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母が死んだ。第五王子の妃となった姉の葬儀を終えた翌朝のことだった。窓辺で首を吊り、ユラリユラリと揺れている母の亡骸を私は見つけた。
何も母娘(おやこ)揃って、こんなに外聞の悪い死に方をせずとも良いものを――
そう思いながら母の首にかかる縄を切り、傍にあったソファに横たえて声を上げた。
「誰か、父上をお呼びしろ! 母上が急に倒れられた!」
そうして慌てて父を呼びに女中が駆けてゆく間に、私は母の机の上に一通の手紙を見つけた。どうやら遺書のようだ。おそらくは父に宛てたものだろうが、残されたたった一人の息子である自分が読んでも特に差支えはないだろう、と考えた末、私はその封を開けた。
~~~
~~~
母の死は、姉と同じように“事故死”を装われ、密やかに葬儀が営まれた。国王とその実質的な後継者であると見なされていた王子の暗殺、そして暗殺の下手人と思われる“人質”の逃亡により、宮中は混乱していた。一貴族に過ぎない女の死など、誰も気に留めなかった。
「おまえ、あの手紙を読んだのか?」
葬儀を終え、数少ない弔問客を皆帰してしまってから、父が己に問いかけてきた言葉。
「ええ、読みました。全て」
静かに頷いた自分に、父は深い深い溜息を吐き出してみせた。
“王の寵臣”とも言われていた父が姉の無理やりな婚姻の際、一度も国王に意見を述べに行かなかったこと。自分を見つめる母の瞳がいつも、自分を通してどこか遠くを見つめていたこと。『ロバート』と名を呼ぶ声に交じる、今にも他の誰かの名前を叫んでしまいそうな切ない響き。父と母の間にいつも生じていた、微妙な距離感。ルパート王子と姉の関係を知った夜、取り乱す母を必死でなだめていた父の姿。
『大丈夫だ、きっと陛下が何とかして下さる。全て陛下の御心のままに、お任せしよう……』
『駄目です、それでは、あの子たちの心が壊されてしまいます! 陛下はそれをお望みなのです。陛下は、自らの手で育てた、何のしがらみも無いあの子を、己が後継者に仕立て上げようとなさっているのです……!』
『アメリア、それは妄想が過ぎる。陛下に対しても殿下に対しても無礼だ。大丈夫だ、きっとなるようになる』
『ではあなたは、このままあの二人の交際を黙って見守れとおっしゃるの!? 一瞬で散っていくことが解っていて、己の娘が傷ついても良いのですか!?』
『黙れ、アメリア!我々が今の地位にあるのはどなたのおかげと心得る!? おまえを娶ってやったのも、そもそもは陛下の……』
余りにも聞き苦しい二人の口論に嫌気が差して、私はその場を後にした。別に姉の恋が上手くいってもいかなくても、私は傷ついたりなんかしない。ただ、次期国王の有力候補である王子殿下との繋がりが薄れるのは残念に思うが……。
しかし、母の指す『あの子』とは一体誰のことか。まさか自分のはずがあるまい。一介の貴族が、国王の次期後継者などと! 母は妄想に取りつかれてしまったのだろうか? 恋の熱に浮かされる姉同様、己が身内に恥を感じ、同時に嘲笑した。
そして今ようやく、私は全ての真実を知った。
~~~
姉は、ルパート殿下への想いを忘れられないが故に、恋のためだけに死んだのだと思っていた。そして母は、娘を失った悲しみ故に、ただそれだけの理由で逝ったのだ、と。どちらも無責任で愚かな死に様。しかし、もっと愚かだったのは……己の傍で母の形見の十字架に取り縋り、嘆き続ける父の姿をじっと見つめる。
「アメリア、アメリア、君の言った通りだった。陛下も、グロリアも、おまえも、私は全てを失ってしまった。なぁアメリア、どうすればいい? 私は……」
陛下の“お手付き”となり、王子を生んだ女官を下賜されることを唯々諾々と受け入れた父。心の奥底でその美しい女を愛しながら、権力におもねり、素直になれず、子を生した後も己が妻として心から彼女と――母と触れ合うことのできなかった、哀れな男。最後まで亡き国王の言うことをひたすら聞くだけの人形と化し、娘を利用されていることを知っていて異父兄との交際を黙認し、更にその恋を踏みにじることすら是とした。
庭に咲く月下美人の花をじっと見つめる。月下美人は一夜しか咲かない。そこで実を結ばなければ、永遠に実が生ることなく散っていくのみ。姉も、母も、この花のように美しく、儚かった。そして己の異父兄にあたるのだという、姉が心から愛していたあの王子もまた……。どうして己一人のみが、父親に似た容貌に生まれついてしまったものか。見下ろした父は、既に憎む価値もない脱け殻と化していた。白き花弁に消えない傷を残して、踏みにじった男。
「父上、私はリチャード殿下の元へ参ります。きっともう二度と、ここへ戻ってくることはないでしょう。……いえ、リチャード殿下がこの国を征された際は、どうなるか分かりませんが」
そう告げた己を呆然と見上げる、空虚な瞳。
「いかん、いかん、ロバート。私が、このウィルクス家をこの地位まで上げるために、どれだけの犠牲を払ってきたと思っておるのだ!? おまえはこの家の嫡男だ。駄目だ、おまえはこれから王太子殿下の元に……!」
「それは父上の勝手な望み。私は私の道を参ります。大体、あの愚鈍な王太子に、“身分低き”第六王子などに次期国王の座を奪われていたも同然の王子に、何ができます? 早晩この国は滅びるでしょう。父上も他国に亡命なさるなり、早く策を練っておいた方が良いかと」
そう言って微笑んだ己に、父の顔が幽霊でも見たように一気に青ざめていった。もしかしたら、滔々と言葉を紡ぐ私の姿に“誰か”を思い出してしまったのかもしれない――苦笑しながら庭に出、そこに咲く月下美人の花を一輪捥ぎ取る。
リチャード殿下は、月下美人がお好きだと聞いたな……。
彼の逃げ帰った故国に、この花は果たして咲いているのだろうか。一瞬、手土産に持ち行こうと考えたが、すぐにその愚かしさに気づいて止めた。どうせこの花は、明日の朝には散ってしまう。それに主に媚びて歓心を得ようとする父のような手法は、正直言って余り好みではない。行き場を無くした手の中の花をじっと見つめる。摘まれてしまったこの花は、どうせもう実を結ばない。ならば美しく咲き誇るこの姿のまま、葬ってやるべきではないのか? そう考えながらも、気がつけば私は無心に白き花弁をむしっていた。
いつもいつも、己一人が蚊帳の外。姉も、母も、父も、誰も己をまともに見てくれたことは無かった。思えば、あのルパート王子が、何の濁りもない真っ直ぐな眼差しを私に向けてくれた最初の人であった。
~~~
『ウィルクス伯爵のご嫡男か……。大層、優秀だと聞くが』
『畏れ多いことにございます、殿下。私などまだまだ若輩者で……』
『良い目をしている。宮中に出仕する日が楽しみだな。その日が来たら、是非とも私の傍で補佐の仕事をしてもらいたいものだ』
そのとき、微笑んだ王子の顔が余りにも綺麗だったので、思わず赤面してしまったことを覚えている。
『おっ、それはずるいぞ、ルパート! 彼は軍に属すことを希望しているかもしれないじゃないか。ちょうど私の副官の席も開いているから、君がこんな書類仕事に嫌気が差す類の人間だったら、是非とも私の元に来てもらいたい』
そうしてルパート王子の傍らに寄り添う影のように現れた、リチャード王子の姿。彼もまた、曇りのない笑顔を浮かべ、私に声をかけてくれた。あの頃、既にルパート王子は姉と恋仲にあった。彼は、“恋人の弟”という立場にある自分を、もっと利用しても良かったのではないか。会話の中で彼は一度も姉のことには触れず、ただ己に励ましの言葉をかけたのみであった。“姉の弟”としてではなく、一人の人間としての自分を認めてくれたのだ、と感じた。ルパート王子も、そしてまたリチャード王子も。
そうしてルパート王子の傍らに寄り添う影のように現れた、リチャード王子の姿。彼もまた、曇りのない笑顔を浮かべ、私に声をかけてくれた。あの頃、既にルパート王子は姉と恋仲にあった。彼は、“恋人の弟”という立場にある自分を、もっと利用しても良かったのではないか。会話の中で彼は一度も姉のことには触れず、ただ己に励ましの言葉をかけたのみであった。“姉の弟”としてではなく、一人の人間としての自分を認めてくれたのだ、と感じた。ルパート王子も、そしてまたリチャード王子も。
だから私は、リチャード王子を信じてみようと思う。ルパート王子へ注がれていたあの深く優しい眼差しを、姉へ向けられていたあの切なく暖かい眼差しを、そしてあの日私の心を射抜いた、あの真っ直ぐで力強い瞳を。
もうすぐ、夜が明ける。花弁を全て失った月下美人の茎を投げ捨て、私は馬に跨った。次に帰るときは、私がこの国を踏みにじるとき。私の母を、姉を、兄を踏みにじったこの国を、跡形もなく蹂躙するとき。そう己に言い聞かせながら、私は月下美人の散りゆく故国を後にした。
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一応世界観としては中国というかユーラシア大陸北東のような雰囲気で・・・
瑠璃族は白人でロシア語名ですが好戦的な遊牧騎馬民族、
四季族は日本と中国足して二で割ったようなイメージで書きました。
あ、半分補足説明的な番外編は勿論水姫のお輿入れです(笑)
何か当初の予定と違ってどんどん春輝の婚約者が出張ってきちゃって・・・
自分でも気に入ってしまったので、書かせていただきました(^^;
あ、一応メイン二人の一人称の変化は外用と内用ってことで。
外面を装う時は「私」と「わたくし」、
気を許した相手には「俺」と「わたし」になります。
春輝は二人称も「そなた」から「おまえ」に変わりますね(@_@)
だから春輝に「私」と言われ、「そなた」と呼ばれたユーリヤが微妙に
ショック受けてたりしたんですねー・・・わかりにくいかもしれませんが(-_-;
瑠璃族は白人でロシア語名ですが好戦的な遊牧騎馬民族、
四季族は日本と中国足して二で割ったようなイメージで書きました。
あ、半分補足説明的な番外編は勿論水姫のお輿入れです(笑)
何か当初の予定と違ってどんどん春輝の婚約者が出張ってきちゃって・・・
自分でも気に入ってしまったので、書かせていただきました(^^;
あ、一応メイン二人の一人称の変化は外用と内用ってことで。
外面を装う時は「私」と「わたくし」、
気を許した相手には「俺」と「わたし」になります。
春輝は二人称も「そなた」から「おまえ」に変わりますね(@_@)
だから春輝に「私」と言われ、「そなた」と呼ばれたユーリヤが微妙に
ショック受けてたりしたんですねー・・・わかりにくいかもしれませんが(-_-;
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それはまさに一触即発、という壮観な光景だった。
瑠璃族の兵たちと四季族の兵たちがずらりと並んで向き合い、
いつ戦の火蓋を切るか、互いにタイミングを窺っているような様子であった。
そんな両軍の中心に思い切り駆け降りた俺の姿に、
敵も味方も皆一様に驚き、隊列は乱れた。
敵も味方も皆一様に驚き、隊列は乱れた。
「静まれ! 静まれ、皆の者! 私は四季族の新しい族長、四季春輝である!
この戦を望んだ先代族長、四季冬彦は既に隠遁した!
かくなる上は我が四季族に戦をするだけの余力は残されてはおらぬ!
私は新たな四季族の族長として、瑠璃族との講和を望みたい!」
突如戦場に現れ、新族長を名乗った俺の言に兵たちはどよめき、
敵も味方も俺の真意を探ろうと心中が揺れ動いているのが分かった。
……本来は戦など、誰も望みはしないはず。
「お兄様!」
そのとき、馬上のユーリヤがさっと馬から降りて駆け寄っていった男がいた。
金の髪に瑠璃の瞳、瑠璃族の兵の先頭に立ち、一際豪奢な鎧を纏ったその将は
間違いなく瑠璃族族長の血を受け継ぐ、ユーリヤの実兄であろうと思われた。
戦場に現れた妹を戸惑いがちに受け止めたその兄は、
顔を上げて真っ直ぐにこちらを見た。
顔を上げて真っ直ぐにこちらを見た。
「貴殿が四季族族長の嫡男……、いや、既に長の座を引き継いだと申されたか、
四季春輝殿か。貴殿に嫁いだ我が妹は処刑されたと聞いたが……
今こうして腕にあるのは、四季族の操る幻術というものではあるまいな?」
今こうして腕にあるのは、四季族の操る幻術というものではあるまいな?」
「もちろんです。ユーリヤは私の何よりも大切な妻で、世継ぎの母です。
そう簡単に死なせはしません」
真摯な瞳で頷き返せば、彼はにこりと微笑んで手を差し伸べた。
「私はユーリヤの兄、瑠璃族族長が嫡男、ロマン・ラズトキン。
妹を守ってくれたこと、礼を言う」
端正な顔立ちのロマンが発した一言に、俺は彼が一瞬で全てを悟ることのできる
聡明な頭脳の持ち主であることを知った。
「お兄様、わたしが生きていることを知れば、瑠璃族に戦の口実は無くなるはず。
どうか講和をご承知下さい。
わたしはもうこれ以上、瑠璃族と四季族に争ってほしくないのです……!」
必死に兄に取り縋るユーリヤを、周囲の兵たちが固唾を飲んで見守る。
「……ユーリヤ、今度(こたび)の戦は父上が……
おまえを嫁がせたときから、お決めになられていたことなのだ。
私はおまえを守るため、何とかして開戦を伸ばそうとした……。
おまえを嫁がせたときから、お決めになられていたことなのだ。
私はおまえを守るため、何とかして開戦を伸ばそうとした……。
もう、エーヴァやラリサのような悲劇は見たくなかったから」
俯いた男の口から紡がれたのは、おそらくはユーリヤの二人の姉の名前。
ユーリヤの父、瑠璃族族長のアントンという男は、
本当に娘たちを道具としてしか思っていないというのか!
思わず叫び出しそうになった俺の背後から聞こえてきたのは、
此処にいることがありえない存在の静かな声だった。
「それでは、お話は簡単なことですわ。
あなたがお父君を退かせて、新しい族長におなりあそばせば良いのです。
ちょうど此処にいる、春輝兄様と同じように」
あなたがお父君を退かせて、新しい族長におなりあそばせば良いのです。
ちょうど此処にいる、春輝兄様と同じように」
どこまでも冷静で落ち着いたその声に驚いて振り向くと、長かった黒髪を
綺麗に切り落とした姿の水姫が、火野の腕に抱かれて馬の上に座していた。
綺麗に切り落とした姿の水姫が、火野の腕に抱かれて馬の上に座していた。
「暗殺でも追放でも、どんな手段を用いられても構いません。
瑠璃族は続く戦に兵や民たちは疲れ切っているはず。
ここにいる兵たちだけでも、あなたの方を信奉する者は数多くおりましょう」
水姫の口から滔々と紡がれる言葉に、ロマンと兵たちは呆気に取られたように
馬上の女を見つめた。
「そうしてあなたが族長となられた後、このわたくし、
四季族族長の従妹である四季水姫が新族長殿の元に嫁ぎましょう。
言い方は悪うございますが、所謂“人質の交換”というものですわね。
四季族は既にあなた様の妹御であるユーリヤ様を
族長の妻にいただいておりますから……これで釣り合いが取れ、
両民族の間に平和が保たれるのではございませんか?」
族長の妻にいただいておりますから……これで釣り合いが取れ、
両民族の間に平和が保たれるのではございませんか?」
そう言ってのけた水姫の笑顔に、ロマンは額に手を当て、
傍らの参謀らしき男を見た。
傍らの参謀らしき男を見た。
主の視線に深く頷いてみせた彼に、ロマンは何かを決意したように
瑠璃色の瞳をキラリと光らせ、自らの兵たちを振り向いた。
瑠璃色の瞳をキラリと光らせ、自らの兵たちを振り向いた。
「そなたたちの中に、今の四季族族長の従妹殿の意に賛同する者は幾らいる!?」
「……私は支持します」
「俺もです!」
「私も!」
「俺も賛成するぞ!」
ロマンの問いにポツリポツリと漏れ出した呟きはやがて大きな声となり、
うねりとなり、悲鳴のような歓声となって一帯を取り巻いた。
そうしてロマン率いる瑠璃族の兵たちが族長アントンの“討伐”へと踵を返した後、
俺は改めて従妹と向き合い、その真意を問うた。
あれだけ異民族を厭っていた、生粋の四季族であるはずの水姫の、
本当の心の内を。
本当の心の内を。
「水姫、いいのか?
おまえがけしかけた瑠璃族の新族長は……髪も瞳も黒くはない」
おまえがけしかけた瑠璃族の新族長は……髪も瞳も黒くはない」
「あら、例え夫となる方の髪と目が黒かったとしても、
結局望む方の元に嫁(ゆ)けぬのでしたら同じことですわ」
結局望む方の元に嫁(ゆ)けぬのでしたら同じことですわ」
俺の傍らに寄り添うユーリヤに対する嫌みの混じったその発言に眉根を寄せると、
水姫は苦笑して答えた。
「冗談ですわ。
ユーリヤ様、どうか春輝兄様を……四季族を、よろしくお願い致します」
ユーリヤ様、どうか春輝兄様を……四季族を、よろしくお願い致します」
あれほど嫌っていたユーリヤに向かい、真摯に頭を下げた水姫の姿に、
驚いてユーリヤと顔を見合わせる。
「こちらこそ、お兄様と……瑠璃族を、よろしくお頼み申し上げます」
微笑んでお辞儀を返したユーリヤの姿は、既に四季族そのものであった。
その様子に水姫も満足したらしく、誇らしげに笑むと自ら馬に跨った。
「水姫様! 危のうございます!
あなた様はまだお一人で馬にはお乗りになれないでしょう!」
慌てて駆け寄った火野に、水姫は何かが吹っ切れたような表情(かお)で叫んだ。
「あら、でも瑠璃族は女子(おなご)でも皆一人で馬を乗りこなすと聞きます!
そうではありませんこと? ユーリヤ様」
「そうなのか? ユーリヤ」
初めて聞いた話に、思わずユーリヤの方を見返す。
嫁いできてから今まで、我が一族の女子と同じように当たり前に己が腕に抱いて
騎乗させてきた妻は、少しだけ頬を赤らめて頷いた。
「おまえ、そういうことは早く言わないか!」
慌ててユーリヤの分の馬を用意させ、共に連れ立って里へ帰った俺が
己を遥かに上回る妻の乗馬の腕前に赤面することになるのは、
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「水姫(ミズキ)に会いたいのだが」
突然の俺の申し出に、傍仕えの侍女は戸惑い、すぐさま父の元へと走っていった。
俺の“監視役”の一人である年かさの女だが、所詮は父の傀儡に過ぎぬ。
決定権は無いらしい。
苦笑しながら、女の帰りを待つ。
「お館様は
『幼き日よりの許嫁同士、婚儀の日まで毎日のように逢瀬に出かけるのが
筋というもの。よかろう、水姫の館まで、好きに出かけてくるが良い』
筋というもの。よかろう、水姫の館まで、好きに出かけてくるが良い』
とおっしゃっておいででした」
急いで戻ってきた女が息を切らしながら伝えた父の伝言。
存外にあっさりと出た面会の許可への驚きと同時に、
火野を動かしたことが正解であったことを知る。
急がなければ。
四季族には、俺とユーリヤにはもう一刻の猶予も残されてはいないかもしれぬ――
~~~
「何時になったらお越し下さるのかと、
それはもう首を長くして待っておりましたのよ、春輝兄様」
それはもう首を長くして待っておりましたのよ、春輝兄様」
口元を扇で隠し、長い長いぬばたまの髪をゆったりと流した従妹の水姫は、
現在の俺の婚約者とされている。確かに、幼い頃より俺達二人はいずれ
族長夫婦となる者として育てられた。しかし俺はユーリヤを妻に迎えた。
族長夫婦となる者として育てられた。しかし俺はユーリヤを妻に迎えた。
四年前に我が四季族と瑠璃族との間でどんな経緯があったのかは知らないが、
族長の嫡男である俺は瑠璃族の娘を妻に娶った。
誇り高い彼女にとって、当然のごとく四季族族長の正妻になるのだと信じて
育ってきた水姫にとって、それはどれほどの屈辱であったことか。
それを知りながらこんなことを頼みにきた俺は残酷なのかもしれない。
だが、それでも……
だが、それでも……
「単刀直入に言う。水姫、俺の記憶を返せ。
今の我が一族の中で、その力を持つのはおまえだけだろう?」
「……傍仕えの者たちを全て“眠らせて”、何をおっしゃるのかと思えば……。
そんなことをおっしゃって、わたくしが素直に従うとでもお思い?
族長様に告げ口をして、更に重い“術”を施してしまうかもしれませんわよ?」
水姫の深い暗闇の瞳が俺を射る。
「水姫、俺はおまえを信じている。おまえは何よりも曲がったことが嫌いな、
強く美しい俺の従妹だ。そして俺に寄せてくれていた想いも……知っている。
だからこそおまえに頼むのだ。お願いだ、水姫、俺の記憶を返してくれ……!」
絞り出すような声音で紡がれた俺の懇願に、水姫はすっと顔を背け、俯いた。
「ひどい、酷い、春輝兄様は酷い方……!
あなたが、あんな気味の悪い髪をした女などを正妻に迎えていなかったら……
あなたのお子はわたくしがお生みするはずでしたのに!
あんな、不気味な色をした瞳の子などではなく、綺麗な黒髪に黒い瞳を
宿した子供が、この四季族の長を継ぐと決まっておりましたのに……!」
宿した子供が、この四季族の長を継ぐと決まっておりましたのに……!」
初めて見る気丈な従妹の涙に、胸の奥がズキリと痛む。
しかしこの何倍もの痛みを、ユーリヤの瞳を見るたび、声を聞くたびに思い出すのだ。
恋とは、愛とは何と残酷なものであることか!
「……わかりました。そこまでこのわたくしを信じていらしたのなら、
どうして兄様の“妹”も同然の水姫に断ることなど出来ましょうか……。
“全て”の覚悟は、おありなのですね?」
水姫は涙を拭って、こちらを見つめた。
深く頷いた俺に、彼女はそっと手をかざして祈りを唱える。
そうして、俺は……
~~~
「遅かったようだな、春輝よ」
屋敷に戻ると、俺の居室であるはずの東の棟に父が座し、
ニヤニヤと顔に嗤いを浮かべて座していた。
「久しぶりの逢瀬で、つい話し込んでしまいましたので」
父の言に極力不審なところを見せぬよう、淡々と受け答えをする自分にも
辺りに漂う不穏な空気は既に伝わっていた。
辺りに漂う不穏な空気は既に伝わっていた。
「そうではない。そなた、水姫の元で記憶を取り戻してきたのであろう?
けれどもう手遅れじゃ。あの瑠璃族の女と子供は今頃わしの手の者にかかっておろう」
予想通りの言葉に、鋭く父を睨みつけて口端を上げる。
予想通りの言葉に、鋭く父を睨みつけて口端を上げる。
「……さぁ、どうでしょうか? 父上」
眼差しが交錯し、張りつめた空気に額から一筋の汗が滴り落ちたそのときだった。
火野が、待ち焦がれた二人を連れて己が背後に現れたのは。
「火野……!? 何故!? わしを裏切ったのか!?」
激昂して立ち上がった父に、火野は無表情で答えた。
「我が主は春輝様お一人。異民族の血を引く私を、まともな“人間”として
扱って下さったのは春輝様だけでした。私は生涯の忠誠を春輝様に捧げております」
扱って下さったのは春輝様だけでした。私は生涯の忠誠を春輝様に捧げております」
「ぐぬうっ……おまえぇ!」
火野とその背後に控えるユーリヤに掴みかかろうとする父を、周囲の兵が取り押さえる。
全てはあの寂れた庵で一人の異民族の女に、
何よりも愛する妻に再会できたこの三月の間に手配したこと。
全てはあの寂れた庵で一人の異民族の女に、
何よりも愛する妻に再会できたこの三月の間に手配したこと。
「父上、あなたには四季族族長の座から退いていただく。
俺が新たな族長に就き、必ず瑠璃族との戦を止めてみせる」
振り返ってユーリヤの瞳をじっと見つめ、しっかりと頷いてみせる。
美しい瑠璃色の双眸は全てを悟ったかのように瞬き、
目尻からは透明な雫が次から次へと滴り落ちていた。
「ふっ、もう遅いわ。既に兵たちは戦場に向かっておる。
そなたたちがどんなに急いたところで、戦地まで二日はかかる。
間に合いはせぬ。既に切られた戦の火蓋が、止められるわけはない!」
高らかに嗤う父を奥の間に幽閉することを命じてから、急いで馬の手配をさせる。
すると、それまで火野の背後に大人しく控えていたユーリヤが、
俺の袖に縋りついてきた。
俺の袖に縋りついてきた。
「春輝、春輝、あなた記憶を取り戻したのね!?
そうして、瑠璃族との戦を止めに戦場に赴くと言うの!?」
慌てた様子のユーリヤに、微笑んで優しく頬を撫でる。
「思い出した……おまえのことも、夏海のことも全て。
おまえと同じ、真夏の海のように美しい瞳をした赤子だから、夏海と名付けた……。
そうだったな? ユーリヤ」
俺の言葉に、彼女は瞳を潤ませて頷く。
「そうよ。そうよ、春輝。四季族の文字が分からないわたしに、その意味を
教えてくれたのはあなただわ……。だからお願い、わたしも一緒に連れて行って。
わたしはもう二度と、あなたを失ってしまいたくはない。
教えてくれたのはあなただわ……。だからお願い、わたしも一緒に連れて行って。
わたしはもう二度と、あなたを失ってしまいたくはない。
あなたに言われたように、あなたが記憶を無くした時、あなたの妻としてすべきだった
あなたを取り戻すための努力を、今からでもさせてほしいのよ。お願い、春輝……!」
あなたを取り戻すための努力を、今からでもさせてほしいのよ。お願い、春輝……!」
ユーリヤの必死の懇願に、俺は信頼のおける乳母子に夏海を預け、
彼女を馬上へと抱き上げた。
彼女を馬上へと抱き上げた。
「全速力で瑠璃族の里に向かう。しっかり掴まっていろよ、ユーリヤ!」
固く唇を噛みしめ、無言で頷いた彼女を抱いて、俺は馬を駆けた。
父の命を受けた兵たちは、昨日秘密裏に四季族の里を出発したのだと言う。
間に合うだろうか? この俺に、俺達二人に果たして戦は止められるのだろうか――?
→5
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屋敷に戻った俺は、己が周囲から監視されていることに気づいた。
気配を隠し、注意深く、しかし綿密に。
何故今まで気づくことが出来なかったのか。
それも全ては……
何故今まで気づくことが出来なかったのか。
それも全ては……
俺は監視に気づかれぬよう、少しずつ失われた五年間のことを調べ上げることにした。
瑠璃族から妻を迎えたという痕跡、その妻との間に生まれた嫡子の痕跡。
瑠璃族との開戦の経緯。父は瑠璃族の有する知恵と技術を、
瑠璃族は我が四季族の持つ肥沃な領土を欲していた。
瑠璃族は我が四季族の持つ肥沃な領土を欲していた。
昔から小競り合いの絶えなかった両民族の“架け橋”として送り込まれてきた娘が、
ユーリヤ・ラズトキン。その美しさを謳われる瑠璃族族長の一族の中でも、
殊に美しいとの評判を極めていた娘。
殊に美しいとの評判を極めていた娘。
彼女を妻に娶った俺は、その美しさだけに惹かれたのだろうか。
いいや、記憶を失ってから幾度か重ねた彼女との逢瀬で、俺は彼女の賢さを知り、
優しさを知り、そして俺に向けられる真っ直ぐな瑠璃色の眼差しを見た。
俺の名を呼ぶ、胸を締め付けられるような透きとおる声を聞いた。
俺はユーリヤを、妻となった敵の女を、おそらくは心から愛していた。
否、今でも愛している。だから……
~~~
「……ユーリヤ」
突然訪れた俺に、ユーリヤは驚いてナツミを抱いたまま後ずさり、
庵の中へと逃げ込んだ。
庵の中へと逃げ込んだ。
「関係ないと……申し上げたではありませんか! 何故わからないのです!?
あなたがこちらにおいでになればなるほど、
あなたの身も、ナツミの身も危うくなるのだと!」
あなたがこちらにおいでになればなるほど、
あなたの身も、ナツミの身も危うくなるのだと!」
ピシャリと閉められた扉の内側から聞こえる悲痛な叫び。
おそらくユーリヤは知っている。
「それは俺とこの庵が、一族の者に見張られているからだろう?」
「……分かっていて、何故……」
今にも泣き出しそうな女の声に、すぐにでも扉を蹴破って
その細く震える身体を抱きしめたい衝動に駆られる。
「今、監視は俺の“術”によって眠っている。否、正確には“起きている”が
眠っている状態にある。だから、ここに俺がいることも、
おまえとこれから話すことも誰に聞かれる心配もない」
眠っている状態にある。だから、ここに俺がいることも、
おまえとこれから話すことも誰に聞かれる心配もない」
そう告げれば、固く閉じられた庵の扉が少しずつ開き、
泣きはらした瞳のユーリヤが姿を現した。
泣きはらした瞳のユーリヤが姿を現した。
「それで今さら、わたしに何のお話があると言うのです?」
「ユーリヤ、俺が記憶を無くしたのは
正確にはいつ頃のことだったか覚えているか?」
正確にはいつ頃のことだったか覚えているか?」
赤く縁取られた瑠璃の瞳を真っ直ぐに見つめて投げかけた問いに、
彼女は一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。
「一族の会議で、わたしとこの子を送り返すことはない、と宣言されて……
確か、三日後のことだったように思います」
「三日後……」
少し俯いて考えを巡らせる俺に、ユーリヤは怪訝な眼差しを向けてくる。
「お前の話を聞く以上、俺は瑠璃族との間に戦を起こすことを
強硬に望む者たちに、意図的に記憶を奪われた可能性がある」
強硬に望む者たちに、意図的に記憶を奪われた可能性がある」
すっと顔を上げて告げた言葉に、ユーリヤは目を見開き、
フラフラと力が抜けたように地面へと倒れ込んだ。
フラフラと力が抜けたように地面へと倒れ込んだ。
~~~
「火野(ヒノ)、少し頼みたいことがある」
ユーリヤの庵から帰ってすぐに、俺は側近中の側近である火野を呼び出した。
黒い髪に濃い茶色の瞳を持つ火野は、一見すると生粋の四季族と
何ら変わりはないが、身体の半分に異民族の血を受け継いでいる。
何ら変わりはないが、身体の半分に異民族の血を受け継いでいる。
『黒髪に黒い瞳を持つ者以外は、“野蛮で恐ろしい”異民族である』
との教育を長年に渡り受けてきた四季族の中で彼の存在は異質であり、
長の一族に極めて近い血筋を持ちながら、
火野は幼い頃より周囲の迫害を受けて育ってきた。
との教育を長年に渡り受けてきた四季族の中で彼の存在は異質であり、
長の一族に極めて近い血筋を持ちながら、
火野は幼い頃より周囲の迫害を受けて育ってきた。
だからこそ、失われた記憶の中でも彼だけはユーリヤと俺の結婚も、
二人の間に生まれた子供のことも、きっと祝福してくれたことだろう。
俺の“頼み”を聞いた火野は一瞬驚いたような表情(かお)をし、
次に破顔し、快くその“頼み”を引き受けてくれた。
これで問題の一つは片付いた。そして、残る一つは……
次に破顔し、快くその“頼み”を引き受けてくれた。
これで問題の一つは片付いた。そして、残る一つは……
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