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世選男子SPの結果を全方位からネタバレされまくったので、とりあえず後で録画見るのを楽しみにしようと思うよ! 順位とか大体の調子はどうせ携帯のニュースなんかにも入るし、そもそもフィギュアトークができるのも楽しみな友人と出かけたことで、教えてもらえたり今季の目玉選手やプログラムについて語るネタになったからむしろありがたかった。んだけど、帰って付けたテレビの初っぱな地方ニュースで点数までバラしやがるとか、今ほど大明神と同郷であることを呪う時は(以下略)放送今からなんだから自重して!とどうでも良くなって大人しく父にチャンネル譲りましたとも(*_*;
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・・・でもって、これがヒキが稀に人里に降り立った時の反動の結果(^ω^)
↓

ついでにツレうつも買って親に押し付けといた☆少しでも親に自分の状態を解ってもらいたい、という無駄かもしれない努力(笑)親は、精神科の先生が断定しない事情とかを何も知らずに「我が子は鬱ではない」と信じたがっているようだけど、私には丸っきりツレと自分が被るようにしか思えなくて、ちょっと読んだだけで泣きそうになった。私のこだわりは曜日じゃなくて「何日おきにするか」です。掃除や洗濯など、やる予定の日にできないと落ち着かなくて苛立ったり不安になる。本もキッチリ作者のあいうえお順、アルファベット順に収納して、なおかつ既読と未読に分けたい。起きる時間や生活リズム・お金や役所関係の手続きに関しては苦手なのもあってトコトンずぼらな癖に、変なとこばっかこだわってイライラしたり情緒不安定に陥るとか、我ながらホント頭おかしいと思う(´・ω・`)
街中のブクオフは意外とホームズ等の定番ものがサッサと売れてしまって無いということが判明。けど『魔の山』が大分古くて下巻のみだけど百円コーナーにあったのは大歓喜o(((*^▽^*))) 普通の本屋に行ってチェックしたやつと訳者も区切れ目も変わってないみたいだし、千円オーバーのが百円で買えるなら大満足です。まぁ反動でウッカリ普通の本屋で1700円ほど使っちゃったけどな・・・密林ならもう少し安い上、ソッチのポイントもカードのポイントもついたというのにorz いやね、そのブクオフで『日の名残り』も百円で見っけてしまってさ・・・もちろん百円コーナー外を見ても他にイシグロ作品があろうはずもなく、悔しさを一般書店に並んでいた『遠い山なみの光』(700円)と『仮面の告白』『楢山節考』にぶつけてしまったわけ\(^o^)/金ないっつーのにお馬鹿さん! よく考えたらいずれも500円くらいのホームズ×2と樋口一葉にでも使った方良かったんちゃうの?最近の読書傾向的に、と後から考えたんだけど、とにかく『魔の山』と『根津権現裏』の発見に舞い上がってしまってな。ニシケンさんのバイブルやんけ、三百円だったけど状態も綺麗だし、一般の書店でも早々巡り会えないんちゃうか、と悪魔の囁きが聞こえまして(´-`)@これを他人は言い訳と呼ぶ。あ、『潮騒』もそんくらいでしたが状態が綺麗だったので良いか、と。マルケスとモリスンは大きめの一般書店にも無かったのでやっぱりポチるしかなさそうですね。ウチの家計が落ち着いて私の今後()に目処が立った暁にでも。カード止められたら困るからさー><; ホームズは続けて読むと飽きるかもしれないし、とブクオフへの再入荷に期待(-人-)ナモナモ
そんで何故か今読んでんのが芥川なんですけど、私が買った時泉沢さんだったカバーが今日新たに平積みされてるの見てみたら更に別の漫画家?さんに変わってた・・・(゜m゜;) 出版界もホントあの手この手で必死なんだな、と。そしてポケットマスターピースシリーズ今まで出てる分初めてフルであるとこ眺めたが、改めて「コレは酷い」としか言い様がない。デイヴィット・コパフィールド抄訳?ひでぇ!『偽装の結婚』ヒロの引用に心惹かれて最近何とか大人買いの算段を付けられないものか、と頭を絞っている物件なだけに(以下略)文学作品はフルで読まないと全く意味のないものであって、ダイジェストで満足できる方はきっと漫画の方がお楽しみいただけるはず、というのが趣味=読書人間の信条なもんで。だって己の時間と知識・労力をひたすらその物語を生み出すことに費やしてくれた(しかも時代的に手書きか良くてタイプライターだ!)作家さんに失礼じゃん。漫画は絵にするだけで手間かかるから百歩譲って認めるけど。期待させといてああいうもんばっかりだと正直すごくムカつく^^# 7月刊行予定のドストエフスキーには特に期待を寄せていたのだが、トルストイのあの惨状を見ると・・・『罪と罰』『カラマーゾフ~』抄訳に決まってますよね。・゜゜(ノД`)ウワアァァン!
あ、そうそう芥川に行ったのは『四つの署名』の余りにもあからさまな19Cヨーロッパ的価値観にショックを受けたせいもありますが、読んでいて安心したのが日.本人の柔軟性と、このカオスな並行世界的視点に何の矛盾や疑問も感じずに受け入れるというか、そもそもそういうもんとして当然の感覚で捉えてきたのが自分だけじゃないんだ、というところ。『大川の水』で自身の大川への愛着とダンヌンチォのヴェネチアへの想いを重ねながら、江戸の流行作家の描いた歌舞伎や浄瑠璃の定番ものを思い浮かべるくだり、とっても日/本的じゃないですか? 当時、上田敏は既に独特の美しい節回しでダンヌンチォの詩を翻訳し、谷崎はドイルの探偵小説に親しんでいた。ネットが普及してちょっと都会に出ればその辺から英語が聞こえてくるような現代とは雲泥の差があったであろうあの時代に、日.本人は自然に「海の向こうの行ったこともない世界」の文化に馴染み、かつ己の世界も失わずに両方を同時に愛してきたんですよ。昔からの大陸古典を教養として学ぶことも忘れずに。個人的に日/本は東西の合の子でキメラで、宗教的にもどのくくりにも属さず(マジで昨今のハロウィン=カボチャ・仮装祭り、イースター=卵・ウサギ祭りと化している節操の無さは本来の意味を全く知らないのではないか、という意味で危うさすら感じるキ○スト教文化に片足突っ込んで育った私ですが、日.本式バレンタインがサブカル通じて世界に広まり逆輸入されそうな勢いなのを考えると、コレはコレでアリなのかな?という気も・・・(-_-;))居所がないような寂しさと、戦禍の結末や人口の減少如何によって米/中という巨大な国家の流れに文化とか伝統とかそれを形成してきた歴史等、有り体に言えば「私たちの価値観」が飲み込まれてしまわないだろうか、という危惧を勝手に抱いていたんですね。けれど、芥川の時代に怒濤の西洋化と思想の流入を伴ってなお当時の人々がまさに日.本人にしか書けないような物語、日/本にしかない原風景、日.本人にしか解らないような心の動きや価値観丸出しの作品を、ナチュラルに欧米の文学や思想に触れたり織り混ぜながら平気で書き上げ、更に今の日/本がこの状態で逆にアメリ○や中.国を食やサブカルで取り込んで影響を及ぼしている、という点を考えても「あ、どう転ぼうとウチらはウチらで大丈夫かも」と自分たち自身のしなやかなたくましさを垣間見た気がしてホッとしたんです( ´∀`;)
私だって古典全集を愛読しつつルパンだホームズだ洋画にハマって原作本漁ったり、聖/書と古事記とギリシャ神話並行して読むわ、散々メチャクチャなことしてきときながらぶっちゃけ今でも正確な文学系統の分類とか把握してないし(かろうじて原語は何で時代はいつっぽい、くらい?)、あっち行ってはこっち行き、の中でその作者名の順番にだけはこだわっている(笑)本棚に多少のコンプレックスというか見せられないよ!(∩///∩)意識を感じてましたけど、今後はソレが日.本人として備えてしかるべき長所として、一切恥じないことにします@突然の開き直り^^ 今日揃えた面子も大概酷かったが、興奮し過ぎてレジに向かう際全く恥とか感じなかったもんね。日/本人で良かった!翻訳してくれた皆さんありがとう、維新がんばってくれた皆さんありがとう、日.本語バンザイ、漢字バンザイ、ついでにある程度の英語もバンザイ\(^-^)/ ホント「文化の終着点」という素敵な言葉の意味を噛み締めざるを得ないよね。多神教も商業主義もそれを許容しちゃう、もしくはもっともっと新しいもの、と求める人たちも節操なしと言われようが間違いなく素晴らしい。同時に「百年で老舗?(´_ゝ`) まだまだでんなぁ。笑」って土地や文化があったり、伝統芸能や行事が生活に溶け込んでわんさか残っていたり、というこのよくわからないカオスな国の有り様ね。サッカーのザッケローニさんが手記で「アジアでもなく、ヨーロッパとも違う、まるで別の場所に存在する世界に飛び込んでしまったかのような・・・」と表現されていた、外部から見たら戸惑ってしまうのかもしれない異空間。テロリストも入り込む余地がないか、主義も信仰もどうでも良くなって投げ出してしまうような逃げ場。そんな島国であることを忘れずに、そう在り続けられるように誇りを持ってありのままこのスタイルを維持していければ良いんじゃねーの?と何となく感じた(^^)bグッ「グローバルの潮流云々~」っつって上が何しても外が何言ってきても、人とそれが作り出す国民性・民族の気質自体は絶対に変えることができない。だってもっと強力に変化を政府が主導した明治・大正を経た時代の文学に描かれた世界もこうだったんだから。自分はちゃんと日/本人で、愛国者の部類にすら入るのかもしれない、とやっと初めて思えて(オイ)、何かそのことにどうしようも無い安堵と喜びを覚えて涙する、という病んだ読書体験でした(^^;
で、昨日観てきたダ・ヴィンチ展、しつこいけど『ティモシー・アーチャー~』(最近の私のバイブルだからね!)の中でティムが言っていた「ルネサンスはキ○スト教を普遍的な至高の域まで高めた(※ニュアンス)」という説を裏付けるもののように感じたなぁ。ダ・ヴィンチはバチカ○の定義する当時の常識に逆らって裁判にまでかけられた無神論者みたいな捉え方をされる場合があるけれども、私は彼こそがあくまで忠実なキリ○ト信者だったと思うんです。生まれ育ちといい、周囲を取り巻いた人々といい、宗教画(イヤそりゃ当時金と時間に糸目をつけずに絵を書かせてくれる場がそういうとこしかなかった、という現実的な事情はあったにせよ)の細かさと魂の込められっぷり、イ○スもしくは神という存在への愛憎入り交じった情熱とでも言うのかな・・・? だからこそ、神や所謂「第三の目」に対して嘘を吐くことを嫌ったのだと。明らかな偽りが教義の名の元に、それらの存在の意図を騙って信じられている状態に耐えられなかったのではないか、と。まぁ天才の考えることも信仰という行為や概念自体も究極的なところで理解が及ばない私がどうこう言えることじゃないんだけどね(・・;) 動物だろうが人間だろうが、どこまでも真理を追求し続けたダ・ヴィンチがそこで知り得たことを最も伝えたい、訴えたかった相手は人間たちだけではなく彼が心から愛し、信じていた神ではないのか、と不思議な文字の記し方にしろラテン語で書かれた文献にしろ、何となく考えちゃったんだよね。 だって人間には理解しがたいことでも、神なら人間のすることは何でもお見通しなはずでしょ?教義によれば。なので、暗号と言うよりは神だけに伝えたかったメッセージ、あるいは孤独な己の心情を真に察して受け止めてくれるのは一人磔刑に処された神の子イエ○だけ、という思想に陥っても不思議はない状況だったんじゃないかと・・・(^^;
あと色々穏やかだったり神聖なイメージの絵を描いている印象しかない画家さんたちの合戦画にも中々興味をそそられました。構図といい発想といい、青森のねぶたにそっくり!ただ、鳥獣戯画にしろ浮世絵にしろ今の漫画の極端なスタイルに通じるであろう文化の大元は宗教的観点から殺生や解剖を厭い、結果として現実に即した生き物の身体の構造を把握できず写実的な表現を諦めざるを得なかったことに端を発するのかな、とは感じた。何たって数百年死刑が禁じられた時代もあったくらいだし。死体扱うのは最も穢れた仕事で、漁師ですら嫌悪や差別の対象だった有り様(*_*; 中.国もそれは同じですかね? だからひたすらデフォルメの方に走り、果てはあえての空白の間を用いたり、不完全性(「完成された揺るぎようの無い真実」を提示するのではなく、各々の受け止め方を許容する余地を残した曖昧極まりない形)を重視するわびさび思想や突飛なガラパゴス表現の文化を進歩させていったんや、と勝手に対比させて面白く考えてしまった^^ ねぶた絵の迫力、格好良いですよ!馬に武器(刀だったり矢だったり)というアイテムも被るし。鯉のぼりでも東北はそういうモチーフの旗を一緒に立てるとこもあるかな? 曽我兄弟とか義経・弁慶とか阿弖流為とか。青森近辺では小さな町でもやってるので、夏に青森行けそうな方はぜひ☆( ´∀`)
興奮の余りカオスに長文打ち込んでしまった・・・後で分けるかもだけどスケートの感想でそれどころじゃなくなりそう(笑)
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ついでにツレうつも買って親に押し付けといた☆少しでも親に自分の状態を解ってもらいたい、という無駄かもしれない努力(笑)親は、精神科の先生が断定しない事情とかを何も知らずに「我が子は鬱ではない」と信じたがっているようだけど、私には丸っきりツレと自分が被るようにしか思えなくて、ちょっと読んだだけで泣きそうになった。私のこだわりは曜日じゃなくて「何日おきにするか」です。掃除や洗濯など、やる予定の日にできないと落ち着かなくて苛立ったり不安になる。本もキッチリ作者のあいうえお順、アルファベット順に収納して、なおかつ既読と未読に分けたい。起きる時間や生活リズム・お金や役所関係の手続きに関しては苦手なのもあってトコトンずぼらな癖に、変なとこばっかこだわってイライラしたり情緒不安定に陥るとか、我ながらホント頭おかしいと思う(´・ω・`)
街中のブクオフは意外とホームズ等の定番ものがサッサと売れてしまって無いということが判明。けど『魔の山』が大分古くて下巻のみだけど百円コーナーにあったのは大歓喜o(((*^▽^*))) 普通の本屋に行ってチェックしたやつと訳者も区切れ目も変わってないみたいだし、千円オーバーのが百円で買えるなら大満足です。まぁ反動でウッカリ普通の本屋で1700円ほど使っちゃったけどな・・・密林ならもう少し安い上、ソッチのポイントもカードのポイントもついたというのにorz いやね、そのブクオフで『日の名残り』も百円で見っけてしまってさ・・・もちろん百円コーナー外を見ても他にイシグロ作品があろうはずもなく、悔しさを一般書店に並んでいた『遠い山なみの光』(700円)と『仮面の告白』『楢山節考』にぶつけてしまったわけ\(^o^)/金ないっつーのにお馬鹿さん! よく考えたらいずれも500円くらいのホームズ×2と樋口一葉にでも使った方良かったんちゃうの?最近の読書傾向的に、と後から考えたんだけど、とにかく『魔の山』と『根津権現裏』の発見に舞い上がってしまってな。ニシケンさんのバイブルやんけ、三百円だったけど状態も綺麗だし、一般の書店でも早々巡り会えないんちゃうか、と悪魔の囁きが聞こえまして(´-`)@これを他人は言い訳と呼ぶ。あ、『潮騒』もそんくらいでしたが状態が綺麗だったので良いか、と。マルケスとモリスンは大きめの一般書店にも無かったのでやっぱりポチるしかなさそうですね。ウチの家計が落ち着いて私の今後()に目処が立った暁にでも。カード止められたら困るからさー><; ホームズは続けて読むと飽きるかもしれないし、とブクオフへの再入荷に期待(-人-)ナモナモ
そんで何故か今読んでんのが芥川なんですけど、私が買った時泉沢さんだったカバーが今日新たに平積みされてるの見てみたら更に別の漫画家?さんに変わってた・・・(゜m゜;) 出版界もホントあの手この手で必死なんだな、と。そしてポケットマスターピースシリーズ今まで出てる分初めてフルであるとこ眺めたが、改めて「コレは酷い」としか言い様がない。デイヴィット・コパフィールド抄訳?ひでぇ!『偽装の結婚』ヒロの引用に心惹かれて最近何とか大人買いの算段を付けられないものか、と頭を絞っている物件なだけに(以下略)文学作品はフルで読まないと全く意味のないものであって、ダイジェストで満足できる方はきっと漫画の方がお楽しみいただけるはず、というのが趣味=読書人間の信条なもんで。だって己の時間と知識・労力をひたすらその物語を生み出すことに費やしてくれた(しかも時代的に手書きか良くてタイプライターだ!)作家さんに失礼じゃん。漫画は絵にするだけで手間かかるから百歩譲って認めるけど。期待させといてああいうもんばっかりだと正直すごくムカつく^^# 7月刊行予定のドストエフスキーには特に期待を寄せていたのだが、トルストイのあの惨状を見ると・・・『罪と罰』『カラマーゾフ~』抄訳に決まってますよね。・゜゜(ノД`)ウワアァァン!
あ、そうそう芥川に行ったのは『四つの署名』の余りにもあからさまな19Cヨーロッパ的価値観にショックを受けたせいもありますが、読んでいて安心したのが日.本人の柔軟性と、このカオスな並行世界的視点に何の矛盾や疑問も感じずに受け入れるというか、そもそもそういうもんとして当然の感覚で捉えてきたのが自分だけじゃないんだ、というところ。『大川の水』で自身の大川への愛着とダンヌンチォのヴェネチアへの想いを重ねながら、江戸の流行作家の描いた歌舞伎や浄瑠璃の定番ものを思い浮かべるくだり、とっても日/本的じゃないですか? 当時、上田敏は既に独特の美しい節回しでダンヌンチォの詩を翻訳し、谷崎はドイルの探偵小説に親しんでいた。ネットが普及してちょっと都会に出ればその辺から英語が聞こえてくるような現代とは雲泥の差があったであろうあの時代に、日.本人は自然に「海の向こうの行ったこともない世界」の文化に馴染み、かつ己の世界も失わずに両方を同時に愛してきたんですよ。昔からの大陸古典を教養として学ぶことも忘れずに。個人的に日/本は東西の合の子でキメラで、宗教的にもどのくくりにも属さず(マジで昨今のハロウィン=カボチャ・仮装祭り、イースター=卵・ウサギ祭りと化している節操の無さは本来の意味を全く知らないのではないか、という意味で危うさすら感じるキ○スト教文化に片足突っ込んで育った私ですが、日.本式バレンタインがサブカル通じて世界に広まり逆輸入されそうな勢いなのを考えると、コレはコレでアリなのかな?という気も・・・(-_-;))居所がないような寂しさと、戦禍の結末や人口の減少如何によって米/中という巨大な国家の流れに文化とか伝統とかそれを形成してきた歴史等、有り体に言えば「私たちの価値観」が飲み込まれてしまわないだろうか、という危惧を勝手に抱いていたんですね。けれど、芥川の時代に怒濤の西洋化と思想の流入を伴ってなお当時の人々がまさに日.本人にしか書けないような物語、日/本にしかない原風景、日.本人にしか解らないような心の動きや価値観丸出しの作品を、ナチュラルに欧米の文学や思想に触れたり織り混ぜながら平気で書き上げ、更に今の日/本がこの状態で逆にアメリ○や中.国を食やサブカルで取り込んで影響を及ぼしている、という点を考えても「あ、どう転ぼうとウチらはウチらで大丈夫かも」と自分たち自身のしなやかなたくましさを垣間見た気がしてホッとしたんです( ´∀`;)
私だって古典全集を愛読しつつルパンだホームズだ洋画にハマって原作本漁ったり、聖/書と古事記とギリシャ神話並行して読むわ、散々メチャクチャなことしてきときながらぶっちゃけ今でも正確な文学系統の分類とか把握してないし(かろうじて原語は何で時代はいつっぽい、くらい?)、あっち行ってはこっち行き、の中でその作者名の順番にだけはこだわっている(笑)本棚に多少のコンプレックスというか見せられないよ!(∩///∩)意識を感じてましたけど、今後はソレが日.本人として備えてしかるべき長所として、一切恥じないことにします@突然の開き直り^^ 今日揃えた面子も大概酷かったが、興奮し過ぎてレジに向かう際全く恥とか感じなかったもんね。日/本人で良かった!翻訳してくれた皆さんありがとう、維新がんばってくれた皆さんありがとう、日.本語バンザイ、漢字バンザイ、ついでにある程度の英語もバンザイ\(^-^)/ ホント「文化の終着点」という素敵な言葉の意味を噛み締めざるを得ないよね。多神教も商業主義もそれを許容しちゃう、もしくはもっともっと新しいもの、と求める人たちも節操なしと言われようが間違いなく素晴らしい。同時に「百年で老舗?(´_ゝ`) まだまだでんなぁ。笑」って土地や文化があったり、伝統芸能や行事が生活に溶け込んでわんさか残っていたり、というこのよくわからないカオスな国の有り様ね。サッカーのザッケローニさんが手記で「アジアでもなく、ヨーロッパとも違う、まるで別の場所に存在する世界に飛び込んでしまったかのような・・・」と表現されていた、外部から見たら戸惑ってしまうのかもしれない異空間。テロリストも入り込む余地がないか、主義も信仰もどうでも良くなって投げ出してしまうような逃げ場。そんな島国であることを忘れずに、そう在り続けられるように誇りを持ってありのままこのスタイルを維持していければ良いんじゃねーの?と何となく感じた(^^)bグッ「グローバルの潮流云々~」っつって上が何しても外が何言ってきても、人とそれが作り出す国民性・民族の気質自体は絶対に変えることができない。だってもっと強力に変化を政府が主導した明治・大正を経た時代の文学に描かれた世界もこうだったんだから。自分はちゃんと日/本人で、愛国者の部類にすら入るのかもしれない、とやっと初めて思えて(オイ)、何かそのことにどうしようも無い安堵と喜びを覚えて涙する、という病んだ読書体験でした(^^;
で、昨日観てきたダ・ヴィンチ展、しつこいけど『ティモシー・アーチャー~』(最近の私のバイブルだからね!)の中でティムが言っていた「ルネサンスはキ○スト教を普遍的な至高の域まで高めた(※ニュアンス)」という説を裏付けるもののように感じたなぁ。ダ・ヴィンチはバチカ○の定義する当時の常識に逆らって裁判にまでかけられた無神論者みたいな捉え方をされる場合があるけれども、私は彼こそがあくまで忠実なキリ○ト信者だったと思うんです。生まれ育ちといい、周囲を取り巻いた人々といい、宗教画(イヤそりゃ当時金と時間に糸目をつけずに絵を書かせてくれる場がそういうとこしかなかった、という現実的な事情はあったにせよ)の細かさと魂の込められっぷり、イ○スもしくは神という存在への愛憎入り交じった情熱とでも言うのかな・・・? だからこそ、神や所謂「第三の目」に対して嘘を吐くことを嫌ったのだと。明らかな偽りが教義の名の元に、それらの存在の意図を騙って信じられている状態に耐えられなかったのではないか、と。まぁ天才の考えることも信仰という行為や概念自体も究極的なところで理解が及ばない私がどうこう言えることじゃないんだけどね(・・;) 動物だろうが人間だろうが、どこまでも真理を追求し続けたダ・ヴィンチがそこで知り得たことを最も伝えたい、訴えたかった相手は人間たちだけではなく彼が心から愛し、信じていた神ではないのか、と不思議な文字の記し方にしろラテン語で書かれた文献にしろ、何となく考えちゃったんだよね。 だって人間には理解しがたいことでも、神なら人間のすることは何でもお見通しなはずでしょ?教義によれば。なので、暗号と言うよりは神だけに伝えたかったメッセージ、あるいは孤独な己の心情を真に察して受け止めてくれるのは一人磔刑に処された神の子イエ○だけ、という思想に陥っても不思議はない状況だったんじゃないかと・・・(^^;
あと色々穏やかだったり神聖なイメージの絵を描いている印象しかない画家さんたちの合戦画にも中々興味をそそられました。構図といい発想といい、青森のねぶたにそっくり!ただ、鳥獣戯画にしろ浮世絵にしろ今の漫画の極端なスタイルに通じるであろう文化の大元は宗教的観点から殺生や解剖を厭い、結果として現実に即した生き物の身体の構造を把握できず写実的な表現を諦めざるを得なかったことに端を発するのかな、とは感じた。何たって数百年死刑が禁じられた時代もあったくらいだし。死体扱うのは最も穢れた仕事で、漁師ですら嫌悪や差別の対象だった有り様(*_*; 中.国もそれは同じですかね? だからひたすらデフォルメの方に走り、果てはあえての空白の間を用いたり、不完全性(「完成された揺るぎようの無い真実」を提示するのではなく、各々の受け止め方を許容する余地を残した曖昧極まりない形)を重視するわびさび思想や突飛なガラパゴス表現の文化を進歩させていったんや、と勝手に対比させて面白く考えてしまった^^ ねぶた絵の迫力、格好良いですよ!馬に武器(刀だったり矢だったり)というアイテムも被るし。鯉のぼりでも東北はそういうモチーフの旗を一緒に立てるとこもあるかな? 曽我兄弟とか義経・弁慶とか阿弖流為とか。青森近辺では小さな町でもやってるので、夏に青森行けそうな方はぜひ☆( ´∀`)
興奮の余りカオスに長文打ち込んでしまった・・・後で分けるかもだけどスケートの感想でそれどころじゃなくなりそう(笑)
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売る本整理してたら弟?も青い鳥文庫版買ってたっぽい。パラパラめくってみて、子供向けとの違いで大きな点って挿し絵の有無もあるのかな、と感じた。登場人物の印象や勝手な雰囲気を掻き立てられてしまう(´・ω・`)
大人になってから読んだら、植民地支配の残酷さや、ソレが当たり前だった当時の価値観、世界の認識と人間心理の弱さと不条理について改めて考えさせられちゃった。もし私がイ○ド系だったらとても落ち着いてこの話読めない。でもイギ○ス・英語圏に数多く居住しているであろうソチラ系の方々は、出版差し止めや表記の変更を求めていないという点で心から尊敬に値すると思う。まぁアメ○カも外野が勝手に騒いでいるだけなのかもしれませんけど・・・いやしかし数字に強いとかのポジティブなステレオタイプにまでケチ付けるんかい、と面倒な印象は正直覚えるけどね!移民社会って難しい(-_-;)
ジョナサン・スモールは確かにどうしようもないロクデナシだけど、同胞を無惨に追いつめた現地人全てを見下したり憎んだりしてはいなかった。人殺しはもちろん非道極まりない罪だけど、そもそもの持ち主王族の人格にも何ともスッキリしない下卑た人間味を感じるし、シーク教徒の二人、そしてその仲間と宝について固い忠誠を約束し、アンダマン島でトンガになつかれ、二人が絶対的な絆で結ばれて逃亡を共にしはるばるロンドンまで流れ着いて、辛酸を舐めながら復讐、あるいは自分のためだけじゃなくて仲間たちの分まで財宝を取り戻そうという執念の深さを考えると、何とも胸打たれてしまう(つд`) 昨日のスカーレットとマミーじゃないけどさ、イギリ○本土にしかいたことない人間が島の原住民を化物のように扱ったり、イ○ド人を平気で召使にしていたことや、「苦力」と呼んで奴隷同然の待遇を強いていた現地の労働者、そういう状況下で当たり前に起こった暴動の恐怖などに、改めて知識としてしか知らない歴史や人々の生々しい記憶・感情を双方の視点から思い起こさせられるんだよねぇ(´-`)
イ○ドの場合は作中でも見られるように宗派・民族・階級が元々多様に存在する土地だったことを植民支配の分断統治にたくみに利用されてきた背景もまざまざと思い浮かぶし。今も少数派シク教徒はアング○とウマが合うのか国外に出る率が高く、圧倒的多数派のヒンドゥー教徒はパキ○タンに追い出したムス○ムと未だに揉めてる上に、復活した仏教とも一悶着起こさないか心配><;こっちはぶっちゃけ日.本人も絡んでるからなー。しかもヒンドゥー的階級制を否定し、不可触民に広がってるそうじゃないですか・・・? 怖い! 頼むから揉めんなよー、と(・m・;)
比較文化論か文化人類学かどっちか忘れましたけど、ツチ族とフツ族のエピソード思い出したわ。白人に近い方が優秀で、そうじゃない方は奴隷にしても良い種族みたいな。それから長らくその地で対等に勢力の均衡を保ってきたはずの両民族の間で起きた悲劇。白人の考え出した学問超こええ!と感じて興味深かったけどそちらには欠片も進もうと思わなかったなぁ。「現地民・部族」みたいな研究対象であって同じ人間として見なさない感じが何か嫌。『バスカヴィル~』の頭蓋骨トークなんかもそうですね。テメェらのオモチャじゃないんだわ、って考古学かじった歴オタが言える話じゃないのは承知してますが(^^;
他の話に出てきた刺青で依頼者の中/国渡航歴を当てる、って話も、当時ヨーロッパ人がこぞって彫りに来てたのは日.本だし、イ○ド人についてスモールが語る「東洋人は用心深い」の東洋人ってどこまでのこと? orientalの一語でどんだけ広い、文化も肌の色も生活習慣も全く異なる地域のことまとめて指していたんでしょうかね? 仮にもウチが必死に欧米の猿真似して日.英.同盟への流れを必死に作り上げていた時代に、こりゃF沢さんも「脱亜入欧」訴えたくなるわ。(『学問のすゝめ』も持ってます☆「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」これこそが彼の信条であり私の考えるところの真理でもある、と小学生の頃から信じてるからね。笑)ここまでの植民支配の悲惨さと有色人種への扱い鑑みたら必死に「ウチは違いますから!」アピールしないととても生き残れないと考えるのは道理。決して他のアジア諸国をバカにして唱えた言葉ではないのだ、とどうか皆さん?に解ってほしい・・・(´-`)
ストーリーとしての出来はワトソンくんが出会った瞬間から恋をした彼女をゲットできたこと、犯人の最高に中身の詰まった数奇な運命の自白から、最後のホームズの「コカインがあるさ」って危険で堪らなく格好良いセリフまで素晴らしい結末だと確かに言えるんですけど・・・何かなー。現在のフィルターを通さずに見る19Cヨーロッパの世界観に、ちょっと哀しみというか虚しさというか、現実を思い知らされた感じ?(@_@;) でもこんなに少しの時間で世界はここまで変わることができるというのがせめてもの希望かな? 英/国が孤立化や排外主義に陥らず、現在のヨーロッパの混乱が収束してくれれば・・・奇跡のように思えてきたorz 歴史って繰り返すことしかできないんかな?
まぁウチに関して言えば少なくとも谷崎の時代には「東洋」の端にまで『The Sign Of Four』は伝わり、何の抵抗もてらいもなく日/本人はその奇怪な事件や殺人や世界観のみを楽しみ、影響を受け・・・島国だから、やっぱり「他人事」 だったのかな? 隣で誰が捕まろうが抗議の自殺しようが言論の封殺や統制や環境汚染が進もうがまるで無関心の癖に、「戦争行かされるかもよー!」って狼少年の一声聞いた途端に「それは嫌っ(゜ロ゜)カッ!」ってお祭りデモし出す今の私たちと同じように。 白人・ヨーロッパ・新大陸に収まらない世界を丸ごと同一にくくるって言うなら、その「仲間たち」に同情を寄せず、守ることもできずに新たな支配者になることしか目指せなかった私たちは確かに冷血漢なのかもしれない。色々悔しいし悲しいなー(ノ_・,) 何でウチらってこうなんだろう、いっつも。と物語離れたところから色々考えさせられるわ海外古典系。
ジョナサン・スモールは確かにどうしようもないロクデナシだけど、同胞を無惨に追いつめた現地人全てを見下したり憎んだりしてはいなかった。人殺しはもちろん非道極まりない罪だけど、そもそもの持ち主王族の人格にも何ともスッキリしない下卑た人間味を感じるし、シーク教徒の二人、そしてその仲間と宝について固い忠誠を約束し、アンダマン島でトンガになつかれ、二人が絶対的な絆で結ばれて逃亡を共にしはるばるロンドンまで流れ着いて、辛酸を舐めながら復讐、あるいは自分のためだけじゃなくて仲間たちの分まで財宝を取り戻そうという執念の深さを考えると、何とも胸打たれてしまう(つд`) 昨日のスカーレットとマミーじゃないけどさ、イギリ○本土にしかいたことない人間が島の原住民を化物のように扱ったり、イ○ド人を平気で召使にしていたことや、「苦力」と呼んで奴隷同然の待遇を強いていた現地の労働者、そういう状況下で当たり前に起こった暴動の恐怖などに、改めて知識としてしか知らない歴史や人々の生々しい記憶・感情を双方の視点から思い起こさせられるんだよねぇ(´-`)
イ○ドの場合は作中でも見られるように宗派・民族・階級が元々多様に存在する土地だったことを植民支配の分断統治にたくみに利用されてきた背景もまざまざと思い浮かぶし。今も少数派シク教徒はアング○とウマが合うのか国外に出る率が高く、圧倒的多数派のヒンドゥー教徒はパキ○タンに追い出したムス○ムと未だに揉めてる上に、復活した仏教とも一悶着起こさないか心配><;こっちはぶっちゃけ日.本人も絡んでるからなー。しかもヒンドゥー的階級制を否定し、不可触民に広がってるそうじゃないですか・・・? 怖い! 頼むから揉めんなよー、と(・m・;)
比較文化論か文化人類学かどっちか忘れましたけど、ツチ族とフツ族のエピソード思い出したわ。白人に近い方が優秀で、そうじゃない方は奴隷にしても良い種族みたいな。それから長らくその地で対等に勢力の均衡を保ってきたはずの両民族の間で起きた悲劇。白人の考え出した学問超こええ!と感じて興味深かったけどそちらには欠片も進もうと思わなかったなぁ。「現地民・部族」みたいな研究対象であって同じ人間として見なさない感じが何か嫌。『バスカヴィル~』の頭蓋骨トークなんかもそうですね。テメェらのオモチャじゃないんだわ、って考古学かじった歴オタが言える話じゃないのは承知してますが(^^;
他の話に出てきた刺青で依頼者の中/国渡航歴を当てる、って話も、当時ヨーロッパ人がこぞって彫りに来てたのは日.本だし、イ○ド人についてスモールが語る「東洋人は用心深い」の東洋人ってどこまでのこと? orientalの一語でどんだけ広い、文化も肌の色も生活習慣も全く異なる地域のことまとめて指していたんでしょうかね? 仮にもウチが必死に欧米の猿真似して日.英.同盟への流れを必死に作り上げていた時代に、こりゃF沢さんも「脱亜入欧」訴えたくなるわ。(『学問のすゝめ』も持ってます☆「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」これこそが彼の信条であり私の考えるところの真理でもある、と小学生の頃から信じてるからね。笑)ここまでの植民支配の悲惨さと有色人種への扱い鑑みたら必死に「ウチは違いますから!」アピールしないととても生き残れないと考えるのは道理。決して他のアジア諸国をバカにして唱えた言葉ではないのだ、とどうか皆さん?に解ってほしい・・・(´-`)
ストーリーとしての出来はワトソンくんが出会った瞬間から恋をした彼女をゲットできたこと、犯人の最高に中身の詰まった数奇な運命の自白から、最後のホームズの「コカインがあるさ」って危険で堪らなく格好良いセリフまで素晴らしい結末だと確かに言えるんですけど・・・何かなー。現在のフィルターを通さずに見る19Cヨーロッパの世界観に、ちょっと哀しみというか虚しさというか、現実を思い知らされた感じ?(@_@;) でもこんなに少しの時間で世界はここまで変わることができるというのがせめてもの希望かな? 英/国が孤立化や排外主義に陥らず、現在のヨーロッパの混乱が収束してくれれば・・・奇跡のように思えてきたorz 歴史って繰り返すことしかできないんかな?
まぁウチに関して言えば少なくとも谷崎の時代には「東洋」の端にまで『The Sign Of Four』は伝わり、何の抵抗もてらいもなく日/本人はその奇怪な事件や殺人や世界観のみを楽しみ、影響を受け・・・島国だから、やっぱり「他人事」 だったのかな? 隣で誰が捕まろうが抗議の自殺しようが言論の封殺や統制や環境汚染が進もうがまるで無関心の癖に、「戦争行かされるかもよー!」って狼少年の一声聞いた途端に「それは嫌っ(゜ロ゜)カッ!」ってお祭りデモし出す今の私たちと同じように。 白人・ヨーロッパ・新大陸に収まらない世界を丸ごと同一にくくるって言うなら、その「仲間たち」に同情を寄せず、守ることもできずに新たな支配者になることしか目指せなかった私たちは確かに冷血漢なのかもしれない。色々悔しいし悲しいなー(ノ_・,) 何でウチらってこうなんだろう、いっつも。と物語離れたところから色々考えさせられるわ海外古典系。
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うおお島国で良かったああああ、出来ればお隣からもっとずっと遠ざかりたいけどおおお!!!><と本音を叫ばずにはいられない昨今のネタばっかだよね・・・。サッカーの予選に来ている方々のお国といい(ホント試合に来させんのが申し訳ないくらい)、欧州のカオスといい、「乱射?あーまた?」だの、「爆発?あーまた?」だの、「ジカ熱にボス弾劾に通貨安でオリンピックまじか(^ω^)」状態の国といい、こないだ飛行機吹っ飛んだと思ったら今度はハイジャック?そういえば留学生の不審な遺体が溝に(以下略)な軍事政権国家といい。怖い、世界こわい・・・タヒにたいけど自分のタイミングで静かに旅立ちたい・・・報道されるようなネタの一角とかになりたくないでござる(((-_-;)))というワガママな気持ちを抱える身としてはね!他人事のようで申し訳ないけど(感覚が麻痺してる鬱野郎だから@開き直り)ホント怖ろしいね!
いや本当ウチに来るムス○ムさんたちって①スーパーでお惣菜漁ってる(たぶん留学生のご家族?)②ジャ○ーズのコンサートでキャーキャー言ってる(お約束の日/本語お手製ウチワ持参^^)③駅か空港で東京ば○奈orキッ○カット買い込んでるイメージしかないじゃない? 穏やかでニコニコして普通に馴染んでてかわいいじゃん、アジアンムスリ○富裕層orエリートの皆さんって。だから何かさー、悲しくなっちゃうよね、「差別はいけません、多文化主義は理想的な社会のあり方です!(キリッ)」状態だった最先鋒欧州でムス○ム丸ごと全否定や排他主義化が進む話聞くと(´-`) ト○ンプのメキ○コ叩きも、確かにオクスリ売ったり困ったことやらかす層はウチにもいるし、国境接してるトコから大量に不法なかたちで押しかけてこられちゃ堪らない気持ちも分かりますけど、昔の話とはいえアメ○カってばそもそもメ○シコの領土ぶんどってるわけだし・・・。メキシ○の社会問題の諸悪の根源とも言える麻薬ギャングの元締めだってアメリ○にいるわけでしょ? お互いさまじゃないのかなー? だからこそ被害者の甘えが増長したり、不満を出し切れないフラストレーションが差別に繋がっちゃうのかな、とウチと近所、欧州とム○リムの構図にも考えたりする(^^; アジアの他の国と関係悪化するようなことになったり、宗教的な揉め事には巻き込まれたくないなぁ。
と考えつつ、先日の大.阪場所ハクホーさんの件とそれに関するドルジ先輩の一連のツイについて、日.本人や相/撲協会、審議委員会側が反省すべき点もある、という記事を書いてくれる人がいて良かった。モ○ゴル人が何故あんなにも強いのか、そして日.本人横綱が出なくなってしまった理由についてよく考え振り返ってみた方が良いと思う。逆の立場で考えたら良いよ、ホームでの大きな試合がなく、アジア人がかつて手にしたことの無い栄冠を狙って必死に闘っているテニスのN織くんや、サッカー欧州組の現地での容赦ない叩かれっぷり見るだけで分かるのでは? ハクホーさんはそんな中で、公私ともに(そもそも角界に入った以上「私」はほぼ無いも同然、っていう日/本独特の海外の方には受け入れがたい考え方のある世界で)十分すぎるほど懸命に務めてくれている。元々モンゴ○の文化は素朴で率直。ウチみたいな遠回しの配慮とか格式ばった礼儀なんか必要とされないトコから来て、よく頑張って今まで我慢してきたと思う。いかにストレートな戦闘民族か700年前に学ばなかったわけ?(´Д`;) それだけ勝ちにこだわる、けれども負けたら潔い、引きずらない、恨まない、堂々としたそんな誇りのある民族なんだよ。そして確かに彼らは日.本人のルーツの一端を確実に占めているはず。
その後もノモン○ンや内モ○ゴルでも一悶着あった中で、日/本を憎まず、むしろ敬意を持って愛着を示してくれた、そして全く馴染みが無かったであろう世界に人生を捧げてくれた彼らに感謝こそすれ、必要以上に叩くのはお門違いだと私も感じる。モンゴ○力士いなかったらつまんなくてこんなハマってないし、同じく外国人の砂嵐ちゃんが思い切って飛び込んでみよう、って気にならなかったかも。「コレはやっちゃ駄目、しないでほしい」ということがあるなら、あらかじめソレを指導しなかった協会側や親方の責任がある程度問われるべきだし、観客も自分が海外行ってその立場に置かれたらどうか、って想像力をだな・・・(´-`)@常に妄想にふけってる人間。小さい頃から相撲が好きで見ている人ほど許せない流儀なんでしょうけど、彼らそういう環境に全くいないトコからわざわざ来てくれてるんだからね? バスケとサッカーと乗馬とモ○ゴル相撲しか知らない中でイキナリこのしちめんどくさい作法の厳格な外国の国技の世界に飛び込んできて、落ち目だったソレをずっと盛り立ててきてくれたわけ。心の中で舌打ちした後、声に出さずに謝って拝め!でもって後で励ましの言葉を添えた丁寧な手紙にでも思いの丈(横綱としてアレはやっちゃいけない振る舞いだと思う、等の苦言)をしたためて投書する、とかの方がよっぽど「品格」に則った日.本人らしいやり方ではないんですかねぇ? と、日曜からモヤモヤしていた件についてまとめてみたよ!個人的にはハクホーさんのブログやツイで垣間見える奥様・ご家族との絆がとっても微笑ましくて好きだ(*´∀`) エッヘヘだから『李陵』もすごく楽しんで読めたんだよー。
『ホームズの冒険』読み終わったから『四つの署名』に行きます(^∀^) んー、やっぱシリーズものは続けて読むとパターン被りで飽きたりもするなぁ、とルパンに続いて感じた。でも長編のドキワクと不気味さは損なわれない記憶があるから、楽しみに読めると思う。思い出補正ってゴハンの味だけじゃないんだぜ・・・。あと人が片付けて空いたスペースにこっちの本棚からはみ出した本詰め込ませてもらったら、「ウチの部屋におまえの本持ち込むな!」って怒られたんだけど、「え、私が整理するまで埋まってたスペースなんだが(^ω^;)」と理不尽を感じざるを得ない。その分向こうの本を勝手に拝借して空いた分もかなりあるはずだし。(我ながらソレもひでぇな!でも一応持ち出したのは最近読まれてなさそうな本ばっかなんですよ@言い訳)とにかく被りともう良いや、ってのは時間ある時に売りに行くしかないかなぁ(・・;) もう場所ないし。ちょっとは新しい本代の足しになるくらいの額になれば良いんですけど。
いや本当ウチに来るムス○ムさんたちって①スーパーでお惣菜漁ってる(たぶん留学生のご家族?)②ジャ○ーズのコンサートでキャーキャー言ってる(お約束の日/本語お手製ウチワ持参^^)③駅か空港で東京ば○奈orキッ○カット買い込んでるイメージしかないじゃない? 穏やかでニコニコして普通に馴染んでてかわいいじゃん、アジアンムスリ○富裕層orエリートの皆さんって。だから何かさー、悲しくなっちゃうよね、「差別はいけません、多文化主義は理想的な社会のあり方です!(キリッ)」状態だった最先鋒欧州でムス○ム丸ごと全否定や排他主義化が進む話聞くと(´-`) ト○ンプのメキ○コ叩きも、確かにオクスリ売ったり困ったことやらかす層はウチにもいるし、国境接してるトコから大量に不法なかたちで押しかけてこられちゃ堪らない気持ちも分かりますけど、昔の話とはいえアメ○カってばそもそもメ○シコの領土ぶんどってるわけだし・・・。メキシ○の社会問題の諸悪の根源とも言える麻薬ギャングの元締めだってアメリ○にいるわけでしょ? お互いさまじゃないのかなー? だからこそ被害者の甘えが増長したり、不満を出し切れないフラストレーションが差別に繋がっちゃうのかな、とウチと近所、欧州とム○リムの構図にも考えたりする(^^; アジアの他の国と関係悪化するようなことになったり、宗教的な揉め事には巻き込まれたくないなぁ。
と考えつつ、先日の大.阪場所ハクホーさんの件とそれに関するドルジ先輩の一連のツイについて、日.本人や相/撲協会、審議委員会側が反省すべき点もある、という記事を書いてくれる人がいて良かった。モ○ゴル人が何故あんなにも強いのか、そして日.本人横綱が出なくなってしまった理由についてよく考え振り返ってみた方が良いと思う。逆の立場で考えたら良いよ、ホームでの大きな試合がなく、アジア人がかつて手にしたことの無い栄冠を狙って必死に闘っているテニスのN織くんや、サッカー欧州組の現地での容赦ない叩かれっぷり見るだけで分かるのでは? ハクホーさんはそんな中で、公私ともに(そもそも角界に入った以上「私」はほぼ無いも同然、っていう日/本独特の海外の方には受け入れがたい考え方のある世界で)十分すぎるほど懸命に務めてくれている。元々モンゴ○の文化は素朴で率直。ウチみたいな遠回しの配慮とか格式ばった礼儀なんか必要とされないトコから来て、よく頑張って今まで我慢してきたと思う。いかにストレートな戦闘民族か700年前に学ばなかったわけ?(´Д`;) それだけ勝ちにこだわる、けれども負けたら潔い、引きずらない、恨まない、堂々としたそんな誇りのある民族なんだよ。そして確かに彼らは日.本人のルーツの一端を確実に占めているはず。
その後もノモン○ンや内モ○ゴルでも一悶着あった中で、日/本を憎まず、むしろ敬意を持って愛着を示してくれた、そして全く馴染みが無かったであろう世界に人生を捧げてくれた彼らに感謝こそすれ、必要以上に叩くのはお門違いだと私も感じる。モンゴ○力士いなかったらつまんなくてこんなハマってないし、同じく外国人の砂嵐ちゃんが思い切って飛び込んでみよう、って気にならなかったかも。「コレはやっちゃ駄目、しないでほしい」ということがあるなら、あらかじめソレを指導しなかった協会側や親方の責任がある程度問われるべきだし、観客も自分が海外行ってその立場に置かれたらどうか、って想像力をだな・・・(´-`)@常に妄想にふけってる人間。小さい頃から相撲が好きで見ている人ほど許せない流儀なんでしょうけど、彼らそういう環境に全くいないトコからわざわざ来てくれてるんだからね? バスケとサッカーと乗馬とモ○ゴル相撲しか知らない中でイキナリこのしちめんどくさい作法の厳格な外国の国技の世界に飛び込んできて、落ち目だったソレをずっと盛り立ててきてくれたわけ。心の中で舌打ちした後、声に出さずに謝って拝め!でもって後で励ましの言葉を添えた丁寧な手紙にでも思いの丈(横綱としてアレはやっちゃいけない振る舞いだと思う、等の苦言)をしたためて投書する、とかの方がよっぽど「品格」に則った日.本人らしいやり方ではないんですかねぇ? と、日曜からモヤモヤしていた件についてまとめてみたよ!個人的にはハクホーさんのブログやツイで垣間見える奥様・ご家族との絆がとっても微笑ましくて好きだ(*´∀`) エッヘヘだから『李陵』もすごく楽しんで読めたんだよー。
『ホームズの冒険』読み終わったから『四つの署名』に行きます(^∀^) んー、やっぱシリーズものは続けて読むとパターン被りで飽きたりもするなぁ、とルパンに続いて感じた。でも長編のドキワクと不気味さは損なわれない記憶があるから、楽しみに読めると思う。思い出補正ってゴハンの味だけじゃないんだぜ・・・。あと人が片付けて空いたスペースにこっちの本棚からはみ出した本詰め込ませてもらったら、「ウチの部屋におまえの本持ち込むな!」って怒られたんだけど、「え、私が整理するまで埋まってたスペースなんだが(^ω^;)」と理不尽を感じざるを得ない。その分向こうの本を勝手に拝借して空いた分もかなりあるはずだし。(我ながらソレもひでぇな!でも一応持ち出したのは最近読まれてなさそうな本ばっかなんですよ@言い訳)とにかく被りともう良いや、ってのは時間ある時に売りに行くしかないかなぁ(・・;) もう場所ないし。ちょっとは新しい本代の足しになるくらいの額になれば良いんですけど。
赤髭同盟とオレンジの種、懐かしい! K K Kは『風と共に去りぬ』読んだ時に全く印象が違って不思議なもんだなー、と感じたことを思い出しますね(´-`) 何だろ、確かに差別は存在するんだけど同時にその上に成り立つ当たり前の絆があったんだ、みたいな。イギ○スの貴族と使用人のような感じ? スカーレットとマミーとか、マミーとレッドのやりとりに、「主人と奴隷」という言葉の持つ残酷なイメージだけでは語れない人間同士の結び付きが見えたんだよね。それはある意味階級を歴史的意義のある絶対的なものとして「分をはみ出す」ことを禁じ、思考停止状態に陥らせるイギリ○の社会形態よりも人間的で素朴なものですらある、と言えるかもしれない。少なくとも『日の名残り』のスティーブンスと主人の関係性よりは、スカーレットとマミーの関係の方がずっと親しみ持てて好きです。だからスカーレットの2番目の旦那がK K Kの一員で、その事実を知ったスカーレットは震え上がるけれども当時の南部の紳士()社会ではそうあり得ない話ではない、というくだりに、それまで黒魔術やカルトレベルの印象だった組織のイメージがガラリと変わったんですよね。彼らは必ずしも黒人を憎んでいたわけではなく、ダーリントン卿がユダ○人を心底嫌悪し排斥を肯定していたわけではないのと同様に、ただ社会の変化を受け入れられなかっただけなのだ、と。『オレンジの種』読んだ時はどんだけ恐ろしい秘密結社なの(((゜ロ゜;)))とガクブルしたし、アンネにハマってた頃はナ.チの諸々を心底怖れた。けれど始まりは、きっと今回の難民騒動やテロのようなことで、隣り合って暮らしてきた人々が互いに疑心暗鬼になり、あるいは実質的な窮乏に追い込まれて生物としての本能が駆り立てられ、恐怖が怒りへと変わっていってしまうのだろう、と。とても悲しいことですよね、人間の弱さと、プライドと、たぶん必死に「生きたい・守りたい」って気持ち。大切なもの、故郷だったり民族だったり文化だったり宗教だったり家族だったり。それがないと生きられないよすがとなるもの。大多数の人にはそれがあって、それ故にこそ逃げて、恐れて争って。ホームズ読んで哲学的になるとか・・・とツッコみつつ、ウチの似非リベラルどもが褒め称えてきた欧米の現状に思いを馳せて暗い気持ちになってしまった(-_-;)
※病み要素あり
※病み要素あり
そろそろ止まってくれたかと思っていた体重が43を切って来ました・・・(^ω^) 体脂肪率は何とかギリギリ標準の状態。最近だいぶ食べられるようになったような気もしていたんですが、色々動き始めたこともあってかまた腹痛と重苦しさがぶり返し出し、お菓子や魚とかイケるんちゃうか?と思っても怖くて手を出せないでござるorz 実際確実に消化できるものだけで喉元までウップと来るくらいお腹はパンパンになるわけだし。 食事がキツい感覚は大分薄れたし(慣れたというか)、以前よりは空腹もちゃんと感じるようになってきたのですが、実際胃がついていかないというね\(^o^)/しばらく安定剤・うつらうつら状態とはお別れできそうにないのが残念というか不安ですが、何とかこの状態でもやるしかないねー(´・ω・`) 早くマトモに社会復帰できると良いんだけど。
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映画たまたまちょこっと観てたら分かりすぎて泣いた。てかこんだけ理解ある人が家族として傍にいてくれるとかあり得ない奇跡じゃねーの?と全うつ病患者の皆さんが思わずツッコんでしまうレベルだろう。ウチの家族はきょうだいは私を完全に人間失格者として見下しているか、存在自体を認識したくないみたいだし(まぁ私も彼らの立場ならそういう風に扱うのが当然だと思う)、親は精いっぱい生活の面倒は見てくれているけれども、病気自体の知識や解決法について真剣に勉強したり、考えてくれたことはない。精神科に通って薬飲んでれば良くなるはずであって、後は私本人のやる気の問題、つまり長引いていることや改善されない諸症状も全て甘えの結果だと思っている。(実際そうに他ならないのかもしれないけど)だから食べ物や生活スタイル(体操とか)については自分で調べて、できる限りマシな方向に向かえるように取り組んできたつもり。日光アレルギーが発覚して落ち込んだのだって、ソレが治療に効果あるもんだと信じてたから。
眠れない、腰痛、電車の気持ち悪さ、毎朝の嘔吐。精神科に通い出し、薬を飲みジェットコースターのように上がり下がりする気分への不快、「休養」期間=所属を失ったことへの恐怖、ひたすら眠り続けざるを得ない状態に陥ってしまい、そのことを「怠けている」「良い歳こいていい加減にしろ」と罵られ、確かにそうだと同意せざるを得ない苦しみ。ちょっとしたことですぐタヒにたくなる、発作を起こす、吐く。電話や役所・時には買い物ですら、他人との会話が怖くて仕方ない気持ち、世間様に対してひたすら感じる申し訳なさ、自己嫌悪・恥の感情。小さい頃からずっとずっと、ごまかして付き合ってきた「うつ」のありのままの姿。周囲の無理解によって追いつめられても、そちらの方がマトモで正しい理屈なのが明らか過ぎて何も言えない。どうして良いかわからない。すごく胸に突き刺さりました。
「ツレ」の場合は正直もの凄く稀な例なのでは?と思う。この世間体を気にする国で、家族が精神的におかしい、あるいはヒキニート歴○年で経済的余裕もなく、下に二人も送り出すべききょうだいがいる、ってなると鼻白まれるのが普通だもん。他の患者の家族も身内にそういう存在がいる、ってだけでストレス半端なくて、「はるさん」やその家族みたいに包み込んであげられる余裕のある人たちはそういないと思う。ウチなんか親戚に多額の借金をしていることもあり、とっくに働くか嫁に行って当たり前の歳なのにわざわざ遠い私立の大学に浪人してまで行って何やってんだ、って苛立ちを感じられて当然の分際だと思うよ私。母方は、親しくなついていた大叔母がかなり心配してコッチに来ないか、とまで言ってくれたりもしましたが、地元より更に不便というか施設も仕事も少ない地域だし、大叔母のお孫さんたちが私より年下の子含め色々ありつつもしっかり自立して負担かけずに生活してるのを考えると、遠い関係の私がそこまで寄っかかるのは申し訳なさすぎるし、近くに住む祖父や叔父夫婦にも余計な配慮させちゃうよな、と(-_-;) イトコたちはまだ学生で、その学費のために叔父夫婦はいっぱいいっぱいに働いてますし・・・。本当にどこにも顔向けできなさすぎて居場所がない、というのがある程度の年齢に達したうつ病患者の実情なのでは?
まぁ私ズルズル生きるにしろ処理するにしろ、何とか一人になってから、なるべく迷惑かける範囲を最小限に減らせるように、ってことでようやく腰を上げかけたところですが。(実は全くポジティブな動機じゃなくてしつこいけれど申し訳ないm(__)m)とにかく家族から離れて、本読むだけ読んで、なるべく親を見送るまでは踏ん張・・・れないかもしれないけど、まぁソレが今のところの目標。きょうだいは散々迷惑をかけて情が湧かないのも仕方ないと思ってるし、葬式や存在自体抹消してほしい願望から言ってもその路線で良いと考えてるので、ぜひ適当に無縁仏にでも突っ込んでほしい。最後の面倒だけはどうしてもかけることになるので、火葬代と迷惑料くらい遺せると良いな、ってそれだけ。伴侶を得る才も無いレベルのうつが行き着ける限界はこのくらいだろうな。だって作中でも語られてたように、完治することはない病気だもん。哀しいとは感じない、ただひたすら存在することが苦しくて申し訳なく、どうして生まれてきてしまったのか堂々巡りに陥り続けるだけ。
眠れない、腰痛、電車の気持ち悪さ、毎朝の嘔吐。精神科に通い出し、薬を飲みジェットコースターのように上がり下がりする気分への不快、「休養」期間=所属を失ったことへの恐怖、ひたすら眠り続けざるを得ない状態に陥ってしまい、そのことを「怠けている」「良い歳こいていい加減にしろ」と罵られ、確かにそうだと同意せざるを得ない苦しみ。ちょっとしたことですぐタヒにたくなる、発作を起こす、吐く。電話や役所・時には買い物ですら、他人との会話が怖くて仕方ない気持ち、世間様に対してひたすら感じる申し訳なさ、自己嫌悪・恥の感情。小さい頃からずっとずっと、ごまかして付き合ってきた「うつ」のありのままの姿。周囲の無理解によって追いつめられても、そちらの方がマトモで正しい理屈なのが明らか過ぎて何も言えない。どうして良いかわからない。すごく胸に突き刺さりました。
「ツレ」の場合は正直もの凄く稀な例なのでは?と思う。この世間体を気にする国で、家族が精神的におかしい、あるいはヒキニート歴○年で経済的余裕もなく、下に二人も送り出すべききょうだいがいる、ってなると鼻白まれるのが普通だもん。他の患者の家族も身内にそういう存在がいる、ってだけでストレス半端なくて、「はるさん」やその家族みたいに包み込んであげられる余裕のある人たちはそういないと思う。ウチなんか親戚に多額の借金をしていることもあり、とっくに働くか嫁に行って当たり前の歳なのにわざわざ遠い私立の大学に浪人してまで行って何やってんだ、って苛立ちを感じられて当然の分際だと思うよ私。母方は、親しくなついていた大叔母がかなり心配してコッチに来ないか、とまで言ってくれたりもしましたが、地元より更に不便というか施設も仕事も少ない地域だし、大叔母のお孫さんたちが私より年下の子含め色々ありつつもしっかり自立して負担かけずに生活してるのを考えると、遠い関係の私がそこまで寄っかかるのは申し訳なさすぎるし、近くに住む祖父や叔父夫婦にも余計な配慮させちゃうよな、と(-_-;) イトコたちはまだ学生で、その学費のために叔父夫婦はいっぱいいっぱいに働いてますし・・・。本当にどこにも顔向けできなさすぎて居場所がない、というのがある程度の年齢に達したうつ病患者の実情なのでは?
まぁ私ズルズル生きるにしろ処理するにしろ、何とか一人になってから、なるべく迷惑かける範囲を最小限に減らせるように、ってことでようやく腰を上げかけたところですが。(実は全くポジティブな動機じゃなくてしつこいけれど申し訳ないm(__)m)とにかく家族から離れて、本読むだけ読んで、なるべく親を見送るまでは踏ん張・・・れないかもしれないけど、まぁソレが今のところの目標。きょうだいは散々迷惑をかけて情が湧かないのも仕方ないと思ってるし、葬式や存在自体抹消してほしい願望から言ってもその路線で良いと考えてるので、ぜひ適当に無縁仏にでも突っ込んでほしい。最後の面倒だけはどうしてもかけることになるので、火葬代と迷惑料くらい遺せると良いな、ってそれだけ。伴侶を得る才も無いレベルのうつが行き着ける限界はこのくらいだろうな。だって作中でも語られてたように、完治することはない病気だもん。哀しいとは感じない、ただひたすら存在することが苦しくて申し訳なく、どうして生まれてきてしまったのか堂々巡りに陥り続けるだけ。
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