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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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マリー・アント〇ネット二回目、友達と観てきました。
ただでさえ金無いのに何で同じの二回も観てんだよ!とのツッコミは無視します(^v^)

そして二回目もしっかりウルッときた・・・。
やっぱ大好きだなー16世(そこ!?)
愛すべき馬鹿だったと思うんですよ、あの夫婦は。
本当に育ちの良いおぼっちゃんお嬢ちゃんだったんだろうなぁ、と。
良い意味でも悪い意味でも。
まぁ実際自分が当時の平民だったらとても愛せなかったでしょうけど。

ベ〇ばらとか、結構フランス革命に関する作品では誰かが「悪者」で
誰かが「可哀想な人」になってるものが多いじゃないですか。
でも今回の映画は、「誰も悪くない」というスタンスを取っているのが
良かったというか、違和感なく観れた。
いや、全く悪くないってことは無いんですけど、時代と、個々の性格と、
色んな流れが重なり合ってそうなってしまった、そんな
淡々とした哀しさみたいなものが表れていて共感できました。

善と悪の定義は人に作られるもので、その時代や民族によって
変わってくると思うので、私は歴史の中には正義も悪も無いと思うんです。
人を殺したら現代日本では犯罪になるけれど、それが正義になる時代や場所は
沢山存在したし、これから訪れるかもしれない。

前にここで、私は性悪説を取る人間だと書きました。
私の中で、人間の本性は「汚いもの」にあると思うんです。
その「汚いもの」が正義になることだってあるかもしれない。
だから、本当は「悪」という偏った響きに限定したくないのですが(-_-;)

マリーはきれいな人だったと思います。
初めから満たされていた人間はきれいなんだな・・・。
でも満たされ続けた状態でずっと「きれい」でいることがどれだけ難しいか。
そう考えるとやっぱり凄い人だな、と思います。
傍から見て「キタナイ」と言われる部分があったのも知ってますが、
そういうところも全部ひっくるめて私は彼女を「きれいな人」だと思っています。

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