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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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夏に降りたる』イーノス編。

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西の地では明らかに異彩を放つ、紅に金糸を織り込んだ民族衣装の女を見た時、イーノスの心臓は蘇った死者と対面しているかのような、おぞましさと懐かしさに凍りついた。何故彼女がここにいる――? 手酷い傷を負ったのではなかったか、と思案した後、すぐに美しく化粧を施された顔の下、鮮やかな衣に覆い隠されている事実に気づいた。あの弟のやりそうなことだ。
 
「イーノス殿下、あの者は……」
 
側近が耳打ちする声を、一瞬聞かなかったことにしたいと感じた己を叱咤する。薄々勘づいてはいたのだ、自ら傷つけた彼女を元許婚であるイーノスに引き渡すこともなく手元に置き続ける……否、彼の目を避けるかのように囲い込み、現状を問うさりげない問いですらはぐらかすフェリクスの真意に。彼女の手を離さざるを得なくなった時、彼の表情に浮かんでいたのは喜悦と強い嫉妬の念。自分に比べて真っ直ぐに、大らかに育ったはずの弟を歪ませてしまったのは雪夏であり、またイーノスだったのかもしれない。
 
 
~~~
 
 
『にいさま?』
 
父の妾が亡くなったため、慈悲深い王妃である母がその息子を引き取ることになったのだ――首を傾げてこちらを見上げる幼子について、乳母は耳元でそう囁いた。明るい金の髪に青い瞳。手を伸ばせばニコリと笑って飛びついて来た。体型が崩れる、ドレスが汚れる、品位に傷がつく。そんなくだらない理由でイーノスを抱きしめてはくれなかった母とは真逆の、初めての肉親としての温もりを分け与えてくれた小さな弟は、彼にとってすぐに堪らなく可愛い宝物になった。
 
 
 
『セツカ、と申しますイーノス様。以後何卒お見知りおきを……』
 
それから数年後に現れた少女の初めの印象は、イーノスにとって決して芳しいものではなかった。着慣れないドレスの裾に足を取られ、奇妙な発音で頭を下げる彼女の黄色い肌も黒い髪も、到底己と並び立つにふさわしいものとは思えなかったのだ。自我が活発に伸びゆく時期、母から植えつけられた玉座を継ぐ者としての誇りと地位への執着の狭間で彼自身も葛藤していた。
 
『言葉も通じぬ奴と、話なんかできるか』
 
早口で吐き捨てて立ち去るイーノスに、意味はわからずともすっかり怯えてしまったのだろう、少女は震え出し、同じ黒髪の女官の衣にすがった。仮にも一国の身分ある者だというのに、その情けない様は何だ――と少年の苛立ちは更に増し、彼が足音荒く室を去ってからしばらく。その少女は何故か破天荒な異母弟の手に引かれ、王宮の庭を懸命に駆けていた。
 
『ふぇりくす、まって、とまって、おねがい。……わたし、はしる、つかれた』
 
たどたどしい使い方ではあるが、幼いフェリクスと過ごす内に少しずつこちらの言葉を覚えてきたらしい。ゼイゼイと息を切らした雪夏の艶やかな黒髪は、束ねるリボンがゆるんでほつれ、どこを通り抜けてきたものか緑の葉があちこちに絡んでいた。ベンチの上で読書をしていたイーノスはそれを見て立ち上がり、一つ溜息を吐いて彼女の元へと歩み寄る。
 
『……髪が乱れているぞ、許婚の身なりは俺の評判にも影響する、気を付けろ』
 
丁寧に葉を取り除き、リボンを結び直すイーノスの指先に、雪夏はギュッと瞼を閉じて身を竦ませた。そんな彼女の態度に呆れ顔をする彼を、恐る恐るといった体で彼女が見上げる。
 
『ついていけない時はきちんと言え。……無理をするな』
 
ぶっきらぼうに告げられた言葉に、雪夏は目を見開いた。その呆気に取られたような表情に、イーノスの瞳が自然と細まる。それから彼は幼い二人の姿が見える場所で午後を過ごすようになり、侍女にテーブルを用意させては手ずから茶を入れてやるようになった。少しずつウェストの文化に馴染み、オーデンの言葉を滑らかに操るようになった少女が花の蕾のような瑞々しさを滲ませるようになった頃には、指をすりぬける長い黒髪の感触も、巴旦杏の形をした黒い瞳の静けさも、日の色を溶かしたような肌の象牙色でさえすっかり親しみと愛しさを覚えるようになっていた。それなのに――
 
『イーストラインが開かれたせいで我が地の民が困窮しております。殿下はいかがお考えか』
 
直訴に来た貴族の一人に迫られ、イーノスはこめかみを押さえた。訴えが増える理由は、彼の許婚が“イースト”の出だからだろう。ただでさえ、彼女を招いた母が病に倒れ胸を痛めていると言うのに――その母の親族ですらも、近ごろは一族の娘と彼との見合いのような席を次々設けたがっている。彼らは手を組む相手として環を選び、イーノスの許婚に太守の娘を据えはしたが、本音では玉座の後継を“イースト”の娘などに生んでほしくはないのだろう。利用するだけしたら後は用済み。だから余り距離を詰め過ぎ、対抗勢力に付け入られては困る。
 
『ねぇ、僕おかしいと思うんだよ……セッカは良い子だけど、父上の後を継いで王冠を戴いたイーノスの隣に、彼女が並ぶのは想像がつかないなぁ』
 
子どものような口調で父に囁く異母弟は、既に少年の域に差し掛かりつつある。父の寵愛を受け己を脅かす存在と目されてはいたが、天真爛漫なその様はとても権力を握ることなど望んでいないように見えた。信じていた、弟も自分を慕い敬ってくれていると。彼がイーノスを蹴落とすことなどないのだと――例え己がフェリクスに敵うものを持たずとも、彼を愛している限り、裏切ることなど決して無いと。
 
『フェリクス、ですか? この頃は私のところへも余り……彼の周囲が、望まれていないからではないでしょうか』
 
寂しそうにうつむいた許婚は、イーノスと同じように彼を信じたいと思っているようだった。彼女との仲を近づけてくれた弟の真実を伝えることができぬまま、そっと抱き寄せた腕の中で雪夏は安堵したような笑みを浮かべる。やがて来る別れの予感を受けとめながら、彼にはどうすることもできなかったのだ。
 
 
~~~
 
 
ヒュン、と飛んできた紙の鳥を、イーノスは咄嗟に避けてつかんだ。三角形を組み合わせたような、立体に折られた白い紙が、彼の手の中でくしゃりと形を崩していく。
 
「あー、潰しちゃったの? 酷いなぁ、折角セッカが教えてくれたのに」
 
その名に眉をピクリと上げ、苦々しげに手の中の紙屑を見つめたイーノスに、仕掛けた張本人のフェリクスは肩をすくめながら溜息を吐いた。
 
「オリガミって言うんだよ。鳥とか花とか色んなものを作れるんだ。僕は手先が器用じゃないから、これくらいしかできないけど……環の文化なんだ、素敵だと思わない?」
 
「時間と手間をかけて作る意味がわからないな、紙なんてすぐに破けて燃える。水にだって弱い」
 
憎々しげに吐き捨てた兄を面白そうに見やって彼は告げた。
 
「だからイーノスは駄目なんだよ、セッカと婚約していた時ですら何も学ぼうとしなかったじゃないか。与うべき、守られるべき“イースト”の者としてしか彼女を見ていなかった。他ならぬ君がそんな調子じゃ、周りが侮ったり反発するのも当たり前だったよね」
 
それを利用したくせに――昂る感情のままぶつけてしまいそうになる言葉を、イーノスは飲み込んだ。図星をつかれ、己の弱さと醜さをさらけ出されて何も言えない。余りの情けなさに握りしめられた拳を、フェリクスが嗤う。
 
「自業自得だってわかったなら、もうセッカに近づかないで。今度彼女に触れたりしたら……どうなるか分かってるだろ?」
 
向けられた言葉と鋭い視線がイーノスの心を抉る。知られていたのだ――束の間の、庭先の邂逅ですら許す気が無いことを、弟がそれほどに溺れ余裕を失くしていることに、彼が受けた衝撃と口惜しさと羨望は、きっと誰にも理解できない。


 
ふと、視界の端を過ぎった藍の衣。裾を踏んで転びかけた身体に、気がつけば駆け寄っていた。弟は愚かだ、と幾度となく繰り返したよしなしごとが、また彼の口をついて出る。この深い緑の庭に、大股で歩けぬ彼の地の装束はそぐわない。
 
『おかあさま? どうしたの?』
 
彼女が追いかけていたであろう幼子が、茂みの内から顔を出す。彼女によく似た目をしたその娘は、果たして父親に近い性質の持ち主らしかった。
 
『フェリクスも昔、鳥やウサギを追いかけては飛び出していったものだった……』
 
二人きりで顔を合わせれば、もっと凶暴な気持ちに襲われるだろうと思っていた。聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせてしまうのではないかと恐れていた。そんな己の口からこぼれた存外に柔らかな思い出に、イーノスは思わず顔を歪め視線を逸らす。
 
『わたしはちょうちょをおいかけていたのよ、おじさま。おそとをとんでいたのが、とってもきれいだったから!』
 
舌足らずに紡がれる言葉は、出会った頃の少女をどことなく思わせた。あの頃も小さいと、華奢過ぎると感じていた――けれど今腕の中に捉えた身体は、目の前の子どもの母として余りにも頼りないほどに、
 
『……イーノス、殿下、どうもありがとうございます。ご迷惑をお掛け致しました』
 
胸板に手をついて、サッと身を離した雪夏からは、彼の知らない香りがした。切なさにたわんだ心が、また鋭い苛立ちを取り戻す――異なるベクトルで想う二人が寄りそう様が、フェリクスの思い通りになる彼女が、彼女に執着するフェリクスが気に入らない。己を軸に回るはずだった世界が覆され、彼一人が弾き出されてしまったような感覚にイーノスは陥っているのだ。
憮然として黙り込んだ彼の表情をどう受け止めたものか、雪夏は娘の手を引いて、足早にその場を立ち去った。或いはどこからか彼らを見つめる“目”に気づいていたのかもしれない。それほどに、弟の“愛”は――“支配”は徹底していたのだから。


 
「イーノス? 聞いてるの? 僕はもう君を完全に潰すことだってできるんだ、そんな風にね」
 
ぐしゃりと丸められ放られた紙の鳥の成れの果てを、冷たく眺めてフェリクスが言う。
 
「それを、王兄として認めてあげてるんだ。まぁ感謝もしているしね……君がいなければ、セッカとは出会えなかった」
 
クッと声を上げて嗤う弟の瞳に背筋を過ぎった戦慄を忘れたくて、イーノスはすがるように彼を見た。夏に降る雪の輝きに魅せられ、大事に大事に温め過ぎて、その手の熱で溶かしてしまった。ぬるい水と化したそれが干上がって初めて、いかに貴重なものであったか気づくのだ。本当に蔑みたいのは、愚かだと叫びたいのは他ならぬ己自身に対してなのだと、イーノスは震える唇を噛みしめた。





→フェリクス編『夏に凍れる


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ありがちな愛憎もの。他人物視点も書きたい。

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「セッカ!」
 
声を上げて抱きついてきた主――彼は“夫”と呼んでほしいのだと主張するが、に雪夏はゆるゆると首を回して振り向いた。正しく発されないその音は、『烈夏にあっても、熱を和らげ民たちを潤し癒す雪の如くなれ』と思いを込められた文字で表されるはずだ。けれど今はその意味が、まるで場違いな己を嘲笑う名のようではないか、と花弁のような唇から自嘲がこぼれた。
 
「フェリクス、また抜け出していらしたの?」
 
二人きりの時、彼のことを“陛下”と呼んではいけない。謁見や国議という言葉も出してはならない。ただの“フェリクス”として、年若い彼を甘やかす恋人になりきらなければいけないのだ。彼がそう求めた……否、定めたから。
 
「良いんだ、一休み。僕がいないと意見の一つもまとまらないなんて、そんな無能な手足は欲しくないよ。勝手に動かれても困るけどね。あぁ、僕の小さなお日様はよく眠ってるな……さあ、顔を見せて」
 
雪夏の膝の上で寝息を立てる幼子が、無理に抱きあげられたせいでぐずり声を上げた。真っ黒な雪夏の髪より少し明るい、栗色の髪を持つ娘の名も、彼は上手く発音することができない。フユヒ――冬陽、“雪夏”の字の持つ意味を知ったフェリクスが請うて、対となるように付けた名だ。彼女の故郷から遠く離れたこの地の王が我が子に与えたその名前に、周囲はことごとく反発した。文字に意を持つ異なる文化、耳慣れない音の響き――何よりその母親、異郷の女であり、先立って滅ぼした敵の妻であり、国内における王の最大の対抗勢力となり得る異母兄の許婚であった女への王の耽溺ぶりが、人々の心を苛立たせたのだ。
 
「あぁ、起こしてしまって……仕方ありませんね、私にお貸し下さい」
 
戸惑う主の腕から娘を抱きとり、雪夏は小さな声で歌い始めた。彼女の郷里の子守唄の物悲しくも優しい響きに、冬陽だけでなくフェリクスもまた穏やかな表情(かお)で寝転んだ。この部屋は雪夏の文化に合わせ、外履きを脱いで床を裸足で歩けるよう厚い絨毯が敷かれている。寝室にはイグサを編んだ緑の畳までが、わざわざ彼女の故郷から取り寄せられているのだった。娘の名を『小さなお日様』と言いかえる彼は、間違いなく彼女のことを愛してくれているのだと思う――思うからこそ、許せない。
 
「幸せだよ、僕は……君とずっと、こうしていられたら良いのに」
 
主の言葉にあどけない少年の姿が重なり、思わず喉が震えそうになって、雪夏は歌を止めた。フェリクスはそれを咎めない。泣き止んだ子どものために歌われた唄であることを疑っていないから。幼い娘は既にパチリと目を開き、父親の光輝く金の髪に小さな丸みを帯びた手を伸ばしていた。冷たい氷の内に垣間見える幸せが、この王宮の箱庭にある。
 
 
~~~
 
 
イーストラインの果て、辺境の地の小国・環の太守の家に生まれた雪夏と、ミドルウェストの大国・オーデンの王子として生まれたフェリクスの運命は、本来ならば交差するものではなかったはずだ。西への反感が高まる東にあって、初めて彼の地との繋がりを模索したのが雪夏の父だ。西の王族との縁を求める彼に興味を示したのが、今は亡き前オーデン国王妃だった。王の寵は彼女の生んだ第二王子イーノスより利発な異母弟フェリクスへと偏り、誇り高い王妃とその生家には翳りが忍び寄りつつあった。我が子を王位に就けるため、見下してきた“イースト”の力を借りてでも、という王妃の意地と、東における自国の影響力と交易範囲を広げることを望んだ国王の思惑が一致し、イーノスと雪夏の婚約は成った。
 
『きみはだれ? なんでそんなところにかくれているの? ぼくはフェリクス、いっしょにあそぼうよ!』
 
許婚に見えるため、十をいくらか出たばかりの少女は過酷な長旅の果てに言葉も分からぬ西の地へとやって来た。目に映るもの全てが眩すぎる世界、大きな体に血が透けるほど白い肌、天狗のように高い鼻を持った人々は雪夏にとって恐怖でしかなく、全てに怯え縮こまっては女官の衣の影に隠れた。己は鬼の巣穴に紛れ込んでしまったのか、と絶望し泣くばかりの彼女をそこから引っ張り出したのは、鮮やかな金の髪に抜けるような青の瞳を持つ子どもの鬼。暗闇に突然差した光に驚いて瞬きをしている内に、雪夏は強い力で腕を引かれ、戸惑いながら見慣れぬ庭に駆け出すことができたのだ。
 
『言葉も通じぬ奴と、話なんかできるか』
 
と彼女を拒んだ許婚のイーノスも、異母弟に引きずりまわされ、泥だらけになる少女を眺める内に心配になったのか、己の面子を潰されることを恐れたためかいつの間にか二人の後をさりげなく追いかけ、徐々に近づくようになった。ハンカチーフを取り出して手ずから汚れた頬を拭ってやったり、疲れ果てた雪夏のために茶を用意して待っていたりする彼の不器用な優しさと時折見せる柔らかな仕草は少女の心を慰め、捕らえた。硬い蕾がほころぶように、瑞々しく花開いてゆく雪夏の成長と共にイーノスが彼女を伴侶として認め、二人が想いを寄せ合うようになっていくのは極めて自然な流れであった。フェリクスは彼らを繋ぐ、小さな天使のような存在だったのに――
 
『“イースト”の者は王位を継ぐ者の妃としてふさわしくない』
 
そんな声が囁かれるようになったのはいつのころだったか。急先鋒に立っていたのは他ならぬ第三王子フェリクスを推す一派だった。初めは、彼の立場を少しでも有利に見せるためイーノスの弱点を主張したいだけだと考えていた環側も、最大の庇護者であった王妃の死去と共に事態の深刻さを憂うようになった。開かれたイーストラインから流入する“モノ”に権益を奪われたと主張する人々は、東と西を繋ぐ場として発展する環にその鬱屈を向けた。
 
『すまない、セツカ……俺にはもう、どうすることもできない』
 
涙をこぼして頭を下げたイーノスに、首を横に振って
 
『良いのです、ありがとうございました、イーノス様……どうぞお健やかに』
 
と別れを告げた時、雪夏は既に滑らかな西の言葉を話せるようになっていた。新たなオーデンの太子にフェリクスが立ったことを聞いたのは帰国の翌年、彼女が同じ東の太守である由樹に嫁いだ後のことだった。口数は少ないが誠実で、許婚と別れ西から戻ったばかりの雪夏のことを慮ってくれる夫に、彼女は精いっぱいの信頼と尊敬を寄せた。それが二度目の恋に変わっていることに気づいたのは、彼を打ち破ったフェリクスがその城を攻め落とした時――
 
『ここを通りたければ、私を撃ちなさい! そうでなければ通しません……この地は、あの方が愛した場所です!』
 
半狂乱になって叫ぶ雪夏に、躊躇いなく引き金を引いたフェリクスの銃から放たれた弾丸に貫かれた痛みを、どうして忘れることができようか。
 
『セッカ、セッカ、セッカが悪いんだよ……僕はなるべく傷つけたくなかったのに。イーノスにも怒られちゃった、何で撃ったんだ、って』
 
苦痛に目覚めた雪夏の青い頬をなぞりながら、愛しげに紡ぐ“敵”の声に彼女は戦慄した。
 
『ねぇ、僕は今王太子なんだ。君たちの国を討ち落としたことで……イーストラインの向こう側に領地を得たことで父上は僕への譲位を真剣にお考え下さっている。もうすぐ僕は王になるんだ。そうしたらもう、誰にも君を奪えないよね?』
 
記憶の中にあるよりいくら大人びた顔つき、骨ばった手の平、広くなった肩――そして落とされた口づけに、雪夏の頬を涙が伝った。信じられない、あの全身に木漏れ日を浴びて育ったはずの、柔らかな温もりを宿した少年が。自分とイーノスを引き裂いたのが彼を擁する勢力だったとしても、彼自身の意思ではないと疑いもなく信じていた。例え己の国を攻めてきたとしても……夫の命を奪ったとしても、フェリクスその人は悪くないのだと。恨みたくなかった、信じていたかった、大切な初めての友としての彼を。
 
『“イースト”の文化は壊さないよ。荒れた土地を耕せるように援助もしてあげる。雪夏の育った場所だもの、僕も大好きだから守れるように全力を尽くす。ねぇ、だからその代わり……君は絶対、何があっても僕の傍にいてくれるよね?』
 
フェリクスの国王即位のその日、愛妾として式典の片隅に姿を現した雪夏を見て、オーデンの人々は目を見開き、そして鼻白んだ。
 
『まるで誇りを捨てた娼婦も同然だ、あんな女と婚約を結んでいたとはな』
 
元許婚イーノスとその取り巻きが吐き捨てる声を、雪夏は眉ひとつ動かさずに聞いていた。人々から注がれる好奇と嫌悪の入り雑じった視線に、やがて彼女は自室から出ることを厭うようになる。必定、数少ない侍女を除いた唯一の他者、“外”との繋がりである主に――彼女をこの現状に追い込んだ憎い仇であるはずの男に、逆説めいた依存、愛情にも似た執着を抱くことになるとは、おかしな話だと自身でも思う。
 
『西には以前のおまえの許婚がいよう。王族に連なる者ならば、おまえだけでも取り成しを頼めるのではないか?』
 
出陣の前、己の目を真っ直ぐに見すえて告げた夫の黒い瞳を思い出し、雪夏はそっと瞼を閉ざす。敗国の民が勝者の妾になることはよくあること――それでも夫はよもや、彼女がこれほど複雑な立場に置かれることになるとは考えてもみなかったに違いない。フェリクスよりは少しくすんだ、灰色がかった碧の瞳のイーノスの顔を思い浮かべる。今や侮蔑に彩られて己を射抜く両眼は、かつて甘やかな慈しみに満ちていた。今更懐かしく思うことは、きっと許されないのだろう。
 
「セッカ……」
 
何かに気づいたように、主が名を呼ぶ。常には強い自信を秘めて輝いている眼差しが不安に揺れる様をさらすのは彼女に対してだけなのだと、今頃になって気づいてしまった。本当に問いたいことを決して聞けぬ彼はきっと、雪夏の憎しみを知っている。
 
「お疲れですわね、余り眠られていないでしょう」
 
白い肌に滲んだ隅をなぞる指先にこもる想いを、見て見ぬふりをするのがつらい。何故己の指はそのまま眼球を抉ることができないのか、爪を立てることができないのか。彼によく似た温もりを持つ我が子に、子守唄を歌って聴かせるひとときに安らぎを感じるのか。子どものように己を求める腕に、必死に名前を呼ぼうとする声に、彼のしてきた非道な仕打ちにすらも仄暗い胸の高鳴りを覚えるようになってしまった――クニノタメニ、シカタナイカラ、だからここにいるのだという“理由”が“言い訳”に、偽りになりつつある現実は、少なからず雪夏を打ちのめし責め苛む。
 
「ごめんなさい……」
 
由樹、お父様、イーノス、そしてあなた。
 
「何で謝るの? 妃を迎えたくないのも、“イースト”を盛り立てたいのだって僕自身の望みだよ。結局はオーデンのためにもなるって言うのに、皆頭が固いんだ……だから、セッカは悪くない」
 
故意にだろうか、見当違いの返事を返す彼のことを、未婚の貴族という慣例から大きく外れ決して妃にはなれぬ彼女一人を守り続ける彼のことを、雪夏は間も無く愛してしまう。愛したくないのに、憎んでいるのに、憎みたくなくて、愛したいのだ。もうすぐその矛盾が溶けて一つに混ざり合って――そして最後に残るのは愛だろう。それが正しいのだ、でも許せない。だからこそ、許せない。腕の中の娘を嬉しそうに撫でるフェリクスの姿を見て、雪夏は唇を噛んだ。憎しみごと彼女を包み込もうとする彼は、しかしその奥の葛藤には気づくまい。気づかせまい、永遠に。それが雪夏の、最後の意地だ。










→イーノス編『夏に溶けゆく
  フェリクス編『夏に凍れる
  由樹編『夏に灼かれし
 
  関連作『秋に漂う』・ 『春に恨みし

その他目次


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六万枚の言の葉に』続編。タウゼントの息子・アインス視点。リハビリがてらできたので載せます。拍手下さった皆様本当にどうもありがとうございました。

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哀しみに果てはないのだろうか。
屋敷の裏手に位置する小さな湖の畔で、アインスは小石を蹴飛ばしながらチラと考えた。向かいの岸には緑の木々に隠れるように、白い屋根の小さな家が立っている。そこに住まうどこか儚げな風情をまとった貴婦人は、アインスの父のかつての主だった先代の領主の娘、アインスの母の従姉にあたる女性である。男児に恵まれなかった先代の領主は騎士として忠実に仕えた父を信頼し、遠戚の女性を嫁して跡を継がせ、生まれたのがアインスだ。実の娘がいるのだから、跡取りにはそちらを縁づければ良かったのではないか――? 先代の領主がそうできなかった理由についての噂は、母が必死に遠ざけようとしてもなお彼の耳にこぼれ落ちてくる。かの女性――湖畔の家の主はそう、あの“うすのろ王”の愛妾だったのだ。
うすのろ王、と忌名される先王のことを、少年アインスはよく知らない。彼が生まれる前に崩じた暗君。屋敷に使える馬丁にまで『あのうすのろ』と蔑まれる、長寿を全うした幸せな愚者。国政を執り行う力が皆無だったにも関わらず、長く在位したため腐った貴族の勢力を助長させ、現在の混乱の源を生み出した――年若い現国王が真実先王の血を引いておらず、王位にふさわしくないと主張する王族の一派と、彼を傀儡のように操る王太后とその親族との対立は日ましに激しいものとなり、アインスが生まれてからこの方ずっと、国には不穏な空気が漂い続けている。そんな中で火種となるかもしれぬ“先王の妾”を抱えて、父はこの地を受け継いだ。
己の立場を敏感に感じ取ってか、かの家の住人は親族間の集まりであっても賑やかな場に姿を現すことは滅多になく、朝な夕なこの湖の淵をぐるりと巡って野草を摘み、時に鳥や魚に餌をまいてはその場に佇み、じっと景色を見つめる姿を見かけるくらいだ。世捨て人も同然の暮らしをする彼女は未だ四十を迎えていまい。恐らく少年の母といくらも変わらないだろう。それでも彼女に子はなく、これから先一生、母のように他の夫人から午後の茶会に招かれることも、夫に腕を取られて華やかな夜会に赴くこともないのだ。
 
「何とかしてさしあげたいけれど……こればっかりは、本当にお気の毒ね」
 
暖かな暖炉の内で火のはぜる音が響く居間の窓越しに、湖を見やって呟く母の瞳は同情と憂いに満ち、しかして声にはかすかな優越が滲んでいた。整った顔立ちに涼やかな物腰、そしてたくましい身体つきをした父の姿を思い描く。この静かな田舎にあって、騎士としての父はどれほど眩しく若い娘たちの目を惹きつけたことか。そして彼の仕える家には娘が一人――騎士号を得ようと懸命に努める彼の姿に、彼に目をかけ厚遇するその主に、誰もが思ったに違いない、主は騎士に娘を聚せ跡を継がせる気なのだと。彼は彼女のものだと。母もそうして父を諦めようとした娘の内の一人だったのだろう。けれど思わぬ天啓が、都から降って来た……そうして“天”から降り注いだ槍が、あのたおやかな女性を貫いたのだ。
 
「ツェーン様、何かお困りのことはございませんか? 不都合がございましたらいつでもおっしゃって下さい。冬の間だけでも、こちらにいらしていただいて構わないのですよ? ……何せ元々は、あなたのお屋敷なのですから」
 
食事に招いた彼女を送る道すがら、父が宝物を守る騎士のように――確かに彼は騎士なのだが、まるで主に対するように――有り体に言えば、領主としての威厳など消え失せた、騎士になりたての少年のように頬を染め、穏やかに微笑んで彼女に手を差し出している様をアインスは見た。見てしまった、と言った方が正しい。正直に打ち明ければ、彼は見たくなかったのだ。息子や妻の前で何が起ころうとも常に表情を変えず泰然としている父の姿は、少年の誇りだったから。
 
「ありがとう、タウゼント……そんなに気を遣わなくても良いのよ? 領主はあなたで、私はここに住まわせてもらっている身なのだから」
 
目元をゆるめて笑った彼女の背を見送る父の瞳――その眼差しの切なさに、アインスは思わず視線を逸らしてしまった。母ですら呼び捨てたことが無いであろう父の名を、いとも簡単に口にした彼女の声。そしてその目はきっと……父が、欲しかったものは。彼が何のために騎士号を得ようと努力し、主の信頼を得たのか。気づいてしまった、だからこそこんなにも、小さな胸は痛むのか。引き裂かれてしまった絆は二度と戻らないと言うのだろうか。もし、この先父が地位を退き、アインスが後を継いで主となることが叶った日には……母には申し訳なく思うが、己の力で、せめて二人に今より近しい距離を与えてあげられる方法はないだろうか? この湖に差し掛かる度、白い屋根を目にする度に、少年はそんなことを考えるようになっていた。
哀しみに果てがないなんて――あの優しげな女性と敬愛する父が、永遠に癒されぬ傷を抱えて生きなければいけないなんて。彼が憤りとやるせなさにうつむけていた顔を上げた時、ちょうど視線の片隅に、今しがた思い描いていたかの人の影がよぎった。手の中に何やら小さな紙の束と筆記用具を抱えているらしい彼女は、キョロキョロと辺りを見渡し、手ごろな切り株を見つけると手巾を敷いて座り込んだ。
 
「蝶々……種類は何かしら? 後で調べてみないとね」
 
飛んできた蝶を見つめて、歌うように呟いた彼女の声が少年の鼓膜を揺らす。
 
「この花はタンポポよ、それから、白いのはシロツメクサ……クローバーよ。これは三つだけど、葉が四枚あるのは珍しくて、見つければ幸福になれるって言われてるの。ふふ、あなたは見たことがあったかしら? ゼクス……」
 
愛しげに紡がれたその名前。その名前は、少年の父のものではなかった。それどころか、――思い至ったその可能性に、アインスは目を見開いた。
 
「まさか……」
 
ゼクス、先王の名前。誰も呼ばない、うすのろ王の名前。その名を呼んで誰もいない空間に語りかける彼女の表情(かお)は、柔らかに輝いていた。
 
「あぁ、あぁ、見つけたわ……! ほら、あなた見えるかしら? 四枚よ、四葉のクローバー! あなたのところにも、届くと良いわね」
 
白い指先を土で汚して草をかき分けていた彼女が、微笑んで掲げた手の先にあるものは、少し離れたアインスの位置からとても確認できないが。その声が、いつも彼の屋敷を訪れる時とはまるで違う、弾んだものであることは、確かに耳で感じられた。切り株に置かれたその小さなものを、手にした帳面に移し取っているのであろう、サラサラと鉛筆のこすれる音が聞こえ、アインスは静かに瞳を閉じた。
ああ、自分が何かするまでもなく、彼女は既に“しあわせ”なのだ。たった一つの愛を見つけ、たった一つの愛と共に今もきっと生きている。そしてその幸せを、想い人の愛を見守る父もまた、きっと満たされているのであろう。彼らは出会えたのだ、たった一人に。知ることができたのだ……愛することの喜びを。
いつか己もまた真実愛する存在に出会えたら、彼女の家を訪ねてみよう。そうして見せてもらうのだ、彼女の愛と生の証を。かの人と共に在った時も、彼と離れてからの時間も全て伝えることができるよう、丁寧に紡がれた言の葉の束を。そこには彼女の哀しみも、怒りも、喜びも全て込められているはずだ――おしまいの無い、彼と彼女の想いの全てが。哀しみに果ては無いだろう、けれど愛に終わりが無い以上、そこに幸せも在るのだと、彼女の姿が教えてくれた。
湖に背を向け静かに歩き出した少年の口元には、凪いだ湖面のように澄み切った笑みが浮かんでいた。


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気持ち整理にために、悼む言葉。

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優しい、優しい絵を描かれる方でした。
習うことは叶わなかったけど、水彩色鉛筆とスケッチブックのセットをもらった時は嬉しかった。何をどんな風に描いてみても良いんだ、と。後輩になれた時、お祝いにいただいたのが石付きの可愛いネックレスだったこともビックリしました。身近なとこでは入学祝いって言うと文房具、という発想しか無かったので(笑) 今持ってるよそいき用のブランド物ハンカチーフはほとんどこの方からいただいたもの。普段はミニタオルばっかり持ち歩くもので・・・気がつけば二桁以上、たくさんいただいてしまいました。
オシャレで、凛として本当に素敵な、尊敬できる方でした。生き方への憧れのようなものと、それで良かったのかな、って気持ちが同居している。この時期だからってせいもあるのかな。ずっとずっと、忘れないようにしたいと思います。


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秋田に行ってきました~o(^▽^)o

角舘
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田沢湖


久保田城


暖かくて桜満開でキレイでした。

オマケで近所散歩した時の。沿岸はまだ眺めるのがつらいですが、花はちゃんと咲いてます。

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