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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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和風ファンタジー。拍手ログ。


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東の果て、日の国。
統べるは帝、祈るは神官、守るは衛士(えじ)。
帝に仕える三貴族。
大臣(おとど)を出すのは無(なし)の家。
神通優れる然(ねん)の家。
歌い踊るは色(しき)の家。
今上には弟御が二人。皇太子(ひつぎのみこ)たる知瀬宮(ちせのみや)、
兵部卿(ひょうぶきょう)たる鏡宮(かがみのみや)。
後宮に数多妃は侍れど、皇子は未だお生まれにならず。
才溢れる帝の元、ただ春の日は虚しく輝く。
実りを知らず、花は散る。


~~~


「あっ、扇が……」

ポチャリ、という音と共に水底に沈んだ舞扇に、彩は溜息を吐いた。

「まぁ、またあなたね、彩の君。本当に何をやっているの?」

「嫌だわ、明日には主上の前で本番を迎えるというのに」

今上の帝の前で舞を捧げる儀式。
色の家の娘として彩は初めてその舞人に選ばれ、
他の四人の姫たちと共に直前の練習をしていたのだった。
御前舞の時にのみ使用される、御所を巡る池の中央に張り出した神聖な舞台。
その場の独特な空気に気圧されてしまったのだろうか、扇は彩の手を滑り、
ひらひらと水の中に舞い落ちた。

「申し訳ありません、皆さま。すぐに新たな扇を用意致しますので……」

結局場の雰囲気は白けてしまい、その日の練習はそれで打ち止めとなった。
与えられた局へと帰り、塞ぎ込む彩の元に、
小さく扉を打つ音が聞こえてきたのはその日の深夜。

「はい、どなた?」

彩が扉を開けると、立っていたのは純白の衣装を纏う美しい神官だった。

「この扇……あなたのものではございませんか?」

驚くべきことに、神官が携えていたのは彩が池に落とした彼の扇。
心なしか、扇に施された桜模様が以前に比べ生き生きと輝きを放って見える。

「はい、確かにわたくしの……! でも、どうしてあなたさまが?」

彩の問いに、神官はゆるりと微笑んだ。

「昼間のあなた方の舞を、私は密かに覗き見ていたのです。
普段は神殿に籠り切りの身なれば、美しい舞姫たちの姿が物珍しくて。
そのうちに、一人の舞姫の手から扇が滑り落ちた……
そうして私の浅ましい心がそうさせたのでしょうか、水の流れの悪戯か、
そちらの扇が私の足元を流れる水辺へと流れきたのです。
私はそれを拾い上げて、あなたの元にお届けした次第」

「まぁ、ご親切に、どうもありがとうございます」

少しも濡れてなどいない扇に、彩はこれが神官の力の成せる業だろうか、と見入る。

「……あなたは不思議な姫君ですね。
私がこうも素直に心を打ち明けても、少しも気に止めては下さらない」

溜息混じりに告げられた言葉に、彩は戸惑いながら顔を上げる。

「私は神に仕える身。そしてあなたはいずれ帝に仕える身となりましょうが、
せめてお名前だけでも教えてはもらえないでしょうか?
これからの生を歩む縁(よすが)に、私はあなたを想いたい」

そこで初めて、彩は気づいた。
この美しい神官殿は、自分に愛の告白をしているのではないか――と。
唐突に理解した感情に、彩は耳まで紅く染めた。

「……彩、と申します白真(はくま)様」

「おや、名を知られていたか」

彩の返事に、神官――白真は額を押さえて笑んだ。
現在の神殿において神通の力は三本の指に入り、いずれは
神殿の長たる大神官の座に就く、と噂される“無の家の変わり者”の
端麗な容姿と類稀な才を知らぬ者は宮中に一人としていなかった。
宮仕えの父兄を持つ彩とて当然その名は耳にしていた。
そして明日の御前舞には、神殿から彼が来るのだということも……。

「彩、また会えるかな?」

白真はそっと彩に伸ばそうとした手を押しとどめた。
神官は、異性との接触が許されてはいない。

「……白真様が、望まれるのであれば」

彩は微笑んで答えた。後に背負う罪を知らずに。


~~~


御前舞は無事終わった。
前日彩が水に落としたはずの桜の扇はやはり他のどの舞姫の扇より輝きを放ち、
彩の姿を華やかに彩った。
その舞姿を気に行った帝は、彩に女官の職を与え、身の近くに侍らすようになった。
優しい帝を彩は慕った。
その心の一方で、遠き神殿に仕える白真の姿が日に日に色濃くなっていく様を、
自覚せざるを得なかった。
そんな彼女に、やがて転機が訪れる。
白真が神殿を辞し、無の家に戻ることを決めたのだ。

「次代の大神官に、とあれほど望まれた男だが……朝廷としては喜ばしい。
これで無の家にも直系の跡取りが帰ってくる。そうは思わんか、彩?」

帝の杯を満たしながら、彩は微笑んで頷いた。

「ええ、本当に……」

白真と見(まみ)えたのは、御前舞以来。
白の衣を脱ぎ鮮やかな青の衣で御所に赴いた彼に、彩の心はときめいた。
ようやく会えた、愛しい人。
二人の視線は絡み合い、彩は白真が神殿を辞した覚悟を知った。
そんな矢先の夜だった。

「彩、桃の君が御所を去るのを、知っているか?」

「……存じ上げております」

彩は小さな声で答えた。同じ色の家出身の桃の君は主上の寵愛深い妃。
心根が優しく、彩も随分と気にかけてもらった姉のような人だ。
その桃の君が流行り病に罹り、遂には明日をも知れぬ命となった。
帝を穢れに触れさせぬため、死期の迫ったものは御所を去らねばならない。
掟に従い、桃の君は御所を辞したのだ。

「彩、朕は彼女を失うのが恐ろしい……寂しくて堪らないのだ。
そなたなら、彩、桃の君をよく知り、彼女が誰よりも可愛がっていたおまえなら、
彼女の代わりに朕の心を埋めてくれはしないだろうか?彩、彩……」

彩は持っていた御酒を取り落とした。
帝の細い、けれども強い腕の力が、彩の身体を包み込む。
彩は抗えなかった。慕う主と、彼の妃に受けた恩義のために。


~~~


彩は妃の一人として後宮に入った。
桃の君亡き後の主上の寵は篤く、周囲の嫉みを買うこともあった。
そんな折には必ず、局の戸口に桜の枝が置かれていた。
夏にも秋にも冬にも枯れぬその枝の持ち主が誰であるのか、
彩は気づき、そして慰められた。
あの人は、今でもわたくしを想っていて下さる――
それだけが、彩の心の救いであった。

やがて彩は、年若くして一度も子の無いまま主上の崩御を迎えた。
墨染の衣を来て踏み出した後宮の外は、眩しい光に包まれ、
桜の舞い散る春の季節を迎えていた。

「……これから、どうなさるおつもりですか?」

里に下がった彩の元を訪れたのは、大臣の位を得ながらも未だ独身、
様々な噂の尽きぬ色男に身を変えた白真だった。

「尼となり、主上の菩提を弔わせていただく心づもりでございます」

彩は静かに答えた。

「……あなたはまだそんなにもお若いのに……
どうしても、私の元には来ていただけませんか?」

白真の悲痛な声に、彩は唇を噛んだ。

「……恐れ多くも帝の妃だった女子が再び嫁ぐなど……前例がございません。
それに、そのようなことが許されては国が乱れる元となります。
国の要(かなめ)たる大臣の白真様……わたくしは、あなたを困らせたくはないのです」

彩のために自ら選んだ神官の道を捨て、心ならず朝廷に戻った白真。
彼を裏切り帝の妃となった自分の元に、枯れぬ想いの証を届けてくれた愛しい人。

「……私はいつでも、あなた故に悩み、あなた故に苦しんできました。
けれどもそれを悔やんだことは、一度として無いのですよ」

白真の言葉に、彩もひととき、涙をこぼした。

「ええ、わたくしもそうです、白真様」


~~~


それからまた、歳月が流れた。
尼となり山深い庵に籠った彩は病の床に臥していた。

「……一目、お会いしたくて参りました」

御簾越しに響いた声に、彩の魂は現へと引き戻される。

「白真様……」

遥々都から庵を訪ね来た男に、彩は戸惑い、そして歓喜する。

「……昔あなたに告げた言葉を、訂正しなければなりません」

今にも消え行こうとする命に取り縋るように、白真は語りかけた。

「かつてあなたのためにしたことを、一度も悔やんだことが無い、と言いましたね。
けれど本当は一つだけ、心から悔やんでいることがあるのです」

「まぁ……それは、」

彩が彼に捨てさせたものは余りにも多い。
愛しい男に対する罪を背負ったまま逝かなければならないのか――
と溜息を吐きだした彼女に、白真は告げた。

「あなたと初めてお会いした時の、あの桜の扇。
御前舞の予行を覗き見た私は、あの扇で舞うあなたに一目で焦がれました。
どうしてもあなたと話したくて、術を使って扇を我が手に引き寄せたのです。
そうして、次の日あなたが一等美しく見えるよう、
あなたに喜んでもらえるように呪(まじな)いをかけて扇を返した。
そしてその結果、あなたは主上や桃の君の近くに召されるようになった……」

やはり、とも思える白真の言に、彩は少しだけ目を瞠り、次に微笑んだ。

「白真様、わたくしは感謝しておりますわ。
あの扇があればこそ、あなたはわたくしを見つけて下さり、
わたくしはあなたに出会うことができたのです。
あの扇は今でも、わたくしの大切な宝物ですわ……」

彩の言葉に、白真は泣いた。
彩は病床から起き上がり、御簾を上げると、白真の手に色あせた桜の扇を手渡した。

「黄泉には持って参れません。
どうぞ、白真様の手でこの花を蘇らせてはもらえませぬか?」

病みやつれた彩の目にもまた、涙が光っていた。
白真は強く頷いて、扇を握りしめた。


~~~


その年の桜が散る頃、色あせた桜の扇は墨色に染まった。
桜吹雪の中、白真は愛する人の最期(おわり)を知った。
涙は出なかった。ただただ哀しみだけが込み上げる。
時経れば桜は色あせる。けれど想いは色あせなかった。
桜に始まり、桜に終わった淡い恋は既に息絶え、桜は喪の色へと変貌を遂げた。

「もう呪いは、使うまいな……」

手にした扇に向かい呟いた男の独り言は、
誰にも聞かれることなく桜の下へと消えていった。

 




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東の果て、日の国。
統べるは帝、祈るは神官、守るは衛士(えじ)。
帝に仕える三貴族。
大臣(おとど)を出すのは無(なし)の家。
神通優れる然(ねん)の家。
歌い踊るは色(しき)の家。
今上には弟御が二人。皇太子(ひつぎのみこ)たる知瀬宮(ちせのみや)、
兵部卿(ひょうぶきょう)たる鏡宮(かがみのみや)。
後宮に数多妃は侍れど、皇子は未だお生まれにならず。
才溢れる帝の元、ただ春の日は虚しく輝く。
実りを知らず、花は散る。


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「あっ、扇が……」

ポチャリ、という音と共に水底に沈んだ舞扇に、彩は溜息を吐いた。

「まぁ、またあなたね、彩の君。本当に何をやっているの?」

「嫌だわ、明日には主上の前で本番を迎えるというのに」

今上の帝の前で舞を捧げる儀式。
色の家の娘として彩は初めてその舞人に選ばれ、
他の四人の姫たちと共に直前の練習をしていたのだった。
御前舞の時にのみ使用される、御所を巡る池の中央に張り出した神聖な舞台。
その場の独特な空気に気圧されてしまったのだろうか、扇は彩の手を滑り、
ひらひらと水の中に舞い落ちた。

「申し訳ありません、皆さま。すぐに新たな扇を用意致しますので……」

結局場の雰囲気は白けてしまい、その日の練習はそれで打ち止めとなった。
与えられた局へと帰り、塞ぎ込む彩の元に、
小さく扉を打つ音が聞こえてきたのはその日の深夜。

「はい、どなた?」

彩が扉を開けると、立っていたのは純白の衣装を纏う美しい神官だった。

「この扇……あなたのものではございませんか?」

驚くべきことに、神官が携えていたのは彩が池に落とした彼の扇。
心なしか、扇に施された桜模様が以前に比べ生き生きと輝きを放って見える。

「はい、確かにわたくしの……! でも、どうしてあなたさまが?」

彩の問いに、神官はゆるりと微笑んだ。

「昼間のあなた方の舞を、私は密かに覗き見ていたのです。
普段は神殿に籠り切りの身なれば、美しい舞姫たちの姿が物珍しくて。
そのうちに、一人の舞姫の手から扇が滑り落ちた……
そうして私の浅ましい心がそうさせたのでしょうか、水の流れの悪戯か、
そちらの扇が私の足元を流れる水辺へと流れきたのです。
私はそれを拾い上げて、あなたの元にお届けした次第」

「まぁ、ご親切に、どうもありがとうございます」

少しも濡れてなどいない扇に、彩はこれが神官の力の成せる業だろうか、と見入る。

「……あなたは不思議な姫君ですね。
私がこうも素直に心を打ち明けても、少しも気に止めては下さらない」

溜息混じりに告げられた言葉に、彩は戸惑いながら顔を上げる。

「私は神に仕える身。そしてあなたはいずれ帝に仕える身となりましょうが、
せめてお名前だけでも教えてはもらえないでしょうか?
これからの生を歩む縁(よすが)に、私はあなたを想いたい」

そこで初めて、彩は気づいた。
この美しい神官殿は、自分に愛の告白をしているのではないか――と。
唐突に理解した感情に、彩は耳まで紅く染めた。

「……彩、と申します白真(はくま)様」

「おや、名を知られていたか」

彩の返事に、神官――白真は額を押さえて笑んだ。
現在の神殿において神通の力は三本の指に入り、いずれは
神殿の長たる大神官の座に就く、と噂される“無の家の変わり者”の
端麗な容姿と類稀な才を知らぬ者は宮中に一人としていなかった。
宮仕えの父兄を持つ彩とて当然その名は耳にしていた。
そして明日の御前舞には、神殿から彼が来るのだということも……。

「彩、また会えるかな?」

白真はそっと彩に伸ばそうとした手を押しとどめた。
神官は、異性との接触が許されてはいない。

「……白真様が、望まれるのであれば」

彩は微笑んで答えた。後に背負う罪を知らずに。


~~~


御前舞は無事終わった。
前日彩が水に落としたはずの桜の扇はやはり他のどの舞姫の扇より輝きを放ち、
彩の姿を華やかに彩った。
その舞姿を気に行った帝は、彩に女官の職を与え、身の近くに侍らすようになった。
優しい帝を彩は慕った。
その心の一方で、遠き神殿に仕える白真の姿が日に日に色濃くなっていく様を、
自覚せざるを得なかった。
そんな彼女に、やがて転機が訪れる。
白真が神殿を辞し、無の家に戻ることを決めたのだ。

「次代の大神官に、とあれほど望まれた男だが……朝廷としては喜ばしい。
これで無の家にも直系の跡取りが帰ってくる。そうは思わんか、彩?」

帝の杯を満たしながら、彩は微笑んで頷いた。

「ええ、本当に……」

白真と見(まみ)えたのは、御前舞以来。
白の衣を脱ぎ鮮やかな青の衣で御所に赴いた彼に、彩の心はときめいた。
ようやく会えた、愛しい人。
二人の視線は絡み合い、彩は白真が神殿を辞した覚悟を知った。
そんな矢先の夜だった。

「彩、桃の君が御所を去るのを、知っているか?」

「……存じ上げております」

彩は小さな声で答えた。同じ色の家出身の桃の君は主上の寵愛深い妃。
心根が優しく、彩も随分と気にかけてもらった姉のような人だ。
その桃の君が流行り病に罹り、遂には明日をも知れぬ命となった。
帝を穢れに触れさせぬため、死期の迫ったものは御所を去らねばならない。
掟に従い、桃の君は御所を辞したのだ。

「彩、朕は彼女を失うのが恐ろしい……寂しくて堪らないのだ。
そなたなら、彩、桃の君をよく知り、彼女が誰よりも可愛がっていたおまえなら、
彼女の代わりに朕の心を埋めてくれはしないだろうか?彩、彩……」

彩は持っていた御酒を取り落とした。
帝の細い、けれども強い腕の力が、彩の身体を包み込む。
彩は抗えなかった。慕う主と、彼の妃に受けた恩義のために。


~~~


彩は妃の一人として後宮に入った。
桃の君亡き後の主上の寵は篤く、周囲の嫉みを買うこともあった。
そんな折には必ず、局の戸口に桜の枝が置かれていた。
夏にも秋にも冬にも枯れぬその枝の持ち主が誰であるのか、
彩は気づき、そして慰められた。
あの人は、今でもわたくしを想っていて下さる――
それだけが、彩の心の救いであった。

やがて彩は、年若くして一度も子の無いまま主上の崩御を迎えた。
墨染の衣を来て踏み出した後宮の外は、眩しい光に包まれ、
桜の舞い散る春の季節を迎えていた。

「……これから、どうなさるおつもりですか?」

里に下がった彩の元を訪れたのは、大臣の位を得ながらも未だ独身、
様々な噂の尽きぬ色男に身を変えた白真だった。

「尼となり、主上の菩提を弔わせていただく心づもりでございます」

彩は静かに答えた。

「……あなたはまだそんなにもお若いのに……
どうしても、私の元には来ていただけませんか?」

白真の悲痛な声に、彩は唇を噛んだ。

「……恐れ多くも帝の妃だった女子が再び嫁ぐなど……前例がございません。
それに、そのようなことが許されては国が乱れる元となります。
国の要(かなめ)たる大臣の白真様……わたくしは、あなたを困らせたくはないのです」

彩のために自ら選んだ神官の道を捨て、心ならず朝廷に戻った白真。
彼を裏切り帝の妃となった自分の元に、枯れぬ想いの証を届けてくれた愛しい人。

「……私はいつでも、あなた故に悩み、あなた故に苦しんできました。
けれどもそれを悔やんだことは、一度として無いのですよ」

白真の言葉に、彩もひととき、涙をこぼした。

「ええ、わたくしもそうです、白真様」


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それからまた、歳月が流れた。
尼となり山深い庵に籠った彩は病の床に臥していた。

「……一目、お会いしたくて参りました」

御簾越しに響いた声に、彩の魂は現へと引き戻される。

「白真様……」

遥々都から庵を訪ね来た男に、彩は戸惑い、そして歓喜する。

「……昔あなたに告げた言葉を、訂正しなければなりません」

今にも消え行こうとする命に取り縋るように、白真は語りかけた。

「かつてあなたのためにしたことを、一度も悔やんだことが無い、と言いましたね。
けれど本当は一つだけ、心から悔やんでいることがあるのです」

「まぁ……それは、」

彩が彼に捨てさせたものは余りにも多い。
愛しい男に対する罪を背負ったまま逝かなければならないのか――
と溜息を吐きだした彼女に、白真は告げた。

「あなたと初めてお会いした時の、あの桜の扇。
御前舞の予行を覗き見た私は、あの扇で舞うあなたに一目で焦がれました。
どうしてもあなたと話したくて、術を使って扇を我が手に引き寄せたのです。
そうして、次の日あなたが一等美しく見えるよう、
あなたに喜んでもらえるように呪(まじな)いをかけて扇を返した。
そしてその結果、あなたは主上や桃の君の近くに召されるようになった……」

やはり、とも思える白真の言に、彩は少しだけ目を瞠り、次に微笑んだ。

「白真様、わたくしは感謝しておりますわ。
あの扇があればこそ、あなたはわたくしを見つけて下さり、
わたくしはあなたに出会うことができたのです。
あの扇は今でも、わたくしの大切な宝物ですわ……」

彩の言葉に、白真は泣いた。
彩は病床から起き上がり、御簾を上げると、白真の手に色あせた桜の扇を手渡した。

「黄泉には持って参れません。
どうぞ、白真様の手でこの花を蘇らせてはもらえませぬか?」

病みやつれた彩の目にもまた、涙が光っていた。
白真は強く頷いて、扇を握りしめた。


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その年の桜が散る頃、色あせた桜の扇は墨色に染まった。
桜吹雪の中、白真は愛する人の最期(おわり)を知った。
涙は出なかった。ただただ哀しみだけが込み上げる。
時経れば桜は色あせる。けれど想いは色あせなかった。
桜に始まり、桜に終わった淡い恋は既に息絶え、桜は喪の色へと変貌を遂げた。

「もう呪いは、使うまいな……」

手にした扇に向かい呟いた男の独り言は、
誰にも聞かれることなく桜の下へと消えていった。

 




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