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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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妹の嫁ぎ先は、集落ほとんどが流されてしまったような何もないところ。ご家族は寡黙でシャイ?だけれど、とっても良い人たち。

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近くにはこんな素敵な?モティーフのある復興商店街もあります(^^;
 

もう1つ、何もなくなってしまった浜沿いを走ってたどり着く某基地の街にて。7年ぶりの開催、みんな待ちこがれてましたよ!(つД`)
 
・・・私は別の要件でたまたま行ったら前日の夏祭りで見られてラッキー、って感じだったんですけどね(笑)

あとはいつもの青森(U^ω^)


※以下いつものように病んでます

母が父のLINEアカウントに妹の結婚式の写真とか、ずっとメッセージを送り続けていることを知ってしまった。何度目かに父がやらかそうとしていた時、「孫の顔を見られないことより、母を幸せにできなかったことが1番つらい」と父が送ってきたメッセージを、運転中の母に代わって読んで泣いたことを思い出した。その後、父と同じ誕生日の人の相談を受け付けた。いっそようやく吹っ切れた、開き直れたと思っていたのに泣きそうで声が震えた。苦しい。つらい。何でこんな思いしてまで生きてないといけないんだ? 何でみんなその歳まで生きてて、お金や病気の心配するってことは生きる気満々でいられるの? 意味がわからない。早く死にたい。終わりにしたい。生きれば生きるほど、良いことなんか1つもない。苦しさが増すばかりなのに。見送りたくないし、失いたくないし、悔しいし、何だあの景色は。復興って何だよ。どこに金行ったの? 義弟の親友去年自殺してんだよ、若いのに。当たり前だ、あんなの、6年半経ったって何があったかどんな地獄だったか想像つく。唯一残った綺麗な景色は堤防で台無し。何が正しいのかもわからない。私はこんなだし、もう意味が見出だせないし苦しいんだよ。せめて普通に人と付き合えたら。子供が生めたら。マトモな人間だったら。自分のこと許せたかもしれない。生きようと思えたかもしれない。でも無理だからしょうがない。消えたい。早く消えたい。あの日、あの後あそこで仮設で逝ってしまった皆さんに申し訳ない。こんなに死にたい奴が、必死に死なないための努力であちこち出歩いても結局行き着くのそこしかないんだよ。週末の度に父親と同じことしないために必死で何か興味持てること探して出掛けてる。どうしてその歳で生きようと思えるのか本気で客に聞いてみたい。


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車出してくれたり泊めてくれた皆様に感謝m(__)m

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1発目、大樹寺~!歴代将軍意外とちっさかったのね・・・Σ(゜Д゜)


ファースト味噌煮込みうどん(^p^)ちゃんと出汁の味が利いてておいしかった!


名古屋城

堀の生き物豊富すぎワロタ。

やつぱ鯱さんや((o( ̄ー ̄)o))


わかりやすくおのぼりスポットサンシャイン(笑)


きっしめ~ん☆

ホント愛知めしって味濃いイメージあったんですけど、濃さの方向性が全く違って偏見が覆されました(-_-;) 中仙道でも愛知でも、食べられるものが限られてる現状が申し訳ない・・・と感じることしきりでしたが、日本の食文化の多様性と旅の楽しさ、十分に味わえた素敵な4日間でした。歴オタパラダイスな東海地方、またぜひ行ってみたいです!(o^O^o)

離れた場所、非日常の中でようやく父の死を実感できた気がした。友人のお父様に会ったり、父が亡くなったことを話したり。生前から彼の話をしてきた人たちにそれを直接打ち明けられたこと。彼のルーツのある土地で、彼の一族が信仰する宗教の方に出会えたこと。私は、自分の根がわからないことがコンプレックスだった。当たり前の、普通の日本人になりたくて知りたくて必死だった。平野ではなく、住みづらい山地に必死で田畑を作り風習と故郷を守り続ける人々の姿に『楢山節考』とか山林が国土の7割以上を占めるこの国の原風景とその生活の厳しさを思い知った。憧れていたものの正体が何だったのか。7割の山林のためにどれだけの人が犠牲になり、努力の元に「里山」や「宿場町」を守り続けてきたのか。観光地化が十分に進んでいる中仙道ですらあの有り様。藤村はよくこんな僻地まで来た(*_*;  日本人は強いと思う。凄いと思う。理不尽に従い、それが結果として地域を活かすことに繋がっている。素晴らしい木と山と水の景色。水田が広がる平野育ちのコンプレックス、「家 」の伝統的なやり方を知らないコンプレックス。宗教も思想も全く理解できないけれど、切ないまでの必死な想いはどの方面からも伝わってくる。わからないことが悔しい。知らないことが苦しい。羨ましい。大好き。どう捉えて、形容して良いかわからない。圧倒される、そこに生きてきた人々と通り抜けてきた人々の想いに。自分は何て薄っぺらなんだろう。父が生きていたら。お土産あげたかった。感じたことを伝えたかった。もう叶わないけど、その土地で父より早死にした人はいっぱいいただろう。混乱する。どう捉えて良いかわからない。でも、もういないこともお土産を渡せないことも、やたら友人たちに父の話をしてしまう自分にも気づいた。そして帰って来た母の機嫌の悪さ(^-^; 結局代わりに弟が行ってくれたから、私は私で楽しんでいるアピールのメールすらウザくて困ったと言われた。二人で楽しみにしていた集まりで、父が逝ってしまった後も性別比一緒にしてほしかったから弟と母が心置きなく参加できるように金銭と体調的に厳しくても無理やり旅行組んだのに。苦しい。何やっても空回りみたい。母は(私と合わなさすぎるから)妹の嫁ぎ先についていきたがってるし、でも向こうはお義母さんもいて絶対迷惑だろうからそんなことさせられないし、でもこのままじゃ転職活動なんかできるわけない。死にたい。やっぱそれしか考えられない。一通り会いたい人に会って巡れるだけのとこ行ったら終わりにしたい。もういい。沢山。もう無理。何をやっても上手くいかない。生まれてきたことが申し訳ない。関わって面倒見てくれた友人知人勤務先に迷惑をかけることだけが心配。存在をなかったことにしてほしい。何で存在しちゃったのか、息し続けないといけないのか本気で謎。どうすれば良いんだろう。還りたい。死にたい。無になりたい。

追記
やっと実感できた=現実として直視できたのが今だから、まだまだ全然受け入れられていないことも乗り越えられていないことも改めて学んだ。何で死んだの、ってずっと思い続けている。嘘だって泣いて叫びたい。何でこんな短期間で色々忘れかけてんの。私ただ単に逃げてただけだ。向き合うの怖かった。自分が何もかも崩れちゃって仕事にも行けなくなる。気持ち悪い。吐きそう。お腹痛い。泣きたい。死亡の連絡なんか取りたくない。近い歳の人も、彼より何十年も生きた人のも。自信がない。マトモな精神でいられるか、電話口で発作や嗚咽しちゃわないか。限界だよ、限界、限界・・・でも母は(以下略)母のせいにしてるだけなんだろうか。どうすれば良いかわからない。死にたい。一昔前の木曽路もしくは東北の寒村に住んでた人よりよっぽどマシな生活なんだとはわかってる。でももういい。終わりたい。人の皮から解放されたい。終わりたい。


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マイナスイオンたっぷりであるヽ(´▽`)/

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桃の花がデフォルトで紅白ピンク混ざってる。桜と藤が同時に満開(@_@;)


この岩スゲー好き。


端午の節句の展示が面白かったー((o( ̄ー ̄)o))
道々の家の戸口にある紙の鯉のぼり?も風情があって良いです。

ワンコイン荷物配送サービスもあるし、馬籠~妻籠間はまさに木曽路!ってとこ歩いてちょっと若めなら二時間もかからないくらいだからハイキング絶対オススメ(^^)b 熊とかハチとか雪とか、季節によっては注意が必要かもですが・・・。


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ヤバい超楽しい(((゜ロ゜;)))

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旅行行くと大体何事も期待以上過ぎてビビる。


 

水力発電なんだぜ・・・(@_@;)


忘れちゃいけない名物!甘すぎなくて上品な味☆


そしてこの絶景♪ヽ(´▽`)/


最後宿の食事。残したけど、できる限り頑張った( ̄^ ̄)=3


食事後、私が生まれる前に行ったことがあるという外国人のオジサマに「仙台は津波から復興したの?」と話しかけられ、答えられなかった。英語でだけじゃなく日本語でも伝えることが難しい。100%立ち直ったとは口が裂けても言えないけど、前に進んでいこうとしている人たちの努力を無だとは表現したくない。でも遠くから気にかけてくれる人がいること自体が心からありがたい。嬉しい(ノ_・。)


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今年も連れてってもらった~

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歳も取ったしMy喪は終わり! 仕方ない。今日からは明るい色の服もネイルも再開します。

今年の入り口アート。何で龍?(´・ω・`)


これが好き@紫スキー
 

かわいい!


 

生け花が進化し過ぎてて昔受けた講義を必死に思い出そうとしたんだけど無理でしたm(__)m
 
どっちが池坊様かわかったらすごい☆


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