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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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『源氏物語』モチーフSSS。今上帝と明石中宮と六条院(源氏)。

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「ちい姫」
 
ふと耳に木霊した声に、脇息にもたれてまどろんでいた少女――明石の中宮と呼ばれるその人は目を開いた。起き上がって振り向けば、今上の位に就く青年が、悪戯を成功させた子どものような顔で笑っていた。
 
「何です、主上(おかみ)。どこでその名をお耳に入れられましたの?」
 
少し怒ったように頬をふくらますと、そのふくらみを潰すように彼の手が伸びた。
 
「六条院(ろくじょうのいん)が教えて下さった」
 
クスクスと笑いながら悪戯を繰り返す手をつかみ、中宮は溜息を吐いた。
 
「全く、お父様はいらぬことばかり……」
 
「本当にそうかもしれぬ」
 
突然、真顔でそう呟いた夫に、中宮は目を瞠ってその面を見返した。
 
「中宮、実は……藤壺が懐妊した」
 
「まぁ、それは……おめでとうございます」
 
藤壺女御――かつて麗景殿に居を構えていたその人は、中宮の父である六条院の呼びかけに応じ、彼女とほぼ時を同じくして入内した妃であった。とはいえ、今上が梨壺に在った東宮時代から彼の寵をほぼ独占していたのは今の中宮であり、皇子や皇女たちの全てが彼女の腹から生まれていた。彼女以外の妃が帝の子を身ごもるのは初めてのことなのだ。中宮の表情(かお)に、祈るような思いで動揺の色を探していた帝は、常と変らぬ穏やかな態で祝いの言葉を返した彼女にいささか落胆した。

いつもこうなのだ。新しい妃を迎えても、暫し夜離(よが)れてみても中宮は少しも変わらず、和やかな微笑を湛えて帝を迎える。里に帰れば帰ったで、こちらがどれほど「恋しい、会いたい」と文を書き送ってもてんで無視して“この世の楽園”と言われる六条院に籠ってしまう。自分はこの人から真の意味では愛されていないのではないか、未だ年若い帝は時たまそんな不安に襲われる。それでも、目の前の彼女は母となった女性(ひと)とは思われぬほどに愛らしくて――結局、想うことを止められはしないのだ。この女性を后として得られたこと、その一点において、彼は心から己が帝の位に在ることに感謝していた。少なくとも傍に置いておくためには、至高の位に在る者とその伴侶というのはこの上ない理由付けになる。幾ばくかの虚しさや惨めさは取るに足らないこと、帝はそう己に言い聞かせた。
 
 
~~~
 
 
「六条院は朕の心を中宮に縛るためにあのような手を打ったのだ、と感じてしまう時があるぞ」
 
四十を越えるというのに艶やかさを失わぬ叔父の姿に、帝の口からは思わず恨み事が漏れた。
 
「おや、これは心外な。どういう意味にございましょう?」
 
六条院――かつて光源氏と呼ばれた、中宮の父たるその人は余裕綽々といった態で仏頂面の甥に応じた。
 
「あなたが他の妃の入内を勧めるから、朕は中宮以外の元へも通わねばならなくなる。けれど中宮ではない女子(おなご)と逢った後は……必ず、中宮に会いたくなる」
 
顔を真っ赤にした青年の様子に、壮年の色男は驚いたように目を見開き、そして微笑った。
 
「それはそれは、あの娘(こ)の父としてこれほど嬉しいことはございませんな」
 
「また……あなたは朕をからかうのだな!」
 
悔しそうに己を睨みつける帝の言葉に、六条院は目を細めた。
 
「いいえ主上……私はただ、あなた様が羨ましくなってしまっただけなのです。主上にはちゃんと、帰る場所がおありになる。それはとても幸せなことです」
 
いつに無く真面目な調子で語りかける院に、今度は帝の方が目を瞠った。
 
「帰る場所を持たぬ男は、いいえ、帰りたい場所に帰ることができない人間は永遠に旅を続けるしかありません。自分の帰りを待ち望んでいる人の存在を知りながら、ね……」
 
哀しい声音で紡がれた言葉が、帝の胸を強く打った。
 
「中宮はまだ幼い。お心を悩ますこともおありでしょうが、いつか気づくでしょう。己の元に帰る存在のあることが、いかに幸福なことか……」
 
私は、愛する人にその幸福を与えてあげられなかったから――
 
途切れた言葉の向こうにそんな囁きを聞いた気がして、帝は俯いた。
 
「約束する。朕は、あなたの娘を不幸にはしない」
 
決然とした声に、六条院はわかっている、と言うように頷いた。心を得たいなどと言うのは傲慢だが、彼女を幸せに導く権利は既に彼一人の手に託されてしまったのだ。栄耀栄華を手にしながら真に求めたものを得られなかった男の、身勝手な願いによって。それに気づいたことがこんなにも悲しいのは、目の前の男の瞳が余りにも切ないから。自分を、父を、それから祖父を心から羨む彼の想いに気づいてしまったから。目頭の熱に気づかれぬよう、帝は顔を伏せたまま六条院の退出を待った。消えること無き想いに後ろめたさを覚えたのは、それが初めてのことだった。







後書き

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「ちい姫」
 
ふと耳に木霊した声に、脇息にもたれてまどろんでいた少女――明石の中宮と呼ばれるその人は目を開いた。起き上がって振り向けば、今上の位に就く青年が、悪戯を成功させた子どものような顔で笑っていた。
 
「何です、主上(おかみ)。どこでその名をお耳に入れられましたの?」
 
少し怒ったように頬をふくらますと、そのふくらみを潰すように彼の手が伸びた。
 
「六条院(ろくじょうのいん)が教えて下さった」
 
クスクスと笑いながら悪戯を繰り返す手をつかみ、中宮は溜息を吐いた。
 
「全く、お父様はいらぬことばかり……」
 
「本当にそうかもしれぬ」
 
突然、真顔でそう呟いた夫に、中宮は目を瞠ってその面を見返した。
 
「中宮、実は……藤壺が懐妊した」
 
「まぁ、それは……おめでとうございます」
 
藤壺女御――かつて麗景殿に居を構えていたその人は、中宮の父である六条院の呼びかけに応じ、彼女とほぼ時を同じくして入内した妃であった。とはいえ、今上が梨壺に在った東宮時代から彼の寵をほぼ独占していたのは今の中宮であり、皇子や皇女たちの全てが彼女の腹から生まれていた。彼女以外の妃が帝の子を身ごもるのは初めてのことなのだ。中宮の表情(かお)に、祈るような思いで動揺の色を探していた帝は、常と変らぬ穏やかな態で祝いの言葉を返した彼女にいささか落胆した。

いつもこうなのだ。新しい妃を迎えても、暫し夜離(よが)れてみても中宮は少しも変わらず、和やかな微笑を湛えて帝を迎える。里に帰れば帰ったで、こちらがどれほど「恋しい、会いたい」と文を書き送ってもてんで無視して“この世の楽園”と言われる六条院に籠ってしまう。自分はこの人から真の意味では愛されていないのではないか、未だ年若い帝は時たまそんな不安に襲われる。それでも、目の前の彼女は母となった女性(ひと)とは思われぬほどに愛らしくて――結局、想うことを止められはしないのだ。この女性を后として得られたこと、その一点において、彼は心から己が帝の位に在ることに感謝していた。少なくとも傍に置いておくためには、至高の位に在る者とその伴侶というのはこの上ない理由付けになる。幾ばくかの虚しさや惨めさは取るに足らないこと、帝はそう己に言い聞かせた。
 
 
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「六条院は朕の心を中宮に縛るためにあのような手を打ったのだ、と感じてしまう時があるぞ」
 
四十を越えるというのに艶やかさを失わぬ叔父の姿に、帝の口からは思わず恨み事が漏れた。
 
「おや、これは心外な。どういう意味にございましょう?」
 
六条院――かつて光源氏と呼ばれた、中宮の父たるその人は余裕綽々といった態で仏頂面の甥に応じた。
 
「あなたが他の妃の入内を勧めるから、朕は中宮以外の元へも通わねばならなくなる。けれど中宮ではない女子(おなご)と逢った後は……必ず、中宮に会いたくなる」
 
顔を真っ赤にした青年の様子に、壮年の色男は驚いたように目を見開き、そして微笑った。
 
「それはそれは、あの娘(こ)の父としてこれほど嬉しいことはございませんな」
 
「また……あなたは朕をからかうのだな!」
 
悔しそうに己を睨みつける帝の言葉に、六条院は目を細めた。
 
「いいえ主上……私はただ、あなた様が羨ましくなってしまっただけなのです。主上にはちゃんと、帰る場所がおありになる。それはとても幸せなことです」
 
いつに無く真面目な調子で語りかける院に、今度は帝の方が目を瞠った。
 
「帰る場所を持たぬ男は、いいえ、帰りたい場所に帰ることができない人間は永遠に旅を続けるしかありません。自分の帰りを待ち望んでいる人の存在を知りながら、ね……」
 
哀しい声音で紡がれた言葉が、帝の胸を強く打った。
 
「中宮はまだ幼い。お心を悩ますこともおありでしょうが、いつか気づくでしょう。己の元に帰る存在のあることが、いかに幸福なことか……」
 
私は、愛する人にその幸福を与えてあげられなかったから――
 
途切れた言葉の向こうにそんな囁きを聞いた気がして、帝は俯いた。
 
「約束する。朕は、あなたの娘を不幸にはしない」
 
決然とした声に、六条院はわかっている、と言うように頷いた。心を得たいなどと言うのは傲慢だが、彼女を幸せに導く権利は既に彼一人の手に託されてしまったのだ。栄耀栄華を手にしながら真に求めたものを得られなかった男の、身勝手な願いによって。それに気づいたことがこんなにも悲しいのは、目の前の男の瞳が余りにも切ないから。自分を、父を、それから祖父を心から羨む彼の想いに気づいてしまったから。目頭の熱に気づかれぬよう、帝は顔を伏せたまま六条院の退出を待った。消えること無き想いに後ろめたさを覚えたのは、それが初めてのことだった。







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