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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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(一応)五万打記念。和中折衷異世界物、悲恋・・・?

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雲雀の鳴く声に、万凛(まりん)は目を覚ました。鉄格子の向こうに覗く空からは、一筋の光が差し込んでいる。
 
「また、朝が来た……」
 
どんな時も日は昇るものだ。自嘲するように微笑むと、肌蹴た夜着の前を合わせる。視界の隅に映る痣を、黒い瞳は無表情に見つめていた。連綿と続く五万(ごうま)の国の、第二十代皇帝にして初の女帝である彼女は、今囚われの身であった――
 
万凛は元々第十八代皇帝万樹(まんじゅ)の三女として生を受けた。運命が最初の転換点を迎えたのは、彼女が七つの年。父が死んだ。宴の席で突然血を吐いて斃れた理由は、彼の後を継いで第十九代皇帝に即位した弟・万貴(ばんき)により盛られた猛毒だったと言われている。
そうしてその万貴は、彼女の母まで奪っていった。好色で名を馳せた彼は前皇帝の妃たちに後宮を辞すことを許さなかった。ことに、美貌で名高かった万凜の母、深朱(みあけ)は慰留を求められ、皇女という地位を失った娘を泣く泣く手放さざるを得なかった。前皇帝の子女はことごとく辺境の地への流転を強いられ、万凜自身も貴族とは名ばかりの許婚を与えられてその領地へ赴くことになった。
 
「万凜、万凜、生きるのですよ、強く、強く……。母は、いつでもお前のことを思っています……」
 
涙ながらに己を抱きしめた母の細い腕の温もりを胸に、万凜は都を離れた。そうして、遥か果ての地で彼女に、一つの出会いが訪れる。紅橋(こうきょう)伯開唯(かいい)と名乗ったその少年は、彼女の許婚として用意された相手だった。穏やかな物腰に真摯な眼差し、誠実な態をもって皇女であった少女に仕えた彼は、その信頼と愛情を勝ち取った。
幼い万凜にとって開唯はただ一人の友であり、味方であった。また少年にとっても、突如現れた愛らしい少女はこの世でたった一つ守るべき宝となった。二人は想い合い、支え合い、共に野望を抱く同志となった。いつの日か万凛の父の仇を討ち、母を取り戻すという野望を――
 
「夢は所詮夢、か……」
 
呟いて空を見上げた万凜の表情(かお)が曇る。彼女の野望は現実となった。第十九代五万皇帝万貴はその姪によって皇位を追われ、万凜は女帝として即位した。だが、その時――彼女の傍らにいるはずだった開唯は、既に冷たい土の下に眠っていた。開唯は彼女を庇ったのだ。飛びかかってくる万貴の手から、彼女をその背に守って太刀を受けた。溢れ出るその血を、万凜は今でも忘れられない。
 
「開唯……」
 
愛したひと。決して忘れることのできない、失うべからざるひと。万凜は片時も手放すことのできない守り袋を握りしめた。幼き日、母と別れて都を出る際、母が持たせてくれたそれには母の髪と、そして今では故人となった開唯の遺髪が納められていた。
 
「此処でその名を呼ぶのはやめていただきたいと、何度も申し上げたはずですが」
 
人の気配のほとんどしないその牢獄のような部屋に、低い声が響いた。万凛は振り返る。視界の端に映ったのは、鷹のように鋭い目をした一人の男だった。彼こそが万凛をこの牢獄に閉じ込めた奸臣・左将軍五貞(いつさだ)。万凜が紅橋の地に開唯と共に在った頃から、彼女に仕え、その即位に一方ならぬ貢献を示してくれた有能な武人だ。その彼が何故このような暴挙に出たのか、万凜には負い目を感じるところもある。
 
「宮からの便りはまだか。皆が案じておろう」
 
それでも顔を上げて真っ直ぐにその瞳を見れば、五貞は鼻で笑った。
 
「何を今更。そのようなもの、届いていたところで私があなたにお見せするとお思いか?」
 
万凜は彼を睨んだ。傷つくことを知らぬ、強い、深い眼差し。五貞が真に忠誠を誓っていたのは、或いは亡き開唯であったかもしれぬ。初めはその開唯の臣として許婚の万凜を助け、その死後よるべなき忠義を万凜に捧げざるを得なかったのかもしれぬ。開唯の妻になるはずだった女として、彼の新しい主として、万凜は彼の理想通り凛としてたくましく、正しき皇帝のあるべき姿を示さねばならなかった。
だが万凜は……彼の期待を裏切ったのかもしれなかった。彼の課した試練に、施した罠に墜ちたのかもしれなかった。開唯が亡くなって以後、度々……万凜は、この忠臣と褥を共にするようになっていたのだから。
 
初めは無理やりであったのかもしれない。悲しみに堪え切れず、夜が来る度酒に溺れる万凜の元へ、五貞がしのんで来たあの日。
 
「こんなことをなさって亡き伯が喜ばれるとお思いですか、早くご自身のお幸せをお考えください――」
 
お決まりの科白を吐かれるものと思っていた万凜を、青年は無言のまま押し倒した。武人とは思えぬ優美な物腰を誇る五貞の周囲に艶聞の絶えぬこと、宮の女官たちがこぞって彼の出仕にさざめき立つことは知っていたが、万凜は目の前の現実に混乱し抗った。
 
「やめろ、嫌じゃ、五貞! わらわはあの方だけを愛しているのじゃ……他の者に身を許すなど耐えられぬ!」
 
「そこまでの覚悟がおありなら、一分の隙も見せられますな。あなたは余りに美しく、余りに脆い。一度だけでも私を、最後まで拒んでみると良い」
 
己の知らぬ力強い腕の中で、万凜は涙をこぼした。そうして、そんな夜が幾度か重なったその日、万凜が行幸した蓮華公荘で、左将軍は乱を起こしたのである。左将軍の軍は公荘を取り囲み、皇帝である万凜の身柄は五貞の手に落ちた。皇帝の身を人質に取られた皇宮は身動きが取れず、皇朝の実権は左将軍が握ったも同然の状態になっていた。
 
万凜はいつ殺されるとも分からぬ身、だが一方で五貞が決して己を殺すはずはない、と疑いもせず信じていた。矛盾である。五貞は確かに万凜を捕えた。謀反の後、万凜は皇宮への連絡は愚か誰とも――五貞以外の誰とも、口を利いてはいない。五貞は万凜をこの部屋へ閉じ込め、厳重な見張りを付けている。そうしてまた毎日欠かすことなくその部屋を訪れ、戯れのようにその腕に抱く。万凜はそんな日々に慣れつつある。
 
艶やかな美貌を謳われ、覇気に富んだ野心家でもあったはずの女がこうして囲い者のような扱いに甘んじるのか――人は嗤うだろう。或いは五貞は、そんな彼女の自尊心に火を付けたいのかもしれない。そう思うことすら自惚れだろうか。万凜は視線を宙に漂わせた。
 
「何を考えておいでですか……?」
 
かさついた武人の手が肌を滑る。嫌悪は感じなかった。開唯への想いは、少しも変わることなく万凛の胸の内に宿り続けている。だが五貞に対してもまた、理性で割り切れぬ感情が芽生えている。そうでなければとうにここから逃げ出していることを、女帝は確かに自覚していた。
 
「そなたの目的は何か、と思うての。わらわの過ちは何か、という問いでも良い。もしかしたら何も、間違ってなどおらぬのかもしれぬが……」
 
「あなたにとって最大の過ちは、紅橋伯(あのかた)を死なせたことだ」
 
俯いた女帝の震える唇を、五貞は捉えた。切れ長の目に激情が宿り、己れでも御しきれぬそれを誤魔化すかのように、五貞は紅い唇を貪った。救われぬことを、彼も彼女も解っていた。
 
事態が動いたのは、万凜が公荘に捉われて二月が過ぎたころのことだった。皇従兄万佳(まさよし)と、右将軍滝清(そうしん)の連合軍が蓮華公荘に侵攻したのである。数の上では無論、ましてや不当に皇帝を勾留している、との認識がある五貞軍の士気は低く、戦況は日に日に左将軍にとって不利なものと変化していった。当然、五貞が万凜の元を訪れる機会も減っていった。今や見張りは、思いつめた彼の部下から彼女を守るために五貞が残していったもののように、万凜には思われた。そんな哀れな見張りの断末魔の声が、彼女の耳に響く。もはやこれまで、と覚悟を決めた彼女の前に現れたのは、懐かしい従兄だった。
 
「陛下、よくぞご無事で……」
 
涙ぐむ万佳に、万凜は白い手を差し出した。我が身を省みず彼女を助けに来た彼に、皇帝として応えるべき道は他に無かったのだ。万佳の手に引かれながら、万凜は一度だけ振り向いた。二月――彼女が何も知らない、何も手にしていないただの女のように過ごしたその部屋を、感慨を込めて漆黒の双眸が射抜いた。苦楽を共にした忠臣との別れを、女帝は本能で感じていた。
 
反乱軍は右将軍により壊滅し、奸臣は公荘の広間にて斃れた。
 
「陛下、裏切るな。万凜さま、囚われてはならぬ」
 
それが、最後の言葉だった。誰に対して、何に対しての言葉なのか。矛盾は、余りにも大きすぎた。
 
「皇帝に望むものと、わらわに求めるものが乖離している。厄介な男だった……」
 
一度ならず情を交わした男に向けられた女帝の言は、或いは冷たいものであったのかもしれない。けれどその瞳が熱く潤む様を、傍らにいた皇従兄は見ていた。
 
「万佳、あなたに一つ頼みがある……酷な願いじゃ。我が子の父に、なってほしい」
 
美しい女帝は、静かな眼差しをその従兄に向けていた。皇族の中で只一人彼女の側についてくれた、亡き婚約者にも似た穏やかな眼差しを持つ清廉な若者に。万佳は頷いた。真実は必要ではなかった。彼自身が、少年の日から宿した想いに、誓った誠に嘘をつくことを厭うたから。
 
その後、第二十代五万皇帝万凜は皇従兄万佳を夫に迎え、一子を生した。だが玉のような男子を産み終えて後、女帝は産褥の床につき間もなく崩御してしまう。亡骸は、遺言により紅橋伯開唯の傍らに、ひっそりと葬られることになった――
 
「あなたの愛は、どこにあったのでしょうか、陛下……」
 
女帝の唯一の夫となった男は、許婚であった男と共に眠る妻に向けて呟いた。彼に残されたものは、父の役目と、後継の位。彼は今まで、正義の存在を信じていた。彼の愛の赴く先、彼の誠の証とそれが同一のものだと信じていた。だが溢れ出づる哀しみは、彼にそれが真実ではないことを教えていた。必要としなかったはずの真実の重みを、青年はそのとき初めて知ったのだった。






後書き
  番外編『真と誠

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雲雀の鳴く声に、万凛(まりん)は目を覚ました。鉄格子の向こうに覗く空からは、一筋の光が差し込んでいる。
 
「また、朝が来た……」
 
どんな時も日は昇るものだ。自嘲するように微笑むと、肌蹴た夜着の前を合わせる。視界の隅に映る痣を、黒い瞳は無表情に見つめていた。連綿と続く五万(ごうま)の国の、第二十代皇帝にして初の女帝である彼女は、今囚われの身であった――
 
万凛は元々第十八代皇帝万樹(まんじゅ)の三女として生を受けた。運命が最初の転換点を迎えたのは、彼女が七つの年。父が死んだ。宴の席で突然血を吐いて斃れた理由は、彼の後を継いで第十九代皇帝に即位した弟・万貴(ばんき)により盛られた猛毒だったと言われている。
そうしてその万貴は、彼女の母まで奪っていった。好色で名を馳せた彼は前皇帝の妃たちに後宮を辞すことを許さなかった。ことに、美貌で名高かった万凜の母、深朱(みあけ)は慰留を求められ、皇女という地位を失った娘を泣く泣く手放さざるを得なかった。前皇帝の子女はことごとく辺境の地への流転を強いられ、万凜自身も貴族とは名ばかりの許婚を与えられてその領地へ赴くことになった。
 
「万凜、万凜、生きるのですよ、強く、強く……。母は、いつでもお前のことを思っています……」
 
涙ながらに己を抱きしめた母の細い腕の温もりを胸に、万凜は都を離れた。そうして、遥か果ての地で彼女に、一つの出会いが訪れる。紅橋(こうきょう)伯開唯(かいい)と名乗ったその少年は、彼女の許婚として用意された相手だった。穏やかな物腰に真摯な眼差し、誠実な態をもって皇女であった少女に仕えた彼は、その信頼と愛情を勝ち取った。
幼い万凜にとって開唯はただ一人の友であり、味方であった。また少年にとっても、突如現れた愛らしい少女はこの世でたった一つ守るべき宝となった。二人は想い合い、支え合い、共に野望を抱く同志となった。いつの日か万凛の父の仇を討ち、母を取り戻すという野望を――
 
「夢は所詮夢、か……」
 
呟いて空を見上げた万凜の表情(かお)が曇る。彼女の野望は現実となった。第十九代五万皇帝万貴はその姪によって皇位を追われ、万凜は女帝として即位した。だが、その時――彼女の傍らにいるはずだった開唯は、既に冷たい土の下に眠っていた。開唯は彼女を庇ったのだ。飛びかかってくる万貴の手から、彼女をその背に守って太刀を受けた。溢れ出るその血を、万凜は今でも忘れられない。
 
「開唯……」
 
愛したひと。決して忘れることのできない、失うべからざるひと。万凜は片時も手放すことのできない守り袋を握りしめた。幼き日、母と別れて都を出る際、母が持たせてくれたそれには母の髪と、そして今では故人となった開唯の遺髪が納められていた。
 
「此処でその名を呼ぶのはやめていただきたいと、何度も申し上げたはずですが」
 
人の気配のほとんどしないその牢獄のような部屋に、低い声が響いた。万凛は振り返る。視界の端に映ったのは、鷹のように鋭い目をした一人の男だった。彼こそが万凛をこの牢獄に閉じ込めた奸臣・左将軍五貞(いつさだ)。万凜が紅橋の地に開唯と共に在った頃から、彼女に仕え、その即位に一方ならぬ貢献を示してくれた有能な武人だ。その彼が何故このような暴挙に出たのか、万凜には負い目を感じるところもある。
 
「宮からの便りはまだか。皆が案じておろう」
 
それでも顔を上げて真っ直ぐにその瞳を見れば、五貞は鼻で笑った。
 
「何を今更。そのようなもの、届いていたところで私があなたにお見せするとお思いか?」
 
万凜は彼を睨んだ。傷つくことを知らぬ、強い、深い眼差し。五貞が真に忠誠を誓っていたのは、或いは亡き開唯であったかもしれぬ。初めはその開唯の臣として許婚の万凜を助け、その死後よるべなき忠義を万凜に捧げざるを得なかったのかもしれぬ。開唯の妻になるはずだった女として、彼の新しい主として、万凜は彼の理想通り凛としてたくましく、正しき皇帝のあるべき姿を示さねばならなかった。
だが万凜は……彼の期待を裏切ったのかもしれなかった。彼の課した試練に、施した罠に墜ちたのかもしれなかった。開唯が亡くなって以後、度々……万凜は、この忠臣と褥を共にするようになっていたのだから。
 
初めは無理やりであったのかもしれない。悲しみに堪え切れず、夜が来る度酒に溺れる万凜の元へ、五貞がしのんで来たあの日。
 
「こんなことをなさって亡き伯が喜ばれるとお思いですか、早くご自身のお幸せをお考えください――」
 
お決まりの科白を吐かれるものと思っていた万凜を、青年は無言のまま押し倒した。武人とは思えぬ優美な物腰を誇る五貞の周囲に艶聞の絶えぬこと、宮の女官たちがこぞって彼の出仕にさざめき立つことは知っていたが、万凜は目の前の現実に混乱し抗った。
 
「やめろ、嫌じゃ、五貞! わらわはあの方だけを愛しているのじゃ……他の者に身を許すなど耐えられぬ!」
 
「そこまでの覚悟がおありなら、一分の隙も見せられますな。あなたは余りに美しく、余りに脆い。一度だけでも私を、最後まで拒んでみると良い」
 
己の知らぬ力強い腕の中で、万凜は涙をこぼした。そうして、そんな夜が幾度か重なったその日、万凜が行幸した蓮華公荘で、左将軍は乱を起こしたのである。左将軍の軍は公荘を取り囲み、皇帝である万凜の身柄は五貞の手に落ちた。皇帝の身を人質に取られた皇宮は身動きが取れず、皇朝の実権は左将軍が握ったも同然の状態になっていた。
 
万凜はいつ殺されるとも分からぬ身、だが一方で五貞が決して己を殺すはずはない、と疑いもせず信じていた。矛盾である。五貞は確かに万凜を捕えた。謀反の後、万凜は皇宮への連絡は愚か誰とも――五貞以外の誰とも、口を利いてはいない。五貞は万凜をこの部屋へ閉じ込め、厳重な見張りを付けている。そうしてまた毎日欠かすことなくその部屋を訪れ、戯れのようにその腕に抱く。万凜はそんな日々に慣れつつある。
 
艶やかな美貌を謳われ、覇気に富んだ野心家でもあったはずの女がこうして囲い者のような扱いに甘んじるのか――人は嗤うだろう。或いは五貞は、そんな彼女の自尊心に火を付けたいのかもしれない。そう思うことすら自惚れだろうか。万凜は視線を宙に漂わせた。
 
「何を考えておいでですか……?」
 
かさついた武人の手が肌を滑る。嫌悪は感じなかった。開唯への想いは、少しも変わることなく万凛の胸の内に宿り続けている。だが五貞に対してもまた、理性で割り切れぬ感情が芽生えている。そうでなければとうにここから逃げ出していることを、女帝は確かに自覚していた。
 
「そなたの目的は何か、と思うての。わらわの過ちは何か、という問いでも良い。もしかしたら何も、間違ってなどおらぬのかもしれぬが……」
 
「あなたにとって最大の過ちは、紅橋伯(あのかた)を死なせたことだ」
 
俯いた女帝の震える唇を、五貞は捉えた。切れ長の目に激情が宿り、己れでも御しきれぬそれを誤魔化すかのように、五貞は紅い唇を貪った。救われぬことを、彼も彼女も解っていた。
 
事態が動いたのは、万凜が公荘に捉われて二月が過ぎたころのことだった。皇従兄万佳(まさよし)と、右将軍滝清(そうしん)の連合軍が蓮華公荘に侵攻したのである。数の上では無論、ましてや不当に皇帝を勾留している、との認識がある五貞軍の士気は低く、戦況は日に日に左将軍にとって不利なものと変化していった。当然、五貞が万凜の元を訪れる機会も減っていった。今や見張りは、思いつめた彼の部下から彼女を守るために五貞が残していったもののように、万凜には思われた。そんな哀れな見張りの断末魔の声が、彼女の耳に響く。もはやこれまで、と覚悟を決めた彼女の前に現れたのは、懐かしい従兄だった。
 
「陛下、よくぞご無事で……」
 
涙ぐむ万佳に、万凜は白い手を差し出した。我が身を省みず彼女を助けに来た彼に、皇帝として応えるべき道は他に無かったのだ。万佳の手に引かれながら、万凜は一度だけ振り向いた。二月――彼女が何も知らない、何も手にしていないただの女のように過ごしたその部屋を、感慨を込めて漆黒の双眸が射抜いた。苦楽を共にした忠臣との別れを、女帝は本能で感じていた。
 
反乱軍は右将軍により壊滅し、奸臣は公荘の広間にて斃れた。
 
「陛下、裏切るな。万凜さま、囚われてはならぬ」
 
それが、最後の言葉だった。誰に対して、何に対しての言葉なのか。矛盾は、余りにも大きすぎた。
 
「皇帝に望むものと、わらわに求めるものが乖離している。厄介な男だった……」
 
一度ならず情を交わした男に向けられた女帝の言は、或いは冷たいものであったのかもしれない。けれどその瞳が熱く潤む様を、傍らにいた皇従兄は見ていた。
 
「万佳、あなたに一つ頼みがある……酷な願いじゃ。我が子の父に、なってほしい」
 
美しい女帝は、静かな眼差しをその従兄に向けていた。皇族の中で只一人彼女の側についてくれた、亡き婚約者にも似た穏やかな眼差しを持つ清廉な若者に。万佳は頷いた。真実は必要ではなかった。彼自身が、少年の日から宿した想いに、誓った誠に嘘をつくことを厭うたから。
 
その後、第二十代五万皇帝万凜は皇従兄万佳を夫に迎え、一子を生した。だが玉のような男子を産み終えて後、女帝は産褥の床につき間もなく崩御してしまう。亡骸は、遺言により紅橋伯開唯の傍らに、ひっそりと葬られることになった――
 
「あなたの愛は、どこにあったのでしょうか、陛下……」
 
女帝の唯一の夫となった男は、許婚であった男と共に眠る妻に向けて呟いた。彼に残されたものは、父の役目と、後継の位。彼は今まで、正義の存在を信じていた。彼の愛の赴く先、彼の誠の証とそれが同一のものだと信じていた。だが溢れ出づる哀しみは、彼にそれが真実ではないことを教えていた。必要としなかったはずの真実の重みを、青年はそのとき初めて知ったのだった。






後書き
  番外編『真と誠

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