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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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趣味に走りました!ごめんなさい!
5/31をもって宝塚歌劇団を退団される、白羽ゆりさんという
娘役さんが大好きで大好きで・・・彼女のトップお披露目、
そしておそらく今後も代表作と言われるであろう役が、
『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネットなんです。
だからちょっと二次(しかも半ナマ)っぽいかなーと思いつつ、
一ファンとして卒業記念に、ということで書いてしまいました。
なのでこの話のフェルセン様は、彼女の相手役さん二人を
足して割ったイメージを実は少しだけ用いさせていただきました。
だから『ベルばら』よりは若干ドライな感じ・・・になってるかな?(^^;

アニメのセーラでマリーを知り、漫画の『ベルばら』にハマり、
宝塚にハマり、映画も二度観に行き更にはBDに録画保存し・・・というくらい
大好きなネタなんですが、ちゃんと自分なりに消化できたかどうか・・・(-_-;
何度も言っててしつこいかもしれませんが、“綺麗なお馬鹿さん”
でいることは実際とても難しいことだと思うんです。
本当のマリー・アントワネットの姿は後世の人間である私たちには
到底分かりませんが、少なくとも私は“綺麗なお馬鹿さん”の
代表格のように描かれる彼女の姿がとても愛しく思えます。
何と言うか、本当に普通の女の子だっただけだったんだろうなぁ、と。
当時の民衆だったらどう感じたか、というとやっぱりそれは異なるでしょうが。

話の中のことに触れると、フェルセンは何だかんだ言って上品なお貴族様だし、
マリーが周囲を愛しちゃってる姿を見てきたので、やはり自分の彼女への想いも
そうやって愛に昇華する(笑)のが最も理想的で美しい在り方なんだろう、
と信じてきた部分があって。
(というかそうじゃないとマリーと対等でいられない、
好きな女に負けたくない、という男としてのプライドみたいな)
だからマリーが生きている間は、何とか美しい夢を見た自分、
最後まで彼女を“綺麗に”愛し抜けた自分というものを信じ、
心を眠らせた人形でいることができた。
けれどマリーの死によって初めてフェルセンは己の中に噴き出す憎しみや嫉妬、
醜い部分を認めたというか、堪えきれなくなったというか。
同時に残酷なものだと思っていたマリーの“恋”の方がよっぽど簡潔で潔い、
己の信じた“愛”のかたちに近かったことに気づいてしまい
自らの愚かさを嗤う、という筋書きです。(相変わらず分かりにくい)
フェルセンはマリーを愛していたけれど、マリーが最も愛したのは家族や
王族としての誇りでフェルセンへの想いは恋に過ぎなかった、というのは
私の勝手な持論なので、気になった方はスルーでお願いします・・・m(__)m
(恋も十分ディープな感情だろうと思うからこそ、なんですが)

5/19 加筆修正について。
アクセス解析を見ていると、NEWVEL様にて私の名前を検索して
こちらに来ていただいている方が一部おられるようで・・・。
NEWVEL様に登録できる作品は三千字以上、という規定があるため、
掌編やSSSの更新をしてもそういった方には中々ご覧いただけないのではないか、
という点を考慮し、この度『馬鹿な女と愚かな男』を三千字以上に加筆し
改めてNEWVEL様に登録させていただきました。
前々から無断での加筆や修正が多々あるブログですので、
読者の方には多大な誤解や戸惑いを与え非常に申し訳なく思いますが、
未熟な私を広い心で受け入れていただければ、とお願い申し上げますm(__)m

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5/31をもって宝塚歌劇団を退団される、白羽ゆりさんという
娘役さんが大好きで大好きで・・・彼女のトップお披露目、
そしておそらく今後も代表作と言われるであろう役が、
『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネットなんです。
だからちょっと二次(しかも半ナマ)っぽいかなーと思いつつ、
一ファンとして卒業記念に、ということで書いてしまいました。
なのでこの話のフェルセン様は、彼女の相手役さん二人を
足して割ったイメージを実は少しだけ用いさせていただきました。
だから『ベルばら』よりは若干ドライな感じ・・・になってるかな?(^^;

アニメのセーラでマリーを知り、漫画の『ベルばら』にハマり、
宝塚にハマり、映画も二度観に行き更にはBDに録画保存し・・・というくらい
大好きなネタなんですが、ちゃんと自分なりに消化できたかどうか・・・(-_-;
何度も言っててしつこいかもしれませんが、“綺麗なお馬鹿さん”
でいることは実際とても難しいことだと思うんです。
本当のマリー・アントワネットの姿は後世の人間である私たちには
到底分かりませんが、少なくとも私は“綺麗なお馬鹿さん”の
代表格のように描かれる彼女の姿がとても愛しく思えます。
何と言うか、本当に普通の女の子だっただけだったんだろうなぁ、と。
当時の民衆だったらどう感じたか、というとやっぱりそれは異なるでしょうが。

話の中のことに触れると、フェルセンは何だかんだ言って上品なお貴族様だし、
マリーが周囲を愛しちゃってる姿を見てきたので、やはり自分の彼女への想いも
そうやって愛に昇華する(笑)のが最も理想的で美しい在り方なんだろう、
と信じてきた部分があって。
(というかそうじゃないとマリーと対等でいられない、
好きな女に負けたくない、という男としてのプライドみたいな)
だからマリーが生きている間は、何とか美しい夢を見た自分、
最後まで彼女を“綺麗に”愛し抜けた自分というものを信じ、
心を眠らせた人形でいることができた。
けれどマリーの死によって初めてフェルセンは己の中に噴き出す憎しみや嫉妬、
醜い部分を認めたというか、堪えきれなくなったというか。
同時に残酷なものだと思っていたマリーの“恋”の方がよっぽど簡潔で潔い、
己の信じた“愛”のかたちに近かったことに気づいてしまい
自らの愚かさを嗤う、という筋書きです。(相変わらず分かりにくい)
フェルセンはマリーを愛していたけれど、マリーが最も愛したのは家族や
王族としての誇りでフェルセンへの想いは恋に過ぎなかった、というのは
私の勝手な持論なので、気になった方はスルーでお願いします・・・m(__)m
(恋も十分ディープな感情だろうと思うからこそ、なんですが)

5/19 加筆修正について。
アクセス解析を見ていると、NEWVEL様にて私の名前を検索して
こちらに来ていただいている方が一部おられるようで・・・。
NEWVEL様に登録できる作品は三千字以上、という規定があるため、
掌編やSSSの更新をしてもそういった方には中々ご覧いただけないのではないか、
という点を考慮し、この度『馬鹿な女と愚かな男』を三千字以上に加筆し
改めてNEWVEL様に登録させていただきました。
前々から無断での加筆や修正が多々あるブログですので、
読者の方には多大な誤解や戸惑いを与え非常に申し訳なく思いますが、
未熟な私を広い心で受け入れていただければ、とお願い申し上げますm(__)m

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