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何とメイドさんに描いていただいた!\(^O^)/
乗り換え秋葉原だったんで・・・友達に「そういえば通り過ぎるだけで行ったことないんだよね」とお上り発言したら「衣裳見たいから行ってみよー」と。アウェイ感ハンパなかったけど、お店の説明してくれる親切なOTKの方もいたりして中々興味深い世界でした。メイドさん可愛い!マルチリンガルで、お絵描きもできて、どんな相手にもニコニコとか若いのに本当えらいなぁ@しみじみ(´-`)
あとは江戸東京博物館とブリヂストン美術館に行きました。モースさんの一輪挿しが見たかったので。中々ないよねー、バッタo(゜∀゜)=3ムッハー! でも食べ物そのままにしとくのはどうかと思うわ(-_-; 最後の方時間が足りなくなってしまって残念でしたが、ずっと行ってみたかった場所に行けて幸せです。ホント素敵なところでした(^-^)
ブリヂストンはカイユボット展やってたけど、ちょっと前のフェルメール展に光と影という印象が被るかな。あっちの方がゴージャスだったし。でも東京駅の近くなので電車の時間までにフラっと観るにはちょうど良い感じ。カイユボットさんの描く男の人は何故かみんなイケメンだしね!後ろ姿でさえ(笑)改めて、昔の人の光への繊細な反応というか、敏感さに感じ入る。あと風を凄く感じた。吹き抜ける瞬間を閉じ込めたみたい。フェルメールの時、写真と絵の立場とか構図が入れ替わる時代だったんだー、みたいなことを書いたけど、弟さんの件を考えるとまさにその狭間にいた人で、だからそういう不思議な、必ずしも写実的とは言えないのに時間を切り取ったような絵を描けたのかなぁ、とか思いました。イエールを描いたのがどれも好き。くすんだパステルカラーの色って向こうの自然の特徴なのかな。日本にはああいう色合いを見せる時間帯とか景色って無いよなぁ(´・ω・`) 常設の方はギリシアのデュオニソスモチーフのコレクションとかあって嬉しかったです。そしてピカソはやっぱりよくわからない@小声 オッサレー、とは思うんだけどさ。
今回の東京は幼なじみの結婚式のためだったんですが、もうガチで号泣でした(ノ∀`゜)アチャー
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スライドでもらったメッセージ(逆やろ!笑)に、凄い「生きろ」って言われてる気がした。やっぱり幼なじみって幼なじみとしか形容できない特別な存在なんだなぁ、と改めて。何でか伝わるんですよね、どういう状態にあるか、とか何を必要としてるか。友達という言葉では表しきれないし、家族に近いけど家族とも違う。ある部分ではそれより近くて、たぶん一番近くでものを見てきた関係なんだなー、と。たくさん支えてもらって、尊敬する相手でもあるし、一緒に育てたこと、自分の人生に彼女がいてくれて本当に良かった、と心から思います。幸せになれー!
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外国の方ののどじまんの番組を見てて、上手い人はヘタな日本人よりよっぽど、というか必死な感じがする・・・というのに初めは驚いたんだけど、ある意味自分が洋楽聴く感覚と同じなのかな、と思った。母国語は色んな意味でダイレクト過ぎて、歌詞が頭を邪魔するというか直接心に響いちゃってつらい時がある。でも外国語だと、「ん?」って一回考える間を持てるというか、絶対耳から頭を経由というクッションあってから気持ちにいくんだよね。もちろん歌ってる人の感情はちゃんと伝わってくるんだけど、グサーッと刺さるんじゃなくて鐘の音みたくボワワワ~ンって波紋のように広がる感じ。どこまで歌詞に同化してどこから音として聞き流すか、コントロールしやすいから聴いてて楽。逆の立場で考えると母国語+英語を分かることが当たり前になってる世界の中で、よそから聞いたら全然わけわからん言葉でバンバン出してくる日本は特異な位置づけなのかも。ちょっとそういう逃げ場的なポジになれてるなら良いんじゃないか、と思いました。最近きゃりーとかの音遊びみたいな歌が流行ってきてるのも、意外と探すの難しい「意味を捉えずに聞けるコトバ」を求めてる人が多いからなのかな、という気もするし。
まず、一番共感できるのは主人公の苛立ちとやるせなさ。いっそ全部話してほしい。身内だからこそ、一緒に育って暮らしてきた家族だからこそ余計に。同じ国・同じ“民族”の人だからこそ。父に、兄に、そして「祖国」とそこから来た監視役の人すべてに憤ってるんだな、というのをヒシヒシと感じた。何故日本に来たのか、何故憎むのか、何故それでも留まり続けているのか。何故行かせたのか、何故行ったのか、何故それでも戻る・戻らせるのか。日本で報じられる向こうのニュースを見る限り、もう夢を見ることは不可能なのに、それでもそこ(父:在日という立場・兄:北朝鮮という国)に留まり続ける人々がいる。北であれ南であれ、本国に生まれ育った人よりももっと複雑な感情を抱いて生きているのが彼らなんだな、と。たぶん今どっちかの土地に生まれた人は相手を憎んで育つかもしれないけど、たまたまその時こちらにいた人々はどっちでもない“朝鮮”が祖国なわけだから何とも言えないというか。ある意味一番中立の見方ができるかもしれないし、それはもしかして将来のプラスに働く力になり得るかもしれない。そういう人たちを抱える国としてもっとできることがあるのにな、とも思います。
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山形・新庄行ってきました~o(^▽^)o

藩主ゆかりのお社なんだとか。
入口付近の夫婦杉、圧巻!間に生えた苔も美しい。
土の舞台。初めて見ました。
周囲の自然も豊かで、よく手入れのされてる、地域の方々に大切にされてる場所なんだなーということがよく分かる。盛り上がってる観光地も良いし、打ち捨てられたものの切なさを辿るのもアリだけど、やっぱり地元に当たり前に根付いてる、そこに生きているものの続いてきた営みを感じ取れるようなところが凄く大事だと思うし、好きなんですよね。
藩主ゆかりのお社なんだとか。
入口付近の夫婦杉、圧巻!間に生えた苔も美しい。
土の舞台。初めて見ました。
周囲の自然も豊かで、よく手入れのされてる、地域の方々に大切にされてる場所なんだなーということがよく分かる。盛り上がってる観光地も良いし、打ち捨てられたものの切なさを辿るのもアリだけど、やっぱり地元に当たり前に根付いてる、そこに生きているものの続いてきた営みを感じ取れるようなところが凄く大事だと思うし、好きなんですよね。
外から見られるのと中から感じるのは違うんだな、と虚しくなることが続く。あの年であんなにあちこち行って誰も悪く言わない彼女がお花畑だったとは思えないし、あの状況でマトモな三陸の人間が津波の可能性とか避難のことを思い浮かべないわけがない。仙南じゃないんだから。一つの(悲しい)出来事を何かと比べて皮肉の種にするのはやめてほしい。組織を非難するならそのトップの似顔絵を使えば良いじゃん。別に公式種目入りを目指したわけでもないその国独自の競技をネタに、人種的揶揄も入れつつ描くのはP Cに敏感なはずの移民受け入れ国としてアウトな気がする。その件に関しては私だって許せないと思ってるけど、あのやり方はない。自分たちが自虐でやるならまだしも。近ければ正しいわけじゃない、と考えてはきたけれど、何かあんまりだなぁ、と最近よく感じてしまう。
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