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TVタッ○ルは見てないんですけど、上がってた記事の内容が気になったので。
最近ようやくそういう施設に赴いた私ですが、本当に穏やかで優しい雰囲気の職員さんしかいなくて話も親身になって聞いてくれる感じだったのでそういう「支援団体」とやらが存在すること自体が信じられない。親側が相談に来ているっぽい場面にも出くわしたことがないのでわからないけれど、年齢的に明らかに親に送り込まれたのかな、って子たちもいるけど皆楽しそうで毎日来ているみたいだったし。ウチは私が良い歳で恥ずかしいのもあって(^^;親は完全ノータッチだし、むしろ「家族と距離を置きたいから来ました」と理由を説明している感じなので・・・。無理やり外に引きずり出しても何も解決しないし、ワイワイ明るくゲームやってた子たちが自己紹介で「○年ほど引きこもっていました」と挨拶した時のあの一瞬の沈黙の空気感、お分かりいただけないだろうか(´-`) 若い身空でみんな何かしら傷を負い、世間様の「当たり前」に付いていけずにはみ出して、今懸命にここで「仲間たち」と過ごすことで必死にソレを癒してる最中なんだ、って痛いほど伝わってきたんですよ。だからちゃんと彼らの年頃に十分楽しい思い出を味わい、友人を得て、その言葉や存在に後押しされて一歩踏み出せた私がいる場所ではないんじゃないか、と感じて別の施設を紹介してもらったんです。
傷の深さや種類はそれぞれ違う。癒し方だってもちろん違う。私が「新型うつ」という言葉にショックを受けたのは、「引きこもってずっと泣いていないと病気とは認められないのか、存在自体への苦しみもタヒを考え続ける気持ちも、夜眠れない辛さや変な時間にうつらうつらしてしまう申し訳なさも、全て怠惰な甘えの結果としか受け止められないのか」と思ったから。テレビを見て笑ったり、ヅカやスケートといった趣味があったり、友達と出かけたりすること全てが「正しい抑うつ状態」にふさわしくないものだとしたら、私はやっぱりどうしようもないロクデナシで一刻も早く処理するべきだ、けどその上手い方法がわからない、とずっとずっと考え悩んで調べたりもした。でも結果的に、今その状態から脱け出そうと思えたのは友人たちとの繋がりがあったから。完全に引きこもりっぱなしではなく、「ずっと家にいちゃダメ、出かけるべき!」って連れ出してくれた友達がいたから、趣味を分かった上で色んなイベントに誘ってくれたり、きちんとした家庭や目標を持っていてもこんな状態の私を否定せずに真面目に話を聞いてくれたり、一緒に笑ったり楽しむことを許してくれた人たちがいたから、すごく救われた。最低限見た目に気を使ったり、食事や体型の変化も意識できた。もしずっと家の中で家族としか接触しない状態でい続けたら、そういうことにも頭が回らずにスッカリ構わない身なりになって、外の世界がますます億劫に遠ざかってしまっていたと思う。だから、「新型うつ」という言葉で社会との最後の糸を保とうとするギリギリのラインにいる人たちのことを否定的に捉えてしまわないでほしい。本当にそこから切り離されてしまったら、その人は奇跡でも起こらない限り二度と「世間」という空間に戻ってこられない気がするから。少なくとも私には、家に逃げ込んだ癖にそこ以外の逃げ場が必要だった。何回、何人にどれほど救われたか分からない。映画にお芝居に、美術館や博物館、ちょっとした旅行、下らないお喋り、買い物やカフェ巡り、髪型を変えるのだって。良い歳して家にいて仕事を持たない身で非難されて当然という自覚はあります。けれど正直それが無ければ生きていたかも分からないし、もっと家族を苦しめたかもしれないし、今も動けてなかったかも。
限られたものしか食べられない状態は早半年でBMIも体脂肪率も標準を切ったまま、眠る時の薬は増えたのにずっと寝つきが悪く、深い眠りを得られない状態が続いていて、2,3時間おきに目が醒めてしまい昼間は眠い。もういい加減終わりたかったし、それしかない、誰にとっても一番良い方法だと思ってきた。相撲に熱中してフィギュアに騒いで時事ネタ語っても、根底にあるのはいつもその気持ち。空っぽの虚しさ。甘えだとかふざけるな、とか言われても実際そうで、どうしようもないんです。家族の前でそう振る舞うのは一種のパフォーマンスでもある。ハマってるものがあるからまだ大丈夫だよ、ホント私って迷惑かけ通しのダメなやつ☆(・ω<)テヘペロといういわゆる一種の「お道化」ね。呆れてムカついて誰も真剣に心配したりしなくなるやろ。でも苦しみをわかってほしい自分もいて、たまに思いっきり感情をぶつけられると堪えきれずに発作を起こして余計に苛立たせてしまったり。地獄なんですよ、精神病んだ人間と、ソレと一緒に暮らさないといけない家族って。だから、メディアの皆さんもそういう話題を取り上げる時は面白半分や困った流行りネタ扱いするんじゃなくて真摯に扱ってほしい。改めて本当に、遠近問わず色んな方法で支えたり励ましたり必要な時は突き放したり、それでも見捨てずに付き合ってくれた友人たちには心から感謝しています。家族が決してそうじゃなかったわけではないけれど、やっぱり他人である彼・彼女たちとの繋がりがなければもっと酷い状況になっていたというか、今ここにこうして存在していることすらできなかったかもしれないから。
傷の深さや種類はそれぞれ違う。癒し方だってもちろん違う。私が「新型うつ」という言葉にショックを受けたのは、「引きこもってずっと泣いていないと病気とは認められないのか、存在自体への苦しみもタヒを考え続ける気持ちも、夜眠れない辛さや変な時間にうつらうつらしてしまう申し訳なさも、全て怠惰な甘えの結果としか受け止められないのか」と思ったから。テレビを見て笑ったり、ヅカやスケートといった趣味があったり、友達と出かけたりすること全てが「正しい抑うつ状態」にふさわしくないものだとしたら、私はやっぱりどうしようもないロクデナシで一刻も早く処理するべきだ、けどその上手い方法がわからない、とずっとずっと考え悩んで調べたりもした。でも結果的に、今その状態から脱け出そうと思えたのは友人たちとの繋がりがあったから。完全に引きこもりっぱなしではなく、「ずっと家にいちゃダメ、出かけるべき!」って連れ出してくれた友達がいたから、趣味を分かった上で色んなイベントに誘ってくれたり、きちんとした家庭や目標を持っていてもこんな状態の私を否定せずに真面目に話を聞いてくれたり、一緒に笑ったり楽しむことを許してくれた人たちがいたから、すごく救われた。最低限見た目に気を使ったり、食事や体型の変化も意識できた。もしずっと家の中で家族としか接触しない状態でい続けたら、そういうことにも頭が回らずにスッカリ構わない身なりになって、外の世界がますます億劫に遠ざかってしまっていたと思う。だから、「新型うつ」という言葉で社会との最後の糸を保とうとするギリギリのラインにいる人たちのことを否定的に捉えてしまわないでほしい。本当にそこから切り離されてしまったら、その人は奇跡でも起こらない限り二度と「世間」という空間に戻ってこられない気がするから。少なくとも私には、家に逃げ込んだ癖にそこ以外の逃げ場が必要だった。何回、何人にどれほど救われたか分からない。映画にお芝居に、美術館や博物館、ちょっとした旅行、下らないお喋り、買い物やカフェ巡り、髪型を変えるのだって。良い歳して家にいて仕事を持たない身で非難されて当然という自覚はあります。けれど正直それが無ければ生きていたかも分からないし、もっと家族を苦しめたかもしれないし、今も動けてなかったかも。
限られたものしか食べられない状態は早半年でBMIも体脂肪率も標準を切ったまま、眠る時の薬は増えたのにずっと寝つきが悪く、深い眠りを得られない状態が続いていて、2,3時間おきに目が醒めてしまい昼間は眠い。もういい加減終わりたかったし、それしかない、誰にとっても一番良い方法だと思ってきた。相撲に熱中してフィギュアに騒いで時事ネタ語っても、根底にあるのはいつもその気持ち。空っぽの虚しさ。甘えだとかふざけるな、とか言われても実際そうで、どうしようもないんです。家族の前でそう振る舞うのは一種のパフォーマンスでもある。ハマってるものがあるからまだ大丈夫だよ、ホント私って迷惑かけ通しのダメなやつ☆(・ω<)テヘペロといういわゆる一種の「お道化」ね。呆れてムカついて誰も真剣に心配したりしなくなるやろ。でも苦しみをわかってほしい自分もいて、たまに思いっきり感情をぶつけられると堪えきれずに発作を起こして余計に苛立たせてしまったり。地獄なんですよ、精神病んだ人間と、ソレと一緒に暮らさないといけない家族って。だから、メディアの皆さんもそういう話題を取り上げる時は面白半分や困った流行りネタ扱いするんじゃなくて真摯に扱ってほしい。改めて本当に、遠近問わず色んな方法で支えたり励ましたり必要な時は突き放したり、それでも見捨てずに付き合ってくれた友人たちには心から感謝しています。家族が決してそうじゃなかったわけではないけれど、やっぱり他人である彼・彼女たちとの繋がりがなければもっと酷い状況になっていたというか、今ここにこうして存在していることすらできなかったかもしれないから。
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傷の深さや種類はそれぞれ違う。癒し方だってもちろん違う。私が「新型うつ」という言葉にショックを受けたのは、「引きこもってずっと泣いていないと病気とは認められないのか、存在自体への苦しみもタヒを考え続ける気持ちも、夜眠れない辛さや変な時間にうつらうつらしてしまう申し訳なさも、全て怠惰な甘えの結果としか受け止められないのか」と思ったから。テレビを見て笑ったり、ヅカやスケートといった趣味があったり、友達と出かけたりすること全てが「正しい抑うつ状態」にふさわしくないものだとしたら、私はやっぱりどうしようもないロクデナシで一刻も早く処理するべきだ、けどその上手い方法がわからない、とずっとずっと考え悩んで調べたりもした。でも結果的に、今その状態から脱け出そうと思えたのは友人たちとの繋がりがあったから。完全に引きこもりっぱなしではなく、「ずっと家にいちゃダメ、出かけるべき!」って連れ出してくれた友達がいたから、趣味を分かった上で色んなイベントに誘ってくれたり、きちんとした家庭や目標を持っていてもこんな状態の私を否定せずに真面目に話を聞いてくれたり、一緒に笑ったり楽しむことを許してくれた人たちがいたから、すごく救われた。最低限見た目に気を使ったり、食事や体型の変化も意識できた。もしずっと家の中で家族としか接触しない状態でい続けたら、そういうことにも頭が回らずにスッカリ構わない身なりになって、外の世界がますます億劫に遠ざかってしまっていたと思う。だから、「新型うつ」という言葉で社会との最後の糸を保とうとするギリギリのラインにいる人たちのことを否定的に捉えてしまわないでほしい。本当にそこから切り離されてしまったら、その人は奇跡でも起こらない限り二度と「世間」という空間に戻ってこられない気がするから。少なくとも私には、家に逃げ込んだ癖にそこ以外の逃げ場が必要だった。何回、何人にどれほど救われたか分からない。映画にお芝居に、美術館や博物館、ちょっとした旅行、下らないお喋り、買い物やカフェ巡り、髪型を変えるのだって。良い歳して家にいて仕事を持たない身で非難されて当然という自覚はあります。けれど正直それが無ければ生きていたかも分からないし、もっと家族を苦しめたかもしれないし、今も動けてなかったかも。
限られたものしか食べられない状態は早半年でBMIも体脂肪率も標準を切ったまま、眠る時の薬は増えたのにずっと寝つきが悪く、深い眠りを得られない状態が続いていて、2,3時間おきに目が醒めてしまい昼間は眠い。もういい加減終わりたかったし、それしかない、誰にとっても一番良い方法だと思ってきた。相撲に熱中してフィギュアに騒いで時事ネタ語っても、根底にあるのはいつもその気持ち。空っぽの虚しさ。甘えだとかふざけるな、とか言われても実際そうで、どうしようもないんです。家族の前でそう振る舞うのは一種のパフォーマンスでもある。ハマってるものがあるからまだ大丈夫だよ、ホント私って迷惑かけ通しのダメなやつ☆(・ω<)テヘペロといういわゆる一種の「お道化」ね。呆れてムカついて誰も真剣に心配したりしなくなるやろ。でも苦しみをわかってほしい自分もいて、たまに思いっきり感情をぶつけられると堪えきれずに発作を起こして余計に苛立たせてしまったり。地獄なんですよ、精神病んだ人間と、ソレと一緒に暮らさないといけない家族って。だから、メディアの皆さんもそういう話題を取り上げる時は面白半分や困った流行りネタ扱いするんじゃなくて真摯に扱ってほしい。改めて本当に、遠近問わず色んな方法で支えたり励ましたり必要な時は突き放したり、それでも見捨てずに付き合ってくれた友人たちには心から感謝しています。家族が決してそうじゃなかったわけではないけれど、やっぱり他人である彼・彼女たちとの繋がりがなければもっと酷い状況になっていたというか、今ここにこうして存在していることすらできなかったかもしれないから。
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