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遅ればせながらようやく無限列車鑑賞。どのシーンも自分の感情や経験とリンクしたりその前後の物語を思うと泣けてくるんですが、気づきとしては猗窩座の少年ぽさが大きかったかな。声や喋り方(中の人がおっさんだったとしてもだ)で、あーこの子ホントに多感な時期に何もかも喪って壊れたところを無惨に付け入られて鬼になっちゃったんだな、っていうのがアニメの表現によって物凄く伝わってきた。石田の演技もやりよる。まず強い相手と闘って、その名前聞いたら嬉しそうに下で呼ぶじゃないですか。煉獄にしろ冨岡にしろ。明治まで庶民は苗字がなかった+名前を呼ぶほど近しい人、名前を覚えて呼びたいと思えるほど対等に闘える相手に、人間だった時の彼は出会えなかったんだなぁ、って。父親のために道を踏み外しかけて、そのために父を喪ってしまった彼を救ってくれた武道。武道が好き、純粋に闘うことが好き、それを教えてくれた親子が好き。弱い奴が嫌いなのは勝てない相手に卑怯な手を使うから。真っ直ぐ過ぎる少年の心が垣間見えてグッと来ました。本当は彼にだって、錆兎や鱗滝のような人がいてくれたら。せめて親子のどちらかでも生きていてくれたら。友達が欲しかった、ライバルが欲しかったという当たり前の少年の心が切ない。冨岡さんと猗窩座は似ていると思います。猗窩座は仇が人間だったからすぐに殺せた。そして奴らの動機が「弱さ」だと感じたから鬼になった。冨岡さんは目の前で姉を鬼に殺されたから鬼殺の道を選んだ。逆の立場ならそれぞれ辿る道は同じだと思う。冨岡さんチキンぽいから鬼にはなれないかな・・・いやあの依存度見てると仇討ちのためなら無惨の誘い受けるな。その点、誰の仇のためでもなくあそこまで登り詰めて後輩の盾になった炎柱はやっぱ映画の主役張るだけあるのよね。「若い芽は摘ませない」って、いくら大正時代でも20歳は十二分に若すぎるよ・・・。お母さん亡くなった幼い時から最期まで、遊びもせず結婚もせず、ひたすら鬼殺のことだけ考えて生きてる人生だったのかと思うと。・゜・(ノД`)・゜・。
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