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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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和風?領主と側室の話。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



津志国の領主、忠信には寵愛する側室がいた。
お幸という名のその娘は、領主の家に代々仕えた重臣の娘で
忠信の幼馴染であった。お幸は父親を亡くしていた。
家は断絶となり、行き場を失くしたお幸を忠信は側室として城に迎えた。
二人が数えで十五の年を迎えるころのことであった。
忠信は思った。「お幸が誰の元にも嫁がず私の側室となることを
承諾した訳は、残された家人の窮状を救うために違いない」と。
お幸は考えた。 「殿がわたくしを引き取って下さったのは、
家を失った友を哀れんでのことに違いない」と。
すれ違う想いは消えること無き負い目となり、二人の心を苛んだ。
 
やがて、二人の間に一人の娘が生まれた。
お夕と名付けられたその娘は、生まれつき目が見えなかった。
元より身体の弱かったお幸は、その出産により二度と子を生めぬ身体に
なってしまった。けれども忠信は、その娘を溺愛した。
たった一人の側室と、たった一人の不具の娘。
二人のみを寵愛し、いつまでも正室を持とうとしない主に臣たちは業を煮やした。
 
「お幸様からも殿に一言ご意見を」
 
城中を取りまとめる長老からそう告げられ、お幸は涙ながらに訴えた。
 
「お願いです、ご正室を娶られて、一刻も早くお世継ぎを生されませ。
そうでなくては、わたくしもお夕も、とても心穏やかには過ごせませぬ」
 
忠信は迷っていた。正室に害された側室の例は数多くある。
もし迎えた正室がお幸と娘のことを快く思わなかったなら……。
けれどお幸の涙を見て、彼はようやく重い腰を上げることに決めた。
長年敵対していた隣国の姫君との見合いを受けることにしたのである。
 
 
~~~
 
 
「あなた様には随分と大切になさっているご側室と娘御がおられるとか。
お一方を大切に出来るお心は素晴らしゅうございます。おそらくは余程
美しく賢い女人なのでしょう。わたくしも是非お会いしてみたいものですわ」
 
隣国の姫は、ほがらかに笑って忠信に告げた。月のように清廉な輝きを
放つお幸とは違い、花がほころんだように微笑む可愛らしい姫だった。
 
「結婚が成った暁には両国の間に戦も無くなり、民草にも平穏な日々が訪れましょう。
わたくしは末永き和平を望んでいるのです。あなた様もそうお思いになりませんこと?」
 
忠信の師でもあったお幸の父は戦場で死んでいた。
忠信も、お幸も戦の無い世を願っていた。
何よりは、愛しい娘を戦の道具として使わぬために。
志を同じくする姫の言に、忠信は彼女を正室として受け入れることを決めた。
 
 
~~~
 
 
正室としてやって来た隣国の姫は、その華やかな微笑みと快活な態で城中を虜にした。
側室であるお幸やその娘にも少しも辛く当たることなく、和やかに接した。
忠信は、次第に正室へ惹かれていった。お幸や娘への愛情が衰えたわけでは
なかったが、「子を生さねばならぬ」手前どうしても正室への訪いが増えていった。
お幸と娘は城の隅でひっそりと日々を過ごすことになった。
 
そんなある日のことだった。
お幸が偶然通りかかった城の廊下で、忍に文を渡す正室の姿に出会ったのは。
 
「わたくしが殿の子を生んだ後に殿が亡くなれば、この国は我が一族のもの。
最も、それ以前に父上が攻め込まれるというのならば話は別ですが……」
 
お幸は全身に震えが走った。焦りに任せて忠信にことのあらましを伝えたお幸に
返って来たのは非情な返事だった。
 
「御台を妬む気持ちは解るが……あれは気の優しい娘だ。そなたとて知っておろう?」
 
「けれど、わたくしは本当に……!」
 
「くどい! 父を亡くし、子も生せぬそなたが此処で暮らしていけるのは誰のおかげだ!?
私自ら迎えた正室を愚弄しようというのか!?」
 
忠信の激昂に、お幸はそれ以上言葉を紡げなくなった。
その後城中では側室の元に主の訪れはほとんど無くなり、
正室の権威のみが日に日に上がっていった。
お幸は盲目の娘と二人、日々を部屋に閉じこもって過ごした。
 
「おかあさま、おゆうはおとうさまにおあいしとうございます。
ちかごろはおしごとがおいそがしいのでしょうか?」
 
幼い娘の言に、お幸は哀しく笑って額を撫でた。
 
「ええ、お父様はお忙しくていらっしゃるから……。
でも大丈夫、お夕が良い子にしていたら、きっと会いに来て下さいますよ」
 
 
~~~
 
 
そんな日々が続いて半年。正室が念願の懐妊を迎えた。
腹の子が男児であれば、殿は殺されてしまうのではないか……?
お幸が戦々恐々としながら日々を過ごしている頃、正室より茶の招きがあった。
 
「儂もあの御台様は好きませぬ。お幸様、いざという時にはこれをお使い下され」
 
家臣の一人から渡された薬を懐に、お幸は茶の席へと出向いた。
 
「お幸様は母としてわたくしよりも経験が豊富でいらっしゃる。
分からないことがあれば、何かと頼りにさせていただきとうございます」
 
ゆったりと微笑む正室の姿に、お幸は懐の薬を取り出すことは出来なかった。
ところが。
お幸が何も混ぜることの無かった茶碗に一口口を付けて、正室が倒れた。
血を吐いて事切れた彼女の身体を抱きかかえて、お幸に薬を渡した男が叫んだ。
 
「お幸殿、茶の中に一体何を混ぜられた!? いくらご自分のお立場が
危ういからと言って……御台様は殿のお子を身ごもられていたのですぞ!?」
 
お幸は己が謀られたことを知った。彼女の身は薄暗い牢獄へと移され、
娘とも引き離された。姫を殺された隣国はお幸の処刑を望んだ。
そうしなければ己が国への裏切りと捉え、津志国へ攻め込むと。
けれど忠信はそれだけは出来なかった。彼は、その鬱屈をお幸へとぶつけた。
 
「何故御台を殺したのだ!? お前があのようなことさえ起こさなければ、
全てはお前とお夕のためであったものを!何故だ、何故……!?」
 
己を責め苛む主に、お幸は何も答えなかった。お幸は絶望していたのだ。
己を信じてはくれぬ忠信に……主に、友に、夫に。
 
 
~~~
 
 
津志国は滅びの時を迎えようとしていた。
姫を殺されたことを大義名分に攻め入って来た隣国に、ひとたまりも無かった。
いよいよ城にも戦火が及ぼうかという時、忠信は娘を連れて牢獄を訪れた。
 
「お夕は臣下に頼んで逃がすことにした。
おそらくはこれが最後であろう。……そなたも、共に逃げよ」
 
お幸は目を見開いた。
 
「何をおっしゃいます……この戦の因果を生みだしたのは一体誰かおわかりですか!?」
 
お幸の言に、忠信はふと微笑んだ。
 
「巷の噂では……そなたは傾国と呼ばれておる。そなた一人を処刑すれば、
我が国の民はこのような戦に巻き込まれることは無かったのだから」
 
「それが解っていて、どうして……!」
 
お幸は俯いて唇を噛んだ。
 
「気づいたのだ。私は、何があってもそなただけは殺せぬ。
そなたは私が唯一人愛した女。私が愛した女が、私に嘘など付くはずが無い。
……いいや、例え欺かれていたとしても、私にお前を憎めるはずが無い。
だから、私は信じることにしたのだ。おまえが、他人を殺して平気でいられる訳が無い。
私を、お夕をこれほどに愛してくれたそなたが、私たちを裏切ることなど有り得ない、とな」
 
「殿……」
 
頬に当てられた骨太の手に、お幸は白い指をそっと重ねた。
 
「そなたには何も罪は無い。全ては私の愚かさ故。本当に守りたかった
ものを見失った濁った瞳の故。だからそなたは、そなたと夕は生きろ。
お前たち二人は、私に唯一残された守るべきものなのだから……」


~~~
 
 
城を落ち行く二人の姿を見送って、忠信は天守へと登った。
全てが見渡せるその高みで、己が罪をその瞳に焼きつけながら最期を迎えるために。
しかして天守の上には一人の女の姿があった。
女は、先刻愛娘と共に送り出したはずのお幸だった。
 
「何故……何故そなたが此処にいるのだ!? お幸!」
 
「殿……忠信様。わたくしは大切なことを伝え忘れておりました」
 
呆然として叫ぶ忠信にお幸は儚げに微笑んだ。
 
「愛しております、忠信様。幼き日より今日まで、片時もお傍を離れたくないほどに
わたくしはあなたを想い続けてまいりました。
あなたがいらっしゃらない世界で、どうしてわたくしが生きていけるとお思いですか?
お夕は信頼できる乳母に預けてまいりました。どうか“今度こそ”わたくしを共にお連れ下さい」
 
頬に触れる柔らかな指に、忠信の脳裏に幼き日の出来事が過ぎった。
 
幼い忠信は山奥の洞穴に咲く美しい花を、お幸のために持って帰った。
喜んだお幸は、「もっと沢山この花を見たい」と洞穴への案内を望んだ。
けれど忠信は、決してその場所にお幸を連れ行くことは無かった。
危険な山道、獣や崖、どんなことで大切なお幸が傷つくか分からない。
だから、お幸に頼まれるたびに自ら洞穴に赴き一輪だけ花を持ち帰った。
お幸がすぐに枯れてしまうその花を、病床の母のために望んでいた、
と知ったのは彼女の葬儀に出てからだった。
お幸のうなだれる姿に、忠信は初めて後悔という言葉を学んだ。
どれほど危険な道でも、彼女が望むなら連れて行けば良かった。
自分が、守ってやれば良かったのに。
 
忠信は瞳を閉じて、記憶の中の己の叫びを聞いた。
 
「お幸……そなたを信じきれなかった私だ。共に逝くことに、後悔は無いか?」
 
「ございません。殿は……最後にはわたくしを信じて下さいました。
それに、わたくしも気づいたのです。わたくしが殿を愛していることに。
信じていることに。愛することとは信じることではございませんか?
わたくしは殿に身をもって教えていただきました。
ですから、生も死も、全てをあなたと共にしとうございます。
これはわたくしの身勝手な願いです。けれど……叶えては、いただけませぬでしょうか?」
 
「お幸……」

首を傾げて微笑むお幸に忠信はただ俯いて一筋の涙を流した。
その瞬間、彼は女の願いを叶えることに決めたのだ。
たった一人信じた、たった一人愛した傾国の女の願いを。


 
そうして、主に首を切られた『傾国』と
その傍らで腹を裂いた『色狂い』の醜聞は生まれた。
やがて醜聞は伝説となり、人から人へと流れ行く。
盲目の女領主が治める彼の地に息づく、悲しき恋の物語へと姿を変えて。





後書き

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津志国の領主、忠信には寵愛する側室がいた。
お幸という名のその娘は、領主の家に代々仕えた重臣の娘で
忠信の幼馴染であった。お幸は父親を亡くしていた。
家は断絶となり、行き場を失くしたお幸を忠信は側室として城に迎えた。
二人が数えで十五の年を迎えるころのことであった。
忠信は思った。「お幸が誰の元にも嫁がず私の側室となることを
承諾した訳は、残された家人の窮状を救うために違いない」と。
お幸は考えた。 「殿がわたくしを引き取って下さったのは、
家を失った友を哀れんでのことに違いない」と。
すれ違う想いは消えること無き負い目となり、二人の心を苛んだ。
 
やがて、二人の間に一人の娘が生まれた。
お夕と名付けられたその娘は、生まれつき目が見えなかった。
元より身体の弱かったお幸は、その出産により二度と子を生めぬ身体に
なってしまった。けれども忠信は、その娘を溺愛した。
たった一人の側室と、たった一人の不具の娘。
二人のみを寵愛し、いつまでも正室を持とうとしない主に臣たちは業を煮やした。
 
「お幸様からも殿に一言ご意見を」
 
城中を取りまとめる長老からそう告げられ、お幸は涙ながらに訴えた。
 
「お願いです、ご正室を娶られて、一刻も早くお世継ぎを生されませ。
そうでなくては、わたくしもお夕も、とても心穏やかには過ごせませぬ」
 
忠信は迷っていた。正室に害された側室の例は数多くある。
もし迎えた正室がお幸と娘のことを快く思わなかったなら……。
けれどお幸の涙を見て、彼はようやく重い腰を上げることに決めた。
長年敵対していた隣国の姫君との見合いを受けることにしたのである。
 
 
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「あなた様には随分と大切になさっているご側室と娘御がおられるとか。
お一方を大切に出来るお心は素晴らしゅうございます。おそらくは余程
美しく賢い女人なのでしょう。わたくしも是非お会いしてみたいものですわ」
 
隣国の姫は、ほがらかに笑って忠信に告げた。月のように清廉な輝きを
放つお幸とは違い、花がほころんだように微笑む可愛らしい姫だった。
 
「結婚が成った暁には両国の間に戦も無くなり、民草にも平穏な日々が訪れましょう。
わたくしは末永き和平を望んでいるのです。あなた様もそうお思いになりませんこと?」
 
忠信の師でもあったお幸の父は戦場で死んでいた。
忠信も、お幸も戦の無い世を願っていた。
何よりは、愛しい娘を戦の道具として使わぬために。
志を同じくする姫の言に、忠信は彼女を正室として受け入れることを決めた。
 
 
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正室としてやって来た隣国の姫は、その華やかな微笑みと快活な態で城中を虜にした。
側室であるお幸やその娘にも少しも辛く当たることなく、和やかに接した。
忠信は、次第に正室へ惹かれていった。お幸や娘への愛情が衰えたわけでは
なかったが、「子を生さねばならぬ」手前どうしても正室への訪いが増えていった。
お幸と娘は城の隅でひっそりと日々を過ごすことになった。
 
そんなある日のことだった。
お幸が偶然通りかかった城の廊下で、忍に文を渡す正室の姿に出会ったのは。
 
「わたくしが殿の子を生んだ後に殿が亡くなれば、この国は我が一族のもの。
最も、それ以前に父上が攻め込まれるというのならば話は別ですが……」
 
お幸は全身に震えが走った。焦りに任せて忠信にことのあらましを伝えたお幸に
返って来たのは非情な返事だった。
 
「御台を妬む気持ちは解るが……あれは気の優しい娘だ。そなたとて知っておろう?」
 
「けれど、わたくしは本当に……!」
 
「くどい! 父を亡くし、子も生せぬそなたが此処で暮らしていけるのは誰のおかげだ!?
私自ら迎えた正室を愚弄しようというのか!?」
 
忠信の激昂に、お幸はそれ以上言葉を紡げなくなった。
その後城中では側室の元に主の訪れはほとんど無くなり、
正室の権威のみが日に日に上がっていった。
お幸は盲目の娘と二人、日々を部屋に閉じこもって過ごした。
 
「おかあさま、おゆうはおとうさまにおあいしとうございます。
ちかごろはおしごとがおいそがしいのでしょうか?」
 
幼い娘の言に、お幸は哀しく笑って額を撫でた。
 
「ええ、お父様はお忙しくていらっしゃるから……。
でも大丈夫、お夕が良い子にしていたら、きっと会いに来て下さいますよ」
 
 
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そんな日々が続いて半年。正室が念願の懐妊を迎えた。
腹の子が男児であれば、殿は殺されてしまうのではないか……?
お幸が戦々恐々としながら日々を過ごしている頃、正室より茶の招きがあった。
 
「儂もあの御台様は好きませぬ。お幸様、いざという時にはこれをお使い下され」
 
家臣の一人から渡された薬を懐に、お幸は茶の席へと出向いた。
 
「お幸様は母としてわたくしよりも経験が豊富でいらっしゃる。
分からないことがあれば、何かと頼りにさせていただきとうございます」
 
ゆったりと微笑む正室の姿に、お幸は懐の薬を取り出すことは出来なかった。
ところが。
お幸が何も混ぜることの無かった茶碗に一口口を付けて、正室が倒れた。
血を吐いて事切れた彼女の身体を抱きかかえて、お幸に薬を渡した男が叫んだ。
 
「お幸殿、茶の中に一体何を混ぜられた!? いくらご自分のお立場が
危ういからと言って……御台様は殿のお子を身ごもられていたのですぞ!?」
 
お幸は己が謀られたことを知った。彼女の身は薄暗い牢獄へと移され、
娘とも引き離された。姫を殺された隣国はお幸の処刑を望んだ。
そうしなければ己が国への裏切りと捉え、津志国へ攻め込むと。
けれど忠信はそれだけは出来なかった。彼は、その鬱屈をお幸へとぶつけた。
 
「何故御台を殺したのだ!? お前があのようなことさえ起こさなければ、
全てはお前とお夕のためであったものを!何故だ、何故……!?」
 
己を責め苛む主に、お幸は何も答えなかった。お幸は絶望していたのだ。
己を信じてはくれぬ忠信に……主に、友に、夫に。
 
 
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津志国は滅びの時を迎えようとしていた。
姫を殺されたことを大義名分に攻め入って来た隣国に、ひとたまりも無かった。
いよいよ城にも戦火が及ぼうかという時、忠信は娘を連れて牢獄を訪れた。
 
「お夕は臣下に頼んで逃がすことにした。
おそらくはこれが最後であろう。……そなたも、共に逃げよ」
 
お幸は目を見開いた。
 
「何をおっしゃいます……この戦の因果を生みだしたのは一体誰かおわかりですか!?」
 
お幸の言に、忠信はふと微笑んだ。
 
「巷の噂では……そなたは傾国と呼ばれておる。そなた一人を処刑すれば、
我が国の民はこのような戦に巻き込まれることは無かったのだから」
 
「それが解っていて、どうして……!」
 
お幸は俯いて唇を噛んだ。
 
「気づいたのだ。私は、何があってもそなただけは殺せぬ。
そなたは私が唯一人愛した女。私が愛した女が、私に嘘など付くはずが無い。
……いいや、例え欺かれていたとしても、私にお前を憎めるはずが無い。
だから、私は信じることにしたのだ。おまえが、他人を殺して平気でいられる訳が無い。
私を、お夕をこれほどに愛してくれたそなたが、私たちを裏切ることなど有り得ない、とな」
 
「殿……」
 
頬に当てられた骨太の手に、お幸は白い指をそっと重ねた。
 
「そなたには何も罪は無い。全ては私の愚かさ故。本当に守りたかった
ものを見失った濁った瞳の故。だからそなたは、そなたと夕は生きろ。
お前たち二人は、私に唯一残された守るべきものなのだから……」


~~~
 
 
城を落ち行く二人の姿を見送って、忠信は天守へと登った。
全てが見渡せるその高みで、己が罪をその瞳に焼きつけながら最期を迎えるために。
しかして天守の上には一人の女の姿があった。
女は、先刻愛娘と共に送り出したはずのお幸だった。
 
「何故……何故そなたが此処にいるのだ!? お幸!」
 
「殿……忠信様。わたくしは大切なことを伝え忘れておりました」
 
呆然として叫ぶ忠信にお幸は儚げに微笑んだ。
 
「愛しております、忠信様。幼き日より今日まで、片時もお傍を離れたくないほどに
わたくしはあなたを想い続けてまいりました。
あなたがいらっしゃらない世界で、どうしてわたくしが生きていけるとお思いですか?
お夕は信頼できる乳母に預けてまいりました。どうか“今度こそ”わたくしを共にお連れ下さい」
 
頬に触れる柔らかな指に、忠信の脳裏に幼き日の出来事が過ぎった。
 
幼い忠信は山奥の洞穴に咲く美しい花を、お幸のために持って帰った。
喜んだお幸は、「もっと沢山この花を見たい」と洞穴への案内を望んだ。
けれど忠信は、決してその場所にお幸を連れ行くことは無かった。
危険な山道、獣や崖、どんなことで大切なお幸が傷つくか分からない。
だから、お幸に頼まれるたびに自ら洞穴に赴き一輪だけ花を持ち帰った。
お幸がすぐに枯れてしまうその花を、病床の母のために望んでいた、
と知ったのは彼女の葬儀に出てからだった。
お幸のうなだれる姿に、忠信は初めて後悔という言葉を学んだ。
どれほど危険な道でも、彼女が望むなら連れて行けば良かった。
自分が、守ってやれば良かったのに。
 
忠信は瞳を閉じて、記憶の中の己の叫びを聞いた。
 
「お幸……そなたを信じきれなかった私だ。共に逝くことに、後悔は無いか?」
 
「ございません。殿は……最後にはわたくしを信じて下さいました。
それに、わたくしも気づいたのです。わたくしが殿を愛していることに。
信じていることに。愛することとは信じることではございませんか?
わたくしは殿に身をもって教えていただきました。
ですから、生も死も、全てをあなたと共にしとうございます。
これはわたくしの身勝手な願いです。けれど……叶えては、いただけませぬでしょうか?」
 
「お幸……」

首を傾げて微笑むお幸に忠信はただ俯いて一筋の涙を流した。
その瞬間、彼は女の願いを叶えることに決めたのだ。
たった一人信じた、たった一人愛した傾国の女の願いを。


 
そうして、主に首を切られた『傾国』と
その傍らで腹を裂いた『色狂い』の醜聞は生まれた。
やがて醜聞は伝説となり、人から人へと流れ行く。
盲目の女領主が治める彼の地に息づく、悲しき恋の物語へと姿を変えて。





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