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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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もらった!海外キティも増えてきて嬉しいです(^▽^)


 
『あまちゃん』の主人公が言ってた「東京にいると悪いことしか聞こえてこねぇ」ってセリフにこのドラマがすんなり受け入れられる理由も、某ジブリにショック受けた理由も集約されてるような気がした。
・・・って東京オリンピック決まりましたね~。色々問題はあるけれど、このメインどこから外れた時間軸の地域の子供がリアタイで見られる機会を得られたって考えると嬉しいですね。3.11の時に子供だった人、そしてそれ以降に生まれた子供たちはずっとアレを背負って生きていかなきゃいけないじゃないですか。卒業式も成人式も、写真の中の友達と一緒に迎えて、その子が居ないこととか、その子の分の人生とかとずっと向き合っていかないといけない。そういう子たちが、歳を重ねることを楽しみに思える、7年後は何年生で、どこにいて、何してるかなーとか、どうやって観に行こうかなぁと未来を思い描くことが許されるという意味で良かったんじゃないかな、と。もちろん「いたら凄い喜んでただろうな」とか、どうなってたか、っていうのは7年経ってもずっと考えてしまうと思う。でも、その上で別たれた時間を受け止める一つのきっかけになれば良いな、と思います。

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こっちの方がウケるだろうなぁ。

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思ったよりマッカーサーがチョイ役だった。てか小者? 権力闘争()って感じ。何を勘違いしてしまったんだろうといつも思う。日本の太鼓持ち芸がよっぽど(ryだったのかなぁ。主人公と二人して色んな意味でただのえこ贔屓としか・・・。あ、恋愛要素は必要だったと思います。主人公が悩む理由が無くなっちゃうもん。喪失の苦しみを知っているかどうかもデカい。テンプレハリウッドなご都合主義とアジアンイメージもあったけど、わかりにくさや控えめといった日本の雰囲気を彼女が上手く媒介してたんじゃないかな。彼女のおじさんの大将も含めて。こちらは『菊と刀』のテンプレってやつですなー(´-`)日本人だけどちょっとよくわからない(小声)白人さんによる「そう思いたい(それなら納得できる)」Japaneseの物語がこれなんだろうか?
しかしアメリカがここまでやったことに対して、何というか複雑な気持ち。もちろん誤解はあるし、日本人としてそれはちょっと、と感じるニュアンスもある。でも敵対していて、どうやっても交わらなかった相手の言い分をここまで自分たちが作る作品の中で取り入れたのか、という。もちろん日本市場狙いってことは大前提としてあるけれど、例えばアフガンの件について、アフガンの人が出演してこういう作品がハリウッドで作られる時がいつになるか、とか考えてしまった。それと、アメリカは戦後日本に対してずっと優位な立場にあり、その状態を日本人が受け入れてきたこと、割と好意的というか、(一部を除き)少なくとも積極的に否定するような動きが余り無かったことがやっぱり大きいんだろうなぁ。近所との関係ではこれが逆で、勝者と敗者が絡み合って、というか戦っていた相手の認識がぶっちゃけ互いに一致してない上それぞれ内部での分裂もあったからこんな状況になってしまったのかな、とやるせない気持ちにもなりますね。
Tennoに関しては正直ソクーロフ監督の『太陽』の方がクるものがある。アメリカは何だかんだイングランドが根底にあって、その王室にワーキャー言ってる部分があるからこういうかたちでしか捉えられなかったのかな、と。直接理解しているわけではないが、触れてはいけない敬うべきもの、みたいな。ロシアはツァーリを残酷なかたちで否定したけど、だからこそ人間としてのTennoを淡々と、リアルに描けたのかな、とか。最後のシーンは何かそっちを思い出して泣いてしまった。

・・・あと、本当の意味での警鐘や誘導ってこういう風にやるんじゃん?とも感じました(笑) 誰も傷つかずにすんなり入ってくるというか。まぁ日本人がこういうの作るわけにはいかないんだろうけど、多分某アニメよりはずっと上手な織り込み方だったと思う。



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国営放送で前イカ話題になったあれを何気なく見てたらナレーション
「カグラザメが縄張り(サメに食われたクジラの死体を人間が冷凍保存して実験のために投下)を守ることで多様な生き物が安心して集える一時のオアシスが(ry」
「獲物を狩るための鋭い歯を持たないメガマウスは小さな生き物を追っかけ(て群れごと丸呑みにす)るという平和な生き方を(ry」
これ、これ間違ってるやろ・・・クジラ&サクラエビ&オキアミさん涙目/(^O^)\命って平等じゃないんだー! いや生態系の話として正しいのはわかるよ? でもオアシスとか平和な生き方って解釈すんのは絶対に違うだろ。超怖い。私がひねくれ過ぎなだけだろうか。

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秀作かもしれないが名作ではない。

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ある意味プロパガンダ映画というか・・・考えすぎてしまって純粋に観られない作品。昨今の情勢と自分が歳取ったせいもあるんだろうけど(´・ω・`)反省。某コラムで読んだ「“こうであるはずだ(こうであってほしい)”というフクシマの物語」と同じように、この話は「WWⅡの物語」ということになるんだろうなー、と思ってしまった。だって貧しい子どもとか震災のくだり、上から憐れんでる人間の視点だもん。主人公=エリート、嫁=お嬢様、ほか(天下の)三菱+軍人以外モブキャラで当時の大多数の庶民が何を考えていたかリアルに描けるのか、っていう。
あと何より実在の人物に捧げる、ってなってる作品を自らの思想を表現する場にしてはいけないと思う。死んで何百年も経っててもういいだけフィクション出尽くしてるからどうアレンジしても良いよ☆っていうキャラクターじゃなくて、直接知ってる人が生きててもおかしくない状況なんだから。せめて利益追求しない個人的作品として出せばアリだったかもだけど、制作・プロモーションの規模を考えると微妙な気持ち。少なくとも夏休みにジブリ見よう、って楽しみに映画館来た子供が楽しめる映画ではなかった。火垂るの墓はまだ節子っていう子どもの目線があったけど、癒し場面が夫婦のイチャイ(ryだけで自分が親なら見せたいと思わない。乗り物好きの男の子なら飛行機楽しめるかもしれないけど。
仕事面の成功がもたらした結果との対比なのか、恋愛面の設定・演出がとにかくやり過ぎでくどい。結婚の場面とか美しかったし、泣いたけどね。あとカプローニ伯爵の夢の場面がぶつぎり感あってわかりにくい。外人さんってくくりだと現実の方にカストルプさんが出てくるし、子どもは混乱してしまうんじゃ? 最後はセリフ・絵面ともに綺麗で感動的だったけど、駆け足過ぎてちょっと気持ちがついていかなかった。何でそんな色々唐突なの・・・(ーー;)

当時の人が本当に感じて思っていたことは、今を生きる人間には絶対にわからない。今正しい・悪いと考えられている概念自体がなかったかもしれない、変わってきただろうから。でも今の人間は今の見方でしか見られなくて、決して透明な現実を捉えることはできないんだよなー、と。まぁフィルターなしで向き合ってた人はアングルが固定されてしまうから俯瞰することはできなかっただろうけど。フィルター越しの俯瞰と、どっちが公平でどっちが真に迫れるものなんだろう、と歴史好き的にいつも考えてしまいます。



※震災絡み






正直言って災害の描写があからさまじゃなければそこまでネガティヴにはならなかったと思う。マジで まだ 早い。他のに対する感情も含めて、それだけのこと、っていう単純で根深い側面があるなぁ、と。渦中の当事者は物語を作れない。ある程度離れたところから眺めないと絵は描けないから。この件に関しては彼らは当事者じゃないんだな、と感じてしまったことがちょっとショックだった。まだ全然遠ざかってない。綺麗にまとめた話なんか作れるか。震災“ネタ”はまだやらないでほしい。


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今月酷いなー・・・。消化しよう。

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先日見たいらっしゃいがフランススペシャルで男性同士のカップルが出てて、その片方の方が「(同性同士の結婚について)日本の皆さんに言いたいことありますか?」と聞かれて「特に無いです」と返した答えに感動した。「自分たちはずっと愛し合ってきたし、法律云々は関係なくこれまでも今も同じように幸せだから」と。そうだよな、というか何か凄くモヤモヤしてたことを形にしてもらったように感じた。自分にとって愛情は究極に主観的なもので、誰かに認めてもらうようなものじゃないと思ってることが分かったというか。現実的に財産の問題とか手術の判子一つにしても法律上夫婦と認められないことの不利益は確かにあるし、そこは日本でも柔軟に考えていくべきだと思う。けど今派手にパフォーマンスしてる人たちの一部は、パートナーのためというより自分のために、みんなに受け入れてもらえないと幸せになれない、と言ってるように見えてしまう。愛情は主観であると同時にその中身は相手第一の、利他のものでもあるとも思うので、活動にのめり込み過ぎて別れたとか、相手<主義主張になってるようなのは疑ってしまう。愛する人と出会えて、愛してもらえて、それが全てなのにまだ満たされてない、と今そこにある現実の幸せを否定しているみたいで。
あとマイノリティなのにマイノリティの権利を主張する声を上げないのはマイノリティ失格だとかね。負い目というかうがった見方なのはわかってるけど、圧倒的にそういう側だけを取り上げられることが多いから暗に責められているような気分になる。マイノリティだからこそ他の部分では何とか周囲に合わせたいと考えてる人だっているのに。どこかで妥協して合わせられる線とダメな線を選ぶのは大多数の人がしていることだし。持って生まれた運命なんだから、ネガティヴな面も含め全てを自分自身、個性として受け入れるしかないじゃないですか。誰も全てを手に入れることはできないし、その中でどうやって幸せになるのか、気づくのかってことを忘れちゃだめだな、と思います。


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