれない。イヨマンテの儀式も、ねぶたの独特の顔つきも津軽三味線の音色も、窯神やナマハゲ、藁の人形や恐らく山の神を敬う出羽三山の修験道や恐山のイタコ文化さえ途絶えてしまっていたかもしれない。北海道の地名も勝手に変えられちゃってたかも。そういうものを、ヤマトはある程度残してくれた。だからこそヤマトの中枢・都を追われ流れ着いた人々の果てと、強制的にではなく自然な流れで融け合うことができたのかもしれない。「八百万の神」というのは古代から現代に至る宗教思想の中でも群を抜いて素晴らしい考え方だと思っています@信仰は持てないけれどもm(__)m だってそれによって
、ヤマトに与し、あるいは下らざるを得なかった「まつろわぬ民」たちも己の信仰を捨てきらずに済んだんだから。いくらいても良いんだもん、捨てる必要なんかないの。ただそれを「一応トップはTenno家ね」「ヤマトで似た神様がいたらちょっと習合することにするね」ってだけで、引き続き拝み守ることが許された。某「聖/戦」みたいに取り返しては壊し、建て・・・みたいなことをする必要がなかったわけですよ。そして今もTenno家が一応存続しているにも関わらず、こういう内容のお芝居が伝統芸能として上演できる、日.本人として大いに誇りに感じるところだし、恐らく「まつろわぬ民」の血を引く人間としてはありがたくてしょうがない。・゜゜(ノД`)ブワッ
音楽もロック調で振りもダンスと呼べるくらい激しく、かといって大事な見栄は外さないという新しいスタイルの歌舞伎を見させてもらった気分です。定番は定番で、長く演じ続けられるだけの理由、時代を超えて人間の心に響く普遍的なものがある。けれどまたその中から新しいもの、忘れ去られてきたテーマを、次の世代に向けて掘り起こし創り上げて伝えていく、それができるからこそ歌舞伎はウチならではの素晴らしい芸術なのだ、と改めて思い知らされた。ラストのねぶた、実際本当によく用いられるテーマで見た経験もあるだけに、二人のストーリーを知識としてではなく(脚色過多ではあるけれど)芝居として観た後だと本当にグッと来るものがありました(;_;) 今でも東北の人は山を拝み、自然を敬い、関西とも関東とも異なる文化が息づいてるよ!私こんな顔だけど、京都に憧れ、この国の歴史に興味津々で、ちゃんと日/本人だと思ってます。愛国者かどうかはわからない(イデオロギー嫌悪症だから。笑)けれど、蝦夷の存在、阿弖流為の名はきちんと歴史に刻まれたのだと、田村麻呂との絆も決して否定的に記され捉えられてきたわけではなかったのだと、もし彼や神の霊というものが残っていたら知ってほしい、と感じてしまった。アイヌのシャクシャインさんも、みんな教科書で習うからねちゃんと!地名全部アイヌ語だから!ちゃんと・・・ちゃんと・・・(´;ω;`)ブワッ 理解しあえなくても、戦っても勝敗分かれて下っても、互いを尊重しあい融合して、けれど完全に一方が一方に染まってしまうのではなくそれぞれのやり方を取り入れつつ、残しつつ上手くやっていく道もあるはずだ。そう信じないとやってらんないですよ、白河以北の顔の濃い、けれどヤマトの文化や歴史や都に焦がれてしまった人間は。もちろん土偶を初めとする縄文文化も熊もこよなく好きです。着物より貫頭衣の方がはるかに似合ってたと我ながら思うし。どうか必死で「一つ」になったこの国に再び争いや憎しみの種が持ち込まれませんように(-人-) 誰も憎みたくないし、できることならいつまでも皆に平和ボケのまま楽しく幸せに生きてほしいもん。これからは難しい時代になりそうだけど。せめてこれ以上の隔たりが起こりませんよう、昨今のニュースを見ていると唯一無二の信仰の対象である人間様に対して祈らずにはいられないです。みんな田村っちになぁれ( ´∀`)σ☆彡

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直前にBr exitやダッカの件話してたこともあり、まさにそういうテーマに近いネタが盛り込まれた話で号泣してしまった。明らかに縄文・蝦夷系の顔の自分が京都で感じた「あれ、もしかして明らかに民族っつーか人種違う・・・?」って気持ちとか、清水寺で東北の地図に刻まれた阿弖流為の碑を眺める度に込み上げてきたもの、同じ両親から生まれてきたのに全く似ていない妹と自分の見た目や体質の違い。「色々あった」んだ、その上で今のこの国が、人が成り立っている。歌舞伎の世界一つ見たってそう。高麗屋と名乗る一門があれば、明らかに縄文的特色であるギョロ目家系の成田屋があり、大陸の切れ長顔と間取ったのが混ざったような中村屋がある。日.本は単一民族国家ではない。それは歴史が証明してる。ヤマトは完全には消さなかったんですよ、「まつろわぬ民」の存在も、文化も。戦って朝敵・蛮族として記されてはいるけれど、根絶やしにはしなかった。だから、九州や東北にはちゃんと近畿とは異なる文化、祭や囃子の音や信仰が何だかんだと息づいている。田村麻呂も阿弖流為も、どっちも私たちにとって英雄です。蝦夷もアイヌも部族制を取っていて指導者や国家としての体を成さず、積極的にヤマト側と通じるものがいた事実もある。うちの県なんか多賀城と北限の熊野三山コピー、前方後円墳に塩釜がありつつ土偶や貝塚等の縄文遺跡もバンバンあるというカオスっぷりですからね(´―`) ここが境界線で、向こうから来た人々と現地の蝦夷が混ざり合う最初の土地だったんだろうな、って地元の方の顔立ち見てると分かります。非常に興味深い出発点に住んでるんだな、と思いますよ。
でも私、どちらかというと蝦夷・阿弖流為に肩入れして見てしまいますが(カラコン染五郎さんのヴィジュアルがまた格好良いの何のって!)、ヤマトを恨む気にもなれないんです。青森行って、北海道行ってちゃんと父や母のルーツを見て、残ってるのが分かってるから。これがイング○ンドや大陸だったら? 負け組は容赦なく奴隷として売りさばかれる。飢え死にさせられる。易姓革命で前王朝の全ては根絶やし、血も字も文化も。「あった/いた」という事実さえ消されてしまう。私たちは縄文文化の存在を知ることができなかったかもしれない。イヨマンテの儀式も、ねぶたの独特の顔つきも津軽三味線の音色も、窯神やナマハゲ、藁の人形や恐らく山の神を敬う出羽三山の修験道や恐山のイタコ文化さえ途絶えてしまっていたかもしれない。北海道の地名も勝手に変えられちゃってたかも。そういうものを、ヤマトはある程度残してくれた。だからこそヤマトの中枢・都を追われ流れ着いた人々の果てと、強制的にではなく自然な流れで融け合うことができたのかもしれない。「八百万の神」というのは古代から現代に至る宗教思想の中でも群を抜いて素晴らしい考え方だと思っています@信仰は持てないけれどもm(__)m だってそれによって
、ヤマトに与し、あるいは下らざるを得なかった「まつろわぬ民」たちも己の信仰を捨てきらずに済んだんだから。いくらいても良いんだもん、捨てる必要なんかないの。ただそれを「一応トップはTenno家ね」「ヤマトで似た神様がいたらちょっと習合することにするね」ってだけで、引き続き拝み守ることが許された。某「聖/戦」みたいに取り返しては壊し、建て・・・みたいなことをする必要がなかったわけですよ。そして今もTenno家が一応存続しているにも関わらず、こういう内容のお芝居が伝統芸能として上演できる、日.本人として大いに誇りに感じるところだし、恐らく「まつろわぬ民」の血を引く人間としてはありがたくてしょうがない。・゜゜(ノД`)ブワッ
音楽もロック調で振りもダンスと呼べるくらい激しく、かといって大事な見栄は外さないという新しいスタイルの歌舞伎を見させてもらった気分です。定番は定番で、長く演じ続けられるだけの理由、時代を超えて人間の心に響く普遍的なものがある。けれどまたその中から新しいもの、忘れ去られてきたテーマを、次の世代に向けて掘り起こし創り上げて伝えていく、それができるからこそ歌舞伎はウチならではの素晴らしい芸術なのだ、と改めて思い知らされた。ラストのねぶた、実際本当によく用いられるテーマで見た経験もあるだけに、二人のストーリーを知識としてではなく(脚色過多ではあるけれど)芝居として観た後だと本当にグッと来るものがありました(;_;) 今でも東北の人は山を拝み、自然を敬い、関西とも関東とも異なる文化が息づいてるよ!私こんな顔だけど、京都に憧れ、この国の歴史に興味津々で、ちゃんと日/本人だと思ってます。愛国者かどうかはわからない(イデオロギー嫌悪症だから。笑)けれど、蝦夷の存在、阿弖流為の名はきちんと歴史に刻まれたのだと、田村麻呂との絆も決して否定的に記され捉えられてきたわけではなかったのだと、もし彼や神の霊というものが残っていたら知ってほしい、と感じてしまった。アイヌのシャクシャインさんも、みんな教科書で習うからねちゃんと!地名全部アイヌ語だから!ちゃんと・・・ちゃんと・・・(´;ω;`)ブワッ 理解しあえなくても、戦っても勝敗分かれて下っても、互いを尊重しあい融合して、けれど完全に一方が一方に染まってしまうのではなくそれぞれのやり方を取り入れつつ、残しつつ上手くやっていく道もあるはずだ。そう信じないとやってらんないですよ、白河以北の顔の濃い、けれどヤマトの文化や歴史や都に焦がれてしまった人間は。もちろん土偶を初めとする縄文文化も熊もこよなく好きです。着物より貫頭衣の方がはるかに似合ってたと我ながら思うし。どうか必死で「一つ」になったこの国に再び争いや憎しみの種が持ち込まれませんように(-人-) 誰も憎みたくないし、できることならいつまでも皆に平和ボケのまま楽しく幸せに生きてほしいもん。これからは難しい時代になりそうだけど。せめてこれ以上の隔たりが起こりませんよう、昨今のニュースを見ていると唯一無二の信仰の対象である人間様に対して祈らずにはいられないです。みんな田村っちになぁれ( ´∀`)σ☆彡

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