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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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まぁ初っ端は玉砕だったよね(^ω^) ※セクシュアリティと病みネタを含みます。

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幼なじみにAセクカムアウト→「まだそういう相手に出会えてないだけ」って母と同じリアクションでした\(^O^)/ 「同性愛者の友人もいるけど、ケイトの場合はそう(完全無性愛者)ではないと思う」と私より私のこと分かってんじゃないかと感じる彼女にそう言われてしまうとそうなのかな、っていう気も・・・イヤほんと他人はそれを依存と呼ぶんやでー、って勢いで(^^; で、自分も過去に色々あったけど結局今の旦那に会えて乗り越えられた、という話を。(いや彼女の諸々も一通り私も知ってはいるんですけど)正直すごく思い出すのが惨めでつらくて話せていなかった過去のことも初めて打ち明けた上での話だったんですけど、彼女はすごくロマンチストというか運命論者的なところがあって、旦那さんもそういうタイプで本当あり得ない理想的なご夫婦に落ち着いてるので(-_-;) ただトラウマの件で言えば、私のは幼い時の経験が最も根深くて、高校や大学の時のも引きずっていたり、それが理由で恋愛()がダメになったのも一つ二つではないし、成長してからの一人相手のトラウマを次の人(彼を受け入れるために時間がかかったことは知っているけど)に癒してもらえた彼女とは少し事情が異なるかな、って。
「だってレオ様とか好きだったじゃん!」とも言われたけど(笑)「外人の映画スターで絶対会わない人だから好きだったんだよ。一回もリアルで知り合いたいとか思ったことないもん。ヅカにハマったのと同じ理由で、そっちは舞台下りれば普通の女性で舞台上の「彼」と出会うことは絶対ないって分かってるから安心してハマれたの」と返事しました。我ながらヒッデーと思うわホントに(´Д`;) 「手繋ぎたいとか思った人もいないの?どこからダメなの?」とも聞かれたけど「今は正直一切の接触自体ムリですね」と言ったら「それは本当に好きな人じゃなかったからで、いつかはきっと出会えるはず!」と。まぁ一般の人にはAセクという言葉自体聞きなれないものだろうし、一回では発想からして理解してもらえないとは考えてたので、根気強くわかってもらえる努力を続けてこうかな、とある意味スッキリはできました。
あととりあえず生産年齢中の(子作りを伴う)結婚は難しい、と考えていることは認めてくれたというかわかってくれたようで、自分の子供に「ケイトは二人目のママみたいなもんだからね」って言ってくれたのは正直涙が出るほど嬉しかったです(;_;) すごくなついてくれたし、可愛いし、おかげでいっぱい子どもたちが集まる場所にも出入りできて本当に幸せ。うつのことや食べられなくなったことを最初に打ち明けたのも彼女だったし(慣れない場所での子育て中で向こうも大変なのに)、昔から本当依存し過ぎで気持ち悪いレベルだよな、とか思うんだけど、やっぱりちょっとでも話せただけで大分気持ちが軽くなったというか、改めて心底ありがたい存在だな、と。早く心配かけないようにならないとなぁ・・・。


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やっぱ古事記大好き・・・!(´Д`;)ハアハア

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しっかし中車さんとなった香川氏がどんな気持ちで帝を演じているのかと思うと(つД`)最後の父ちゃん出てくるところとかさー。ホントむしろよく許せたよアンタ!でも、ヤマトタケル自身もだけど、子は親に対して「愛されたい、認めてもらいたい」っていう無償の感情を抱いてしまうものなのかなー、と何か余計切ない気持ちに(´;ω;`) 「良いの?これで良いの?ボクちゃんと出来てた?」って表情でお父さんとおじいちゃんの方キョロキョロうかがう団子くん見ちゃうと更に。全てのキッカケというか、親しいイトコに苦しい選択をさせてしまった猿之助さんの必死の、そしてやはり天才だなと感じさせる気迫のこもった演技にも本当に胸打たれて・・・自分がセクシュアリティ的に迷走して悩みまくってる時期でもあるからさー。彼が襲名と同時に背負おうとしているもの、その覚悟が強く見える舞台、ヤマトタケル像でした。
まぁこの精神状態だし、セリフが一々突き刺さるんだ、タケルの「生まれてこなければ良かったのだ!」とか、大好きな()弟橘媛(今回の呼び名はオトヒメ)の入水シーン。歌舞伎はホント「間」が良いよねぇ。他の舞台なら「おいおい一つの場面に時間かけ過ぎだろ(笑)早く死ねよワロタ^^」となるところが(ヒッデー。いや某ベルばらのアンドレ死ぬシーンとか凄くツッコミまく(以下略))、より登場人物の悲しみや覚悟や想いが伝わるよう、観客の感情を盛り上げる展開に持っていくために必要とされる時間へと化ける。愛する人に罪悪感を背負わせたくない、一方で最後まで彼の最大限の愛情を感じながら旅立ちたい、という複雑な女心が(つД`)ウワーン泣かせる、大好きー!ヅカ『MAHOROBA』でオトタチバナが美しい声で歌いながら海に消えていく演出も好きでしたけど。
あぁもうこの日本独特の「入水」という所謂自殺の表現を美しい物語として仕上げてしまう発想ってヨソの人からは評価されにくいだろうし、自殺大国呼ばわりされてたりで問題あるのかもしれないけどすごく好きなんですよねぶっちゃけ。夫が死んで妻が後追い入水エピなんか山辺皇女や勾当内侍等々わんさかあるし(最終的に統治時代の台/湾にまで伝わってしまったくらい・・・外代樹さん(-人-)合掌)、平家物語の二位尼「波の下にも都はございます」なんて、いくら幼い孫(しかもTenno)道連れでアカン系の話だとしても、弟橘の「海の大王の后となりましょう」と張るくらいとても綺麗な表現じゃないですか?やっべー原文で読み返したくなってきたわハスハス(^ω^) 何で他の島国にはこういうエピが少ないんや・・・?私のリサーチ不足?海はそこら中にあるのにー>< 自殺がご法度な宗教エリアが多いせいかな?
あとさ、こんだけ可哀想な目に合って最後は鳥になっちゃう儚さ?を持った人物を英雄として崇めちゃう日本人の精神性がすごくツボです^^ マジで景行天.皇はドSなの?そんなに憎い息子だったの?ってくらいイジメとしか思えない扱い受けてるもんなー。北へ帰る白鳥が昔は大和(奈良県)の神話に残るくらい日本各地に来てたんだなぁ、とか考えると温暖化・・・(´Д`)ってC O P 21にも思いを馳せられるし(笑)大和朝廷の権威の及ぶ範囲や順番、英雄としての「ヤマトタケル」像が何を象徴するものだったのか、とか妄想する上においても各地に残る白鳥神社の場所チェックしてみるだけで楽しいですよ!足を運ぶとなお良いね!(ちなみに村田は行ってきました。宮城は現在も白鳥が飛来すること、当時のヤマト勢力の北限ポジだったこともあってか、めっちゃ沢山この名前の神社があります。元は違う信仰の神を祀っていた可能性もあるけれど・・・創建順や規模を考えると思わず色々膨らんじゃうよね(´∀`))
あーとーは、とにかくお衣装がゴージャス過ぎて一々どんだけ金かかってんの!?(゜Д゜;)と目を見開きつつ感動してた@夢がないなぁ(笑)しかし何で熊襲(狩猟・採集民族のイメージ)にタコとカニ・・・?どっちかっつーと蝦夷の生息範囲にいるイメージだが、蝦夷の方が「山の民」っぽいイメージだったのかな?BGMも熊襲の場面のが津軽三味線ぽくて気になったんだよね。蝦夷は敵キャラの中ではインパクト弱かったかな。ヴィジュアルがスマート過ぎたのと、炎の場面のアクロバットに気を取られて(^^; 山神・姥神のお二人はさすがー!ここもお衣装凄かったね、「うわぁ、そんな使い方もったいねぇ!」みたいな細切れの布の豪華さよ・・・(´Д`;) 
女形の皆さんはさすがの可憐さでした。あのお衣装捌くだけで大変だろうな。オマケに重い鬢と冠(((>_<)))エヒメ(恐らくここは書紀エピと混ぜて梅原流に面白くアレンジした点かな?)も無理やり妃にされ、妹にも手を出されそうになりながらそれでも愛していた夫(大碓)の仇を取ろうとする情念の女性が小碓(ヤマトタケル)の清らかさに触れて浄化され、それが今度は正真正銘の濁り物(恐らく大碓に対しては憎しみや怒りも含まれていたと思うから)の混ざらない愛情に変わり、束の間の婚姻を経て皇子を授かり、何年もその帰りを待って・・・そのつらさや苦しみ、宮廷の冷たさや変節を見た果てに還ってきたものが夫の亡骸と、自分と同じ相手を愛してついていった妹の死という悲しすぎる結末。それでも、その期間があったからこそ、その事実を受け止めたからこそ母として悟りきった神々しさみたいなものが最後の場面に表れていて。登場のシーンや、小碓を殺そうとする場面の彼女とは全く異なるオーラを発していて度肝抜かれた。もちろんみやず姫の愛らしさも良かったけど(*^^*)
他に殯の宮の場面ではヘタルベの叫びが胸に響いて痛々しかったな。「ヤマトは嘘ばっかりだ!嘘つきばかりの国だ!」って皇子を全力で慕って追いかけてきた蝦夷の青年の叫びが(;_;)
あと正直ヤマトってやっぱ侵略者だなー、って一部熊襲・蝦夷視点で見ちゃったわ。ウチはどう考えてもそっちの要素の方が強い家系だと思うし(・・・)「過去の因習に固執して新しいものを受け入れなかったから滅びたのだ」って?アメ○カ人じゃないんだからさー(´Д`) 文明の利器をもたらして世界を進歩させたんだから良いだろって?侵略の肯定かよ。狩りや漁で命を獲るのが罪だとか?じゃあ捕鯨も今すぐ止めなきゃネ☆(^-^) 熊襲や蝦夷内部にも対立はあったし、確かに知恵を絞りきらなかったり、最終的に弱かったから、戦略的にヤマトに負けたからの現在だとは分かっている。日本中ほぼ混血はしているだろうし、今となっては日本の歴史の一部として大和朝廷の諸々も好きだし(田村麻呂と阿弖流為とかめっちゃ萌え燃えだよね!)、そのトップの地位を引き継いできたTennoの必要性も認めていて、神社巡りも大好きです。が、国つ神や熊襲や蝦夷に対してあんなセリフを吐かせた点だけは正直モヤッと来てしまった。蝦夷も熊襲も舟作ってかなり遠くとも交易してましたよ。違う土地の、所謂「新しいもの」をある程度ちゃんと取り入れてたと思うんですが。縄文土器から米粒出てきたの知らないのかな?(※縄文=主に蝦夷の先祖、弥生=主にヤマトの原形)いっそ東北の遺跡から鉄器出てきたら面白いのに。てかヤマトに決定的な勝利をもたらした要因がぶっちゃけ鉄の「武器」なんだよねぇ、と考えるといつの時代も(以下略)とつい黄昏たくなりますね・・・(´-`)
あっ、最後に右近さんの武彦、めっちゃ渋くてカッコ良かったー!(≧▽≦)


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タイトルが小難しいので深夜更新系のネタだよ(・∀・)b

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一つ目はハフポの記事読んでペギー○と在.特会の本質はもしかしたら同じなのかもしれない、と感じた話。
もっと掘り下げると、欧州において長く差別されてきたロ/マやユダ○人も元々は「難民」と呼ばれるカテゴリーに含まれる人々だったんだろうな、って。(暮らしてきた土地を追い出され、さすらいの民族と化した点が)在.日もそう、たまたま戦時中本土(当時の半島の人の何割が「朝/鮮」という国のアイデンティティを残していたか分からないので向こうの方の怒りを招く表現かもしれないけれど、個人的には北海道・九州・沖縄辺りの人が本州を見る感覚に近かったのでは?と思っているのでこう記します)に留学、あるいは出稼ぎからの徴用なり、で滞在してたらいつの間にか光/復して日.本人じゃなくなってた上、帰るべき故郷が分断国家化してたでござる、という何とも可哀想な・・・(´Д`;) 戦後、政治的弾圧に巻き込まれて命からがら逃げてきた韓/国や台.湾出身の方々も、まさに「難民」と呼んで良い存在ではないかと考えます。
ぶっちゃけ戦後間もなくのウチは政府も個人も、こうした人々について国際的にどう分類されるべきなのか判断がつかなかった(けれどもちろん仮にもついこの間まで同じ「帝国」の一員だった彼らを追い返すという心情的な選択肢も湧きにくかっただろうし、実際彼らが熱心に事業を起こしたり復興の戦力に化けた面もある)+ウチが行った全ての「他国」への支配や徴兵・徴用などの行為が罪である、という方向へのG H Qの指導・統制・教育により彼らを否定的に見ること、彼らの置かれた立場やあるべき位置を客観的に捉えることが時が経ち世代を経るごとにとても難しくなってしまった。結果として戦後70年も経ち、分断した片方の国と国交が回復してから半世紀経た今もなお、日/本国籍を取得せず、韓.国民の義務である徴兵も免れ、どちらの国の人たちからも生ぬるい目で見られてしまう彼らの子孫が存在する、という特殊な状態が続いている。2世や3世にもなって、日/本語しか話せないのに祖国は半島、と主張しつつ何故かそちらには帰らない、大切なはずの祖国の若者が皆やらされている兵役の義務も果たさない、出身による差別云々以前に「こりゃどう見てもおかしいだろ」と感じる人が出てくるのは正直当然の成り行きだったのでは?
今回の欧州の難民騒ぎは余りに急激な増加のせいで問題の表面化が早く、それがある程度ペギー○という団体の主張をただの差別ではないものとして認めさせる要素にもなっているのかもしれない。かつての難民、ロ.マは未だに物乞いやスリをして暮らしていたり(子どもも!)、ユダ○系はやっと国を得たものの、今度は「虐げられてきた」反動のせいかナショナリズムが行き過ぎて周りは敵だらけ、欧州に残った人々も新世代の移民・難民であるイス○ム系テロの第一の標的にされてしまっていますよね。本当、不幸の連鎖や・・・と虚しくなる(-_-;)
私、昨日触れた言葉に関してもそうなんだけど人間が「意図的に」滅ぼしたり殺したり、っていうのは余計な反発や反動を生むだけで、絶対にやっちゃいけないことだと考えている節があって。ある言葉が気に食わないなら、自分は絶対にその言葉を使わないようにする、そうすると自分の周囲の人も余り使わなくなり、いつの間にか社会全体の死語になる、そういう方向性を目指していくべきなんじゃないの? 英でも日でも、古文読んでると消えていった表現や意味の変わった言葉がどれだけ多いか、ということに気づかされるから。気に食わない言葉があるなら、「運動」で社会的に即封じることを目指すんじゃなくて、まず仲間内から「ウチらの間では使わないようにしよう」って少しずつ意識を変えていくところから始めるのが正しいやり方なんじゃないかな? 他人に対して表現の在り方を強制することが例えその場で叶ったとしても、FやNワードって登場するとか、それに替わるスラングがまたすぐに出てくるだけ。完全に意味のないことだし、返って過激な歪みを生んでしまう危険があるのでは? 戦争・政策といった人間による作為的行動で大勢の人を追い出したり受け入れたり、動かしてしまう行為も結局は同じことですよね。そういうことが起きてしまえば誰も何も救われない。絶対にポジティヴな効果は出ないし、プラスの結末に到ることは難しい、と個人的には考えてます。

あともう一個、自分と親はこの分野において真っ向から意見が分かれる立場だけど、イデオロギーに対する絶望という点では近い感情を共有しているのかもしれない、と感じた件。
彼の理想とする主義を掲げた代表的な国家が、彼らが最も否定すべき(したはずの)全.体・軍/国主義そのものの国になってしまったこと。それは自.由主義に憧れた私にとって、今の「リベラリスト」が掲げる信条が「言論統制・封殺」の大きな政府・全.体主義に近い社会にしか思えないことと似ているんじゃないか、って(^^;
国家に全てを捧げよ、そうすれば国が「平等の権利」を守ってくれる、自分たちを西側に負けない強い立場へと導いてくれる、と信じる国民が、その中で生み出される凄まじい格差が憐れで・・・。一方でリベラリストを名乗る勢力は「とにかく国に逆らえ、国のやることを信じるな、だが表現の自由は政府の法律で規制させよ、可哀想な外国人は政府に訴えて無条件に受け入れろ」という非常に矛盾した、むしろアナーキスト寄りなんじゃないか、でも法律云々変えたがってるから一応国の枠組みというか政府の存在は欲しているのね?(´Д`;)といった方向に舵を切りつつあるという。何なん・・・何なんウチらが信じてた初めの理想って?という失望の気持ちがね!もしかしたら似てるのかもなー、なんて\(^O^)/
結論として人間に平等と自由は向かないというか、本質的にソレを望まない生き物だったりするのかな、と。歴史見ても、世界中で最も広く分布し、一番長く安定して継続できたシステムはまさに封建制だったじゃないですか。それの否定から入った近代、人類は進歩したと言えるのだろうか・・・とか考えてしまった。戦争のスパンが短くなる、ってことは無かったな。(一部先進国は戦場を他に移すことで最近までは割と安穏を享受できてたけど、テロの登場でそれも終了^^)医療の発展と飢えによって死ぬ率は確かに減ったかも。でも正直、そのことも含め技術の向上にはやっぱり戦争が欠かせなかったし、領主が宗主国や資本家や政治・宗教的指導者に変わっただけ、領土拡大目的が資源の確保や簒奪に変わっただけ、でやっぱり人はどんな統治形態であっても結局どこかで争いに駆り出されることに変わりはないよね、と。日/本は70年関わらずに済んでるけど、ほとんどの人が「社畜」って言葉が当たり前に通じるくらい企業様の奴隷状態に置かれているも同然なわけだし。
個人的にはどの場所でも封建時代の歴史が一番好きだったりするし、何も考えなくて良くて楽そうだな、と妄想することもあるんだけどさ・・・。何か、それでも人間が、私たちが安定よりも欲しがった自由って何だったんだ、そもそも自由を求めるくらいの感情をもたらした理由について考えた時、すっごく切ない気分になっちゃうんですよ今のリベラル派見ると(´-`)



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とあるツイで気になるコメントがあったのでメモ。

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「若い世代の脚本家は地上波洋画放送が終わった時代に育ったので洋画を見ていない」だと・・・!?それ故「外」の世界を知らなすぎて視野が狭い、みたいな。いやいやいやいやソレ言うたら、何で地上波で入らなくなったか、って言ったら衛星放送が始まっちゃったからですよー!今やCSだってあるのよ!?一日中洋画見放題だよ!?20年前レオ様にハマってたお子様としてはどんだけ夢のような時代か!気に入ってどうしても繰り返し見たいが、TV放送は延ばせるだけ出し惜しみが当たり前だったじゃないですか。(タイ○ニックなんかヒットし過ぎてロングラン上映でしたから、映画館での上映が終わってから一年以上は入らないこと確定→そう何回も映画代払えない○学生の小遣いorz)なので親に土下座してお小遣いを貯め、サントラ(ビデオ代は初めキツイもんやっぱり)→ビデオ(タイ○ニックとロ○ジュリだけ。『太陽と月に~』とかは主題が主題だけにWOW○W放送時こっそり観ました(^^;)と必死だったんすよ、当時の洋画(つーか私の場合は主にレオ様だけど。笑)ファンって。もちろんタイ○ニックでアイドル化してしまった彼にその後回ってきた役や作品が全て当たりだったわけじゃないし、彼自身も世間のイメージ通り行けば良いのか、本当にやりたい方向を選べば良いのか悩んでる感アリアリでファンとしても戸惑ったり、中高生にとっては日本の映画代って割引使っても決して安くはないので、付き合わせてしまった友達と微妙な雰囲気になってしまったこともある。それでも、映画館に通い続けてきた30前の自分の青春時代(笑)を振り返ると、「えー、何なに上の世代にはそんなこと言われちゃってんの!?(´Д`)」と衝撃というか何というか。
それにちょっと下の世代はハ○ウッドにこそ興味持つ機会は減ったかもしれないけど、例え結果として現在マイナスに振れてしまったとしても、韓.流がもたらしたものは大きかったと思います。日/本が初めてアジアに目を向け、身近な国について考えたり触れ合うきっかけになったんだもん。私たちの世代では韓/国って手軽に安く行ける買い物先、ってイメージしか正直なかった。それが、おいしい料理を知り、クサい演出がウケるんだー、ってお隣なのに随分感性に違いがあることを学んだり(笑)、まぁ嫌な面も知ることになってはしまったけど、正直アメ○カ一辺倒の時代よりは裾野が広がったんじゃないかと考えます。
あと最近のハリ○ッドを見て感じることは、ハ○ウッド自体がヨー○ッパや日.本にドンドン寄ってきているんじゃないか、ということ。作品の流れや結末見ても、ハッキリしたハッピーエンドや勧善懲悪の世界ではなく、迷い苦しむ主人公とトゥルーエンドな結末、というパターンが増えてきている気がする。ヒーロー物もそう。登場人物のセクシュアリティや人種が少しずつ今までのテンプレから変わって来ていたり、日/本のアニメみたいに一度敵に負けたところからの敗北を乗り越えて、とか自分の能力に葛藤する様子なんかも描かれるようになってますよね。
それに例えテレビで海外の暮らしや文化に接する機会が減ったとしても、動画サイトで日.本人と交流しているweabooな子たちがいたり、海外・日/本どっちにもファンがいて、まさに架け橋的な役割を果たしてくれている日.本在住のJ-Blogerさんたちの存在や、言語交換学習サイトに多国籍掲示板、SNS、まさにメディアという媒体・第三者を通さない「窓」は今の方が沢山開いていると思うんです。だから逆にテレビがそれの真似をして、「外国人目線の日/本」系の番組(別名ホルホル番組^^)を作るのが流行っちゃっているのでは? 留学しないのだってコト足りているからですよ、スカイプと長期休みがあれば(笑)こういう「自分の経験としか比べずに判断する」っていうの私もよくやっちゃうから気をつけたいなー、と思いました。

でも、ちょっと昔のいかにもアメリカ~ンなギャッツビーとかエデ○の東みたいな、あるいはミリタリーものの「うちは絶対的正義だぜ!」っていう迫力とか、古いとこまで遡れば駅馬車的なノリがハ○ウッドから薄れつつあるのは正直ちょっと寂しい気もする(´・ω・`) なんだろう、フラ○トとかアメリ○ン・スナイパー見た時の寂しさや虚しさ・・・?良い作品だったな、とは思う、思うんだけど「君は本当にアメリカ製なのかい?」みたいな(^^;イース○ウッドのミリ物にはまだその香りが残っている気がするんだけど、パ○フィック・リムのスッキリしない(様々な)キャラ同士の関係性とかさー。あ、All y○u need is killも面白かったんだけど、こうもっとハリウッドってキャラクターの関係とっととハッキリ突っ走ってたはずでしょ!? 良いんだよ、元ネタがウチだろうと気にせずブッチュウかましたって!o(゜Д゜)oとギミックとか金かかったCGの動きとかアクションはさすがだなぁ、と感心しつつも叫びたくなったりするわけですよ。だって昔の米映画って、「え、ワンシーン切り替わったらもうイチャイチャしてるんだけど、いつ何故どのタイミングがきっかけだったっけ?(ノ∀`)」って感じで目まぐるしく展開してったじゃないですか、人間関係(主に恋愛面。笑)の構築っぷりというか・・・くっついて別れて、さっき恋人死んだばっかだっていうのに白人って随分アッサリしてんなー、とよく思っていた記憶が(笑)あ、最近は多クールに渡るアメリカンドラマでそれを感じるかなぁ。毎シーズン関係性が入れ替わってキャラも増えて覚えきれない感じ(^ω^)


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今日はF T記事の感想と12月入ったので日/本人(いや自分もそうなんだけどさ)の宗教観マジ謎、って話。


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米大学が行き過ぎリベラルからの不寛容に突っ走ろうとしている、って記事の内容、マジか・・・(゜Д゜:) それこそ歴史の書き換え、『1984』の世界じゃないっすかー。
トム・ソーヤーと大草原シリーズの表現変更に、日本でも『ちび○ろサンボ』名称変更の件などがありモニョモニョしてましたが、差別主義の要素あったから大統領の名前消せって? 功績あった人の名前付けるのが伝統文化だったんじゃないのか?・・・ソ/連→ロ○アのまねっこ?(笑)ギャッツビーですらダメとか頭イカれてるとしか思えない。
私、本当最初に自由主義の思想を知った時、心から感銘を受けて、みんながこの考え方を受け入れられる世界になったらどんなに素晴らしいことだろう、と思ったんですよね。それが、実際のリベラル派をドンドン追いかけてみれば時代下るごとに段々おかしな方向に行くばかりで(´Д`;) ちゃうねん、ソッチは私が何があっても国粋・民族主義より訳わかんなくて危険だと思ってる全/体かつ社.会かつ共/産主義とそう変わらない流れやで!って方に・・・日本も欧米もなりつつあるのが心底悲しい。
大学なんか特に寮とかサークルでグループに組み込まれて署名活動とか始めちゃうと「組織の罠」に陥りやすいですからねー。留学生とか、母国での差別に慣れてない子たちが受けたショックを身近で大げさに語られて正義感が刺激されるパターンもあるでしょうし。でもな、リベラリズムの理想が「小さな政府」で「大きな政府」に抵抗することを第一の主張としているということを考えてみてくれ。組織的運動・活動によってかつての自分たちの黒歴史を全てなかったことにするような「封じ込め」は「大きな政府」の行為そのものじゃないか? そもそもいくら歴史の浅い、その上差別問題も根深い国とはいえ、受け継がれてきた伝統や些細な言い回し、それを用いてきた人々の思い、その時代を象徴するものとして評価を受けた芸術作品に触れもせず特定の(自分たちが嫌うべき)要素を含むから、という理由のみで否定するのはただのバカとしか思えない。起きたこと・あったことは間違いなく無かったことにはできないんだから(逆はやりようによっては可能らしいけど(-_-))、そういう時代の価値観というものが存在した事実含め丸ごとありのままに受け止めろよ、どの国であっても。ウチには直視直視騒ぐくせにさー。
すっかりNワード化した「バカ○ョン」だって、ウチの左寄りの親でさえ反射的に最近も使ってましたがな。『放送禁止大全』とか読んでても「ト○コ風呂」とかは確かにどう考えても失礼だから変えて当然の言葉だけど(「イス○ム国」もヒッデーなぁ、いい加減にしろよ、と思っている)、大体アホじゃね?(´O`)という感じの理由で・・・。本当私が憧れた「Liberal」の意味とは何だったのか、「自由主義」という訳をはき違えてしまっていたのだろうか、と悩んでしまう今日この頃ですね。

あーあともう一個、個人的にクリスマ○シーズンいっつも悩んでしまうネタで、日.本人の深く考えずその時必要な神様にとりあえず祈っとけば良いじゃん、って感覚が正直イマイチ掴みづらい件について。一神教+完全にそれを否定する無神論ベースのとこで育った人間にはまず理解できない感覚というか・・・この点については多くの外人さんの感じる戸惑いに共感できる気がする。確かに受験の時とか手組んで「受かりますように!」って祈ったりする時もあるんだけど、ぶっちゃけるとその対象がどこに向いてんのか、お守り買った天神さんなのか内なるGodなのか分からなくて、そのこと自体に戸惑いと罪悪感を覚えちゃうような状況なんだよな、実は。
育った環境が大きく影響しているんでしょうけど、何だかんだ信仰や思想の押し付けがなかったとは言っても、ク○スマスの贈り物と言えば大体靴下に聖書ネタかキリ○ト教関連の絵本や書籍でしたから(´-`) 元々が本好きだし、感想とか伝えないと悪いかな、って気持ちで一応読む→ある程度クリ○チャン的思考の基礎が刷り込まれた面はあったと思う。で、更にそのクリス○スの食卓において、普段より長いスペシャルバージョン(笑)のお祈りが終わるまで離れたソファで待機する仏頂面の親、という構図を何年も見てきたわけですよ。そんな感じで両方の影響を受けつつ、宗教の選択はこれくらいハッキリさせなあかんのや・・・!という状態の家庭で育った自分にとって、クリ○マス祝った後フツーに神社に初詣行って教会で結婚したり仏教で葬式出すとか「良いのかな・・・?良いのかな?(・_・;)」って不思議というか、どうしても罪悪感に近い戸惑いを覚えるんだよね。
ムス○ムとか土着信仰守ってる人が他の神様への参拝を避けたり、というのは自分の神様への申し訳なさに加え、相手の信仰を心底守ってきた人々への失礼を犯さないように、って敬意の表れでもあると思う。他の神様を信じている異教徒が、相手が長年信仰の対象として崇めてきた聖地を侵してはいけない、みたいな。だから厳格な教会ルールがある一神教の国から来る人で寺社仏閣参拝する人も、極力作法を守ろうと調べて来たりキョロキョロしてなるべく日/本人のやり方真似ようとするでしょ? あの厳密な線引きの感覚が、薄いというか基本的に余り無いように感じるんだ日.本人と宗教ネタ話すと(^ω^) 「むしろ何でそんなことで悩むの?」って反応。だって家に神棚と仏壇が共存してたり、家の後ろに氏神様の祠があったり、近所に毎日お手入れされてるお地蔵さんがあったりってことなかったものー。(京都行ってビックリしたことの一つ。「地蔵盆?何ソレおいしいの?」って反応して呆れられたわ(^^;)初詣は地震の年の塩釜神社が初めてかな!(不吉っ><)
本当、祈りたくなる瞬間はあっても「アレ私これ・・・何に祈るのが正解なの?ていうか意味あんの?本当に信じてもいないもの相手に、返って失礼なんじゃないの?」となり、大体自分のことなら自分自身に、相手のことなら相手の力や心に、世界平和のためなら具体的な世界の指導者の皆さん相手に(笑)祈っていることにしています。災害時ばっかりはまさに天に祈りたい気持ちでしたけどね(つーか怒ってた。雪くらい止めろよ!と。笑)。でも一番祈りたい対象って結局やっぱり人なんですよね。その人が神様を信じると言うのなら、その人が信じる神様に。助かりますように、争いませんように、憎んだり絶望したりしませんように、って。だから強いて言うなら人間信者かな!(それなら無宗教者とはちょっと違うかも!性善説を心から信奉している訳ではないんだけど(^^;)あー日.本人の宗教観ホント謎、ってとこから随分論点ズレちゃったな@いつものことか。

追記:某議員発言について。(※病み要素あり)
同/性愛者が異常なら自分はもっと異常な存在だろうと思うし、自分のような人種のことを理解できない同.性愛者も存在することだろうと思う。(実際、世の中愛が全て、愛し合っていれば何でも乗り越えられる、真実の愛を見つけられない人なんていない!みたいなのが主流派でしょ?まさに愛のために社会的常識やタブーを打ち破ることができた人々がL G B Tと呼ばれる存在であるわけだし)そのお仲間にAが加えられることはきっと起こり得ない未来なんでしょうね。
こういう騒ぎが表に出る度に、自分のセクシュアリティが分からなくて、パートナーを探す勇気も持てず見つける希望も持てない人間はどうしたら良いのか、と考えます。保険や手術の立ち会いや財産分与ほか、判子つくの可な関係性を認めてくださいお願いします!って権利を主張する必要すら存在しない、「あの人まだ独身なの? 人間嫌いの変わり者だもんね」って囁かれ続けるだけの「異常者」は。
全ての人に「正常/多数派」ではない属性があり、悲しいことかもしれないけれど自分とは異なる相手を嫌悪する習性もまた備わっているものだと思う。だから正直、今すっ叩かれている議員さんを気の毒に感じる気持ちと、何かやたら被害者ぶれて声高に権利を主張できるレ○ンボーの人たちを羨む気持ちとで複雑です。
他人の発言に傷つかずにいることも、妬ましさを覚えずにいることも、自分のダメさ加減や心根の醜さにもがかずにいることも難しい。


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