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美と醜は表裏一体であり、真実の美を知るのは醜なるものだけで、また醜なるものを秘めてこそ美そのものもまた輝ける真価を発揮する、まさにそういう話で素直に沁み入るように感動してしまった。
美と醜は表裏一体であり、真実の美を知るのは醜なるものだけで、また醜なるものを秘めてこそ美そのものもまた輝ける真価を発揮する、まさにそういう話で素直に沁み入るように感動してしまった。
川端康成の描く世界、文章は透明な水のように美しい。それは踊り子かじった時も感じたし、問題集や模試なんかで『雪国』『細雪』の一部あたりを覗いた時も思った。でもそれが、その余りの透明な美しさが私にはどうも物足りないというか響かなかった。“リアル”じゃない、こんなのは男性の描く幻想の世界というだけ、みたいな。(何てひねくれた女子高生だったんでしょーね、我ながら(^-^;)でもこの作品は違った。病み(闇)を抱える主人公が追いかける女性たちも同じように薄暗い感情や欲望を孕んでいて、絶妙に絡み合った人間関係のパズルのピースのハマり様に作者の美学の枠をはみ出せないむず痒さというかもどかしさみたいなものは覚えるけど、その各々のピース・登場人物の抱える醜さが、哀愁が、弱さが愛しくて堪らない。美しいのに、人間らしくて生々しい、 こんな話も書けたんだこの人、って知らなかったことに今すごく損した気分。・・・ぶっちゃけ英語記事のコメント欄で知ったんすよ。こんなにも日.本的で美しい文化的叙情すら詰め込まれた話を!o(;´皿`)キイィ悔しい~!
昭和のタクシーの窓ガラスから見える景色の色の変化が、胸が痛くなるほど切なく共感できる部分だった。そしてその全ての色が混ざり合う荒れた高山こそが、みどりの山より何よりこの世で一番美しい山なのだ、と。同意します。緑の山は癒されるけど、活きた火山の岩肌が放つ圧倒的な存在感、遠目から見たかたち、カルデラ湖の鮮やかさ、そして天の色そのままにどんな色にも染まり行くその光景こそが、何物にも代えがたく人の心を捕らえゾクリとするほど魅了してしまうものなのだ、と。そこら中に火山のある日/本に生まれ育った人間じゃないと分かんないんじゃないかな? この感覚。あと蛍の象徴するものとかさー。
幽霊に足がないのは万国共通?っぽいけど(笑)身体のどこか一部分に執着、あるいはコンプレックスを抱く主人公は純文定番ですね。彼にとってはそれが醜い父の記憶とも結び付き、ある意味心の底では愛着を持ってさえいるものなのだ、と赤ん坊の足を確認しなかったことを悔やむくだりで感じた。久子との別れも切ないね><「僕の世界なんかにおりて来ない方がいいよ。・・・僕は君とは別の世界から、一生君の思い出にあこがれて、感謝しているよ。」。・゜゜(ノД`)ウワアァン 相手を引きずり降ろして放り投げたファウストに聞かせてやりたい!これが日/本男児・・・あー、っと某鴎外さんがいたんだったわ彼の国でやらかした日.本人に(^ω^;)サーセンしたエリスちゃん! まぁ私教え子に手ぇ出す教師は教育者・職業人として最低だと思ってるし、例え責任取って結婚まで行ったとしても半々の割合で次々繰り返す病気(痴漢や万引きと同じ)みたいなタイプの人間だと考えてるクチなんで、この点は全く同情できないというか恩田さんや久子の身内側に立っちゃいますけどね。
女が怖くて嫌いなのに、母性を求めて若い女性にすがらずにはいられない有田老人と、お嬢様育ちながらその囲われ者という立場に甘んじている宮子さんの、傷の舐め合いのような共依存のような複雑な関係もグッとくる(´;ω;`) 誰もが認める幸せを掴めるはずの少女、町枝にも今後明らかに痛みを覚え、傷を知る運命が待ち構えている予兆が・・・無垢な美、疑うことのない完全な幸福に浸れる時間は本当に束の間で、長くは続かないんだよね。だからこそ少女というものは清らかで美しく、痛みを知る女性は匂い立つような色香や魔性を秘めて美しいのだ、と川端御大の理想にやっと心から納得できたというか受け入れることができたかな@何故か偉そう(笑)
解説でコレを紹介したの三島、って書いてあって超うなずいたわ^^ 彼の好むのは枠に収まるんじゃなくてひたすら迸ってしまうパッション溢れるままの美だもんね。毒も醜もそのまんま。全部ごた混ぜにしてそれでも圧倒的な美しさというか眩さというかメラメラ燃える炎みたいなもので覆い隠してしまう。確かにソレはそこにあるのに、内包してなお美しく魅せてしまうの。どんと祭のお焚き上げの踊り狂う火みたい。だから、この毒(三島のように強烈な臭いと温度を持ったものではなく、無味無臭の、チクリと針で刺されたような、あるいはザラリとヤスリのようなもので撫でられたような、心の柔らかい部分を真綿で締め付けられるようなものですが)を孕みつつも、どうしようもなく美しい作品を評価したというのは心の底から理解できます。川端が当時気鋭の新進作家として名を上げてきただろう三島に引きずられて書いた作品ではないのか、と考えてしまうくらい。イヤ美しくて(何回も繰り返してる上に陳腐極まりないが、ひたすらこの言葉使うしかない)沁み渡る小説でした。大概今更だけど、出会えて本当に良かった(-人-)
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川端康成の描く世界、文章は透明な水のように美しい。それは踊り子かじった時も感じたし、問題集や模試なんかで『雪国』『細雪』の一部あたりを覗いた時も思った。でもそれが、その余りの透明な美しさが私にはどうも物足りないというか響かなかった。“リアル”じゃない、こんなのは男性の描く幻想の世界というだけ、みたいな。(何てひねくれた女子高生だったんでしょーね、我ながら(^-^;)でもこの作品は違った。病み(闇)を抱える主人公が追いかける女性たちも同じように薄暗い感情や欲望を孕んでいて、絶妙に絡み合った人間関係のパズルのピースのハマり様に作者の美学の枠をはみ出せないむず痒さというかもどかしさみたいなものは覚えるけど、その各々のピース・登場人物の抱える醜さが、哀愁が、弱さが愛しくて堪らない。美しいのに、人間らしくて生々しい、 こんな話も書けたんだこの人、って知らなかったことに今すごく損した気分。・・・ぶっちゃけ英語記事のコメント欄で知ったんすよ。こんなにも日.本的で美しい文化的叙情すら詰め込まれた話を!o(;´皿`)キイィ悔しい~!
昭和のタクシーの窓ガラスから見える景色の色の変化が、胸が痛くなるほど切なく共感できる部分だった。そしてその全ての色が混ざり合う荒れた高山こそが、みどりの山より何よりこの世で一番美しい山なのだ、と。同意します。緑の山は癒されるけど、活きた火山の岩肌が放つ圧倒的な存在感、遠目から見たかたち、カルデラ湖の鮮やかさ、そして天の色そのままにどんな色にも染まり行くその光景こそが、何物にも代えがたく人の心を捕らえゾクリとするほど魅了してしまうものなのだ、と。そこら中に火山のある日/本に生まれ育った人間じゃないと分かんないんじゃないかな? この感覚。あと蛍の象徴するものとかさー。
幽霊に足がないのは万国共通?っぽいけど(笑)身体のどこか一部分に執着、あるいはコンプレックスを抱く主人公は純文定番ですね。彼にとってはそれが醜い父の記憶とも結び付き、ある意味心の底では愛着を持ってさえいるものなのだ、と赤ん坊の足を確認しなかったことを悔やむくだりで感じた。久子との別れも切ないね><「僕の世界なんかにおりて来ない方がいいよ。・・・僕は君とは別の世界から、一生君の思い出にあこがれて、感謝しているよ。」。・゜゜(ノД`)ウワアァン 相手を引きずり降ろして放り投げたファウストに聞かせてやりたい!これが日/本男児・・・あー、っと某鴎外さんがいたんだったわ彼の国でやらかした日.本人に(^ω^;)サーセンしたエリスちゃん! まぁ私教え子に手ぇ出す教師は教育者・職業人として最低だと思ってるし、例え責任取って結婚まで行ったとしても半々の割合で次々繰り返す病気(痴漢や万引きと同じ)みたいなタイプの人間だと考えてるクチなんで、この点は全く同情できないというか恩田さんや久子の身内側に立っちゃいますけどね。
女が怖くて嫌いなのに、母性を求めて若い女性にすがらずにはいられない有田老人と、お嬢様育ちながらその囲われ者という立場に甘んじている宮子さんの、傷の舐め合いのような共依存のような複雑な関係もグッとくる(´;ω;`) 誰もが認める幸せを掴めるはずの少女、町枝にも今後明らかに痛みを覚え、傷を知る運命が待ち構えている予兆が・・・無垢な美、疑うことのない完全な幸福に浸れる時間は本当に束の間で、長くは続かないんだよね。だからこそ少女というものは清らかで美しく、痛みを知る女性は匂い立つような色香や魔性を秘めて美しいのだ、と川端御大の理想にやっと心から納得できたというか受け入れることができたかな@何故か偉そう(笑)
解説でコレを紹介したの三島、って書いてあって超うなずいたわ^^ 彼の好むのは枠に収まるんじゃなくてひたすら迸ってしまうパッション溢れるままの美だもんね。毒も醜もそのまんま。全部ごた混ぜにしてそれでも圧倒的な美しさというか眩さというかメラメラ燃える炎みたいなもので覆い隠してしまう。確かにソレはそこにあるのに、内包してなお美しく魅せてしまうの。どんと祭のお焚き上げの踊り狂う火みたい。だから、この毒(三島のように強烈な臭いと温度を持ったものではなく、無味無臭の、チクリと針で刺されたような、あるいはザラリとヤスリのようなもので撫でられたような、心の柔らかい部分を真綿で締め付けられるようなものですが)を孕みつつも、どうしようもなく美しい作品を評価したというのは心の底から理解できます。川端が当時気鋭の新進作家として名を上げてきただろう三島に引きずられて書いた作品ではないのか、と考えてしまうくらい。イヤ美しくて(何回も繰り返してる上に陳腐極まりないが、ひたすらこの言葉使うしかない)沁み渡る小説でした。大概今更だけど、出会えて本当に良かった(-人-)
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