×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
おい、海と山ネタが大好きだって以前から言ってただろ・・・何故スルーしてきたし!orz
『生まれいずる悩み』
詩人だ。つーか文章の画家だ。自然の捉え方や表現が海外モノっぽい・・・と思ってたら解説で触れられてましたか(^ω^;) 谷崎さんはお耽美トーン、三島はパッション、川端は透明な美学の枠、志賀さんは淡々としたありのままのテンションを一定に保って、日.本の純文は余り激しい文章(展開ではなく文章ね)の起伏というか強弱が付かない印象なんだけど、コレは作中にpianissimoだのAllegroだのといった言葉が登場する、まさにその通りの絵画的であり音楽的でもある極めて珍しい、当時の日/本の文壇においては相当挑戦的な作品だったんだろうなー、と(@_@;) 二人称で非恋愛物な点といい。
「君」の在る世界の過酷さ、荒れ狂う海やどこまでも神秘的で美しい生を感じさせる山の描写、そうしたものに向ける情熱を、東京に越し、文学で食べていく道を選んだ主人公側の生活や視点には感じさせない。動と静の対比。淡々とした都会の芸術家として生きる己の生活を恥じてさえいるように、主人公の筆致は想像上の「君」の仕事や芸術、彼の生きる町や自然の有り様を描き出す時にこそ冴え渡り迸るような力強さを込めて同情と共感と悲しみをすら引き起こす。不思議だ・・・。
芸術家として生きることも、漁夫として貧しくもたくましく地に足を付けて生きることも選べずに思い悩む「君」、そしてそんな彼に答えを与えてあげられない主人公。それが人間の真実ではないのか、私も散々依存している幼なじみに「どんなにキツくても、結局は自分一人で乗り越えるしかないから」と言われたことを思い出した。ちっとも見捨てられたとは考えなかったし、素直にその通りだと感じた。荒れ狂う海の中の生と死の狭間で「君」が見出だした生への欲求も、陸に帰りつき、愛する山の景色に捨てきれない芸術への執着によって誘われた死への思いも確かにどちらも彼自身の紛れもない本心の一部なのだろう。「人間というものは生きるためにはいやでも死に近づき、生の一片をひったくって逃げなければならない。人間はその奪った生をたしなみしゃぶるが、ほどなくその生は尽きていくから、また死の方に近寄って行く」この捉え方は、大多数の現代日.本人には通用しないかもしれないけど私には衝撃的なほど納得できた。人類の長い歴史上大体がこうやって何とか日々を繋いできたはず。今でもそうやって暮らしている人たちの方が圧倒的に多いはず。我が家というか私の心理状態もぶっちゃけその瀬戸際だし(^^;「なぜそうまでして生きようとしなければならないのだろう。ほんとうに生は死よりも不思議だ。」全くその通り((-_-)ウンウン
でもって芸術に寄せる思いを周囲の誰もに理解されない孤独の境地にあって、「君」がそれを彼にとっての芸術の主題である故郷の自然にぶつける描写が(´;ω;`) 人間より自然の方が通じ合える、その時だけ不安も不幸も何もかも忘れて無心になれる、って感情が理解でき過ぎてしょうがない。自然には「力」があるから、時には恐ろしく時には温かく、見る度姿や印象を変える。それが切なくて、美しくて、どうしようもなくありのままの「生」を感じさせて触れる者を堪らない気持ちにさせるんだ、と。私も地元の山歩くの好きだけど元々神社あるせいか不安定な状態の時行くと引っ張られそうになるから(溜まりやすい?場所があるんですよねー、またオカルトネタで申し訳ないけど><;)、ちょっと最近は一人だと怖くて行けてないです。しかし彼の孤独とどうしようもない寂しさと捨てきれぬ芸術への想いが積み重なったスケッチと手紙によって、主人公は芸術と生、「地球が生きて呼吸をし、同時に日々彼のようにその内に隠れて生まれ出ようとする者の悩み」を感じとっていたく感激し、芸術家の一端を担う己の使命すら間近に取り戻したような結末が何とも爽やかで前向き。「君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし・・・僕はただそう心から祈る。」。・゜゜(ノД`)ウワアァン! 教会と縁切ったって言ってたやんけー!(そこ!?)
実はこの作品に入れ込んでしまったのは、例の亡くなった祖父の姿を思わず重ねてしまったせいもあります。北海道の貧しい子沢山の家、しかも結核で兵役にも行けず、画家になりたいなんて、絵の学校に行きたいとすら当然言える立場になかった祖父と。病気のせいで「君」のような厳しい体力仕事にこそ従事しなかったものの、これも何回も語ってますが彼の集めてきた画集やプラモやレリーフ彫りの趣味、時々描いてくれた家族の絵の見事さ(身内の欲目でしょうが私にはそう見えます)を思い返すとグッとくるものが(/_;) しかもクリスチャンだったしさー。何だかんだ言って少なくともこの時点での有島氏は神を棄てきれてないように私は作中で感じたよ。
『小さき者へ』
子を思う親の赤裸々な感情に胸打たれると同時に、子供たちの存在によって、また彼らに母の死を、命を、生の意味を伝えようとするこの文章を書くことによって作者自身が妻を喪った悲しみの痛手を必死に癒そうとしているのだ、という気持ちが切々と伝わってきた。そしてまた結核・・・うちのじーちゃんはT理教から逃れることで奇跡を起こせたのだろうか(^^;妻との出会いとその喪失によって、作者が己の弱さに力を見出だし始めた、というところにジーンと来ちゃった。「世間に数多い悲しみの内の一つに過ぎないことを引きずっていると嘲笑われても、それを恥じてはならない、恥ずべきことじゃない。そのありがちな悲しみがあってこそ私たちは人生のさびしさに深くぶつかってみることができる。小さなことが小さなことではなく、大きなことが大きなことではない。それは心一つだ。」「この悲しみがお前たちと私とにどれほどの強みであるか。私たちはこの損失のおかげで生活に一段と深入りしたのだ。人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。」幼き子供たちを遺された父親として、妻を亡くした夫として溢れんばかりの切実な想いがここから痛ましいほどに生々しく伝わってきませんか?(;_;)ブワッ そして最後の「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。」ゲーテっぽいド○ツ的なこの一文が、父が子に贈る言葉、もしくは先逹が後進に残すものとして何という素晴らしい名句だろう、と今更ながらに感じ入らせてもらいましたm(__)m この組み合わせが一冊になっていて良かった。
詩人だ。つーか文章の画家だ。自然の捉え方や表現が海外モノっぽい・・・と思ってたら解説で触れられてましたか(^ω^;) 谷崎さんはお耽美トーン、三島はパッション、川端は透明な美学の枠、志賀さんは淡々としたありのままのテンションを一定に保って、日.本の純文は余り激しい文章(展開ではなく文章ね)の起伏というか強弱が付かない印象なんだけど、コレは作中にpianissimoだのAllegroだのといった言葉が登場する、まさにその通りの絵画的であり音楽的でもある極めて珍しい、当時の日/本の文壇においては相当挑戦的な作品だったんだろうなー、と(@_@;) 二人称で非恋愛物な点といい。
「君」の在る世界の過酷さ、荒れ狂う海やどこまでも神秘的で美しい生を感じさせる山の描写、そうしたものに向ける情熱を、東京に越し、文学で食べていく道を選んだ主人公側の生活や視点には感じさせない。動と静の対比。淡々とした都会の芸術家として生きる己の生活を恥じてさえいるように、主人公の筆致は想像上の「君」の仕事や芸術、彼の生きる町や自然の有り様を描き出す時にこそ冴え渡り迸るような力強さを込めて同情と共感と悲しみをすら引き起こす。不思議だ・・・。
芸術家として生きることも、漁夫として貧しくもたくましく地に足を付けて生きることも選べずに思い悩む「君」、そしてそんな彼に答えを与えてあげられない主人公。それが人間の真実ではないのか、私も散々依存している幼なじみに「どんなにキツくても、結局は自分一人で乗り越えるしかないから」と言われたことを思い出した。ちっとも見捨てられたとは考えなかったし、素直にその通りだと感じた。荒れ狂う海の中の生と死の狭間で「君」が見出だした生への欲求も、陸に帰りつき、愛する山の景色に捨てきれない芸術への執着によって誘われた死への思いも確かにどちらも彼自身の紛れもない本心の一部なのだろう。「人間というものは生きるためにはいやでも死に近づき、生の一片をひったくって逃げなければならない。人間はその奪った生をたしなみしゃぶるが、ほどなくその生は尽きていくから、また死の方に近寄って行く」この捉え方は、大多数の現代日.本人には通用しないかもしれないけど私には衝撃的なほど納得できた。人類の長い歴史上大体がこうやって何とか日々を繋いできたはず。今でもそうやって暮らしている人たちの方が圧倒的に多いはず。我が家というか私の心理状態もぶっちゃけその瀬戸際だし(^^;「なぜそうまでして生きようとしなければならないのだろう。ほんとうに生は死よりも不思議だ。」全くその通り((-_-)ウンウン
でもって芸術に寄せる思いを周囲の誰もに理解されない孤独の境地にあって、「君」がそれを彼にとっての芸術の主題である故郷の自然にぶつける描写が(´;ω;`) 人間より自然の方が通じ合える、その時だけ不安も不幸も何もかも忘れて無心になれる、って感情が理解でき過ぎてしょうがない。自然には「力」があるから、時には恐ろしく時には温かく、見る度姿や印象を変える。それが切なくて、美しくて、どうしようもなくありのままの「生」を感じさせて触れる者を堪らない気持ちにさせるんだ、と。私も地元の山歩くの好きだけど元々神社あるせいか不安定な状態の時行くと引っ張られそうになるから(溜まりやすい?場所があるんですよねー、またオカルトネタで申し訳ないけど><;)、ちょっと最近は一人だと怖くて行けてないです。しかし彼の孤独とどうしようもない寂しさと捨てきれぬ芸術への想いが積み重なったスケッチと手紙によって、主人公は芸術と生、「地球が生きて呼吸をし、同時に日々彼のようにその内に隠れて生まれ出ようとする者の悩み」を感じとっていたく感激し、芸術家の一端を担う己の使命すら間近に取り戻したような結末が何とも爽やかで前向き。「君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし・・・僕はただそう心から祈る。」。・゜゜(ノД`)ウワアァン! 教会と縁切ったって言ってたやんけー!(そこ!?)
実はこの作品に入れ込んでしまったのは、例の亡くなった祖父の姿を思わず重ねてしまったせいもあります。北海道の貧しい子沢山の家、しかも結核で兵役にも行けず、画家になりたいなんて、絵の学校に行きたいとすら当然言える立場になかった祖父と。病気のせいで「君」のような厳しい体力仕事にこそ従事しなかったものの、これも何回も語ってますが彼の集めてきた画集やプラモやレリーフ彫りの趣味、時々描いてくれた家族の絵の見事さ(身内の欲目でしょうが私にはそう見えます)を思い返すとグッとくるものが(/_;) しかもクリスチャンだったしさー。何だかんだ言って少なくともこの時点での有島氏は神を棄てきれてないように私は作中で感じたよ。
『小さき者へ』
子を思う親の赤裸々な感情に胸打たれると同時に、子供たちの存在によって、また彼らに母の死を、命を、生の意味を伝えようとするこの文章を書くことによって作者自身が妻を喪った悲しみの痛手を必死に癒そうとしているのだ、という気持ちが切々と伝わってきた。そしてまた結核・・・うちのじーちゃんはT理教から逃れることで奇跡を起こせたのだろうか(^^;妻との出会いとその喪失によって、作者が己の弱さに力を見出だし始めた、というところにジーンと来ちゃった。「世間に数多い悲しみの内の一つに過ぎないことを引きずっていると嘲笑われても、それを恥じてはならない、恥ずべきことじゃない。そのありがちな悲しみがあってこそ私たちは人生のさびしさに深くぶつかってみることができる。小さなことが小さなことではなく、大きなことが大きなことではない。それは心一つだ。」「この悲しみがお前たちと私とにどれほどの強みであるか。私たちはこの損失のおかげで生活に一段と深入りしたのだ。人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。」幼き子供たちを遺された父親として、妻を亡くした夫として溢れんばかりの切実な想いがここから痛ましいほどに生々しく伝わってきませんか?(;_;)ブワッ そして最後の「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。」ゲーテっぽいド○ツ的なこの一文が、父が子に贈る言葉、もしくは先逹が後進に残すものとして何という素晴らしい名句だろう、と今更ながらに感じ入らせてもらいましたm(__)m この組み合わせが一冊になっていて良かった。
PR
追記を閉じる▲
詩人だ。つーか文章の画家だ。自然の捉え方や表現が海外モノっぽい・・・と思ってたら解説で触れられてましたか(^ω^;) 谷崎さんはお耽美トーン、三島はパッション、川端は透明な美学の枠、志賀さんは淡々としたありのままのテンションを一定に保って、日.本の純文は余り激しい文章(展開ではなく文章ね)の起伏というか強弱が付かない印象なんだけど、コレは作中にpianissimoだのAllegroだのといった言葉が登場する、まさにその通りの絵画的であり音楽的でもある極めて珍しい、当時の日/本の文壇においては相当挑戦的な作品だったんだろうなー、と(@_@;) 二人称で非恋愛物な点といい。
「君」の在る世界の過酷さ、荒れ狂う海やどこまでも神秘的で美しい生を感じさせる山の描写、そうしたものに向ける情熱を、東京に越し、文学で食べていく道を選んだ主人公側の生活や視点には感じさせない。動と静の対比。淡々とした都会の芸術家として生きる己の生活を恥じてさえいるように、主人公の筆致は想像上の「君」の仕事や芸術、彼の生きる町や自然の有り様を描き出す時にこそ冴え渡り迸るような力強さを込めて同情と共感と悲しみをすら引き起こす。不思議だ・・・。
芸術家として生きることも、漁夫として貧しくもたくましく地に足を付けて生きることも選べずに思い悩む「君」、そしてそんな彼に答えを与えてあげられない主人公。それが人間の真実ではないのか、私も散々依存している幼なじみに「どんなにキツくても、結局は自分一人で乗り越えるしかないから」と言われたことを思い出した。ちっとも見捨てられたとは考えなかったし、素直にその通りだと感じた。荒れ狂う海の中の生と死の狭間で「君」が見出だした生への欲求も、陸に帰りつき、愛する山の景色に捨てきれない芸術への執着によって誘われた死への思いも確かにどちらも彼自身の紛れもない本心の一部なのだろう。「人間というものは生きるためにはいやでも死に近づき、生の一片をひったくって逃げなければならない。人間はその奪った生をたしなみしゃぶるが、ほどなくその生は尽きていくから、また死の方に近寄って行く」この捉え方は、大多数の現代日.本人には通用しないかもしれないけど私には衝撃的なほど納得できた。人類の長い歴史上大体がこうやって何とか日々を繋いできたはず。今でもそうやって暮らしている人たちの方が圧倒的に多いはず。我が家というか私の心理状態もぶっちゃけその瀬戸際だし(^^;「なぜそうまでして生きようとしなければならないのだろう。ほんとうに生は死よりも不思議だ。」全くその通り((-_-)ウンウン
でもって芸術に寄せる思いを周囲の誰もに理解されない孤独の境地にあって、「君」がそれを彼にとっての芸術の主題である故郷の自然にぶつける描写が(´;ω;`) 人間より自然の方が通じ合える、その時だけ不安も不幸も何もかも忘れて無心になれる、って感情が理解でき過ぎてしょうがない。自然には「力」があるから、時には恐ろしく時には温かく、見る度姿や印象を変える。それが切なくて、美しくて、どうしようもなくありのままの「生」を感じさせて触れる者を堪らない気持ちにさせるんだ、と。私も地元の山歩くの好きだけど元々神社あるせいか不安定な状態の時行くと引っ張られそうになるから(溜まりやすい?場所があるんですよねー、またオカルトネタで申し訳ないけど><;)、ちょっと最近は一人だと怖くて行けてないです。しかし彼の孤独とどうしようもない寂しさと捨てきれぬ芸術への想いが積み重なったスケッチと手紙によって、主人公は芸術と生、「地球が生きて呼吸をし、同時に日々彼のようにその内に隠れて生まれ出ようとする者の悩み」を感じとっていたく感激し、芸術家の一端を担う己の使命すら間近に取り戻したような結末が何とも爽やかで前向き。「君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし・・・僕はただそう心から祈る。」。・゜゜(ノД`)ウワアァン! 教会と縁切ったって言ってたやんけー!(そこ!?)
実はこの作品に入れ込んでしまったのは、例の亡くなった祖父の姿を思わず重ねてしまったせいもあります。北海道の貧しい子沢山の家、しかも結核で兵役にも行けず、画家になりたいなんて、絵の学校に行きたいとすら当然言える立場になかった祖父と。病気のせいで「君」のような厳しい体力仕事にこそ従事しなかったものの、これも何回も語ってますが彼の集めてきた画集やプラモやレリーフ彫りの趣味、時々描いてくれた家族の絵の見事さ(身内の欲目でしょうが私にはそう見えます)を思い返すとグッとくるものが(/_;) しかもクリスチャンだったしさー。何だかんだ言って少なくともこの時点での有島氏は神を棄てきれてないように私は作中で感じたよ。
『小さき者へ』
子を思う親の赤裸々な感情に胸打たれると同時に、子供たちの存在によって、また彼らに母の死を、命を、生の意味を伝えようとするこの文章を書くことによって作者自身が妻を喪った悲しみの痛手を必死に癒そうとしているのだ、という気持ちが切々と伝わってきた。そしてまた結核・・・うちのじーちゃんはT理教から逃れることで奇跡を起こせたのだろうか(^^;妻との出会いとその喪失によって、作者が己の弱さに力を見出だし始めた、というところにジーンと来ちゃった。「世間に数多い悲しみの内の一つに過ぎないことを引きずっていると嘲笑われても、それを恥じてはならない、恥ずべきことじゃない。そのありがちな悲しみがあってこそ私たちは人生のさびしさに深くぶつかってみることができる。小さなことが小さなことではなく、大きなことが大きなことではない。それは心一つだ。」「この悲しみがお前たちと私とにどれほどの強みであるか。私たちはこの損失のおかげで生活に一段と深入りしたのだ。人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。」幼き子供たちを遺された父親として、妻を亡くした夫として溢れんばかりの切実な想いがここから痛ましいほどに生々しく伝わってきませんか?(;_;)ブワッ そして最後の「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。」ゲーテっぽいド○ツ的なこの一文が、父が子に贈る言葉、もしくは先逹が後進に残すものとして何という素晴らしい名句だろう、と今更ながらに感じ入らせてもらいましたm(__)m この組み合わせが一冊になっていて良かった。
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック