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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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掌編。救いが無さ過ぎるのでそのうち続きを書きたい・・・。

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あるところにたくましい青年と美しい娘がいました。
仲の良い幼なじみとして育った二人はやがて恋をし、結ばれて幸せに暮らしました――
 
「嘘の中に真実が一つ。真実の中に嘘が一つ。全てが本当。全てが偽り。私たちはどれかしら……」
 
本を閉じて、ミレイユは窓辺に置かれた揺り椅子から立ち上がった。綿菓子のように甘く、ふわりと掴みどころの無い恋愛小説。めでたしめでたしのその先は描かれない、理想的なおとぎ話。ミレイユは視線を鳩時計に移した。蝋燭の火に照らし出された文字盤に頷くと、くるりと踵を返して扉へと向かう。重厚な扉を押し開けば冷たい空気が肌へと刺さる。
廊下へ一歩踏み出せば、若い娘の愛らしい顔が冷徹な女主人のものへと変わる。カツカツカツ……回廊に高く靴音を響かせて、彼女は進む。幾度となく繰り返された戯曲の中で、与えられた役を演じるために。書斎の西隣、書庫となっているはずの部屋の前で立ち止まり息を詰めると、彼女は音を立てて扉を開いた。
 
「きゃあっ、奥様!」
 
「何事だ!? ……ミレイユ」
 
ミレイユの眼前に広がったのは予定調和の光景。ソファの上に裸で抱き合う男女――男の方は彼女の夫であるアンペール伯クロード――生々しい熱気がミレイユの鼻をつく。
 
「また新しい娘に手を出したのね。先日私の小間使いを辞めさせたばかりだというのに」
 
割れた硝子の切っ先のような鋭い眼差しと冷えた声音は、先ほど窓辺で恋物語を読みふけっていた少女の呟きとは思えない。
 
「仕方ないだろう。僕の楽しみを邪魔しないでくれ」
 
端正な顔立ちを歪めながら、クロードは罰が悪そうに妻から顔を逸らして服の前を合わせ始めた。ミレイユは溜息を吐きながら、女に向かって告げた。
 
「……あなたも呆けていないで出て行きなさい。その服はもう着なくて結構よ。それは身もちの正しい優秀な使用人にのみ与えられる服ですから」
 
女は一瞬瞳を潤ませて主人を睨みつけ、逃げるように部屋の外へと駆け出して行った。その背を見送りながら、ミレイユはそっと夫に歩み寄る。
 
「あーぁ、何も着ずに行ってしまったじゃないか。あの娘とは一度しか寝ていないのに」
 
どこかあどけなさの残る声音で悪態をつくクロードの傍に腰掛けようとして、触れたソファに残る温もりにミレイユは顔を顰めた。
 
「伯爵家の当主ともあろう方が、こんなことばかり繰り返していては頭が痛うございます」
 
そんな彼女に向かい視線を彷徨わせたクロードは、ミレイユの固く握りしめられた手を掴んで無理やりソファの上に引き寄せた。
 
「だって君は……僕を愛してくれないだろう?」
 
ソファの上に倒れ込んだミレイユの濃い茶色の瞳を、クロードの鮮やかな青の瞳が射抜く。青の輝きが底知れぬ淵に沈む様を覗きこむ瞬間が、彼女には何より恐ろしい。淵の底にあるものを、ミレイユだけが知っているから。
 
「だってあなたは……お義姉様を愛している」
 
淵に向かって投げ込まれた小石。蝋燭の灯と共に青の水面もまた、ゆらりと揺れた。
 
「……それは言わない約束じゃないか」
 
掠れた声で吐かれた言葉に、ミレイユはふっと笑いながら視線を逸らした。
 
「そうね……そうだったわね、クロード。私は全てを知った上であなたに嫁いだ。古くから親交のある同格の家、仲の良い幼なじみ、誰もが私たちの結婚を望んでいたわ。私の両親も、あなたの両親も、そしてお義姉様も……だから、だからあなたは」
 
滔々と語り続けるミレイユの顎を捉え、クロードはその顔を持ちあげて言葉を続けた。
 
「君に求婚した、僕の妻になってほしいと。全てを知った上で、僕の妻としての役割を果たしてほしいと。美しい伯爵夫人、厳格な女主人、そして優しい母親……」
 
「無理だわ、勝手すぎる。私は……私は、あなたの子どもなんて生みたくない!」
 
クロードの手を振り払って、ミレイユは叫ぶ。
 
「ならば他にどんな方法があった? この家を守り、姉上を安堵させる方法。君だって僕と結婚しなければあのぼんくらを誑しこみでもしない限り、伯爵夫人を名乗ることはできなかっただろうに」
 
「そんな言い方ってないわ! 私は伯爵夫人になりたかったわけじゃない。どうして、どうしてわかってくれないの……!」
 
嗚咽を漏らしたミレイユに、クロードは口を噤んだ。一つ息を吸うと先ほどまでの虚無と冷たさの混じる表情を一変させ、穏やかで柔和な“夫”の顔を作り上げて年若い妻に呼びかけた。
 
「悪かった、ミレイユ……もう興奮するな。お腹の子に、障るだろう?」
 
ミレイユは絶句する。いつもこうだ、彼女の言葉を、夫は聞かない。クロードはミレイユの“真実”を必要としていないのだ! 膨らみかけた腹を優しく撫でる手の温もりに、ミレイユは深い絶望を噛みしめていた。
 
 
~~~
 
 
クロードの実姉――ロジーヌは、既にルクレール侯爵の元へ嫁している。社交界の花と謳われた艶やかな美貌と天真爛漫な気性が魅力的な彼女に、惹かれぬ者はいなかった。幼なじみとして傍らにいつも彼女を仰ぎ見てきたミレイユにとっても、彼女は眩い憧れの存在だったのだ。
 
「姉上から便りがあった。あちらでは今ユリの花が見頃らしい」
 
夕食の席で白い封筒を取り出し、愛しげに見やるクロードにミレイユは顔を俯けた。そんな彼女に、クロードの異母弟にあたるファビアンが暗い眼差しを注ぐ。
 
「それで、姉上はお元気そうなご様子ですか? 兄上」
 
兄の方に向き直ったファビアンは、一転して脇腹の道化らしく朗らかに異母姉の様子を問うた。
 
「ああ……五月には二人目の子どもも生まれるらしい」
 
どこか苦い響きをもって紡がれた言葉に、ファビアンは明るい声を上げる。
 
「ということは、兄上の御子と同い年になりますね。二重にめでたい!」
 
その言葉と同時に、ミレイユは口元を押さえおもむろに立ち上がった。
 
「気分が悪いので……失礼させていただきますわ」
 
「大事な身体だ。きちんと休みなさい」
 
真っ青な顔色の妻に向けられた夫の笑顔は、陶器の仮面のように固く冷たい。足早に食堂を去ったミレイユは寝室に辿りつくなり、寝台にもたれてうつ伏せる。泣こうとしても泣けない、氷のような陶器の面が己の顔にもまた貼り付けられていることに、ミレイユは無意識の内に気づいていた。
 
そうして、どのくらいの時が経った頃だったろう。コンコン、と部屋の扉を叩く音にミレイユが身体を起こすと、扉の隙間から仄かな明りが差し込んでいる。
 
「……どなた?」
 
「私です、義姉上」
 
誰何の声に答えると同時にスルリと部屋に入り込んできたのは不肖の庶子ファビアン。不敵な笑みを浮かべながら近づく彼にミレイユが後ずさると、ファビアンは強い力で彼女の手を掴み、無理やりその身体を引き寄せた。
 
「可哀想なミレイユ……俺と結婚していれば決してこんな目には合わなかったのに」
 
「やめて、離して!」
 
ファビアン――ロジーヌ・クロード姉弟と母親を異にする彼は、十年前にアンペール家に引き取られた。年の近いミレイユはその頃寄宿学校に入っていたクロードや花嫁修業の最中だったロジーヌに代わり、よく屋敷にやってきては彼の面倒を見るよう頼まれていたのだ。それ故か、この歪んだ野心を内に秘めた伯爵家の火種は、彼女が自らの許婚であると勘違いしてしまったらしい。クロードとミレイユの婚約が決まった時から、ファビアンはことあるごとに彼女に迫り、こうして執拗な誘惑を繰り返してきたのだった。
 
「……私と結婚すればこの家が手に入るとでも思ってるの? 残念ね、お義父様はあなたに爵位を譲る気なんて端からお持ちでなかったわ」
 
掴まれた手を払いのけて叫ぶと、ファビアンの整った顔が怒りに歪み、白い頬は赤く染まった。
 
「チッ……あんな変態のどこが伯爵にふさわしいってんだ! おまえも物好きな女だな、絶対に自分を愛さない男を選ぶなんて。そうまでして伯爵夫人の座が欲しいのか?」
 
嘲笑うように吐き捨てるファビアンに、ミレイユは自嘲した。まさかクロードその人にも同じ台詞を言われたとは、さすがの彼も信じまい。
 
「私が欲しいのは地位とは別のもの……けれどクロードと結婚することでしか手に入らないものよ。結婚するまで気づかなかった……いいえ、そうよ、今の今まで気づけなかった! それでもこれだけは言える。あなたには決して、与えることのできないものだと」
 
「このアマ……!」
 
ミレイユの強い眼差しに、激昂したファビアンが襲いかかる。咄嗟に掴んだ枕を盾に、彼女は大声で叫んだ。
 
「出ていって……出ていってよ!」
 
気配に気づいた使用人が廊下の向こうでざわめき出す物音が聞こえ、ファビアンは舌打ちをして掲げていた手を下げた。
 
「俺は諦めないからな……絶対にあいつから奪ってやる。何もかもを……」
 
憎しみを込めた呪詛を残して去るファビアンの背を見送り、ミレイユはその場にへたり込んだ。
 
「わかっていても……どうにもならないことはあるの」
 
扉の向こうに向かって洩れた呟きは彼女の内にじわりと広がり、目尻から一滴の涙が滑り落ちた。クロードは来ない。妻が寝室に籠っても、弟が食堂から姿を消しても――彼は知らないし、知ろうともしないのだ、ミレイユの想いも、ファビアンの野心も、二人の関係も――知っていたところで、きっと……




 

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あるところにたくましい青年と美しい娘がいました。
仲の良い幼なじみとして育った二人はやがて恋をし、結ばれて幸せに暮らしました――
 
「嘘の中に真実が一つ。真実の中に嘘が一つ。全てが本当。全てが偽り。私たちはどれかしら……」
 
本を閉じて、ミレイユは窓辺に置かれた揺り椅子から立ち上がった。綿菓子のように甘く、ふわりと掴みどころの無い恋愛小説。めでたしめでたしのその先は描かれない、理想的なおとぎ話。ミレイユは視線を鳩時計に移した。蝋燭の火に照らし出された文字盤に頷くと、くるりと踵を返して扉へと向かう。重厚な扉を押し開けば冷たい空気が肌へと刺さる。
廊下へ一歩踏み出せば、若い娘の愛らしい顔が冷徹な女主人のものへと変わる。カツカツカツ……回廊に高く靴音を響かせて、彼女は進む。幾度となく繰り返された戯曲の中で、与えられた役を演じるために。書斎の西隣、書庫となっているはずの部屋の前で立ち止まり息を詰めると、彼女は音を立てて扉を開いた。
 
「きゃあっ、奥様!」
 
「何事だ!? ……ミレイユ」
 
ミレイユの眼前に広がったのは予定調和の光景。ソファの上に裸で抱き合う男女――男の方は彼女の夫であるアンペール伯クロード――生々しい熱気がミレイユの鼻をつく。
 
「また新しい娘に手を出したのね。先日私の小間使いを辞めさせたばかりだというのに」
 
割れた硝子の切っ先のような鋭い眼差しと冷えた声音は、先ほど窓辺で恋物語を読みふけっていた少女の呟きとは思えない。
 
「仕方ないだろう。僕の楽しみを邪魔しないでくれ」
 
端正な顔立ちを歪めながら、クロードは罰が悪そうに妻から顔を逸らして服の前を合わせ始めた。ミレイユは溜息を吐きながら、女に向かって告げた。
 
「……あなたも呆けていないで出て行きなさい。その服はもう着なくて結構よ。それは身もちの正しい優秀な使用人にのみ与えられる服ですから」
 
女は一瞬瞳を潤ませて主人を睨みつけ、逃げるように部屋の外へと駆け出して行った。その背を見送りながら、ミレイユはそっと夫に歩み寄る。
 
「あーぁ、何も着ずに行ってしまったじゃないか。あの娘とは一度しか寝ていないのに」
 
どこかあどけなさの残る声音で悪態をつくクロードの傍に腰掛けようとして、触れたソファに残る温もりにミレイユは顔を顰めた。
 
「伯爵家の当主ともあろう方が、こんなことばかり繰り返していては頭が痛うございます」
 
そんな彼女に向かい視線を彷徨わせたクロードは、ミレイユの固く握りしめられた手を掴んで無理やりソファの上に引き寄せた。
 
「だって君は……僕を愛してくれないだろう?」
 
ソファの上に倒れ込んだミレイユの濃い茶色の瞳を、クロードの鮮やかな青の瞳が射抜く。青の輝きが底知れぬ淵に沈む様を覗きこむ瞬間が、彼女には何より恐ろしい。淵の底にあるものを、ミレイユだけが知っているから。
 
「だってあなたは……お義姉様を愛している」
 
淵に向かって投げ込まれた小石。蝋燭の灯と共に青の水面もまた、ゆらりと揺れた。
 
「……それは言わない約束じゃないか」
 
掠れた声で吐かれた言葉に、ミレイユはふっと笑いながら視線を逸らした。
 
「そうね……そうだったわね、クロード。私は全てを知った上であなたに嫁いだ。古くから親交のある同格の家、仲の良い幼なじみ、誰もが私たちの結婚を望んでいたわ。私の両親も、あなたの両親も、そしてお義姉様も……だから、だからあなたは」
 
滔々と語り続けるミレイユの顎を捉え、クロードはその顔を持ちあげて言葉を続けた。
 
「君に求婚した、僕の妻になってほしいと。全てを知った上で、僕の妻としての役割を果たしてほしいと。美しい伯爵夫人、厳格な女主人、そして優しい母親……」
 
「無理だわ、勝手すぎる。私は……私は、あなたの子どもなんて生みたくない!」
 
クロードの手を振り払って、ミレイユは叫ぶ。
 
「ならば他にどんな方法があった? この家を守り、姉上を安堵させる方法。君だって僕と結婚しなければあのぼんくらを誑しこみでもしない限り、伯爵夫人を名乗ることはできなかっただろうに」
 
「そんな言い方ってないわ! 私は伯爵夫人になりたかったわけじゃない。どうして、どうしてわかってくれないの……!」
 
嗚咽を漏らしたミレイユに、クロードは口を噤んだ。一つ息を吸うと先ほどまでの虚無と冷たさの混じる表情を一変させ、穏やかで柔和な“夫”の顔を作り上げて年若い妻に呼びかけた。
 
「悪かった、ミレイユ……もう興奮するな。お腹の子に、障るだろう?」
 
ミレイユは絶句する。いつもこうだ、彼女の言葉を、夫は聞かない。クロードはミレイユの“真実”を必要としていないのだ! 膨らみかけた腹を優しく撫でる手の温もりに、ミレイユは深い絶望を噛みしめていた。
 
 
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クロードの実姉――ロジーヌは、既にルクレール侯爵の元へ嫁している。社交界の花と謳われた艶やかな美貌と天真爛漫な気性が魅力的な彼女に、惹かれぬ者はいなかった。幼なじみとして傍らにいつも彼女を仰ぎ見てきたミレイユにとっても、彼女は眩い憧れの存在だったのだ。
 
「姉上から便りがあった。あちらでは今ユリの花が見頃らしい」
 
夕食の席で白い封筒を取り出し、愛しげに見やるクロードにミレイユは顔を俯けた。そんな彼女に、クロードの異母弟にあたるファビアンが暗い眼差しを注ぐ。
 
「それで、姉上はお元気そうなご様子ですか? 兄上」
 
兄の方に向き直ったファビアンは、一転して脇腹の道化らしく朗らかに異母姉の様子を問うた。
 
「ああ……五月には二人目の子どもも生まれるらしい」
 
どこか苦い響きをもって紡がれた言葉に、ファビアンは明るい声を上げる。
 
「ということは、兄上の御子と同い年になりますね。二重にめでたい!」
 
その言葉と同時に、ミレイユは口元を押さえおもむろに立ち上がった。
 
「気分が悪いので……失礼させていただきますわ」
 
「大事な身体だ。きちんと休みなさい」
 
真っ青な顔色の妻に向けられた夫の笑顔は、陶器の仮面のように固く冷たい。足早に食堂を去ったミレイユは寝室に辿りつくなり、寝台にもたれてうつ伏せる。泣こうとしても泣けない、氷のような陶器の面が己の顔にもまた貼り付けられていることに、ミレイユは無意識の内に気づいていた。
 
そうして、どのくらいの時が経った頃だったろう。コンコン、と部屋の扉を叩く音にミレイユが身体を起こすと、扉の隙間から仄かな明りが差し込んでいる。
 
「……どなた?」
 
「私です、義姉上」
 
誰何の声に答えると同時にスルリと部屋に入り込んできたのは不肖の庶子ファビアン。不敵な笑みを浮かべながら近づく彼にミレイユが後ずさると、ファビアンは強い力で彼女の手を掴み、無理やりその身体を引き寄せた。
 
「可哀想なミレイユ……俺と結婚していれば決してこんな目には合わなかったのに」
 
「やめて、離して!」
 
ファビアン――ロジーヌ・クロード姉弟と母親を異にする彼は、十年前にアンペール家に引き取られた。年の近いミレイユはその頃寄宿学校に入っていたクロードや花嫁修業の最中だったロジーヌに代わり、よく屋敷にやってきては彼の面倒を見るよう頼まれていたのだ。それ故か、この歪んだ野心を内に秘めた伯爵家の火種は、彼女が自らの許婚であると勘違いしてしまったらしい。クロードとミレイユの婚約が決まった時から、ファビアンはことあるごとに彼女に迫り、こうして執拗な誘惑を繰り返してきたのだった。
 
「……私と結婚すればこの家が手に入るとでも思ってるの? 残念ね、お義父様はあなたに爵位を譲る気なんて端からお持ちでなかったわ」
 
掴まれた手を払いのけて叫ぶと、ファビアンの整った顔が怒りに歪み、白い頬は赤く染まった。
 
「チッ……あんな変態のどこが伯爵にふさわしいってんだ! おまえも物好きな女だな、絶対に自分を愛さない男を選ぶなんて。そうまでして伯爵夫人の座が欲しいのか?」
 
嘲笑うように吐き捨てるファビアンに、ミレイユは自嘲した。まさかクロードその人にも同じ台詞を言われたとは、さすがの彼も信じまい。
 
「私が欲しいのは地位とは別のもの……けれどクロードと結婚することでしか手に入らないものよ。結婚するまで気づかなかった……いいえ、そうよ、今の今まで気づけなかった! それでもこれだけは言える。あなたには決して、与えることのできないものだと」
 
「このアマ……!」
 
ミレイユの強い眼差しに、激昂したファビアンが襲いかかる。咄嗟に掴んだ枕を盾に、彼女は大声で叫んだ。
 
「出ていって……出ていってよ!」
 
気配に気づいた使用人が廊下の向こうでざわめき出す物音が聞こえ、ファビアンは舌打ちをして掲げていた手を下げた。
 
「俺は諦めないからな……絶対にあいつから奪ってやる。何もかもを……」
 
憎しみを込めた呪詛を残して去るファビアンの背を見送り、ミレイユはその場にへたり込んだ。
 
「わかっていても……どうにもならないことはあるの」
 
扉の向こうに向かって洩れた呟きは彼女の内にじわりと広がり、目尻から一滴の涙が滑り落ちた。クロードは来ない。妻が寝室に籠っても、弟が食堂から姿を消しても――彼は知らないし、知ろうともしないのだ、ミレイユの想いも、ファビアンの野心も、二人の関係も――知っていたところで、きっと……




 

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