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無題
U 塞ぎこむことを亡くなった人が望んでいないとしても、どうやって元気になったらいいかわからない、と書かれているインタビュー記事を読んで、時間は人の心にとって、原因にも言い訳にも理由にも癒しにもならないのだなぁ、と思ったよ。絆とか思いやりとか適当な言葉をならべてもなんだかなぁという感じもするし。
3/10までの日々も3/11のこともその後の日々も忘れてはいけないことばかりなのだよね。あの出来事は国境を越えて色々な警鐘を鳴らしているのだと、私は海外にいて強く感じたよ。今年も色々な場所で追悼のセレモニーなどが行われているのを見て、じーんとした。
私は被災地でその瞬間もその直後の危機的状況も経験していないから、何を言っていいのか、したらいいのかも分からないし、私にできることなんてないのかもしれないとも思うけど、被災者の方に少しでも笑える時があって、そうやって笑うことに罪悪感や寂寥感を感じることがないようにと祈りました。
今年のその瞬間は母とスゥィーツブッフェにてケーキほおばりながら迎えたけど!
U 塞ぎこむことを亡くなった人が望んでいないとしても、どうやって元気になったらいいかわからない、と書かれているインタビュー記事を読んで、時間は人の心にとって、原因にも言い訳にも理由にも癒しにもならないのだなぁ、と思ったよ。絆とか思いやりとか適当な言葉をならべてもなんだかなぁという感じもするし。
3/10までの日々も3/11のこともその後の日々も忘れてはいけないことばかりなのだよね。あの出来事は国境を越えて色々な警鐘を鳴らしているのだと、私は海外にいて強く感じたよ。今年も色々な場所で追悼のセレモニーなどが行われているのを見て、じーんとした。
私は被災地でその瞬間もその直後の危機的状況も経験していないから、何を言っていいのか、したらいいのかも分からないし、私にできることなんてないのかもしれないとも思うけど、被災者の方に少しでも笑える時があって、そうやって笑うことに罪悪感や寂寥感を感じることがないようにと祈りました。
今年のその瞬間は母とスゥィーツブッフェにてケーキほおばりながら迎えたけど!
あの日からちょうど一年が経ちました。被災地出身の人間として、改めてご支援下さった全ての皆様に感謝申し上げます。本当にどうもありがとうございましたm(_ _)m
※以下はちょっとネガティヴなことも書いてます。
↓
※以下はちょっとネガティヴなことも書いてます。
↓
今でも、今だからこそ余計に「夢だったんじゃないか」と感じることが多いです。時間が止まっているように感じることも一度や二度ではないというか、確実に動きを止めてしまった部分が自分の中にあるように思います。
本当に情けなくて申し訳ないことなのですが、正直ギリギリまでこっちにいることに決めた理由の一つに、この日を地元で迎えたくないという気持ちがありました。初めの半年は必死に嚙り付いていた報道からも、8月、12月と帰省の度に何も前進していないように見える郷里の景色がしんどくて、段々と逃げるように遠ざかってしまっている現状です。ずっとそこにおられる方から「直後よりマシになった」と聞かされても、自分が比べてしまうのはどうしても昨年3/10までの景色なんですよね。離れてしまっただけに、何でこうなったのか、何で全然良くならないのかと考えてしまい、うまく受け止めることができずにいます。
未だに家を直せない方もいらっしゃいますし、農業と漁業くらいしか産業が無い土地にも関わらず塩害と放射能汚染は止まず、物理的・精神的ショックのせいか地震の後に亡くなられた方も本当に多いです。
一東北人として、忘れないでほしい、覚えていてほしい、と思います。復興と言う言葉の持つ意味は簡単なものではないですが、せめて一かけらでも希望が見出せるような日が、被災地に早く訪れることを祈っています。
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今でも、今だからこそ余計に「夢だったんじゃないか」と感じることが多いです。時間が止まっているように感じることも一度や二度ではないというか、確実に動きを止めてしまった部分が自分の中にあるように思います。
本当に情けなくて申し訳ないことなのですが、正直ギリギリまでこっちにいることに決めた理由の一つに、この日を地元で迎えたくないという気持ちがありました。初めの半年は必死に嚙り付いていた報道からも、8月、12月と帰省の度に何も前進していないように見える郷里の景色がしんどくて、段々と逃げるように遠ざかってしまっている現状です。ずっとそこにおられる方から「直後よりマシになった」と聞かされても、自分が比べてしまうのはどうしても昨年3/10までの景色なんですよね。離れてしまっただけに、何でこうなったのか、何で全然良くならないのかと考えてしまい、うまく受け止めることができずにいます。
未だに家を直せない方もいらっしゃいますし、農業と漁業くらいしか産業が無い土地にも関わらず塩害と放射能汚染は止まず、物理的・精神的ショックのせいか地震の後に亡くなられた方も本当に多いです。
一東北人として、忘れないでほしい、覚えていてほしい、と思います。復興と言う言葉の持つ意味は簡単なものではないですが、せめて一かけらでも希望が見出せるような日が、被災地に早く訪れることを祈っています。
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無題
U 塞ぎこむことを亡くなった人が望んでいないとしても、どうやって元気になったらいいかわからない、と書かれているインタビュー記事を読んで、時間は人の心にとって、原因にも言い訳にも理由にも癒しにもならないのだなぁ、と思ったよ。絆とか思いやりとか適当な言葉をならべてもなんだかなぁという感じもするし。
3/10までの日々も3/11のこともその後の日々も忘れてはいけないことばかりなのだよね。あの出来事は国境を越えて色々な警鐘を鳴らしているのだと、私は海外にいて強く感じたよ。今年も色々な場所で追悼のセレモニーなどが行われているのを見て、じーんとした。
私は被災地でその瞬間もその直後の危機的状況も経験していないから、何を言っていいのか、したらいいのかも分からないし、私にできることなんてないのかもしれないとも思うけど、被災者の方に少しでも笑える時があって、そうやって笑うことに罪悪感や寂寥感を感じることがないようにと祈りました。
今年のその瞬間は母とスゥィーツブッフェにてケーキほおばりながら迎えたけど!
U 塞ぎこむことを亡くなった人が望んでいないとしても、どうやって元気になったらいいかわからない、と書かれているインタビュー記事を読んで、時間は人の心にとって、原因にも言い訳にも理由にも癒しにもならないのだなぁ、と思ったよ。絆とか思いやりとか適当な言葉をならべてもなんだかなぁという感じもするし。
3/10までの日々も3/11のこともその後の日々も忘れてはいけないことばかりなのだよね。あの出来事は国境を越えて色々な警鐘を鳴らしているのだと、私は海外にいて強く感じたよ。今年も色々な場所で追悼のセレモニーなどが行われているのを見て、じーんとした。
私は被災地でその瞬間もその直後の危機的状況も経験していないから、何を言っていいのか、したらいいのかも分からないし、私にできることなんてないのかもしれないとも思うけど、被災者の方に少しでも笑える時があって、そうやって笑うことに罪悪感や寂寥感を感じることがないようにと祈りました。
今年のその瞬間は母とスゥィーツブッフェにてケーキほおばりながら迎えたけど!
この記事へのコメント
塞ぎこむことを亡くなった人が望んでいないとしても、どうやって元気になったらいいかわからない、と書かれているインタビュー記事を読んで、時間は人の心にとって、原因にも言い訳にも理由にも癒しにもならないのだなぁ、と思ったよ。絆とか思いやりとか適当な言葉をならべてもなんだかなぁという感じもするし。
3/10までの日々も3/11のこともその後の日々も忘れてはいけないことばかりなのだよね。あの出来事は国境を越えて色々な警鐘を鳴らしているのだと、私は海外にいて強く感じたよ。今年も色々な場所で追悼のセレモニーなどが行われているのを見て、じーんとした。
私は被災地でその瞬間もその直後の危機的状況も経験していないから、何を言っていいのか、したらいいのかも分からないし、私にできることなんてないのかもしれないとも思うけど、被災者の方に少しでも笑える時があって、そうやって笑うことに罪悪感や寂寥感を感じることがないようにと祈りました。
今年のその瞬間は母とスゥィーツブッフェにてケーキほおばりながら迎えたけど!
3/10までの日々も3/11のこともその後の日々も忘れてはいけないことばかりなのだよね。あの出来事は国境を越えて色々な警鐘を鳴らしているのだと、私は海外にいて強く感じたよ。今年も色々な場所で追悼のセレモニーなどが行われているのを見て、じーんとした。
私は被災地でその瞬間もその直後の危機的状況も経験していないから、何を言っていいのか、したらいいのかも分からないし、私にできることなんてないのかもしれないとも思うけど、被災者の方に少しでも笑える時があって、そうやって笑うことに罪悪感や寂寥感を感じることがないようにと祈りました。
今年のその瞬間は母とスゥィーツブッフェにてケーキほおばりながら迎えたけど!
Re:無題
範囲が大きすぎて何を失くしたのかも分からない感じなんだよね未だに。後からポロポロッと気づくこともあるし。時間とか空間とか、世界そのものの意味が変わってしまったように思う。
でも同時に年末に帰省した時、空港にトモダチ作戦の展示がしてあったり、Uちゃんから伺ったチャリティーの話や、海外の子からいただいたメッセージに、離れてたり政治や歴史的に難しいことはあっても人間同士の温かい気持ちみたいなものは繋がり合えるんだなぁ、と嬉しく感じることもあり・・・悔恨と感謝と決意と、色んな感情がグルグルする一年だったなぁ、と思います。
私は昨日たまたま福島出身の子と過ごす機会に恵まれて、一緒に黙とうを捧げました。(ブログは予約投稿)被災地内での格差や差別の話等、悔しくて悲しくてやるせない気持ちを分かち合えた気がしてありがたかった。東北全体で進んでいけるように前を向いていかなきゃねー。
でも同時に年末に帰省した時、空港にトモダチ作戦の展示がしてあったり、Uちゃんから伺ったチャリティーの話や、海外の子からいただいたメッセージに、離れてたり政治や歴史的に難しいことはあっても人間同士の温かい気持ちみたいなものは繋がり合えるんだなぁ、と嬉しく感じることもあり・・・悔恨と感謝と決意と、色んな感情がグルグルする一年だったなぁ、と思います。
私は昨日たまたま福島出身の子と過ごす機会に恵まれて、一緒に黙とうを捧げました。(ブログは予約投稿)被災地内での格差や差別の話等、悔しくて悲しくてやるせない気持ちを分かち合えた気がしてありがたかった。東北全体で進んでいけるように前を向いていかなきゃねー。
2012/03/12(月) 20:57 | ケイト
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