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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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『墓前』続編掌編。母の墓に花を捧げる娘の話。


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私は母を知らない。声も、顔も、肖像画の一つですら聞いたことも見たこともない。知っているのは、ただ目の前の灰色の石に刻まれた名前のみ。
『マルタ・バリオーニ』
それが、私と同じ深い緑色の瞳を持ち、今なお父が愛するたった一人の妻である母の名だ。
 
 
 
「姉さま! マルゲリータ姉さま! やはりこちらにおいででしたか」
 
息を切らせながら走ってきたのは私の五つ下の従弟に当たるヴィットリオだ。彼は“現”バリオーニ伯爵である叔父の一人息子で、私を姉のように慕ってくれている。
 
「ええ、お花の綺麗な季節になったから、お母様にもお見せしようと思って」
 
微笑んで答えると、ヴィットリオは屈託なく笑って頷いた。
 
「そんなことなら僕に言って下されば、庭師に命じて一等綺麗な薔薇を摘んでこさせましたものを」
 
「いいのよ、お母様はこの花が一番お好きだと伺ったし、何よりこれはお父様がご自分でお育てになったものですもの」
 
「ああ、それで姉さまのお名も……」
 
無邪気なヴィットリオは明るい瞳を輝かせて私を見る。人々が噂する私の婚約者。若くして自ら位を退いた前伯爵の娘で、次期伯爵夫人と目されている私の領地内での立場は微妙だ。私と彼の婚約は正式なものではないが、家督相続の件で父に引け目を感じているらしい叔父が姪である私と自分の嫡子との婚姻を望んでいることは周知の事実だ。その一方で、叔父の正妻であるヴィットリオの母がそれを快く思っていないことも。
 
 
~~~
 
 
『正妻であられたアマーリア様の、侯爵家の血筋を引いているのならわかります。けれどあんな身分の低い妾の子などと娶せるなんて……!』
 
あれは私が七つか八つのときだった。叔父に呼ばれてヴィットリオの遊び相手を務めに伯爵家の本邸に赴いた際、偶然聞いてしまった言葉。私は己の母が父の“めかけ”と呼ばれるものであったことを、その時初めて知った。
 
一方で叔父はヴィットリオが生まれた直後から、将来私と結婚させることを考えていたらしい。
 
『マルタは優しい娘だった。私は兄上とは四才年が離れていてね、兄上とその取り巻き連中の遊びに混ざろうとすると、必ず腫れものか、みそっかすのような扱いをされたものさ。伯爵家の息子といっても跡取りというわけではなく、ただの“グズでのろまなチビ”に他ならなかったからね。もちろん誰も口に出しては言わなかったけれど、みんなが私を邪魔に思い、あえて私が混ざれないような遊びをしようとするのを知っていた。
けれど、彼女が来てからはそれが変わったんだ。マルタは私の手を引いて兄上たちの輪の中に入れてくれた。
どうしても仲間外れにされてしまったときは彼女が野苺の茂みや、花畑や、とにかく私でも手の届く安全な場所へ連れ出してくれた。そうすると、いつの間にやら兄上が後を追いかけてきて、その後ろにみんながぞろぞろとついてきてね。結局私は“独り”にならずに済んだ。彼女のおかげだよ』
 
そう言って寂しそうに笑う叔父もまた、幼き日の母に想いを寄せていたのかもしれない、と考えてしまうのはいささか邪推が過ぎるだろうか。
 
『兄上とマルタは本当に仲が良かった。二人で姿を消すと誰も追いつけない、どこに行ったのか誰も知らない場所に行ってしまうんだよ。そうして、夕方には泥だらけになったり、ところどころ破けた服を着て帰ってきたものだ。それでも、どんなに叱られても、二人ともとても楽しそうなんだ。私はそんな二人を見ているのが、とても、とても好きだった……』
 
叔父の回顧はいつもそこで止まってしまう。だから私ははっきりとした答えを聞けずにいた。成長した母が何故父の妾となったのか。父が何故爵位を捨てたのか。
 
 
~~~
 
 
寡黙な父に代わって母の思い出を話してくれる相手はもう一人いる。“元”女中のソニアだ。
 
『お母君……マルタ様は、初めは旦那さま……いえ、エドモンド様を初めとする周囲の子供たちに苛められておりました。かくいう私もその中の一人でしたわ。当時の子供たちの中でエドモンド様は絶対的な支配者で、そのエドモンド様に盾突くなんてとても考えられないことでしたもの……。
それなのに、マルタ様はエドモンド様に決して媚びず、むしろ間違いを間違いだとはっきり指摘されるようなご気性の方で。エドモンド様ご本人のお怒りもありましたけれど、子供というのは自分たちと異なる存在を恐怖に感じるものです。随分酷い嫌がらせも……致しました』
 
溜息を吐きだすように紡がれるソニアの言葉に、幼い私はじっと耳を傾けた。
 
『ところがマルタ様は決して卑屈になることなく毅然となさって……エドモンド様もそんなところに惹かれたのでしょう。いつの間にか何をするにもまずはマルタ様に相談なさるようになって。お二人があっという間に仲良くなられて……。私たちはマルタ様を苛めていた手前、あまり素直にお二人の傍に寄っていけなかったのですが、マルタ様はちっとも気にしていないようにこちらにも声をかけて下さって……。このような言い方をすると畏れ多いのかもしれませんが、大好きな友達になりましたわ』
 
どこか遠い目をして、ソニアが笑う。
 
『マルタ様のご両親が亡くなり、遠方のご親族に引き取られていったのが十二のお年……私はマルタ様より一つ年上ですから、その翌年から女中見習いとして伯爵家のお邸にお仕えさせていただくようになりました。そうして四年が経ったあの日……エドモンド様が新しくお建てになった小さなお屋敷への異動を命ぜられたのです』
 
ソニアの瞳が悲しげに濁り、私を見据える。
 
『まさか、その屋敷の主があのマルタ様で、エドモンド様のお妾になるとは思っておりませんでした。それはマルタ様も同様だったらしく、私もマルタ様も互いに酷く戸惑い、特にマルタ様は初め大分憔悴なさっておいでのご様子でした』
 
ソニアは一旦辛そうに話を切り、息を吐く。
 
『けれどマルタ様はある日突然顔を上げ、にこりと微笑まれたのです。
 
『ソニア、昔のように「マルタ」と呼んでちょうだい。“様”なんて付ける必要ないわ。ただでさえ気が滅入るような鳥籠の環境なんですもの。昔のようなあなたの憎まれ口が利けなくなってしまったら、本当にどうかしてしまうわ』
 
と』
 
『本当に、昔の通りのマルタ様でした。笑顔も、口調も全て。だから私は決意したのです。この方の前では、この方が望む限りは、昔のままの“マルタとソニア”の関係を壊さないようにしよう、と』
 
以後、ソニアは父が訪れた時以外は母に対して敬語を使ったり、遠慮をしてみせることは一切しなくなったのだと言う。
 
『マルタ様は優しい方でしたわ。私や他の者の愚かさや過ちも、エドモンド様の我儘やご無体も、全てを受け入れて微笑んでいらっしゃった。最期のときまで……』
 
噛みしめたところから血が滲みそうになっているのを見て、その唇に小さな指をそっと伸ばす。
 
『ねえソニア、おじさまも、あなたも、おかあさまはやさしいかただった、っておっしゃるわ。けれどほんとうにそうなのか、わたしにはわからないの。だって、ほんとうにおやさしいかただったなら、どうしておとうさまをおいていってしまったの? どうしておとうさまに、あんなにかなしいおかおをさせているの?』
 
幼い私の問いかけに、ソニアは一瞬嗚咽を堪えたようだった。
 
『……お父君ではなく、あなたは寂しくないのですか?』
 
『それはもちろんさびしいわ。ヴィットリオや、ほかのみんなにはおかあさまがいるのに、わたしにはいない。わたしもさびしいけれど、おとうさまのほうがもっとさびしがっていらっしゃるようにみえるの』
 
『マルゲリータ様……あなたは瞳の色だけでなく、そういうところまでお母君によく似ておいでなのですね』
 
涙を拭いながらこぼれたソニアの笑顔を、私はよく覚えている。
 
 
~~~
 
 
『おとうさま、おとうさまはおかあさまではないかたをおくさまにしていたことがあったのですか?』
 
“めかけ”という言葉の意味を知ってから初めて、父に問いかけた言葉に父は悲しそうに俯き、小さく頷いた。
 
『お父様は本当に大馬鹿者でね……本当はその時既にお前のお母様を誰よりも愛していたのに、その気持ちに自分では気づくことが出来なかったんだ』
 
『では、おかあさまはおとうさまのおきもちにきづいておいでだったのですか?』
 
私の問いに縋るような切ない眼差しを投げかけ、弱く首を振った父の姿。
 
『手遅れだったのかもしれない……それでもお父様なりに何とかお母様に気持ちを伝えたくて、“あの場所”を造ったんだよ』
 
 
~~~
 
 
木々のざわめきだけが耳を揺らす小高い丘の上。私と同じ名の花で彩られた灰色の石碑。物心つく前から何度となく訪れた、母の墓。少しだけ薄くなっている、そこに彫られた文字をじっと見つめる。さっきまで傍らではしゃいでいたヴィットリオは、少しの間一人にしてほしい、との私の意を汲み取って本邸の方へと戻って行った。
 
私は、父の母への愛を信じている。そうして、娘(わたし)を通じて天国の母に父の想いが通じることを……ここに来るたび、祈り続けている。
 
いつか私も、他人(ひと)を愛するときが来るのだろうか。その相手がヴィットリオでなくとも別に構わない、だからこそ彼との間に正式な婚約を結ばせないのだ、と父は私に告げた。名のある貴族に恋をしたならば、叔父の養女として嫁げば良い。行商人を愛したならば、家族も故郷も捨てて隊商の一員となれば良い。
 
「おまえだけは後悔をするな。愛することを知り、愛されることを学び、幸せになってほしい」
 
それが、『身勝手』な父の願い。
 
「お父様……私は、本当はあなたの幸せを祈り続けていたいのです」
 
それでも、私は父の願いを叶えるために。明日“婚約者”を捨て、あてのない旅路へと赴く。
 
「お別れです、お母様。どうかほんの少しでも、あなたにお父様の愛が届きますように。あなたが、お父様の愛を受け入れて下さいますように」
 
胸の前で手をしっかりと組み、唱えた言葉は少し震えていた。そんな私に応えるように、慰めるように、労わるように柔らかな風が頬を掠める。私の知ることのない『優しい』母の面影が、その風の中に溶けて消えた。





後書き
  番外編『風葬

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私は母を知らない。声も、顔も、肖像画の一つですら聞いたことも見たこともない。知っているのは、ただ目の前の灰色の石に刻まれた名前のみ。
『マルタ・バリオーニ』
それが、私と同じ深い緑色の瞳を持ち、今なお父が愛するたった一人の妻である母の名だ。
 
 
 
「姉さま! マルゲリータ姉さま! やはりこちらにおいででしたか」
 
息を切らせながら走ってきたのは私の五つ下の従弟に当たるヴィットリオだ。彼は“現”バリオーニ伯爵である叔父の一人息子で、私を姉のように慕ってくれている。
 
「ええ、お花の綺麗な季節になったから、お母様にもお見せしようと思って」
 
微笑んで答えると、ヴィットリオは屈託なく笑って頷いた。
 
「そんなことなら僕に言って下されば、庭師に命じて一等綺麗な薔薇を摘んでこさせましたものを」
 
「いいのよ、お母様はこの花が一番お好きだと伺ったし、何よりこれはお父様がご自分でお育てになったものですもの」
 
「ああ、それで姉さまのお名も……」
 
無邪気なヴィットリオは明るい瞳を輝かせて私を見る。人々が噂する私の婚約者。若くして自ら位を退いた前伯爵の娘で、次期伯爵夫人と目されている私の領地内での立場は微妙だ。私と彼の婚約は正式なものではないが、家督相続の件で父に引け目を感じているらしい叔父が姪である私と自分の嫡子との婚姻を望んでいることは周知の事実だ。その一方で、叔父の正妻であるヴィットリオの母がそれを快く思っていないことも。
 
 
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『正妻であられたアマーリア様の、侯爵家の血筋を引いているのならわかります。けれどあんな身分の低い妾の子などと娶せるなんて……!』
 
あれは私が七つか八つのときだった。叔父に呼ばれてヴィットリオの遊び相手を務めに伯爵家の本邸に赴いた際、偶然聞いてしまった言葉。私は己の母が父の“めかけ”と呼ばれるものであったことを、その時初めて知った。
 
一方で叔父はヴィットリオが生まれた直後から、将来私と結婚させることを考えていたらしい。
 
『マルタは優しい娘だった。私は兄上とは四才年が離れていてね、兄上とその取り巻き連中の遊びに混ざろうとすると、必ず腫れものか、みそっかすのような扱いをされたものさ。伯爵家の息子といっても跡取りというわけではなく、ただの“グズでのろまなチビ”に他ならなかったからね。もちろん誰も口に出しては言わなかったけれど、みんなが私を邪魔に思い、あえて私が混ざれないような遊びをしようとするのを知っていた。
けれど、彼女が来てからはそれが変わったんだ。マルタは私の手を引いて兄上たちの輪の中に入れてくれた。
どうしても仲間外れにされてしまったときは彼女が野苺の茂みや、花畑や、とにかく私でも手の届く安全な場所へ連れ出してくれた。そうすると、いつの間にやら兄上が後を追いかけてきて、その後ろにみんながぞろぞろとついてきてね。結局私は“独り”にならずに済んだ。彼女のおかげだよ』
 
そう言って寂しそうに笑う叔父もまた、幼き日の母に想いを寄せていたのかもしれない、と考えてしまうのはいささか邪推が過ぎるだろうか。
 
『兄上とマルタは本当に仲が良かった。二人で姿を消すと誰も追いつけない、どこに行ったのか誰も知らない場所に行ってしまうんだよ。そうして、夕方には泥だらけになったり、ところどころ破けた服を着て帰ってきたものだ。それでも、どんなに叱られても、二人ともとても楽しそうなんだ。私はそんな二人を見ているのが、とても、とても好きだった……』
 
叔父の回顧はいつもそこで止まってしまう。だから私ははっきりとした答えを聞けずにいた。成長した母が何故父の妾となったのか。父が何故爵位を捨てたのか。
 
 
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寡黙な父に代わって母の思い出を話してくれる相手はもう一人いる。“元”女中のソニアだ。
 
『お母君……マルタ様は、初めは旦那さま……いえ、エドモンド様を初めとする周囲の子供たちに苛められておりました。かくいう私もその中の一人でしたわ。当時の子供たちの中でエドモンド様は絶対的な支配者で、そのエドモンド様に盾突くなんてとても考えられないことでしたもの……。
それなのに、マルタ様はエドモンド様に決して媚びず、むしろ間違いを間違いだとはっきり指摘されるようなご気性の方で。エドモンド様ご本人のお怒りもありましたけれど、子供というのは自分たちと異なる存在を恐怖に感じるものです。随分酷い嫌がらせも……致しました』
 
溜息を吐きだすように紡がれるソニアの言葉に、幼い私はじっと耳を傾けた。
 
『ところがマルタ様は決して卑屈になることなく毅然となさって……エドモンド様もそんなところに惹かれたのでしょう。いつの間にか何をするにもまずはマルタ様に相談なさるようになって。お二人があっという間に仲良くなられて……。私たちはマルタ様を苛めていた手前、あまり素直にお二人の傍に寄っていけなかったのですが、マルタ様はちっとも気にしていないようにこちらにも声をかけて下さって……。このような言い方をすると畏れ多いのかもしれませんが、大好きな友達になりましたわ』
 
どこか遠い目をして、ソニアが笑う。
 
『マルタ様のご両親が亡くなり、遠方のご親族に引き取られていったのが十二のお年……私はマルタ様より一つ年上ですから、その翌年から女中見習いとして伯爵家のお邸にお仕えさせていただくようになりました。そうして四年が経ったあの日……エドモンド様が新しくお建てになった小さなお屋敷への異動を命ぜられたのです』
 
ソニアの瞳が悲しげに濁り、私を見据える。
 
『まさか、その屋敷の主があのマルタ様で、エドモンド様のお妾になるとは思っておりませんでした。それはマルタ様も同様だったらしく、私もマルタ様も互いに酷く戸惑い、特にマルタ様は初め大分憔悴なさっておいでのご様子でした』
 
ソニアは一旦辛そうに話を切り、息を吐く。
 
『けれどマルタ様はある日突然顔を上げ、にこりと微笑まれたのです。
 
『ソニア、昔のように「マルタ」と呼んでちょうだい。“様”なんて付ける必要ないわ。ただでさえ気が滅入るような鳥籠の環境なんですもの。昔のようなあなたの憎まれ口が利けなくなってしまったら、本当にどうかしてしまうわ』
 
と』
 
『本当に、昔の通りのマルタ様でした。笑顔も、口調も全て。だから私は決意したのです。この方の前では、この方が望む限りは、昔のままの“マルタとソニア”の関係を壊さないようにしよう、と』
 
以後、ソニアは父が訪れた時以外は母に対して敬語を使ったり、遠慮をしてみせることは一切しなくなったのだと言う。
 
『マルタ様は優しい方でしたわ。私や他の者の愚かさや過ちも、エドモンド様の我儘やご無体も、全てを受け入れて微笑んでいらっしゃった。最期のときまで……』
 
噛みしめたところから血が滲みそうになっているのを見て、その唇に小さな指をそっと伸ばす。
 
『ねえソニア、おじさまも、あなたも、おかあさまはやさしいかただった、っておっしゃるわ。けれどほんとうにそうなのか、わたしにはわからないの。だって、ほんとうにおやさしいかただったなら、どうしておとうさまをおいていってしまったの? どうしておとうさまに、あんなにかなしいおかおをさせているの?』
 
幼い私の問いかけに、ソニアは一瞬嗚咽を堪えたようだった。
 
『……お父君ではなく、あなたは寂しくないのですか?』
 
『それはもちろんさびしいわ。ヴィットリオや、ほかのみんなにはおかあさまがいるのに、わたしにはいない。わたしもさびしいけれど、おとうさまのほうがもっとさびしがっていらっしゃるようにみえるの』
 
『マルゲリータ様……あなたは瞳の色だけでなく、そういうところまでお母君によく似ておいでなのですね』
 
涙を拭いながらこぼれたソニアの笑顔を、私はよく覚えている。
 
 
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『おとうさま、おとうさまはおかあさまではないかたをおくさまにしていたことがあったのですか?』
 
“めかけ”という言葉の意味を知ってから初めて、父に問いかけた言葉に父は悲しそうに俯き、小さく頷いた。
 
『お父様は本当に大馬鹿者でね……本当はその時既にお前のお母様を誰よりも愛していたのに、その気持ちに自分では気づくことが出来なかったんだ』
 
『では、おかあさまはおとうさまのおきもちにきづいておいでだったのですか?』
 
私の問いに縋るような切ない眼差しを投げかけ、弱く首を振った父の姿。
 
『手遅れだったのかもしれない……それでもお父様なりに何とかお母様に気持ちを伝えたくて、“あの場所”を造ったんだよ』
 
 
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木々のざわめきだけが耳を揺らす小高い丘の上。私と同じ名の花で彩られた灰色の石碑。物心つく前から何度となく訪れた、母の墓。少しだけ薄くなっている、そこに彫られた文字をじっと見つめる。さっきまで傍らではしゃいでいたヴィットリオは、少しの間一人にしてほしい、との私の意を汲み取って本邸の方へと戻って行った。
 
私は、父の母への愛を信じている。そうして、娘(わたし)を通じて天国の母に父の想いが通じることを……ここに来るたび、祈り続けている。
 
いつか私も、他人(ひと)を愛するときが来るのだろうか。その相手がヴィットリオでなくとも別に構わない、だからこそ彼との間に正式な婚約を結ばせないのだ、と父は私に告げた。名のある貴族に恋をしたならば、叔父の養女として嫁げば良い。行商人を愛したならば、家族も故郷も捨てて隊商の一員となれば良い。
 
「おまえだけは後悔をするな。愛することを知り、愛されることを学び、幸せになってほしい」
 
それが、『身勝手』な父の願い。
 
「お父様……私は、本当はあなたの幸せを祈り続けていたいのです」
 
それでも、私は父の願いを叶えるために。明日“婚約者”を捨て、あてのない旅路へと赴く。
 
「お別れです、お母様。どうかほんの少しでも、あなたにお父様の愛が届きますように。あなたが、お父様の愛を受け入れて下さいますように」
 
胸の前で手をしっかりと組み、唱えた言葉は少し震えていた。そんな私に応えるように、慰めるように、労わるように柔らかな風が頬を掠める。私の知ることのない『優しい』母の面影が、その風の中に溶けて消えた。





後書き
  番外編『風葬

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