忍者ブログ
ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


三万打記念掌編。おじさんと“愛人”の別れ話。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

どうせ一口しか飲まないなら、わざわざコーヒーメーカーまで購入して
他人に毎朝コーヒー入れさせることなんてないのになぁ。
いつものようにカップから一口黒い液体を流し込んだだけでテーブルに
コトン、と置き、背広を羽織る“おじさん”の後姿をじっと見つめる。
 
「じゃあ言ってくるよ、万智」
 
「はぁい、いってらっしゃーい」
 
「次に来るのは三日後かな。時間は七時半くらい。
あと、夕食は豚の生姜焼きが食べたい」
 
「……豚肉が安かったらね」
 
「何だい、お金は十分あげているのに」
 
苦笑して頭を撫でるおじさんに、相変わらずこの人の金銭感覚は
どうなっているのだろうか、と呆れてしまう。
九時過ぎの出勤、どんなに遅くとも八時前には帰宅。
何て優雅な重役生活でいらっしゃること!
まぁそれも、この二年ですっかり慣れてしまったが。
 
「じゃあね万智、また後で」
 
頬に触れた髭が、少しだけ痛い。出かける前に、頬への軽いキス。
スキンシップはこれだけなのに、私は何と、
このダンディでお金持ちなおじさんの“愛人”なのだ。
 
 
~~
 
 
おじさんとの出会いは約二年前。ほとんど出席日数分しか登校していない
高校を卒業した直後、当然というか何というか私は職にありつけなかった。
うちの高校は商業系でも工業系でもない普通高校(それもちょっと、いやかなりバカめ)で、
私はもちろん何の資格も取得してはいなかった。
ただでさえ求人募集の少ないこの不景気真っ只中、高卒で就業経験も無い
私ができる仕事なんて、結局おミズくらいしかないだろう……
と夜の歓楽街に足を向けかけた時、私はインターネットでその広告を見つけた。
 
『愛人募集。三食部屋付き、月収100万円』
 
今にして思うとかなり胡散臭い文言だったが、その時の私は藁にも縋る思いで飛びついた。
そうして、送られてきた返事のメールで指定された場所に現れたのが、意外や意外、
腹がメタボっているわけでも頭がハゲているわけでも顔が脂ぎっているわけでもない、
少し枯れた感じの紳士的なおじさんだったのだ。
おじさんは実際には五十を過ぎているらしいが四十代前半と言っても
無理のない若々しさがあるし、顔立ちだって悪くない。
年上好きの私の同級生なんかが見たら羨ましがるだろうな、というのが第一印象だった。
彼は言った。
 
『僕の指定するマンションに、ただ住んでくれたら良いんだ。
それで、たまに僕が訪れる時に、三食ちゃんと用意してくれたらそれでいい。
あ、朝食後には絶対コーヒーを付けてね』
 
優雅な仕草でコーヒーを口に運びながら告げられた言葉に、
私は思わずポカンと口を開けてしまった。
 
『それでひゃ、ひゃくまん!?』
 
『ああ。何かおかしいかい? “愛人”とはそういうものだろう?』
 
愛人業界(そもそもそういう業界が存在するかどうかすら知らないが)
の相場が分からない私に、その申し出はかなり魅力的だった。
 
『分かりました! 喜んでお引き受けします!』
 
当時の彼への後ろめたさなんてちっとも感じずに、私はその話に食いついた。
家族には『良い住み込みの仕事を見つけたから』と言って家を出て、
予想以上に豪華な“部屋”へと移り住んだ。
 
 
~~~
 
 
それから、二年。
不思議なことにおじさんは、私に一切手を触れなかった。
“愛人”というより“親しい親戚のお嬢さん”といった扱いを受けている私には、
この場所が、彼との関係はとても居心地が良い。けれど。
 
『そろそろ結婚しない?俺たち』
 
一年間付き合った今の彼氏――高校時代の同級生から持ちかけられたプロポーズ。
ようやく正社員になれた彼は、“フリーター”と偽っている私のことをとても心配してくれていた。
もちろんおじさんに“住まわせてもらっている”豪華なマンションの一室には
一度も呼んだことが無い。おじさんが私に手を出さないから、愛人というより
ペットのようなものだ、と思ったから、おじさんの薬指に銀の指輪が輝いているから。
だから私は、彼の告白を受け入れた。
真摯に私のことを見つめ、優しく微笑みかけてくれる彼の手を取った。
彼はおじさんのことを知らない。おじさんは彼のことを知らない。
二人とも何も聞かない。何も、詮索したりはしない。それが時々、少し辛い。
 
「どうしよっかなぁ、返事」
 
十八だった私ももう二十歳を過ぎた。
“愛人”というのは若いうちしか出来ない職業だ、とはキャバクラ勤めの友人から聞いている。
おじさんとの間に、きっと未来は無い。彼は結婚しているんだから。私に触れないんだから。
彼が見ているのは“若くて綺麗な女の人”だけであって、
私自身のことなんてきっと何とも思っていないんだから。
 
「よし、決めた」
 
そうして私は、彼に電話をかけた。
おじさんに内緒で出かけたイタリアンレストランで渡された指輪は、
おじさんがその左手に付けているものよりもかなり安っぽく見えた。
けれどまぁ、彼の月収を考えれば頑張った方なのだろうか、と一人苦笑する。
おじさんの前でこれを見せるわけにはいかない。
指から外してまじまじと眺めているところに、
今日は来ると言っていなかったはずの人の足音がカツカツと聞こえた。
チャイムが鳴り、慌てて指輪をポケットにしまい込んで玄関に駆け寄る。
 
「ただいま、万智。お土産と、お祝いだよ。ホラ、君たち、早く運んで」
 
ニコニコと笑いながら入ってきたおじさんの手には、大きな大きな薔薇の花束。
それだけではない、おじさんの背後から現れた花屋のエプロンを付けた
お兄さんたちが次々と運びいれる、色とりどりの薔薇の花。そうだ、
今日は私がこの部屋で暮らすようになってからちょうど三年目の記念日だ!
私がここにやって来た最初の日、
部屋の中は綺麗に棘を抜かれた一万本の薔薇で埋め尽くされていた。
一年後、おじさんは私をホテルのレストランへディナーへと誘い、
帰って来た時には部屋中が二万本の薔薇の色に染まっていた。
そうして、三年目の今年は……。
私は思い出した。おじさんと初めて会ったときに聞かれた質問を。
 
『君は、好きな花とかはあるのかい?』
 
『えっ、花とかはあんまり詳しくないんですけど……。
そうですね、強いて言えば薔薇かなぁ。色んな色があって、見ていて楽しいから。
棘があるのはちょっと苦手だけど』
 
余り深く考えずに告げたその言葉を、おじさんはずっと覚えていてくれたのだ。
私は思わず目頭が熱くなった。
どうしよう。
今日はきちんと、ここを出ていく決意を彼に伝えなければならなかったのに。
 
「おじさん……あの、あの、あたし」
 
せめてお礼だけでもすぐに言わなきゃ、と思うのに、声が震えてしまって言葉にならない。
そんな私に、おじさんは苦笑して頭をポンポン、と頭を撫でた。
 
「結婚おめでとう、万智。出会いがあれば別れもある。
別れは寂しいが、喜ぶべき新たな門出でもあるからね。
君のこと好きだったよ。今まで本当にありがとう」
 
その言葉に、ハッと顔を上げておじさんを見ると、いつものように食えない
余裕の笑みではなく、少し切なそうな、寂しげな瞳をした表情に行きあたった。
初めて見るその表情に、ぎゅっと胸が締め付けられるような心地がし、
後悔という言葉が脳裏を過ぎる。
おじさんは、この(ひと)は全てを知っていた。
全てを知った上で私を暖かく包み込んで、見守っていてくれた。
それなのに、私はそれを彼が“私”を愛してはいないからだと思い込んでいた。
彼は私をただひたすらに、大切にしてくれていただけだったのに。
 
「おじさん、おじさん……!」
 
泣きじゃくって背広にしがみついた私の背中を、大きな骨ばった手が優しく撫でる。
私たちの人生は束の間交差しただけ。
年齢(とし)も、性別も、仕事や学歴だって、何一つ重なったものは無い。
でも、それでも。
おじさんとの奇跡のような出会いは、きっとこれからも私の宝物となる。
好きだった。大好きだった。あなたに奥さんがいたって、私に彼氏がいたって、
私たちが“愛人”とは言えないような愛人関係にあったって。
この気持ちだけは本物だよ。本物なんだよ、おじさん……!
 
「笑って、万智。君は笑顔の方が何倍も魅力的だよ」
 
「……うん、うん、おじさん……本当に、ありがとう」
 
その時の私の不細工な微笑に、大声で笑い出したおじさんの皺くちゃの顔。
それが、私が覚えている最後の彼の姿だった。





後書き
 

拍手[0回]

PR


追記を閉じる▲


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

どうせ一口しか飲まないなら、わざわざコーヒーメーカーまで購入して
他人に毎朝コーヒー入れさせることなんてないのになぁ。
いつものようにカップから一口黒い液体を流し込んだだけでテーブルに
コトン、と置き、背広を羽織る“おじさん”の後姿をじっと見つめる。
 
「じゃあ言ってくるよ、万智」
 
「はぁい、いってらっしゃーい」
 
「次に来るのは三日後かな。時間は七時半くらい。
あと、夕食は豚の生姜焼きが食べたい」
 
「……豚肉が安かったらね」
 
「何だい、お金は十分あげているのに」
 
苦笑して頭を撫でるおじさんに、相変わらずこの人の金銭感覚は
どうなっているのだろうか、と呆れてしまう。
九時過ぎの出勤、どんなに遅くとも八時前には帰宅。
何て優雅な重役生活でいらっしゃること!
まぁそれも、この二年ですっかり慣れてしまったが。
 
「じゃあね万智、また後で」
 
頬に触れた髭が、少しだけ痛い。出かける前に、頬への軽いキス。
スキンシップはこれだけなのに、私は何と、
このダンディでお金持ちなおじさんの“愛人”なのだ。
 
 
~~
 
 
おじさんとの出会いは約二年前。ほとんど出席日数分しか登校していない
高校を卒業した直後、当然というか何というか私は職にありつけなかった。
うちの高校は商業系でも工業系でもない普通高校(それもちょっと、いやかなりバカめ)で、
私はもちろん何の資格も取得してはいなかった。
ただでさえ求人募集の少ないこの不景気真っ只中、高卒で就業経験も無い
私ができる仕事なんて、結局おミズくらいしかないだろう……
と夜の歓楽街に足を向けかけた時、私はインターネットでその広告を見つけた。
 
『愛人募集。三食部屋付き、月収100万円』
 
今にして思うとかなり胡散臭い文言だったが、その時の私は藁にも縋る思いで飛びついた。
そうして、送られてきた返事のメールで指定された場所に現れたのが、意外や意外、
腹がメタボっているわけでも頭がハゲているわけでも顔が脂ぎっているわけでもない、
少し枯れた感じの紳士的なおじさんだったのだ。
おじさんは実際には五十を過ぎているらしいが四十代前半と言っても
無理のない若々しさがあるし、顔立ちだって悪くない。
年上好きの私の同級生なんかが見たら羨ましがるだろうな、というのが第一印象だった。
彼は言った。
 
『僕の指定するマンションに、ただ住んでくれたら良いんだ。
それで、たまに僕が訪れる時に、三食ちゃんと用意してくれたらそれでいい。
あ、朝食後には絶対コーヒーを付けてね』
 
優雅な仕草でコーヒーを口に運びながら告げられた言葉に、
私は思わずポカンと口を開けてしまった。
 
『それでひゃ、ひゃくまん!?』
 
『ああ。何かおかしいかい? “愛人”とはそういうものだろう?』
 
愛人業界(そもそもそういう業界が存在するかどうかすら知らないが)
の相場が分からない私に、その申し出はかなり魅力的だった。
 
『分かりました! 喜んでお引き受けします!』
 
当時の彼への後ろめたさなんてちっとも感じずに、私はその話に食いついた。
家族には『良い住み込みの仕事を見つけたから』と言って家を出て、
予想以上に豪華な“部屋”へと移り住んだ。
 
 
~~~
 
 
それから、二年。
不思議なことにおじさんは、私に一切手を触れなかった。
“愛人”というより“親しい親戚のお嬢さん”といった扱いを受けている私には、
この場所が、彼との関係はとても居心地が良い。けれど。
 
『そろそろ結婚しない?俺たち』
 
一年間付き合った今の彼氏――高校時代の同級生から持ちかけられたプロポーズ。
ようやく正社員になれた彼は、“フリーター”と偽っている私のことをとても心配してくれていた。
もちろんおじさんに“住まわせてもらっている”豪華なマンションの一室には
一度も呼んだことが無い。おじさんが私に手を出さないから、愛人というより
ペットのようなものだ、と思ったから、おじさんの薬指に銀の指輪が輝いているから。
だから私は、彼の告白を受け入れた。
真摯に私のことを見つめ、優しく微笑みかけてくれる彼の手を取った。
彼はおじさんのことを知らない。おじさんは彼のことを知らない。
二人とも何も聞かない。何も、詮索したりはしない。それが時々、少し辛い。
 
「どうしよっかなぁ、返事」
 
十八だった私ももう二十歳を過ぎた。
“愛人”というのは若いうちしか出来ない職業だ、とはキャバクラ勤めの友人から聞いている。
おじさんとの間に、きっと未来は無い。彼は結婚しているんだから。私に触れないんだから。
彼が見ているのは“若くて綺麗な女の人”だけであって、
私自身のことなんてきっと何とも思っていないんだから。
 
「よし、決めた」
 
そうして私は、彼に電話をかけた。
おじさんに内緒で出かけたイタリアンレストランで渡された指輪は、
おじさんがその左手に付けているものよりもかなり安っぽく見えた。
けれどまぁ、彼の月収を考えれば頑張った方なのだろうか、と一人苦笑する。
おじさんの前でこれを見せるわけにはいかない。
指から外してまじまじと眺めているところに、
今日は来ると言っていなかったはずの人の足音がカツカツと聞こえた。
チャイムが鳴り、慌てて指輪をポケットにしまい込んで玄関に駆け寄る。
 
「ただいま、万智。お土産と、お祝いだよ。ホラ、君たち、早く運んで」
 
ニコニコと笑いながら入ってきたおじさんの手には、大きな大きな薔薇の花束。
それだけではない、おじさんの背後から現れた花屋のエプロンを付けた
お兄さんたちが次々と運びいれる、色とりどりの薔薇の花。そうだ、
今日は私がこの部屋で暮らすようになってからちょうど三年目の記念日だ!
私がここにやって来た最初の日、
部屋の中は綺麗に棘を抜かれた一万本の薔薇で埋め尽くされていた。
一年後、おじさんは私をホテルのレストランへディナーへと誘い、
帰って来た時には部屋中が二万本の薔薇の色に染まっていた。
そうして、三年目の今年は……。
私は思い出した。おじさんと初めて会ったときに聞かれた質問を。
 
『君は、好きな花とかはあるのかい?』
 
『えっ、花とかはあんまり詳しくないんですけど……。
そうですね、強いて言えば薔薇かなぁ。色んな色があって、見ていて楽しいから。
棘があるのはちょっと苦手だけど』
 
余り深く考えずに告げたその言葉を、おじさんはずっと覚えていてくれたのだ。
私は思わず目頭が熱くなった。
どうしよう。
今日はきちんと、ここを出ていく決意を彼に伝えなければならなかったのに。
 
「おじさん……あの、あの、あたし」
 
せめてお礼だけでもすぐに言わなきゃ、と思うのに、声が震えてしまって言葉にならない。
そんな私に、おじさんは苦笑して頭をポンポン、と頭を撫でた。
 
「結婚おめでとう、万智。出会いがあれば別れもある。
別れは寂しいが、喜ぶべき新たな門出でもあるからね。
君のこと好きだったよ。今まで本当にありがとう」
 
その言葉に、ハッと顔を上げておじさんを見ると、いつものように食えない
余裕の笑みではなく、少し切なそうな、寂しげな瞳をした表情に行きあたった。
初めて見るその表情に、ぎゅっと胸が締め付けられるような心地がし、
後悔という言葉が脳裏を過ぎる。
おじさんは、この(ひと)は全てを知っていた。
全てを知った上で私を暖かく包み込んで、見守っていてくれた。
それなのに、私はそれを彼が“私”を愛してはいないからだと思い込んでいた。
彼は私をただひたすらに、大切にしてくれていただけだったのに。
 
「おじさん、おじさん……!」
 
泣きじゃくって背広にしがみついた私の背中を、大きな骨ばった手が優しく撫でる。
私たちの人生は束の間交差しただけ。
年齢(とし)も、性別も、仕事や学歴だって、何一つ重なったものは無い。
でも、それでも。
おじさんとの奇跡のような出会いは、きっとこれからも私の宝物となる。
好きだった。大好きだった。あなたに奥さんがいたって、私に彼氏がいたって、
私たちが“愛人”とは言えないような愛人関係にあったって。
この気持ちだけは本物だよ。本物なんだよ、おじさん……!
 
「笑って、万智。君は笑顔の方が何倍も魅力的だよ」
 
「……うん、うん、おじさん……本当に、ありがとう」
 
その時の私の不細工な微笑に、大声で笑い出したおじさんの皺くちゃの顔。
それが、私が覚えている最後の彼の姿だった。





後書き
 

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック