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映画好きだけど意外と見た作品とか内容思い出せなかったり、監督や俳優名挙げられないことがよくあるのって私だけかな?とスター○ォーズ騒ぎに感じたり。(そういやコレどっかで見た!(´Д`;)ってなることが多い。笑)日曜らしいグダグダした呟きですm(__)m
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小さい頃見た映画でよく分からなかったもの→ナウシカ、スター○ォ―ズ
小さい頃見た映画でよく分からないけどハマったもの→雲○ように風のように、蛍○墓
小さい頃見た映画でよく分からなかったけど大人になって感動したもの→紅○豚
あら、ほとんどジブリだわ・・・。洋画に関してはバッドマンはよく真似っこしてたり、ジョーズは父が私をビビらせたい時によく口ずさんでいたので完全なトラウマです。(その後もディ―プ・ブ○ーとかオリジナルのポセイドン・アドベ○チャー海難パニックものはやたら見てたなうちの家族・・・タイ○ニックにドハマりするのは必然だったのか(´-`))
あ、ス○ーウォーズが理解できなかった最大のポイントは敵がお父さんってトコなんだよね。リアタイ世代ではなかったから親が借りてきたビデオとかTV放映で見てたんだと思いますが、同世代の欧米系の人がナチュラルに熱狂できるのってやっぱり個人主義が息づいてて「親は親、自分は自分」って割り切りができるからなのかな、とか考えたりする。エピソード1、2辺りのクイーン・アミダラとアナキン少年の時代はガチ洋画ファンでしたしナタリー好きだったので覚えてます。分かりやすい?ラブストーリー要素もあったしね。でも個人的には新作公開でイマイチそこまでお祭り騒ぎする気持ちはわからん・・・(´・ω・`)
ナウシカは大人になってから見て「なるほどー」とか伝えたいメッセージ性みたいなものは感じる部分もあったけど結局「で?」って感じでストーリーの意味が根本的に理解し難い。何が起承転結で意味のある結果だったのか? 初期作品だからしょうがないのかもしれないけど、カリオスト○の城のワクワクドキドキ考えちゃうとなぁ。
『雲のように風○ように』は高校生くらいの時に原作買ってキャラ設定とか結構違うのにびっくりしたけど、どっちも大好き!結構キワドいネタなのによくアニメ化して、年齢的に何であんなに妙なハマり方をしていたのか正直ナゾだけど、アジアンな宮廷オタ要素・人間の絆の不可思議さみたいなものに昔っから惹かれやすい傾向が既に芽生えていたんでしょうね(^^; ホタ墓は小さい頃だったから悲しさよりも昔の日常の生活に憧れみたいなものを感じたのかも。大人ナシで子どもだけ、穴の開いたバケツとかドロップ水とか、凄く楽しそうで繰り返し見てました。(甘いもの苦手だったので、サクマの缶買わせといては中身全部親に押しつける、というヒドイ子どもでしたが)
紅豚はマルコが豚になった理由やジーナとの関係性とか、整備士の女の子の微妙な心の機微とか昔はちっとも理解できなかったんだけど、大人になってから改めて見て、深くてオサレでジブリの中でも指折りのお気に入り作品になったなぁ。コレとかぐや姫の良さは歳いかないと気づかないかも(笑)サクラ○ボ実る頃~♪素晴らしい挿入効果だよね!
今はあんまりにもBSと配信が豪華になり過ぎて映画館とかレンタル屋さんに足を運ぶことも減ったけど(一作品の上映時間も長めになってるから集中して見たい派としてはまとまった時間が取れなかったり)、今後は日/本のラノベやマンガ元ネタがアレンジされた系とか、『沈黙』の映画化あたりが気になりますねー。(ぜひ『ミッション』と比較したい^^)今やってるので気になる海難ネタと千畝はそのうちテレビで入るかな、って・・・(-_-;)
ファンタジーものも色々見たけど、ハリポは本も含め途中で飽きてしまったし(それこそキャラ増え過ぎ人間関係展開早すぎ)、指輪くらいかなー原作好きとしても満足できたの。(ナルニアとダレン・シャンはそもそも思い入れが薄かったから何となくこんなもんか、くらいの認識だったかな?)第三部の戦闘シーンはちょっと冗長だったけど、原作もフロドが死の山に近づく辺りからかなり陰鬱で忍耐のいる重苦しい流れだったからまぁ同じ我慢か、と(^^;
何だろ、映画に関しては色々見ても結局どれが一番好きか?と聞かれるとパッと出てくるものが意外と無いというか、見れば見るだけ押し出されていっちゃうもんなのかな?映像作品て。戦争ネタは一々すごく衝撃受けてブログにも書き残してるから見返せば何となく思い出せるけど。先日のNHK杯で未来ちゃんが使ってたギャッツビーはすごく好きだし、ローマ○休日、あと裏.窓とかの往年の名作を観た時の感動も頭にはちゃんと残ってる。小津さん(『東/京物語』とか、昔の日/本女性って美しいなぁ・・・)とか黒沢作品(『薮○中』手法とか『羅.生門』大好き)も。実はスピ○バーグで一番好きだったのは見た世代のせいもあってか『A.I』だったりする、というのも変わらないし、色々言われれば印象に残った場面とか俳優さんとか思い浮かぶんだけど、本と違ってキープしておけないからどの作品が一番で何が最も自分に影響を与えたか、って語れないところがあるんだよね、どんなに「観ること」自体が好きでも。
うーん、でもレオ様オタになったのは中学くらいの自分の中でかなり大きな出来事だったから(部活サボって映画館行ったりするくらい。笑)、ベタに『タイタ○ック』はデカかったかなぁ・・・。あと映画の中で出てくる恋愛で一番「あ、コレなら受け入れられるかも」と思えたのは『ミス・ポ○ー』?ジブリのはもののけ・柊あ○い原作系・ハウルに風立ち○と恋愛絡みは全部苦手だったなぁ。千と千尋・ラピュタがギリセーフなライン\(^O^)/ 最初っからブッチュウかましてベッドシーンな洋物のがまだ耐えられる。(中国?の『ラス○・コーション』とかほぼソレがテーマだったけど(ついでにお約束で日/本悪役だったけど)余裕で好きな作品だったし)エ○ザベスやマリー・アント○ネット系の歴史宮廷大作系も歴オタだから好きだし、ミュージカル系も大好き。ア○モドバルからイース○ウッドまで監督の選り好みもそんなに無い方だと思う・・・。「ダメだ、金と時間ムダにした」って映画とそうじゃない作品に別れるだけで(´Д`)←あ、ちなみに見られる作品数の多さ故に邦画が一番その確率が高いので(笑)ソコだけは入念にリサーチしてよっぽど信頼できる監督の作品だけキッカケがあれば観るという感じです。大手は大体テレビ放映あるし。やっぱり記憶の保存のためにも映画は見た後なるべくメモっとくのが正解なのかな。
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『ダウン○ン・アビー』シーズン3を見る→『イミテーショ○・ゲーム』を見る→『1984』を読む→F T、Econ○mistタダ記事(笑)流し読みながら「イギ○ス人って何でこんなにひねくれてんのかなー?(´Д`)」と思わず呟いたら、母が「おいしいもの食べてないからよ!」とイキナリ返事してきた件。「え、だってイギリ○派生の(余り世界的に食文化が認められているとは言い難い)米とかNZとかOZはもっと大雑把、いや分かりやすい感じじゃん?」と言ったら「アメ○カとかはみんなで楽しく食事する文化があるでしょ!?イギ○スでのんびりアフタヌーン・ティーできる層は何%なの?ハンバーガーとサンドイッチの違い考えれば分かるでしょ!?みんなでおいしく食事を取る時間をちゃんと取らない人間は性格が歪むの!」と何故か熱心に語られたわけだが、ちょっとなるほど、と思ってしまった・・・。(まぁそんな母に育てられた私も大概マトモじゃないので正しいかどうかは微妙だけど。笑)
実際に食べ終わるまでの時間は短くても、色々こだわりがあったり「食べること」に集中しないと具こぼしたりしちゃうもんね、ハンバーガーは。対してサンドイッチはほとんど手も服も汚さずに「何かしながら」片手で掴んで黙々と食べられる。どっちの国にも行ったことない母が食における真理を突いてくるとはΣ(゜Д゜;) ウチはどんな粗食でも全員そろって「いただきます」の文化だし、料理や食事に手間暇時間を惜しまないというラテン圏は確かに芸術性豊かで、人の気質も大らかな雰囲気?ド○ツとかロシ○はどうなんだろ? 時間ない以前に作物取れない、日も当たらないロ○アが鬱に向かうのは分かるけど、ドイ○の「贅沢は敵だ!」みたいな、ひたすら芋と肉さえあれば良い、的な背景はやっぱり戦争が絶えなかったせいかなぁ。そんなこと言ったらイタリ○は、とか考えちゃうけど必殺☆バチ○ンバリアー!があったから?(´-`) 食文化から考えるお国柄というのも中々面白いかも、とちょっと思った。
あ、でも大体グルメを極めすぎる美と変態に行き着くというのは何となく感じるね! 東南・南アジアとか東欧辺りのひたすらごちゃ混ぜにして煮込んどけ料理も好きだけど、中華・ラテン(ヨー○ッパと南米両方含む)・ト○コそしてウチと、料理だけじゃなくて国や民族全体的に各々のプライドと美意識を独自の方向に進化させ過ぎてついていけない感あるよね、どこも(笑)たぶんアメ○カは色々ミックスされたからまだ良かったんだと・・・イギ○スは華僑・イ○ド系いても階級制もあるせいか、正直あんまり現地人と混じり合ってるイメージないしなぁ。でも人間の根幹を成す「食」に自信が無いからこそ、絶対的な価値観というものに縛られずに八方美人三枚舌外交の才覚が活きるのかもしれない、とソレらしい皮肉を言ってみたりして(^^;
中東や中央アジアのお料理はほとんどお目にかかる機会がないので、いつか体験してみたいです。特にモンゴ○は乙○語りと柳○教授と相撲関係のブログ・SNSで興味津々!かわいいパンの模様も見たいし、肉うどんもめっちゃおいしそう(^p^) 焼き飯と揚げ餃子にはクッ○パッド様(国際結婚された方とか、アジア系なら逆にコッチに嫁入りした方なんかも登録してたりして意外とリアル多国籍レシピが幅広く載ってらっしゃるんだぜ・・・素晴らしい時代と文明の利器に感謝(-人-))を参考にソレ「らしきもの」を作ってみたりはしたんだけど、如何せんマトンが手に入らないからどうしようもないんだよね(-_-;) 本場の味とは程遠かろう、という出来にしかならない。地元に中央アジア料理の店できないかなー?それか留学生の奥さんと偶然知り合うとか・・・カザフとかスタン系でもOKなんで・・・あ、でもそもそもあの窯が無いとパンは焼けないのかorz
※以下、時事絡みます。(辛口と病みというかセクシュアリティ?に関するネタあり)
↓
実際に食べ終わるまでの時間は短くても、色々こだわりがあったり「食べること」に集中しないと具こぼしたりしちゃうもんね、ハンバーガーは。対してサンドイッチはほとんど手も服も汚さずに「何かしながら」片手で掴んで黙々と食べられる。どっちの国にも行ったことない母が食における真理を突いてくるとはΣ(゜Д゜;) ウチはどんな粗食でも全員そろって「いただきます」の文化だし、料理や食事に手間暇時間を惜しまないというラテン圏は確かに芸術性豊かで、人の気質も大らかな雰囲気?ド○ツとかロシ○はどうなんだろ? 時間ない以前に作物取れない、日も当たらないロ○アが鬱に向かうのは分かるけど、ドイ○の「贅沢は敵だ!」みたいな、ひたすら芋と肉さえあれば良い、的な背景はやっぱり戦争が絶えなかったせいかなぁ。そんなこと言ったらイタリ○は、とか考えちゃうけど必殺☆バチ○ンバリアー!があったから?(´-`) 食文化から考えるお国柄というのも中々面白いかも、とちょっと思った。
あ、でも大体グルメを極めすぎる美と変態に行き着くというのは何となく感じるね! 東南・南アジアとか東欧辺りのひたすらごちゃ混ぜにして煮込んどけ料理も好きだけど、中華・ラテン(ヨー○ッパと南米両方含む)・ト○コそしてウチと、料理だけじゃなくて国や民族全体的に各々のプライドと美意識を独自の方向に進化させ過ぎてついていけない感あるよね、どこも(笑)たぶんアメ○カは色々ミックスされたからまだ良かったんだと・・・イギ○スは華僑・イ○ド系いても階級制もあるせいか、正直あんまり現地人と混じり合ってるイメージないしなぁ。でも人間の根幹を成す「食」に自信が無いからこそ、絶対的な価値観というものに縛られずに八方美人三枚舌外交の才覚が活きるのかもしれない、とソレらしい皮肉を言ってみたりして(^^;
中東や中央アジアのお料理はほとんどお目にかかる機会がないので、いつか体験してみたいです。特にモンゴ○は乙○語りと柳○教授と相撲関係のブログ・SNSで興味津々!かわいいパンの模様も見たいし、肉うどんもめっちゃおいしそう(^p^) 焼き飯と揚げ餃子にはクッ○パッド様(国際結婚された方とか、アジア系なら逆にコッチに嫁入りした方なんかも登録してたりして意外とリアル多国籍レシピが幅広く載ってらっしゃるんだぜ・・・素晴らしい時代と文明の利器に感謝(-人-))を参考にソレ「らしきもの」を作ってみたりはしたんだけど、如何せんマトンが手に入らないからどうしようもないんだよね(-_-;) 本場の味とは程遠かろう、という出来にしかならない。地元に中央アジア料理の店できないかなー?それか留学生の奥さんと偶然知り合うとか・・・カザフとかスタン系でもOKなんで・・・あ、でもそもそもあの窯が無いとパンは焼けないのかorz
※以下、時事絡みます。(辛口と病みというかセクシュアリティ?に関するネタあり)
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私、昔は学校の自主研究?みたいなもので夫.婦別.姓についてのアンケート意識調査やっちゃうくらいこだわっていた人間です。ちなみにその時左向きの親にも「そもそも民/法変えないといけなくなるから今後も日.本ではほぼ無理」と言われていたので、今回の判決は予想してた。そして今は「別に職場では旧姓のまま通している人もいるし、確かに子どものこと考えると一理あるシステムかな(´-`) というか確かに書類上は色々変更とかあってややこしいけど、裁判起こす手間考えたらそこまでこだわる話でもないかも」くらいには受け入れられる自分がいる・・・コレが大人の妥協というものなのか、とかトンガリが削られた状態なのか、とか虚しくなったりもするけど、ヨソ様のリアクション見てたら何だかムカッ腹立ってきちゃってね!(^ω^#)
この、昔あれだけこだわっていた自分がフゥ、と息を吐いてある程度納得してる時にですよ?「遅れてる」だの「女性の権利を冒涜」だの好き勝手言ってくれるじゃねーかオウオウ!という気分に(以下略)大体、たかが名字ですよ? 私は延々名前が連なる欧米(+一部中/国)方式は正直あまり好きじゃない。返って呼び方混乱して覚えにくいし表記もしづらい。向こうは名前被りも多いから必要な措置でもあるんだろうけど。あと子どもが片方の姓だけ継ぐ、とか下手すると兄弟で名字違ったりしちゃうのはやっぱり何か寂しくない?(´・ω・`) とそのシステムを採用している知人の在.日ご一家を見て思った。日/本人としてはちょっと混乱するというか・・・職場や社会的に好きな名字を名乗ることが認められていて、嫁いだら必ず家で旦那の帰りを待つことが強制されたり、どちらかの家の墓に入ることが義務化されていたり、という訳じゃないんだからさー。何かこの辺り誤解を与えかねない書き方じゃない?海外というか外国語メディアさんたち・・・(;´д`)
自分の黒歴史見せつけられてる感と、最近とみに感じる自由主義者の不寛容(自分の価値観にそぐわないものは全て敵、あるいは遅れている可哀想な者と見なす傾向)をダイレクトに感じてしまって、いたたまれない気分になっちゃって(∩///∩)
幼い頃からあちこち転々としてコスモポリタンとしてしか生きられない人がいるように、ずーっと同じ土地で育って○○人としてしか生きられない人もいる。ヨー○ッパ人になろうとしているド○ツ人は昔そのヨー○ッパをめちゃくちゃにしたナ○スを思いっきり罵り、新たな「欧州人」の増加も歓迎できるだろう。けれどドイ○人としてしか生きられないド○人は、フラ○ス人としてしか生きられないフ○ンス人はどうだろうか? Br exitが現実味を増しているのはイギ○ス人がヨー○ッパ人にはなれないこと、アイ○ランド・スコッ○ランド・イング○ンド・ウェー○ズあるいはU K、もしくはアング○サクソンとしてのアイデンティティしか持てないことを強く自覚しつつあるからなんじゃないのか?
かつて日/本人はアジアに、大陸に同化しようとして結局叶わなかった。だから今も私たちは私たちの視点でしか物事を見られない、決して中.国人や半島人と同じ歴史は語れない、そうなるには日/本人ではなくなる必要があるから。大陸に大陸の見方があるように、日.本には日/本の理由があった。もし自分たちがそれを忘れてしまったら、他に誰が覚えていて語ることができるのだろう? 自分たちが消えても良い、自分たちではない存在になっても良いと思えた時に初めてソレを捨てることができる、と個人的には考えているので、日.本人が日/本人である限り、悲しいことだけどアジア(いや世界?)の「歴史認識」が完全に折り合うことは不可能なのだろうと思っています。そして日.本人は過去から現代までの歴史を通して見ても、どうやっても日/本人以外のものにはなり得ない民族だ、とも。それこそ大陸とやり合って負けて、向こうの人が大挙して押しかけて一省化・通婚が進みまくらない限り。(歪んだ教育とA Vの浸透ぶり考えるとあり得なくはなさそうなところが怖いですね(^^;)
アメ○カにも、どうやっても「アメ○カの白人」としてしか生きられない人々がいるから憎悪犯罪が生まれ、トラ○プ旋風が起こる。プー○ンの人気も、最近の若い中/国人が党のシステムを支持している、というのも正直同じ理屈だと思う。全ての人の権利を、生き方を認めること、多様性の在り方の押し付けが彼らを生み出しているのだと個人的には行き過ぎたリベラリズムについて考えてしまう。本当の自由は「偏狭な価値観」「小さな世界」で生きてきた・生きていきたい人々の存在をも許容することなんじゃないのか? それが真の多様性で、そういう人たちの守りたい思想や空間を維持できる体制を整えるのもまた「自由主義」に求められることなんじゃないか、とか考えちゃうんですよねー。
確かに極端な意見に対して傷ついたり、途方にくれる人がいるのは不幸なことだけど、人間誰しもそういう気持ちを味わった経験が皆無な人なんかいるはずないと思うんだ。ありとあらゆる映画や歌や小説の中で「愛、愛」と叫ばれる度に「こんな人間でゴメンナサイ・・・orz」って感じてしまう私のような人間もいるし、ていうかぶっちゃけ友達相手でも妊娠報告受ける度に「ウヘァ(´Д`;)」となってそんな自分に自己嫌悪するし、でもだからって「この繊細な心情を察して尊重してよ!」と世間に向かって訴える気は欠片も起きない。むしろその時は傷ついたり凹んだとしても、結果的に自分の分からない感情・知らない世界・異なる視点を教えてくれて感謝している。生まれてきた子たちと接するのは本当に楽しくて可愛いと感じるし(*´∀`)
権利を守ることは大切、そのために主張していくべきことも当然ある。けれど意見や表現・思想はどんなに過激なものであったとしても統制・封殺されるべきでは決して無い。少なくともリベラルを名乗る限りそんな運動はすべきでないし、民主国家である限り法律で規制するなんてあってはならないことだと個人的には考えてます。昨年だったか?仏の風刺画に怒る意見を書いたけど、自由があれば反論や反発の表明もできて、対立する側同士で議論を行うことが可能なんですよ。それって一番素晴らしいことだと思いませんか? 長年争ってきた人類の歴史の中で最も平和的で友好的な問題の解決方法と憂さ晴らし!^^ だから私は、その議論が苦手な国民性だとわかってはいるけれど(笑)自分の国にそういう体制の国家であってほしいと願うし、できることなら世界中の全ての国(特に左派を自称する人たち)に本当のリベラリズムとはどういうものか、もう一度考えてみてほしいと思う。この辺だいぶ自分でも迷ってて混乱してる点だから難しいな、とは感じますが(-_-;) 決して偉そうに言える立場じゃないし。夜中のチラ裏だから言える呟き(笑)
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やっぱりいっつも思うんだけど、中/国さん早く目ぇ醒まして帰って来てええええええ!!!。・゜・(ノД`)・゜・。今の日.本人の大半が違う意見なのは分かってますよ、でも私には、何だかんだ言って日/本が最も上手くやっていける、そうするべき国があるとすれば中.国(大陸)しかないと思うんだ。文化も人も距離も、お互いの長所短所合わせてもさぁ!早くあの党の独裁と歪んだ歴史のしがらみから解き放たれてくれれば・・・あと本当幻想の「中/華民族」騙りやめて各民族の自治を認めてやって・・・そうすればきっと身の丈に合った民主的な国家が(以下略)とか夢見るのは無謀すぎるのかな? 大陸に酷いことした国の人間が何言ってんだ、って向こうの人には思われるかもしれないけど、じゃあイギ○スは? ロシ○は? 満遍なく全方位に恨みを持つならともかく、ウチに対してのみ教育においても国際社会においても取り立てて騒ぐのは、党による政治的な事情と儒教思想に基づく華夷秩序の破壊を根に持ち過ぎちゃってるせいで、言うほどの真実味というか正当性が無いよね?と現代日.本人としては感じざるを得ないんだ正直。
・・・ぶっちゃけ私、イギ○スの植民地支配に比べれば大陸王朝の朝貢システムの方が何倍も優れていたと考えてます。貢物もって恭順の意を示せば倍の返礼と「ウチの保護範囲内ね」ってお墨付きがもらえるんだもん。それで欧米の魔手から逃れられた、あるいは餌食になるのを遅らせることができた国がどんだけある? 日/本も「清からの輸入品しか歓迎しませーん(゜Д゜)」って宣言してたも同然な状態で、間接的に華夷秩序下の国認識で手出されるの防がれてた面もあったんじゃないかな? 実際の国交はなく、優位な貿易独占体制を維持したがっていたオラ○ダの働きも大きかったとはいえ。自分たちの土地に勝手に麻薬だのゴムだののプランテーション作られて強制労働させられて民族対立煽られて奴隷として売り飛ばされるよりはるかにマシな体制だよ、例えそれで(結局は大陸王朝の政策や状況に左右されるために)進歩が大幅に遅れてしまったとしても、朝/鮮のように大陸を妄信・崇拝し過ぎて思考停止状態に陥ってしまっても。
あとロ○アの歴史やしてきたこと考えると人間性的に中.国人の方が百倍マシ、と思えるのだが何故日/本には未だに親/中派より親.露的な人が多いのか・・・?プー○ンがカリスマに見えるから?バカじゃないの? 自国の、あるいは同じ民族の人間にだってああいう仕打ちができるヤツだぞ? 元スパ○に亡命実業家にアーティストに野党政治家、クリ○アとシ○アで起こったことを何も見ていないのか?(゜Д゜;)ポカーン ましてやウチら日/本人だからね?邪魔な米.国の腰巾着アジアンのクソ野郎認識だからぶっちゃけ(^ω^) 柔道愛好家? 関係ないっつの、彼にとっては支持者>ロシ○人>その他で、利用できるもの以外、つか基本的には自分の権力保持以外何も興味ない人間だって。欲しいもの引きずり出したら用済み始末系だって!恐らく自分の血に近いのは(体質とか諸々考えて)コッチなんでしょうけど、戦後の女性の扱い一つとってもマジでロ○アだけは無理、というか信用できるわけねーだろ、と夢見てる人に言いたい。
中/国人は庇ってくれたり嫁にもらってくれたり孤児引き取って育ててくれたりしたんだぞ? 中には本当にウチのせいで散々な目に合った人もいただろうに。それが、ソ.連は女と見るとひっ捕まえてマワしてなぶり殺しか性病移して妊娠させて何人死んだよ? 日.本もド○ツも大っぴらにそれを語ることが許されてない状況だけどさ。都市の元々の人口より多い人数が「殺された」ことになっている南/京とか、その「性病」蔓延防止目的で「慰.安所」設置してた日/本軍の方がはるかにマシじゃない? 問題はそこで働かされていた女性たちがそこに到った経緯だということは確かだと思うけれど。とにかくW W 2その他で女性の扱い面で最悪だったのはソ.連(と何故か日.独のみならず味方側のフ○ンスでも暴れ回ったアメ○カ)だと個人的には思う。白/馬事件に関しては何も申し開きはできないけれど、敗戦前に軍事裁判で処罰されていたことだし、他のイ○ドネシア人慰.安婦の話を聞くと(URL見失ってしまったけれど以前現地の新聞に載った証言を翻訳されて下さっていた方がいた)、多少本人の納得の行かない形ではあったけれど言わば当時の駐留日/本兵の「現地妻」のようなかたちで囲われ、子供が生まれたり、元兵士が終戦後探しに来て子供が日.本に渡ったり、という例もあったと。兵士の方は本当に彼女たちを奥さんと思い、子供のことも愛していたというか、たぶん異国の地で寂しくて、一緒に暮らしてそれを慰めてくれる女性を求めていただけだったんだろうなぁ・・・と、自分が日/本人だから甘い見方をしてしまうのかもしれないけど想像できる範囲内で。拉致監禁で自由の無い奴隷生活、という話では決して無かった。
併合から三十年くらい経っていた半島の女性たちは本当に日.本人慰/安婦と余り変わらない扱いだったんだろう、と思う。サンダカン~を読んでも大隊が着くと寝る間もないくらい一気に相手をしないといけなくて大変だった、という話は出てくるし(もちろんそのしんどさは察するに余りある)、けれど余裕のある時間もあり、兵士と恋に落ちることもあり、売られた身とはいえある程度の小遣いは自由が利き・・・という。その募集方法、職に就いた経緯が日/本人であっても半島人であっても100%彼女たちの意思であったのか、あるいは身内に売られたのか仲買人に騙されたのか、という点が問題なんだよな、とは考えます。ただ、軍がある程度「定宿」や「慰.安所」を定めたり設置して管理する、というのは彼らが精力の衰えていない(しかも戦時下の興奮状態・妻や恋人と長く離れた状態にある)男性の集団だということを考えると、最低限必要な措置だったとは思う。例え売.買.春の概念自体がキリ○ト教的に間違っているとされることでも。アメ○カ軍の暴れっぷり、ソ/連軍の「民○浄化」と性病の撒き散らしっぷりを見ると余計に。今の沖/縄ですら度々問題が起きてんだから、戦後すぐはどんな地獄絵図だったか(((-_-;))) あーもう『昭.和遊.女考』の記述とか思い出すだけで吐き気するわ。よくそれでNa○jing世○遺産登録できたな!フラ○ス辺り、もっと暴露して怒ったって良いと思う、ナ/チ相手の娼婦がいたことなんて相殺できるって!と感じちゃうなー・・・、ってまた話が逸れてしまった。
浩さんの話は色々聞いたり読む度に泣いてしまうけど、やっぱり今回も大号泣(´;ω;`) えーせーさん何故死んだし! 日/本の華族のお姫様があんな苦労の果てに何でここまで悲しい目に遭わなきゃいけなかったんだ?(つД`) たぶん、全く知らなかった己の民族の醜い部分に何度も絶望した場面もあったと思うし、反対に大陸人なんか大嫌い!って憎んだこともあっただろう。それでも彼女は最期まで溥.傑さんと一緒にいて、彼を愛して愛されることで救われて、そのためだけに頑張って生き抜いた。お互いと出会えたから、彼らはどんなに激動の人生でも、どちらの国や民族のことも、世界中を呪ってしまいたくなったとしても、相手の存在故に赦しと救いを得て、最終的に両国を繋ごうとする努力ができたんじゃないか、と。長女が日/本で死んだことも、次女が日.本人と結婚して故郷に帰ってこなかったことも受け入れて、その上で中/国で人生を全うする選択を叶えることができたんじゃないか、って。何か本当凄いなぁ、と思います、この時代のアジアで「エライ人」として生きなければならなかった全ての人たち。朝.鮮王家に嫁がれた方も、確か戦後も向こうで離婚せずご夫婦として生涯を全うされましたよね? 国なんか、両国の絆云々なんか背負わされたくなかっただろうに。普通に出会って結ばれて、当たり前の家族として一緒に暮らしていければ良かったのだろうに。でもそれが無理な時代、無理な立場の人たちが、まだ一世紀も経つ前に存在したんだ。
というか日/本人と大陸人、あるいは朝.鮮人、台/湾人とのカップルの全てが何らかの形で別離を経験したか、どちらかの故国を捨てる決断をせざるを得なかったのだろう、と先のイ○ドネシア女性との間に生まれた子を戦後必死に探していた、という元日.本兵の父親の話とかも思い出して色々考えさせられてしまいました。かの悪名高い(笑)中/国メディアにも、台.湾で恋人だった日/本人女性のことを忘れられずに生涯独身を貫いているという元国○党兵士の話が載っていたな・・・。本気の大和撫子ってハニトラ云々よりマジで自分の人生丸ごと相手に捧げ尽くしちゃうからなぁ。得たいもの得たらポイ、の割り切りが下手くそというか(^^; この辺もアジア圏の日.本女性信仰に一役買っているのだろうか・・・どこにでも嫁ぎ、生涯決して裏切ることなくついていく、というイメージ?とセレブに嫁ぐことが多いから?(あとまぁA Vが主な理由だろうけどな最近は!笑)
この辺の日/本のスタンスは欧米と真逆で興味深い。向こうはポカホン○スはじめ大体植民地の女性が宗主国男性の妻・あるいは妾的な立場になることが多くて、その逆のパターンというか支配側の女性が被支配側の男性に嫁ぐことってまず無かったけど、日.本の場合は意図的な政略結婚も含めその例が結構あるんだよね。やっぱある程度華夷秩序意識というか、教養としての漢詩や古代中/国の兵法学ぶことが必須だったり、大陸・半島に敬意や仲間意識を持っていたせいもあるのかな? 一応スローガンとして掲げていたのが「大○亜共栄圏・八○一宇・五族○和」だったわけだし。混ざり合うのはどっちがどっちでもむしろ良いこと、みたいな、むしろある意味では今より開かれた認識だったのかも。(現在と来たら、某紅/白出場歌手に義父が迫った踏絵っぷりにガクブルしちゃったのは私だけでしょうか?(((゜Д゜;))) 神社で結婚式+婿入り+帰化とか・・・確かに昨今の情勢考えたらそこまでしないと一家で芸能界生き残れない、って判断と一人娘への愛情故なのかもしれないけど(以下略))
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しかしたかが地下鉄の広告に戦後70年も経った戦勝国()様でありながら、どんだけ繊細なんだよ(ノ∀`)って例の騒ぎには思わず笑っちゃったよね。その一方でルーズベ○ト上げ日.系人強.制収容を肯定する一派がナチュラルに出てくるという(笑) 「自由の国」アメ○カの戦後70年ですらこうなんだから、支配者となったナ○スが『イナゴ身重く横たわる』を禁書にするのは当然だろう。
1/3くらい読んだ印象では、何か結局どっちの陣営が勝っていたとしても世界の構造や流れ、人間の心理や生活は基本的にはそう変わらないもので、過去が不変であることに代わりはないけれど、歴史がどう動くかはほんの些細な入れ違いというかコインの裏表みたいなもんなのかな、と思っちゃった。
狂気に囚われソ/連化していくド○ツ、E Uのように理想にがんじがらめにされる日.本。そして妥協が成立し、なぁなぁで付き合っていく日/本人とアメ○カ人。日.本人の奇妙な収集癖(欧州人への袖の下にミッ○ーの時計のくだりは爆笑した^^)・舶来物に弱かったり、まず目の前のものを完璧に仕上げてからじゃないと先に進めない性質と、ド○ツ人の絶対的真理を信じる頑固さが狂気に繋がる、という描き方は第三者の目から見た時に的確なんじゃないかと感じた。だから日.本では物事の進め方がとても遅い、非効率的だという批判が出るし、ドイ○人はその頑なさと自らの正義への絶対的な信頼故に、財政問題でも難民の件でもE Uに深い亀裂を生み出してしまった。自分で自分の首を締める特性持ちなんですよね、どっちも(^-^;
『1984』と続けて読んで思ったのは、アング○サクソン、というかネイティブ英語圏の人々の強さは嘘でも本心でも自己を客観視し、それを明確な言葉で他者に向かって語れることではないか、と感じた。客観視しているから他者という「聴衆」の存在を常に意識し、その語りを通じてある程度相手を説得できる可能性を秘める。主観で動くだけの狂信者、ただ内にこもった自分の主張を独善的に熱弁するだけの私たちとは違う。(ド○ツ人は一緒にされたくないかもしれないけど、少なくとも日/本人は「どうせガイジンには分からない」と初めから他者の理解を拒む良くない癖があるし、例え第三者から問われた時に理由を説明できなかったとしても、指示をされたことに対しては「そういうもの」として闇雲に従ってしまう面がある。旧ナ○スの徹底した上下関係の統制ぶりも下位の者に思考の停止を強いるという意味でそれに近いところがあったのでは? 一時的にはそれで良くても、組織や勢力の永続的な維持という点で見れば疑問を持ち考える頭脳の豊富さと多様さ、またその意見を自由に表明できる機会が多い体制の方が伸びる可能性は膨らむよね、とか(´-`))彼らは常に「聞いている」・「見られている」他者の存在を認識している状態だから、嘘をついてソレを見抜かれたとしてもその理由まできちんと説明できるんですよね。そこが私たちとの一番の相違点で、きっと永遠に敵わない理由なのだろう、と思います。
あとこれは欧米共通なのかもしれないけど、プランA,B,C・・・って常に何通りものシュミレーションを用意しておいて挫折感を減らし、かつ適応力を上げる考え方。結果がダメでも、一つのことを諦めずにひたすらコツコツやり続ける方を褒め称えるウチの人間には無いというか、どんなに良いと感じても行き渡るのは少し難しいかな、って発想ですねー。
日.本人に比べたら口が立つように見える中/国人は、果たしてアング○勢力を乗り越えることができるだろうか? それともその中核の国(正直一番の深手を負わせた、あるいはそのキッカケを作った相手なのになー、と釈然としないところはあるけど!(^ω^#)ビキビキ)との「黄金時代」を築きつつある今、妥協と協力が成立し、彼らと世界の覇権を分かち合うような未来が訪れてしまうのだろうか?とか、日.本人としてどうしても色々考えさせられてしまった(-_-;)
イタ○アは何か本当に可哀想な立場ですね。長年大国に分割統治され、やっと統一して独立したと思ったらもろに不況の煽りを喰らった勢いでファ○ズムに呑まれ・・・その中ですら存在感を発揮できずに、結局南北の不和を解消できなかった果てに同盟国を裏切らざるを得ない立場に。勝っていたとしてもナ○スの圧倒的な存在感の前に結局コレかよ、とジョーの告白のくだりはひたすら哀れで(つд`) 彼の語るイギ○スの残虐性はまさに日/本の裏側なのかもしれない、とも。語り尽くされたナチ○の「残虐行為」と同時期に日.本は負けず劣らずこんなヒドイことしてましたー、というのが何故か最近になって特定の国々から懸命に発信されている構図を思わせる・・・。
でも少なくとも戦後20年くらいのアメ○カにおいては、まだ戦時プロパガンダ等が人々の記憶の中に残っていた時代ではあっただろうけど、日/本人の印象として「ちょっと変わってる上に杓子定規すぎてつまんない人種ではあるけれど、ある程度ルールを守って丁寧に接していればそこまでトチ狂ったことはしないグループ」という認識が持たれていた点は少し安心した(・・;)=3
ナ○スがもうあり得ない非人道的な狂気の行いに走っている、ということが示唆されているだけに。てかヒム○ー死んでんのかよ!(;´д`)1948年、ってはえーな!そして残ってんのがゲー○ングにゲッべ○ス・・・((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル ヒト○ーが廃人化して後を継いだボ○マンが死んでドイ○経済が崩壊寸前なのに宇宙開拓しようとしててその状況とか、田上じゃなくても気分悪くなって聞いてられないわ。
でもさー、さも枢軸側が勝ってたら経済も技術も全然進歩してなくて遅れてた、ってのはいかにもアメリ○的な世界観だなぁ、と(笑) 引っ張ってきたナチ○の研究者に教えてもらったこと、どんだけある? 確かに教育と資金の援助は受けたけど、ウチだって少なからず戦後の経済や生活や科学の発展には貢献してきたはずだと思うんですけど・・・とちょっと言いたくなっちゃうよね!まぁ中.国の易経やらアジア諸国定番の輪車?の描写が日/本が中心となって支配しているはずの世界の中でごちゃ混ぜになっていたり、60年代のアメリ○人にとってのアジア・日.本認識って結局こんなもんだったのかな、と虚しい気持ちになったりもしますけど(´・ω・`) だってス○ェーデン人とド○ツ人の差異にこだわれるくらいならさぁ(以下略)
タイトルにもなっている「高い城の男」についてジョーが語る「安全な場所から世界を斜にながめている」ってまさに私や、大局的に見れば今の日.本人全てにとっての現状そのものなんじゃないかな、って胸を突かれました。直接の経験に身を置かず、その勇気すら無しに情報だけを漁り妄想にふける。張り巡らしたバリケードはさながら在/日米/軍ですかね?(~_~;) そんなところに住んでいる人物が実際の歴史に近い、物語中の「空想の小説」を書き、それをナ○スが禁書化しつつ日.本人側は楽しく?貪り読んでいる、という構図がリアルで面白い(^^)b ウチら歴史IFもの大好きだからなぁ。(それもIFが起きていたら民族滅亡、とかの可能性が極めて少ない地理的要因や歴史的背景の幸運あってのことなのかもしれませんが)
日/本人がアニメやらマンガ、ゲームにラノベでタブーもクソもなくありとあらゆる国や歴史や宗教をネタにできるのって、本当長きに渡り世界と隔絶された「高い城」に住み続けられたおかげだと思ってるからさー。広大かつ荒い海とぶっちゃけ久しく最高の囮役を務めて下さいました大陸の皆様、そして言いたいことは諸々あっても何だかんだ戦後のアメリ○さんありがとう!とその点に関してだけは思うわ(-人-)
これからそれぞれの人物の人生がどう絡んでいくのか、ボル○ンの死が何をもたらすのか続きを読むのが楽しみです♪
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途中からありきたりな(ハリウッド映画化できそうな方向の)愛と冒険ものになるのかな、と感じたところもあったんですよ。さすがイギリスの名著、裏切らない・・・!いつも通り鬱な方向に発揮される意外性!残酷なまでに人間の真理を抉ってくる描写に言葉に展開。そして真実を最後までハッキリさせずとも読者に「そう」と「解らせてしまう」、この絶妙な幅と余韻を残したラストね。やべー「病んでるぅ(;´д`)」と共感()できるのは独・露語圏文学で、「かっ飛んでるけどオサレ過ぎて理解できない・・・!」って楽しむ()のが大体おフレンチ系なんですけど。(あ、でも変態的方向性でウチと一番似通っているのは彼らなのかもしれない、とも。マンガも好きだしさー。独系のフェティシズムにスラヴ圏の鬱要素、イギリ○の孤立志向+仏の耽美的妄執が合わさるとウチの諸々に到るかもしれない)ちなみにアメリカは大体いつもオチが綺麗すぎて自分の中では娯楽枠認識です。ヘミングウェイもフィッツジェラルドも好きで名作だと思うけど、何つーか必ずヒーロー要素があって物語として美しいじゃん? えっげれす様はひたすら「上手いなー!」と映画もドラマも毎度毎度感心しちゃいますよね(;゜Д゜) イヤお前ソレ考え過ぎだよ、ってくらいのひねくれっぷりオット、深い思索(笑)、それをどこで出していくかという構成の緻密さ、そーしーてズダーンとぶちかますラスト!あぁもうお見それしましたm(__)m
結局ブラザー同盟とゴールドスタインの存在自体が「異分子」を炙り出すために党が作り出した架空の餌だったってことか・・・そして思考警察の罠の張りようといったら(((-_-;)))gkbr
ジュリアとウィンストンの最後の逢瀬が物悲しい。人間の本来の在り方を、記憶を、絆を断ち切って、そこまでして求めるものが絶対不変の「党」という集団の権力、と言い切れる点には正直ある種の清々しさを感じてしまった。・・・そしてやっぱりこの理想に一番近いかたちで「権威」を手に入れたのが日/本のTennoではないか、と(・・;) 確かに直接の「権力」を握っていた期間こそ短いものの、神社と全く関わらずに生きている日.本人はほとんどいないよね?その頂点がそうと定められている以上、無意識に私たちは彼らへの信奉というか、行動原理のなかに「お天道様=天.照」が見ている→最低限その子孫とされる一族への敬意と服従(というとアレだけど、キリス○教の神の目と同じで侵してはいけない倫理規範のようなもの)を示さなくては、という理念が働いているように感じるんだよね。
中.国K産党は正直ここまで開き直れていないし(だから今必死で抗日宣伝強化中)、余りに広大な土地と膨大な人口に揉まれて育った民族的特性なのか、ぶっちゃけ集団の権力を存続することより個人の利権を追求して、エライさんほどサッサと外国に身内と資産移しちゃうよね。この点でも真の共産国家・全体主義には向かない隙があったことが、『1984』の究極形を読んだ後ではある意味ラッキーだったのかもしれない、とも感じた。あ、でもそのせいで逆にウチをはじめ西側諸国が油断して彼らの増長を放置・あるいは支援する形になり、内側で抑圧される立場の人々にとってはより酷い状態をもたらしてしまった面もあるのかな・・・? 北に対しても、総/連を通じてウチから流れていったモノはどこでどう使われてしまったのだろう、と日.本人として責任を感じるべきところはあるかもしれない。実際に中/国と北の軍拡やミサイルはウチにとって直接的な脅威になってしまっているわけだし。
でも、ウィンストンがプロールの中に希望を見出だしたように、今の時代にはその膨大な「プロール」同士が繋がれる壁を越えた世界、インターネットの存在があるから。例え罵詈雑言の応酬になったとしても、金の盾を越えて、あるいはゴモーさんの一人としてでも外部の意見を聞ける、ガチで戦争しちゃう前に思いっきり口(カキコミ?)喧嘩したり、連行される前に公開の場で自分の意見を表明(あるいは表明を委託)することができたり、またそれに対する他者の反応も、基本的には全ての情報が自動的に公開・記録されることになる。例え検閲があっても、バカみたいなプロパガンダが混じっていても、少なくとも私たちは情報を得て、それについて考えることができるんだから、何て幸せな時代・素晴らしい世界か、と改めて考えてしまいました(つд`) 確かにネットはN○Aにも城/管にも見張られていて、ある意味では『1984』におけるテレスクリーンのような役割を果たしている部分もあるかもしれない。でも、ネットがあるから私たちの世界は完全に閉じきらず、「相手」も自分と同じ感情を持った人間であることを理解できる可能性を秘めていると言えるんじゃないか、と、今のこの現実をオーウェルさんにも見せてあげたいと思った。
人間から人間性を奪い去ることなんか、どんな独裁者にも組織にも国にだって出来ないよ。WW2期の日/本人がそうだった、みたいに語られる度に、田舎の神社に掲げられた平和祈願の奉納板のことを考えるんです。アメ○カ人が必死に「原爆は大勢の人々を救った」って主張するのは許されるのに、ウチの片隅で確かに平和を祈る人間がいた事実は無視されてしまうのか、と。オブライエンの言葉を借りるなら、大日○帝国の掲げた「動機のごまかし」は大東○共栄圏だったのだろう。けれど全ての人間がそのスローガンを信じ、そのために戦っていたとは思えない。・・・何か上手くまとめられないけど、それだけ。中には本当にその「理想」に含まれる「アジアの解放」を叶えるべく敗戦後も戦った人たちがいたことも、残されるべきではない記録・記憶として忘れ去られていってしまうんでしょうね(・_・)
歴オタだから、この党が全てを支配する世界では「過去は存在しない」という言葉が一番胸に刺さったかな? 過去を知りたいがために何とか今まで人生踏みとどまってこられた自分にはとても生きられそうもない。ソッコー自殺か愛情省送りだなぁ、と(^-^; でも、さっきも書いたけどナ○スも日/帝も、シベ○ア抑留者の記録を見る限りソ.連ですら完全な思想の統制、人間性の排除が叶わなかったように、私もウィンストンと同じく恐怖と裏切りと拷問によってオブライエンの語る世界の純化が実現できるとは思えない。人間の精神がいつかそれを打ち破る、ってウィンストンのセリフには泣いてしまった・゜・(つД`)・゜・ そして彼にとってはその「人間の精神」の拠り所であったジュリア、遂に彼女を裏切ってしまう101号室のくだりと、哀しすぎる再会からの怒濤のラストシーン、「<ビッグ・ブラザー>を愛していた」・・・これでやっと彼は射殺される権利を得たわけですねorz 何て哀しくて鬱で真に迫った結末なんだろう。と、何か心から撃ち抜かれたというかハッピーエンドより逆にむしろ感動してしまった。
でも本当、人間の現実はもう少しマシだよ、そう感じせてほしい、と昨今の情勢に改めて涙が(´;ω;`) 『1984』の世界よりは、代理戦争でもどれだけ残酷でも直接殺し合い憎み合うことを隠さない世の中の方が良いのかな・・・とか夜中のテンションも相まって訳わかんなくなってくるな。とにかくあと三回くらい読み直してから改めて考えたい、と思わせる作品でした。出会えたことに感謝(-人-) せめて10年くらい前に読んでおかなかった自分を殴りたい。『変身』と『沈黙』最初に読んだ時並みのインパクトだった。10代の頃に読んでたら完全に信者化してただろうなぁ(´-`)
追記:
ビッグ・ブラザー、あるいはオブライエンの描写についてはモデルはヒ○ラー+スター○ンでつまりナ○スとソ/連がヨー○ッパの人々にとっての全体・共産主義への恐怖の象徴だったんだろうな、とうかがえたけど、薬剤を用いてまでの拷問というか徹底的な精神の洗脳(改造?)を施すというくだりはロボトミー手術みたいやな、と。「ウチをモデルにしてるんだー!o(>皿<)o」と一部の皆様()が騒ぐ『猿の惑星』みたいな? ヨー○ッパ人が捉えたファ○ズムへの恐怖の凝縮形がコレであるなら、アメ○カ人が抱いたウチの訳わからん統治・思考体系や行動原理への恐怖の結実がアレ、と考えても確かにおかしくはないな。
アメリ○は歴史が浅く、ウチは長いこと鎖国というか限られた国以外との交流を断ってきた。見た目も違う、倫理的規範の根幹を成す宗教も違う、食べ物も作法も文化や歩みが全く異なる国の人間同士が、海挟んで隣だからっていきなり上手くやれるわけないんですよ。近くだって、近くだからこそ余計に対立し合い殺し合ってきたのが人間の、いや生物的な本能に基づく自然界の歴史だから。戦時中ウチが彼らに対して掲げていたスローガンやプロパガンダも大概酷かったし(まぁ実際大規模かつ無差別な都市への空襲・原爆・ドクロでサッカーや兵士の遺品剥ぎ取り、降伏した捕虜を容赦なく撃ち殺した記録が残っているにも関わらず、コッチの捕虜の扱いについてはいつまでもネチネチ言ってくる辺りの所業はまさに鬼畜としか考えられないけれども。自分たちの食糧さえマトモに確保できてない状況だったんだぞ・・・って言ったら「早く降伏しないのが悪い」って反論されるかもしれないけど、戦後も結構長く食糧難続いちゃってましたヨネー?┐(-。-;)┌ ハイハイ負けたら全て悪い、戦争始めたのもウチでそれが全ての原因なんだから、ってことでしょーがないか)。
イヤまぁ、だから世の中結局は進歩してるんだな、って。例え東西に陣営が別れてしまったことが和解のキッカケであったとしても、ここまで互いの文化が混ざり合い、影響し合い、完全な理解ではなくとも「知ろう」とする、接する機会を持つことが増える日が来ることを、昔のウチや向こうの人間は果たして想像ができただろうか。いくらジャポニズムの流行があり、移民や木の交換が行われていたところで戦争への流れが止められなかった時代の人々が。
インターネットで多国籍混じりあって制限はあるかもしれないけど自由な議論がある程度交わすことができるようになった今、恐らく国家としてのロシ○や彼らの指導者・政府について文句を付けたいアメ○カ人は一定数いるだろうと思うけど(逆に自国の指導者より支持してる人もいそう^^)、彼らが一個人としてのロシア人に接した時、頭ごなしに拒絶したりソレを理由に隔離措置や差別をすることはないんじゃないかなー、って感じるわけですよ。
だからいつか、今かつての日系人のような扱いを受けているムス○ムさんたちとの間にも、そういう憎しみや恐怖が薄れて互いに人間として接する、解ろうとする機会を与えてくれる時代が訪れると良いな、って。インターネットやSNS、交流の場が増えることは、確かに過激な思想の拡大やコミュニティの増加、犯罪を実行する方法の示唆にも寄与してしまうかもしれないけど、パンドラの箱のように最後に人間が人間であるための希望が残ってるもんなんじゃないか、と。そのためにウチらは技術を積み重ねてきた、それは進歩なんだって信じたい・・・ですよね、と何か改めて思った(´・ω・`)
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